第二章06『逃げろ、さもなくば死ね』
結局それは、『勝負』と言えるほど対等なものだったのか。
そもそも彼らは、同じ土俵に立っていたのか。
力量、場所、手数、知能、得物、間合、気概……そういった細かい条件に、果たして意味などあったのか。
「操術魔法:『森羅聖誕』//地縛――――――」
結果は、
「――――――《まんげつ》」
火を見るより明らかだった。
次の瞬間。
ジェミニを中心にした半径五〇メートルの空気が、大爆発を巻き起こした。
「っ!?」
ドゴァッッッ!!!!!! という連続性を失った大量の轟音が、津波のように隙間なくフェグルスへと襲い掛かる。
魔法の行使、その現象。
一度の爆発ではなく、数千数万にも及ぶ数の爆発が一瞬のうちに炸裂したのだ。
咄嗟の行動だった。
フェグルスはティーネをかばうように、迫り来る爆破の壁に背を向けた。
「ぶっっっ!?」
意識が揺さ振れるほどの衝撃が全身を貫く。ドンッ!! という音響が体内を伝って耳に叩き込まれた頃には、すでに彼の体は宙を舞っていた。
あまりにも規格外過ぎて、何をされたのかも理解できない。
生きていたのはもはや奇跡だった。
不可視の魔法を直に受けたフェグルスは、四散する事なく爆発の威力に耐え凌ぎ、なおかつティーネを抱えたまま地面に叩き付けられるも、その衝撃を全て背中で受け止め切った。
「ぼ、ぉ……っ!? ぅ……か、あ!」
内臓が強引に絞り出されるような感覚に、フェグルスは息を詰まらせた。
必死に呼吸の仕方を思い出しながら、薄れる思考で状況を整理する。
(なん、なんだ……? 爆発した……! 何の魔法だ!?)
魔法を視認できなかった。
認識不能なほど超高速……とは雰囲気が違う。おそらくそもそもが『見えない仕組み』なのだ。
そこまで考えて、フェグルスは急いで体を起こす。
一度目の魔法はギリギリ乗り切った。
しかし歯向かう者に考える時間を与えるほど、あの少年に慈悲はない。
「いィち」
激痛に眩むフェグルスの意識に割り込むような、不快な声が鋭く響く。
危険を察したフェグルスは、ティーネを抱えたまま反射的に横っ飛びに跳ねた。
直後だった。
ズドッ!!!!!! と。
魔導都市の大通りが、端から端まで一気に割れた。
もはや距離など関係ない。寸前までフェグルスの転がっていた場所を一刀両断する形で、『見えない何か』が真上から叩き落されたのだ。
空間そのものが一キロメートル先まで一直線に引き裂かれる。
それはまるで、長大な刃を持った『見えない剣』の斬撃のように。
「なん……っ!?」
危うく体が真っ二つに切断されるところだった。
しかしそれだけに留まらない。
空気の爆発があった。
それは『見えない斬撃』の余波だった。
今度は殺気も何も無い。おそらくジェミニ本人でさえも意図していない攻撃だったのだろう。その意識外からの一撃に、フェグルスの体が凄まじい勢いで真横に弾かれる。
ヤスリのように粗い地面の上を、猛烈な速度で転がって行った。
掛け値なしに、身体が擦り削られる。
「があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!? ……がふっ、げほ! ……ちっ、く、しょう……!!」
大通りの横端まで吹っ飛ばされたフェグルスは、それでもなお立ち上がった。
平衡感覚が狂う。視界全体が斜めに傾いている。体の芯が大きくブレて、真っすぐ地面を踏む事も叶わない。
当然、ジェミニがその隙を狙わないはずもなかった。
「にィ」
再び襲い掛かる圧迫感。
何かが来る。
見えない魔法が迫って来る。
見えない一撃必殺が、来る――――――
「くそぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
無我夢中で地面を蹴り、フェグルスはほとんど地面に体を擦り付ける勢いで前方に跳ぶ。
三度目の魔法は、フェグルスたちを純粋に叩き潰す形で襲来した。
街の大通りに、『見えない何か』が落ちて来た。
着弾点を中心に半径数百メートルもの巨大なクレーターが生じる。
まるで天から地へと突き刺さる『見えない稲妻』のような一撃。それがフェグルスの数センチ背後に、凄まじい速度で着弾していた。
全てが吹き飛ぶ。
降り注いだ『見えない稲妻』から全方位へと衝撃波が撒き散らされた。倒壊しかかっていた建築物が真面目に崩れる暇もなく消し飛んでいく。
当然、フェグルスの体も呆気なく宙を舞った。
「――――――――――――――っ!?」
呻き声すら出せなかった。
フェグルスはノーバウンドで五十メートル以上も吹き飛ばされ、地面を跳ねるように勢い良く転がって行く。そのまま墓標のように地面に突き刺さる巨大な瓦礫に背中から突っ込んだ。
あまりの衝撃に、冗談抜きで呼吸が止まる。
「が!! ……ばっ、げほ!?」
地獄のような攻撃から間一髪で逃げ延びたが、安心感などあるはずがない。フェグルスは立ち上がる事も忘れて、ジェミニの方へと視線を投げる。
一喜一憂している暇もなく、世界最強の声が響いて来た。
「さァァァァァァァん。避け切ったのは三……薄汚いクズ肉は生き意地までこうも汚い。本当に風情が無いよ、這いつくばッてもがき回るしか能の無いアリ如きが」
少年の瞳が、さらにどす黒く腐敗する。
「クズ肉の分際で、恥ずかしげもなく息をして、ボクの心を搔き乱すだけ搔き乱してッ、馬鹿にするだけ馬鹿にして! これだけやッてオマエはまだ!! ボクの興を削ぐつもりかよ!? 調子に乗るなァアア!!!!!!」
狂ったように叫ぶジェミニは、目を剥いて、牙を覗かせ、肉汁のような唾液を滴らせながら、不健康に痩せ細った足を勢い良く振り上げた。
その足を、そのまま下へ。
直後の出来事。
ズズン……ッッッ!! という信じられない衝撃が大地を上下に揺さ振った。
彼の足は、大きく地面にめり込んでいた。そこから放たれた破壊の衝撃波が全方位へと駆け巡り、五〇〇メートル圏内の地面が冗談みたいに波を打つ。
人間の放つものとは思えないほどの脚力。
おそらくは魔法の恩恵による現象なのだろうが、しかしそんな事をいちいち考察している場合ではなかった。
次の異常が、迫る。
「そんなに生きたいなら生かしてアげるよ! アりがたく思えクズ肉が!!」
地中に収まり切らなかったエネルギーが、どこかへ流れ込んだ。
ミシ、バキンッ、と……大きな何かが破損していくような怪しい音が響く。
それは明らかに、フェグルスのすぐ至近から。
(なんだこの音!? どこから―――)
思考が途切れた。
原因は影。
自分の『頭上』から迫るそれを見て、直後にフェグルスは硬直した。
石材や木材、鉄骨とコンクリート、それらを駆使して打ち建てられた人工物。
都市を都市たらしめる象徴的な高層物。
大通りにずらりと並べられた、物質化した最新文明。
その全て。
何もかもを押し潰すような轟音と共に。
周囲の高層建築物が、フェグルスに向かって一斉に倒壊を始める。
しばし、呆けていた。
己の頭上から何が迫って来ているのかに気付いた瞬間。
「……ぅ」
思考が吹き飛ぶ。
胸の奥から湧き上がる感情が、フェグルスの口から溢れ返っていた。
「うぉぉあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
慌ててフェグルスは立ち上がって地面を蹴った。脇目も振らずに走り出す。一刻も早くこの場から離れるために。
頭上から迫るのは、一つ一つが数百という人間を押し潰す質量の暴力。
巨大な鉄槌が何発も振り下ろされているようなものだった。あまりの恐怖に止まりかける足を力づくで動かして、フェグルスはただ無我夢中で逃げ回る。
走り、走って、走り続けて―――――
「好きなだけ生き埋めになッてろ、ゴミ虫」
ジェミニの声さえ届かなかった。
大質量の豪雨が降り注いだ。
地面と激突した建築物の群れは、都市全体を大きく揺さ振る。
瞬間、凄まじい轟音と共に粉塵が舞い上がり、フェグルスの視界を一瞬で奪う。そして砂煙を引き裂くようにさらなる建築物が好き勝手に倒れ、フェグルスを押し潰そうとした。
ただ真下に倒れる物、足元から崩れるように倒れる物、他の建物とぶつかり合いながら不規則に倒壊して来る物。予測のつかない複雑な動きで、それらは生物のように暴れ回る。
「ちくしょう……!!」
死に物狂いで走り続け、フェグルスは建築物の群れから間一髪で逃げ延びる。
しかし、脅威はそこで止まらない。
「アはははははははははははははははははははははは!! 分かッたか腐れクズ肉!? 逃げる事しかできなんだよキミみたいな欠陥品はさア!! そろそろ自分の身の程を弁えてェ! 諦めて木端微塵に爆ぜたらどうかなア!!」
「――――っ!? あの野郎……!!」
遠く背後から、甲高い声が飛んで来た。
フェグルスからはその声の主の姿は見えない。舞い上げられた粉塵のカーテンが全方位をグルリと取り囲み、視界を完全に遮断していたのだ。
だからこそ、フェグルスは気付かなかった。
粉塵の向こう側で、ジェミニが縮んだバネのように低く低く姿勢を落とし、全身に力を蓄えていた事に。
ジェミニとフェグルスの間には、すでに一〇〇メートル近い距離が開いていた。さらには倒壊した建築物の残骸と、それが巻き上げた大量の粉塵が物理的に彼らを分断している。互いに相手の姿を見る事ができないどころか、真面に近付く事さえままならない状況だった。
にも拘らず、ジェミニは、
「逃げ切れるとでも思ッてるのかよ、このボクから」
目の前にある障害物を全て無視して、地面を蹴る。
次の瞬間、漲る力が炸裂した。
ッッッドン!!!!!! という爆音が鳴り響いた頃にはもう遅い。
亜音速を叩き出した少年の体は、進行方向にある粉塵も瓦礫も見境なく全て吹き飛ばした。
邪魔なものは、そのまま一直線にぶち抜く。
一〇〇メートル以上の距離を、たった一歩で駆け抜ける。
その信じられない異常事態を、平気な顔で実現させる圧倒的な実力。
一方で―――
「くそ! 何なんだ!?」
フェグルスの方も、その異常事態に気付いていた。
粉塵の向こう側から鳴り響いた爆音。ジェミニがまた何かを仕掛けて来たのだと思った。だから彼は咄嗟に背後を振り向いていた。
そして見た。
「ハロォ」
目線、三〇センチ先。
口の端を引き裂いて長過ぎる舌を伸ばしたジェミニの顔がそこにあった。
膨大に開いていたはずのジェミニとの距離が、一瞬でゼロになっていた。
「っっっ!?」
訳も分からずフェグルスは身を伏せる。
破壊は直後に襲来した。
ズドォッッッ!! という斬撃が、風のような速度で大通りを縦断する。
ジェミニの動作は簡単。
体の前で両手を合わせ、それを一気に左右へ広げる。
その動きをなぞる形で、横一線の鋭利な魔法が景色を丸ごと引き裂いた。
一瞬のうちに七〇〇メートル先までの空間が真っ二つに切断され、吹き荒ぶ余波の圧力がフェグルスとティーネを数十メートルもノーバウンドで吹き飛ばす。決して離さぬよう少女を固く抱き締めたフェグルスは、全身を地面に擦り付けられながら転がっていく。
「おっ、ぁ――――っ!?」
フェグルスの口から苦悶の呻きが洩れ出した。
対照的に、それを面白がるような声が崩壊した大通りに響き渡る。
「きひッ、ひひひひははははははははははははははははははア!! 分かッたか! なァ!? 初めから! 違うんだよ! ボクとオマエらじャア! 力も立場も何もかもォ!! 小賢しく逃げ惑え! そのまま惨めに飛び散ッて死ね!! これがゾディアックだ!! これが世界最強だ!! このボクを馬鹿にした事ォ! 心の底から後悔させてやるからなア!!」
その言葉と同時だった。
ジェミニの周囲の空間が、ぐにゃりと不自然に歪む。
「っ!?」
果たして、フェグルスは気付けたか。
その空間の歪みこそが、ジェミニの魔法の正体だと。
空間―――ひいては『物理現象』そのものに干渉する事こそが、ジェミニの魔法なのだと。
「操術魔法:『森羅聖誕』//地縛――――――」
水を生み出すとか、炎を操るとか、雷を呼び込むとか、植物の成長を何倍も早めるとか、そういう限定的な話ではなかった。
もっと漠然としていて、もっと曖昧としていて。
極めて単純で、だからこそ強力無比な現象を引き起こす異法則。
「――――――《斥力拡散》」
直後だった。
あまりにも純粋過ぎる『力』そのものが、世界最強の魔法となって押し寄せる。