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第二章03『遠ざかる日常の足音』

 





 思考が途絶したまま、フェグルスはその光景を見つめていた。


 所狭しと建ち並んでいた建築物が。

 大通りを装飾していたイルミネーションが。

 街を激しく往来していた自動車が。

 元々は何の一部だったのかも分からない破片が、瓦礫が、金属片が、鉄骨が。

 その全てが木端微塵になって夕焼け空いっぱいに広がっていた。


 ……なんだ?

 あれはなんだ?

 何が――――


「……ぇ」


 理解が追い付かなかった。頭が上手く回らなかった。何が起きたのか、事情が全く呑み込めなかった。

 呑み込めなくても、現実は現実だった。





 魔導都市の大通りで、謎の大爆発が起きた。

 その衝撃に巻き込まれ、街にあった何もかもが木端微塵に吹き飛んだのだ。





「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はあ!?」


 そう分かった途端、余計に訳が分からなくなった。


「なんだ!? なに……なにが!?」


 自分が目にしているもの全てが、完全にフェグルスの理解力を超えていた。

 明らかな異常事態。何かヤバい事が起きている。それだけしか分からない。それ以外は全て困惑に塗り潰されてしまった。


「……何が……?」


 一体、何が起きた?

 祭り一色だったあの大通りで、一体、何が?

 ほとんど本能だった。まるで磁石にでも引き寄せられるみたいに、フェグルスの足は勝手に動いていた。


 無我夢中で、自宅とは反対方向に走って行く。

 魔導都市の中心街へ、どんどん近付いて行く。


 最初に見えたのは、周囲をビルや商業施設に囲まれた広い道だ。大通りからは一本外れた、しかしそれでも昼間は馬鹿みたいに交通量の多い片側三車線の滑走路のように広い道路。



 そこに一歩、踏み込んだ瞬間だった。

 ドォッッッ!!!!!! という凄まじい圧力が、フェグルスの全身を叩いた。



「ぶっ……!?」


 あまりの衝撃に、思わず足を止める。

 なんならそのまま元来た道に押し戻されそうになる。


 衝撃の正体は、『人間の波』だった。

 絶叫を放ちながら死に物狂いで地面を蹴り、前を走る他人を押し退けのけるように我先にと逃げ惑う何十何百もの人間が、津波のように押し寄せて来たのだ。


「お、あっ!?」


 事態を把握する暇も無かった。

 気付いた頃には視界が丸ごと人の頭に呑み込まれていた。


 そもそも魔導都市は、世界一の魔獣多発地帯だ。それゆえこの街の住民たちは、魔獣が発生した際の避難経路や対処の方法を十分に心得ている。たとえ今日が祭りの前日で、他所(よそ)からの観光客が多いイレギュラーな状況と言えど、そう簡単にパニックに陥る事なんてないはずだった。



 それが……なんだこれは。

 指定された避難経路など関係なく、街にいた人間が皆それぞれ勝手に逃げ惑っている。



 何よりおかしいのは、街中を飛んでいるホログラムテレビだ。緊急事態が発生しようものなら即座に警報を出すはずの半透明な電子の塊は、こんな時にもまだ呑気にCMを垂れ流している。

 ……報道機関が、この事態に追い付いていないのだ。


 嫌な予感に、胸がざわつく。

 足を止めている場合じゃなかった。


「ちょっと……くそ! 頼む! どいてくれ!!」


 向かって来る人の波を力づくで掻き分けて、フェグルスは強引に前に進む。

 津波の勢いが少しだけ弱まった隙を見計らい、全力で走り出した。

 勢い余って何人か突き倒してしまったが、もうなりふり構ってられなかった。


 急いで向かわなければいけないのだ。一刻も早く、何が何でも。

 だって、大通りには。

 瓦礫と破片と粉塵が舞うあの通りには、まだ―――――



『フェグルス』



 別れの挨拶を交わしたのは、ほんの数分前の事だ。

 もし彼女がその後もずっと、大通りで作業を続けていたのだとしたら。



『もし暇なら……暇ならでいいのだ。我々の劇は明日の一四時からの予定だ。観に来ないか?』



 ダメだ、考えるな。まだ見てもいないのに嫌な想像だけをするな。

 何も願うな。何も望むな。まだ何も思うな。頭の中で思い描くな。



『ああ、心待ちにしている。最高のショーを見せよう。私の魔女っぷりに腰を抜かすなよ?』



 こうならないでくれと、願えば願うほどに―――





『うむ。また明日』





 そうなって欲しくない事が、起こるような気がして―――


「くそ!!」


 思わず叫んでいた。我武者羅に足を動かした。

 見慣れた光景がぼんやりと見えてくる。目の前に大きな十字路がある。あそこを曲がれば大通りだ。早く、速く、あそこへ……。


 でも、嫌な予感はずっとフェグルスの胸を蝕んでいた。

 あの曲がり角の先を見てはいけないと本能が叫ぶ。今すぐ足を止めろと理性が訴えかけてくる。


 でも止まらなかった。

 フェグルスの足は、己の意思とは無関係に動き続けていた。


 蜘蛛の巣のような亀裂の走ったアスファルトを駆け抜けて、フェグルスの体が大通りに飛び出した。

 そして、


「はあ、はぁっ、はあ……はぁ……は、」


 大通りの光景を目にしたフェグルスは、しばらくその場に立ち竦んでいた。

 見知った場所のはずなのに、なぜだか彼は、遠い異国の地にでも迷い込んでしまったような錯覚に襲われていた。


 見慣れた建物、見慣れた道、見慣れた人々、見慣れた情景―――まるで走馬灯の如く、一瞬のうちにフェグルスの脳裏を過る風景。

 だけど。

 今こうして目の前に広がっているのは、もう彼の記憶にある景色ではなかった。


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 我知らず。

 フェグルスは、呟いていた。


「……なんだこれ」







 全てが消えていた。

 フェグルスの知っている景色は、何もかも無くなっていた。






 綺麗に道路を舗装していたアスファルトは数キロメートル向こうまで全て抉り返され、焦げた色の地面が露出している。


 大通りを埋め尽くしていた高層建築物も根元からゴッソリまとめて削り取られ、瓦礫の山となって撒き散らされていた。

『魔法祭』のために飾られていたはずのイルミネーションも、それに伴って大通りに並んでいた露店の数々も、そして、祭りの日を楽しみに待っていたはずの人々の姿も、一切合切が消え失せていた。


 まるで、常軌を逸した巨大生物が、目の前を覆う障害物を、人もそうじゃないものも何もかもを見境なく、視界に入り次第軒並み食い破り、押し潰し、薙ぎ払いながら縦断したかのような。

 そんな惨状が、どこまでも、遠く遠く遠くまで続いている。


「……うそだろ……」


 思考が整わないまま、気付けば彼はその悲惨な光景へと足を踏み入れていた。

 フラフラ、フラフラと。まるで夢遊病者みたいに、目の焦点も合わない状態で大通りを進む。



 ――――なんだ……これ……。



 魔獣が現れたのか? でも見た事ない。一瞬でここまで街を破壊できる魔獣なんて、今まで一度も見た事がない。

 信じられない。信じたくない。そんな光景を目にして、フェグルスは自分の視界が明らかに歪んでいくのを感じた。


 分からない。考えたくない。理解できない。理屈に合わない。

 これは一体、何が、どうなって……?


「っ!!」


 その時だった。

 道に散乱していた瓦礫の山から、にゅっと『人の腕』が伸びているのをフェグルスは発見した。


 それを見つけた途端、今まで曖昧としていた意識が一気に冴えた。

 そうだ。この大通りで何が起きたのかは分からないが、突然人が消えるわけがない。まだ逃げ遅れた人がいるかもしれないのだ。


「あっ、だ……大丈夫か!?」


 急いで駆け寄って、見つけた腕を思い切り掴む。

 咄嗟の行動だった。先に瓦礫を払い除ける事も忘れて、さっさと引き抜こうとしたのかもしれない。

 すると、


「は」


 あり得ないぐらい簡単に、何の抵抗もなく腕が引き抜かれた。

 強引に引きずり出したわけじゃない。それこそ細い糸でも引き抜いたように、スルスルと呆気なく『体』が這い出てきたのだ。



 出て来たのは、見知った顔の男だった。

 数日前、フェグルスが『魔法祭』の準備を手伝った八百屋のオヤジだった。



 仕事にはとことん厳しいタイプの人で、フェグルスもクタクタになるまでこき使われたのを覚えている。

 しかしフェグルスの事を、魔法が使えないからと蔑んだりはしなかった。むしろその働きぶりに感心したのか、「お前さん随分と根性あるじゃねえか」と言って、約束よりも多い額の給料と、新鮮な野菜を少しだけ譲ってくれたのだ。


 筋肉質で、どこか頼り甲斐のある雰囲気の男性。









 ……の上半身だけが、フェグルスの手からだらりと垂れ下がっていた。








「ぇ」


 腰の辺りで引き千切られた断面から、桃色をした縄状の何かが異様に長く伸びていた。


 鍛え上げられた肉体も所々が抉れて中身が飛び出し。


 よく見ると彼の顔も左半分が瓦礫に押し潰されたようにひしゃげて。


 変形して中の器官も骨も剥き出しになって黒ずみもはや元の形がどうなっていたのかも思い出せないぐらい崩れていて筋肉も骨も全てが掻き混ぜられて区別がつかなくなっていて体に至っては引き裂かれた布のようにプラプラと皮や肉の破片が揺れて中の臓器が垂れていてまるで花が開くように卵の殻を割ったように肉体そのものが大きく割れて開いて咲いて赤黒い肉が盛大に飛び散


「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 意識が爆ぜた。本能が現実を拒絶した。

 フェグルスは思わずその死骸を放り投げ、そのまま尻餅をついて後ずさる。


「はあ、はぁ、はあっ、はあ! な……っ、なに、何が! なん……! なっ、」



 その時だった。

 ビチャ! と水溜まりに手を突っ込んだ。



「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 ただ水じゃない事は、触っただけで理解した。

 その液体は、水にしてはやけに粘着質で生暖かい。そして今さらのように鼻腔を刺激する、この錆びた鉄にも似た匂いは―――


 振り返ってしまったのが間違いだった。


 顔があった。見た事のある顔だった。

 昨日、フェグルスに水をぶっかけた事を謝罪しに来た三人の男性生徒のうちの一人だ。彼は何かに驚いたような表情をしたまま、顔の筋肉を強張らせていた。


 硬直していた。

 もう動かなくなっていた。

 顔があった。顔だけがあった。首から上だけがあった。





 首から下は、炸裂した爆竹のように放射状に飛び散っていた。





「――――――――――――――っっっ!!!!!!」


 本当は悲鳴を上げたかった。だが声が出なかった。溢れかけた絶叫は、あまりに容量が大き過ぎて喉の奥で突っかかってしまった。

 跳ねるように立ち上がる。

 フェグルスの足が、行き場を失ってたたらを踏む。


「っ!! ……っはあ!」


 息ができない。胸が苦しい。視界が歪む。頭が引き攣るように痛む。意味が分からない。訳が分からない。腹の底で何かが暴れてる。体が揺れる。頭が揺れる。もう自分がどこに立っているのかも分からなくなってきた。

 ここはなんだ。

 ここはどこだ。

 俺は今、どこに―――――――――






 カンッ、と。

 何か固い物を、かかとで蹴飛ばした感覚があった。






「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 直感が、絶叫を上げた。

 ダメだと叫んでいた。それを見るなと忠告していた。見たらダメだ。見たら終わりだ。もう立ち直れなくなる。もう立ち向かえなくなる。もう立ち上がれなくなる。もう立ち続けられなくなる。


 でも、見なければいけなかった。

 だって、それが現実だから。


 目を強く閉じる。荒い呼吸をなんとか抑える。腹の底に力を入れる。

 ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ……と、壊れかけた歯車のような動きで、フェグルスはゆっくり足元を見る。




 ―――今ならもう一度、夢を見れるような気がした。

 見ちゃダメだった。




 ―――忘れかけたあの頃の夢を、もう一度胸に抱いて、希望を持って明日に向かえるような気がした。

 希望なんて、持ってはいけなかったのだ。




 ―――頑張ってみてもいいじゃないか。

 よくなかった。




 ―――その恐怖を乗り越えてみようと、努力してみてもいいじゃないか。

 何一つよくなかった。




 ―――そう思えた。

 思っちゃいけなかった。




 振り払ったはずなのに、乗り越えられると思ったはずなのに、変われるかもしれないと希望を持ったはずなのに。

 それでも『それ』は追って来た。

 フェグルスを逃がしてはくれなかった。




 ――――自分のために何かをしようとしたら、『彼女』は死んだんだ。




 逃げられなかった。

 また捕まった。

 フェグルスの視界に、絶望が飛び込んで来た。
















 細い片腕と一緒に、刀身の折れたレイピアが、血の海に沈んでいた。
















 もう、全部。


「…………………………………………ぁ」


 爆ぜた。


「ああああああああああああああああああああ!! うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 無我夢中で走り出した。

 目的は無い。ただ何かから逃げ出すように地面を蹴った。

 でも分かっていた。知っていた。理解していた。それはいつまでも追って来る。永遠にフェグルスを捕まえに来る。逃げられない。振り切れない。否定できない。


 現実は、どれだけ逃げても追って来る。


「くそ、くそっ、くそ! くそ!! なんで!! ちくしょおォ!!」


 叫んでどうにかなるのなら、こんなに苦しまなくて済むのに。

 叫んだところで、現実は何も変わらなかった。

 目の前の光景を、それでもなお否定しようとしていたのかもしれない。まだ生存している人間を探して、しきりに周囲を見回しながら原型を失った大通りを突き進む。


 でも、同じ景色がどこまでも続く。

 荒れ果てた大通り。瓦礫の山。アスファルトの破片。割れた窓ガラス。漏れた電気が何かに引火したのか、小さい火があちこちで上がっていた。



 そして、死体。



 割れた頭部が。力づくで引き千切られた胴体が。雑巾みたいに捻じれた首が。皮膚も肉も爆ぜた手足が。原型も留めないほどバラバラの肉片が。元の形が分からないほど細かくなった肉塊が。グチャグチャに混ざり合った死肉が。潰れて地面のシミになった肉が。擦り削られて足だけしか残っていない遺骸が。


 元の風景を思い出せなくなるほどの現実が、そこら中に転がっていた。


 そんな時だった。

 それは、フェグルスの視界に突如として飛び込んで来た。


「……っ!?」


 大量の死体と、そこから溢れた死肉や黒く乾いた血の中に、それはあった。

 人だ。

 それも死体じゃない。しっかり五体を保った人間だ。

 黒い髪をコチラに向け、投げ捨てられた人形のように倒れ伏せる『少女』。


「あ、……っ」


 咄嗟に声が出なかった。

 その姿を見つけた途端、フェグルスは急いでその少女へと駆け出していた。


「おい、おい! 大丈夫か!? 頼む! お願いだ! 返事を――――」


 すぐさま駆け寄り、少女の安否を確認しようとその背中に触れようとした瞬間。

 全身の鳥肌が、一気に逆立った。


「――――っ!?」


 近づいて、見て、ようやく気付く。

 黒い髪の少女だと思っていたのは、大きな勘違いだった。


 金髪の、小柄な少女だった。


 赤黒い血だまりに沈んでいるせいで、元は金色だった髪が黒く染まっていたのだ。しかもこれは外側から付いた血ではない。少女本人から溢れたもの。

 腕や脇腹、背中からも血が滲んでおり、靴を履いていない素足の皮膚はボロボロに破れ、ふくらはぎに関しては果物のようにパックリ割れ、中の筋肉が見えてしまっている。それら無数の傷跡から溢れた血が、彼女の全身を染めていたのだ。


 そしてなにより、


「うそだ……」


 フェグルスは、この少女を知っていた。

 もう不安に耐えきれなかった。少女の顔を確認しようと、ピクリとも動かない小柄な体を抱きかかえ、顔をコチラに向ける。


「……なんで……」


 肩まで伸びる、金色だったはずの髪。まだ鮮やかさを保ったままの朱色の唇。全体的に小柄で、精巧に作られた人形を思わせるこの少女は―――


 思い出せないはずがない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の顔など、忘れられるはずがない。


 脳裏に過るのは、自宅に落ちていたあの『お守り』。

 正確には、そこに刻まれていた名前。




「……ティーネ?」




 記憶の中で唯一当てはまる少女の名前を、ボソリと呟く。

 彼女が今、フェグルスの腕の中で気を失っていた。


「……な……なんで、今、こいつが……。だ……ダメだ、ダメだ……待て、ダメだ、もう、わけが―――」


 一週間前の、日本刀を振り回していた時の気迫なんてどこにもなかった。ティーネは本当にただの人形みたいに、全身から力が抜けていた。

 顔からは一切の表情が消え、いくら首を揺すってもなんの反応も示さない。


 何があった? なぜだ? どうして? 何がどうなってこうなった?

 ここで。この街で。

 一体何が起きたんだ!?


「おいっ、返事しろ! おい!」


 感情が、そのまま言葉となって溢れ返る。


「どうなってんだくそ!! 分かんねえ!! なんで……ああもうっ!! 何なんだよ!! なんで!? こんな事! 誰が!?」


 その時だった。







「すゥ、ばァ、らァ、しィィィィィィィィィいいいいいいいいいいいいい……」







 どこからともなく放たれる声。それが聞こえた瞬間、『何か』を察したフェグルスはほとんど無意識にティーネを抱えたまま地面を蹴っていた。

 直後だった。



 ズドァッッッ!!!!!! と。

 すぐ背後で、いきなり空気を揺さぶるような爆音が炸裂した。



 その音響の正体を、フェグルスは咄嗟に理解できなかった。

 理解するより早く、直前まで彼のいた場所に『見えない何か』が突き刺さり、破裂した地面の瓦礫と共にフェグルスの体は一〇メートルも吹き飛ばされていた。

 衝撃波の突風に呑み込まれて舞い上がった彼の体は、そのまま背中から地面に叩き付けられる。


「がっ、ぁあ……っ!?」


 強烈過ぎる衝撃に、体内の空気が全て押し出された。

 目を白黒させながらも、フェグルスは自分の腕の中を確認する。なんとか少女は手放さず抱き抱えていた。

 だが、安心できない。

 フェグルスは慌てて体を起こすと、表情を警戒の色に染める。




 ヴォウッ!! という烈風が渦を巻いた。

 砕け散った地面に、重力を無視したスローモーションで『一人の少年』が降り立った。




 年齢は、一〇代前半。

 地面に引きずるほど長く伸びた茶色の頭髪。

 世に蔓延る全ての不浄と穢れを無理やり混ぜ込んだようなどす黒い瞳と、血の気が微塵も感じられない白い顔面。

 口の中で輝いているのは、肉食獣の牙とも見紛う鋭い犬歯。

 身に纏うボロ布の隙間から、不健康に痩せ細った肉体が覗く。


「くッ、ァは、ひひッ……お、も、い、どォォォォォォりィィィィィィィ」


 そんな少年の口から、鉛のように重い声がこぼれ出ていた。


「何から何まで、ぜェェェェェェェェんぶボクの思い通り。どォしてこんなにキミたちクズ肉ッていうのは、ボクの思ッた通りに動いてくれるんだい」


 鼓膜にへばりつくような声。

 言葉の意味も訳も分からないのに、その声だけが頭の奥へと突き刺さって来る。


「興味深いィィィィィィィ。実に、実に、実に。だッて、ねェ。考えるかい? 普通。そこら中にこれだけクズ肉が撒き散らされていて、そこら中にこれほどゴミクズが溢れていて、その中にたッた一人、生きてる肉が蠢いて……普通さァ、信じるかなァ、思い込むかなァ、疑わないのかなァ。そんな奇跡ッてさ、普通アり得ないよね。普通信じないよね。普通思い込まないよね。普通、普通、普通、普通、普通さァ。キミ、異常。頭の中に蛆でも湧いているのかい? 疑うでしョ、そういうものでしョ、それが当然の行動でしョ。でもそれをしない。できない。しようともしない。キミはダメだ、普通じャない。満足に普通にもなれない腐れクズ肉なんだね。可哀そうに、憐れむよ。でも憐れまれるキミの落ち度。異常なのは自己責任。信じられないよ。まだ生きてる事が恥ずかしくないのかなァ? 愚かしくて馬鹿馬鹿しい、正真正銘の腐れクズ肉がさァ」


 否定、否定、否定、否定。

 そして。


「だからこそ!! ボクは!! 興が乗ッて仕方がない!!」


 荒れた地面を踏みしめて、その少年はただ叫ぶ。


「ボクの前で砕けて爆ぜて飛び散ッて! ボクの目の前で歪んで崩れて潰れて死ね!! ボクの! 前には! ボクが認めた『物語』がアればそれでいいのさ!! それ以外は死ね! 今すぐ死ね! 一人残らず今ここで!! ボクの目の前で腐ッて沸いて惨めに死ね!! ボクの『物語』を穢す大罪人が! ボクを馬鹿にする極悪人がア!! そうやッて何も残せず何も成せず無様に無意味に勝手に死んで朽ち果てればいいじャアないかア!! けれども今だけは、そんなクズ肉もボクは許そう! 今この瞬間だけは大いに赦そう! だッてボクはこんなにもッ、心の底まで満たされているのだから! この世界でたッた一人! 全てに恵まれているのだから!! アァ実に! 実に実に実に実に実に実に実に実に実に実に実に実に実に実に実に実に実に実に実にじィィィィィつにィィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」


 腕を振り回し、首を信じられない方向に折り曲げて、全身を奇妙なほどに痙攣させる少年は。

 その、得体の知れない真っ黒な瞳で。




「――――実に、風情ふぜいじャアないかア」




 フェグルスを睨む。


「っっっ!?」


 直後、濃密過ぎる嫌悪感がフェグルスへと押し寄せた。

 まるで皮膚のすぐ下を数万匹のナメクジが這いずり回っているかのような、まるで数十万もの猛獣の生暖かい吐息を間近で浴びせられているかのような、そんな気色の悪さがせり上がる。


「……な……」


 その生理的な拒絶感に、思わず口から言葉が溢れていた。


「……なんだ、お前……」


 それは、心からの問いだったのか。

 それとも、訳の分からない状況に立たされたフェグルスが、己の心を保とうとして咄嗟に口をついたのがそんな言葉だったのか。

 そのどちらだったとしても、現状は何も変わらない。


「……ア……?」


 質問を投げかけられ、その少年の瞳はさらに黒く、黒く黒く黒く黒く腐敗する。

 そして。


「……アァ、それは風情じャない」


 返事は、意味の分からない言葉で返された。

 だがそれ以上は何も無かった。

 意味も価値も、他人には理解などできようもない。

 全ては、あの少年の中にしかない絶対的な判断基準。


「は、じ、め、ま、し、てェ―――ボクの『物語』へようこそ」


 少年は綺麗に背を伸ばし、足を揃え、洗練された騎士の如く正面を見据えた。

 黒い瞳をフェグルスに向け、歯を剥き出しに口を開け、大きく両手を横に広げ、頬を上げ、目を細め、原型を留めないほど顔面の形を歪ませて。


「ボクの名前はジェミニ」


 見ているだけで胸糞悪くなる笑顔を浮かべながら、




()()()()()()のジェミニ。よろしくね、腐れクズ肉」




 最悪な名を、名乗る。





 

 

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