第二章04『風情ある晴れ舞台』
魔法使いは、実力に応じてステージ1からステージ5の五階級に分類される。
ステージの判断基準は主に三つ。
体内に貯蔵できる『魔力量』、持続的な『魔力生成速度』、そして魔力から魔法への『変換率』―――魔法自体が魔力に依存する技術であるため、その実力も魔力によって左右される。
『魔力量』は言葉の通り、貯蔵できる魔力の総量。
『魔力生成速度』は、一秒間に体内で生成される魔力の最大量。
そして『変換率』は、使った魔力量に対して、実際に魔法に変換される魔力量をパーセント換算で数値化したものとなる。
これら三項目の各数値を合計し、それが基準値を超える事でステージが決まる。
当然、一項目だけに秀でていても意味が無い。
莫大な量の魔力を貯蔵できたとしても、魔力生成速度が極端に遅ければすぐに魔力が枯渇する。生成速度だけが優秀でも、雨粒程度の魔力しか溜められないのならばこれも実力不足。仮に魔力量も生成速度もトップクラスだったところで、魔力から魔法への変換効率が一〇パーセント未満なら話にならない。
現在、地球人口の約五割がステージ1、あるいはステージ2に分類されている。
ステージ3は約四割。
ステージ4は一割程度で、ステージ5に至っては世界で三〇人ほどしか確認されていない。
そして、ここにもう一つ。
ステージ5のさらに上の階級が存在する。
魔力量も、魔力生成速度も、比類なき高数値。
魔力の変換効率もほとんど一〇〇パーセント。
この時代の魔法科学をして、『あまりに規格外過ぎて科学的に立証不可能だ』とさえ言わしめた超越存在。
通称:ゾディアック。
理論的には存在するはずのない一二人。
魔法が使えて当たり前の時代。魔法があらゆる価値基準になった時代。
そんな時代の頂点に君臨する正真正銘の『世界最強』。
そんな魔法使いが、今、目の前に現れた。
***
「いい、いいなァ、期待以上だ。これでこそ生きてる甲斐がアるッてものだよなァ。小さな幸せ、小さな幸運、こうして人は幸福になッていくんだ。す、ば、ら、し、いィィィィィィィィィ」
赤く染まり、黒く乾いた、人間の血。
痩せ細った少年―――ジェミニの両手は、血だまりにでも浸したみたいに赤黒く染まり、今も血の雫が腕を伝い、地面に滴り落ちている。
その血まみれの掌を、彼は躊躇いもなく自分の顔に押し当てた。
額にも頬にも鼻にも口にも、満遍なく血を塗りたくる。
「やッぱりこういう時に実感する、人間ッてのは幸せになるために生まれてきてるんだ。小さな手に収まる幸福感。小さな心を癒してくれる満足感。この充足感、この爽快感。これに勝る幸せの形が他にアるかなァ。実に風情だよ、興が乗るじャアないかア」
血塗れの両手で顔を覆い、どす黒い瞳で空を仰ぎ、粘り気のある唾液を口から滴らせながら少年が笑う。
「生きてこそ、生きてるからこそッ、生きて生き抜いて生き果てるからこそ! 人生は! 風情たり得るのさ!! だからア!! 無意味なんだよォ!! すぐに爆ぜ散るクズ肉共がァ!!!!!!」
その少年を一目見ただけで、「違う」とフェグルスは直感した。
論理的ではなく、もっと本能に近いところで悟る。
「何様のォ!! つもりでェ!! 誰の許しで息をしてるんだよオマエらはア!! 自意識過剰で自分の事を過大評価するなら勝手にしてりャアいいけどさア!! それでボクの心を煩わせるとか何を考えてるんだよ!? 大して何の役に立ちもしないクズのくせしてッ、ボクの! 人生の!! 邪魔をしやがッてェ!! 死んで当然だろ!! でも死んだのは自己責任!! 自分の命も管理できない無知無能なら誰かの迷惑になる前にさッさと死ねよ!! ……クズ共め、そもそも生を受けたのが間違いだ。欠陥欠損欠落まみれの出来損ないの分際でよくもまァ……そういう奴が世を腐らせるんだよ。許せないよなァ」
その少年は、『何か』が決定的にズレていた。
それが何かは、分からなかったが。
「でも! そんなクズ肉もボクは許そう! それが大事! うん! 寛容に、慈悲深く、心の底から愛を込めて! 他者との触れ合いは、常に他者の事を考えながら! そうして互いを認め合い、尊重し合ッて紡いでいく! だッてクズもクソもゴミもカスも、等しく全ては諸行無常なのだから! アァなんて憐れな人の世か! 風情だよ、興が乗るッてもんだろう! だからこそ! こんなにも! 生きる事ッて素晴らしいんだなァ!!」
「お前……」
「ア?」
一人で興奮を突き上げる少年に、ついにフェグルスは我慢ができなくなった。
このまま沈黙していたら、あの少年が放つ『気色の悪い空気』に自分の存在が丸ごと呑み込まれてしまうんじゃないかと思った。
「お前、が……やったのか……? 街を全部、こんな……こ……人も、全部……。こいつをこんな風にしたのも、なん……お前か? お前なのか……?」
上手く舌が回らなかった。だが問わずにはいられなかった。
自分を取り巻く状況が理解できなかったからこそ、問わずにはいられなかった。
そんなフェグルスに対して、
「……ア?」
フェグルスの、その困惑に、その問いに、その質問に対して。
問われたジェミニは。
世界最強の魔法使いを名乗る少年は。
「……アー……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアー……ア?」
黒く腐敗した瞳をフェグルスに向けたまま、おかしな方向に首を傾げていた。
しばらく唸り、瞳をギョロギョロと蠢かせ、おそらくフェグルスの問いに対して何をどう答えるべきなのかを深く深く思案して、
「……アァ。はいはい、そォいう事」
そうして一人、納得したように呟く。
「分かッてる……キミもこの光景が気に入らないんだろ?」
「……は?」
認識が。
ズレる。
「アァそうさ、確かにこの光景は風情じャないね、興醒めも甚だしい。こォんなクズ肉まみれの光景じャア、とてもじャアないが満足できるわけもないッ」
「……待て、なに……お前なんの話を」
「いや、いや、いやいやいや嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌、嫌、嫌、嫌だなァ。ボクが好きでこんな舞台を用意したと思ッているのかい? 誤解しないでくれよ。誤解ッて、勘違いッて、つまりそれはボクへの認識を間違えてるッて事だ。ボクをしッかり見てないッて事だ。ボクを見てないッて……つまりはボクを無視して、ボクを下に見て、ボクを劣ッた奴だッて決め付けて、ボクを嘲ッて侮ッて蔑んだッて事だ。……それは、ボクを、『馬鹿にしてる』ッて事だ。なァ」
まくしたてるように、畳み掛けるように。
狂気的に瞳を腐らせ、ジェミニは言う。
「いいか? よく聞け。ボクは風情を理解できる人間だ。だからこれはボクの意思じャアない。こんな恥知らずな光景は、それこそ風情に反するからね。つまり不本意さ。それもこれも全部、ターゲットが往生際悪く逃げ回るのがいけないんだ。ボクの風情を邪魔しやがッて……」
「……、……?」
全く話が噛み合わない。
風情? ターゲット? 逃げ回る? ……何のことだ?
こいつはさっきから、何を言ってるんだ?
「な、んで……」
「邪魔だからだよ」
即答だった。
むしろなんでこんな簡単な事も分からないのかと言わんばかりに。
「分かるだろ? ターゲットがすぐ目の前にいるッていうのに、ボクの周りにはボクの邪魔をするクズ肉ばかり。街に溢れ返るのはクソ虫ばかり! こんなのダメだと思わないかい? ダメなんだよ。風情じャアないし興も乗らない」
忌々しげに語る少年は、しかし次の瞬間には凶悪な笑みを浮かべて。
嬉しそうに、自分の功績を自慢げに披露するかのように、両手を大きく広げ、
「だから! 全部ッ! 吹き飛ばしたのさ!!」
もはや隠す気など微塵も無く、
「風情のないクズ肉共を! 興の乗らないクソ虫共を! 一つ残らず爆ぜ飛ばしてのさ! 盛大にねェ!!」
信じられないほどの潔さで、ジェミニがその口で自ら認めたのだ。
大通りを破壊したのも、そこに溢れ返っていた人々を木端微塵にして殺したのも、全ては自分の行いだと。
そして、その上で。
「でもなァにも面白くなかッたよ。ちッとも心が弾まないじャアないか」
「―――――は?」
予想もしていなかった言葉に、フェグルスの思考は空白に染まる。
呆然と、唖然と、ぽかんと口を開けて、目の前の少年が何を言っているのかを理解しようとして、
「つまらないんだよ。風情の欠片もないんだよ。……どうしてこうなるのかなァ」
「いや……待てよ、待て」
怨念のように吐き出される少年の言葉に、ついに耐え切れなくなった。
咄嗟に彼の口を止めようとするが、もう遅い。
もう止まらない。
「どうして分からないんだよ。分かるだろ。分かるはずだろ。それで分からないッて事は、つまり分かろうとしてないッて事だろ。それは、ボクを無視するッて事だろ。ボクを見下して、嘲笑ッて、馬鹿にしてるッて事だろ。皆、見渡す限り、どいつもこいつも分かろうとしない。だから風情が無いんだ。そういう普通の感性も理解できない低能無知な衆愚のクズ。なんでこうも浅ましいクセに偉そうな顔して生きられるんだよ。本当に理解に苦しむよ、理解しようとも思わないけどさァ。でもだからッて……いくらなんでもさァ、限度ッてもんがアるよなァ! 何一つ! 欠片も分かッちャいない! 生き方なんて無意味なんだ! 何の価値も無いんだよ! やる事なす事全てが無駄! 過程がどうした!? 結果が全てに決まッてんだろォが!! 善行を積もうが悪行を重ねようが最後の最後がクズなら全てがクズだ! これが真理でそれが真実だ! どうしてそんな簡単な事にも気が付けないんだよオマエらは!? 頭のおかしいクズ共め! よくもボクの風情を邪魔してくれたな! 何の権利で、何様のつもりでェ! どういうつもりでボクの心を土足で踏み荒らしやがッたア!? オマエらの下らない下衆な命でボクの人生を弄ぶな! キミたちがこれまでどれだけ風情に生きてきたかなんて欠片も興味がないんだよ! 過程なんて知るかそんなものォ! 過ぎ去ッた時間には何の意味もない! どうしてそれに気付けない!? そういう当たり前の常識に理解を示さない奴らがボクを見下して嘲笑ッて踏みつけて馬鹿にする! 救いようもないゴミ虫がッ、さッさと死ね! 死ね! 死ねよォ!! 風情じャないんだよ! 興醒めじャアないかア! どいつもこいつもボクをコケにしやがッてェ!!」
声を荒げ、瞳を乱雑に動かし、暴れる感情を解消するみたいに両手で己の頭を掻き毟りながらジェミニは叫ぶ。
だけど、
「……ち、」
何もかもが、
「違ぇだろ……」
違う。フェグルスの求めている答えはそんな言葉じゃないのだ。
風情? 興醒め? なんだそれ。
クズだとかクソだとか、話の論点がそもそも合致していない。
「お前だろ……? 街を、コイツを……こんな……。お、お前がっ、ここを! こんな風にしたんだろ!? 街も人もみんな! お前が―――」
「ほら見ろ。ちョッとでも慈悲を見せればすぐにこれだ。そうやッて何でもかんでもボクのせいにして、ボクを悪者にして、ボクを加害者にして、ボクに悪役を押し付けるんだ。そして嘲笑うんだろ。蔑んで、見下して、ボクだけをそうやッて馬鹿にするんだろ」
「だから! 話が違うって言ってんだろさっきから!」
「アァそうかい、勝手にしろよ。ボクは寛容にそれを受け入れる。それが大事だ、うん。それができないキミたちの方が頭のおかしい欠陥品ッて事だ。ふざけるなよ!? そうやッて他人を馬鹿にする事しかできないならさッさと死ねよクズ肉が! 誰かを蹴落とす事しかできない欠陥まみれの虫ケラがア!!」
「話を! 聞けよ!! 悪者とか悪役とか、何なんだよお前! 意味分かんねえよ! 俺はそういう話をしてんじゃ」
「だッてこれッてキミのせいだろ」
もはやフェグルスが何か言い終わるより早く、ジェミニが強引にそれを絶った。
単純な言葉の応酬すらも無視したまま、彼の言葉は続く。
「勝手に現れたと思ッたら勝手に文句を言ッて、ボクの予定を狂わせてボクの都合を跳ね除けて、自分本位な自分の都合を自分勝手に押し付けて……あのさァ、何様のつもりでそうやッてボクを馬鹿にするんだよ、オマエ」
「…………」
ついにフェグルスは黙り込む。
会話が成り立たない、どころの騒ぎではない。
会話をするために必要とされる最低条件がそもそも欠落している。
「どうしてオマエらはそうやッてボクを馬鹿にするんだよ!? 何をしたッていうんだ! このボクが! どうせただ純粋に風情を求めるだけのボクをそうやッて辱めて笑ッてるだけなんだろ! 自分たちが欠陥品だからッて! 完璧なボクを妬んでるだけなんだろ!? なんでそんな事をするんだよ! 良心が傷まないのか!? 人をそうやッて馬鹿にして、言葉の力で押さえ付けて! なんとも思わないのか!? 今までどれだけの人間を踏み台にしてきた!? ええ!? さぞかし良い気分なんだろうね! 人の心を踏みつける側ッていうのはさア! さも自分が正義の側に立ッてると勘違いしたまま自分だけが世界の意思を代弁しているみたいな気分になッて! 自分の意思を聞き入れようともしない人間を言葉と暴力で捻じ伏せて! 筋違いな快楽に浸ッて! どうだッ! 言ってみろ!! どういう気分だよ! なァ!? 気持ち良いんだろ。誰かの背中に乗ッて見る景色は最高なんだろ。ふざけるなァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!! その靴底を舐めるしかない人間の気持ちの一端すら理解できない矮小な脳味噌でつけ上がりやがッて! どれだけボクの事を馬鹿にすれば気が済むッていうんだ腐れクズ肉如きがア!! 本ッ当に風情がない! 興が削がれるッてもんじャアないかア!!」
何を言っている? 何を語っている? 何を論じている?
この少年はさっきから、一体、何を。
「……なに、」
見当違いの主張をまくしたてるジェミニから、フェグルスは目を離すことができなかった。
血に塗れた少女を抱えたまま、竦んで、目を開き、荒い呼吸を整えながら……。
しかしそれ以上の行動を取ることが一切できなかった。
「なに言ってんだ、お前……」
「自覚が無いッてどういう事だよ。またそうやッてボクを馬鹿にするつもりなのか? この期に及んでまだ! ボクの『幸福』を邪魔するつもりなのかよ!?」
「……こ……え?」
衝撃的な言葉に、ついにフェグルスも太刀打ちができなくなった。
頭に巨大なハンマーか何かを叩き付けられたような心地だった。
「幸福……?」
愕然とした。
こいつ、今、なんと言った?
「キミが全てを台無しにしたんだ! ボクの幸福を、幸福を手に入れるというボクの最大目標を! 風情も理解できないクズ肉が邪魔するなよ! 虫唾が走る! なァ!? 殺すぞオマエ!!」
ジェミニから放たれる気色の悪い空気が、全方位からフェグルスの意識を圧迫する。心臓の鼓動は速度を増し、内臓は締め付けられるように縮む。強烈な眩暈と吐き気が襲い掛かった。
それだけで、もう十分だった。
「……お前今なんつった……」
幸福だと?
あれだけ大勢の人間を殺しておいて、あんなに人の命を弄んでおいて、何の関係もない人達をゴミか何かのように蔑んでおきながら……幸福?
上半身しかない死体を。
顔だけしか残っていない死体を。
……こんなどうしようもない役立たずに、勿体ないぐらいの優しさをくれた、あの少女の、血まみれのレイピアを。
こいつは今―――――――
……幸福? 幸福だと?
幸福と言ったのか!?
「お―――お前えええええええええええええええええええ!!」
感情が唐突に沸騰した。
沸点を容易に超えたその熱は、言葉となってフェグルスの口から飛び出した。
「ふざけんじゃねえぞさっきから聞いてりゃてめえ! 訳の分かんねえ事ばっか言いやがって! お前には! 見えねえのか! 周りがどうなってんのか!!」
無茶苦茶で、支離滅裂に、ただ喚く。
「風情とか意味分かんねえよ!! お前が言ってる事なんか一つも分かるか!! 見ろ!! 今すぐ周りを見ろお!! 自分が何したのかもわからねえのか!? 人っ、人があ! 人がっ……し、死んでるんだぞ!?」
突如として檄を飛ばしたフェグルスに驚いたのか、ジェミニの表情が固まった。
しばらくそのまま微動だにしないままフェグルスを睨み、そして、
「……はア?」
退屈そうな声を吐きながら、しかし意外なほど少年は忠実に、フェグルスの言葉通りぐるりと周囲を見渡したのだ。
一応、フェグルスの言葉の意味は理解したのだろう。
普通の言葉を理解する能力ぐらいはあったのだろう。
ジェミニは、じっくりと大通りの景色を眺めていた。
剥き出しになった地面、粉砕された通り沿いの建築物、潰された露店の数々。そこら中に散らばる木端微塵の人の死体。
それら一つ一つを、少年はゆっくり、静かに、確かにその視界に入れて、
「……はァァァァァァァァァァァァ」
そして何を思ったのか、ジェミニは長く深いため息をつき、不愉快そうに眉をひそめ、再びフェグルスの方を向き。
一言。
「で?」
本当に、一切の悪意も無く。
彼は純粋に首を傾げていた。