第一章13『元気な恩返し』
四月一三日。
世界中が待ちわびる『魔法祭』まで、残り四日と迫っていた。
「祭りの日には我が校も出し物をするのだが、そのせいもあって少しばかり雰囲気が浮ついていてな。いつも以上に気を引き締めなければ」
などと言われ、今日は最初から最後までがっつり女の子に身の周りを守ってもらったフェグルスであった。
***
そんなこんなで、仕事終わりの帰り道。
「祭りねえ……」
小さく口に出しながら、フェグルスは道の端をトボトボ歩く。
その日の清掃業務もなんとか無事に終わらせたが、例によって終わった頃には日が暮れていた。本当ならこのまま自宅に戻りたいが、生憎そうも言っていられない。彼は真っすぐ自宅へ戻らず、街一番の大通りへと足を運ぶ。
中心街へと向かうに従って、やけに背の高い建築物が姿を見せ始める。
狭苦しそうに建ち並ぶ鉄筋コンクリートの群れ。通行人を圧迫してくるような無機物の壁。
そんな中、フェグルスは四差路を左に曲がり、大通りへと身を乗り出すと、
「おう……!」
目の前の光景に、思わず低く呻く。
無駄にだだっ広い大通りは、もはや地獄のような慌ただしさを呈していた。
忙しなく行き交う人々の波。飛び交う大声。いつにも増して勢いを強める活気と熱気。そして大通り全体を包むかのように施されたイルミネーションの数々。
年々華やかさを増していく『魔法祭』は、今年に来てさらなるグレードアップを遂げようとしているらしい。
「……見てるだけで疲れてくるなこりゃ」
何より平穏と平凡を望むフェグルスにとって、こういう大規模イベントは天敵だ。苦手意識ばかりが募っていく。「自分も楽しもう」なんて気持ちには、とてもじゃないがなれそうにない。
――――小さい頃は好きだったはずなんだけどな、人間のお祭り。
森の奥深くで『彼女』と暮らしていた頃。
あの時は、いつも森の端から遠くの人間たちの活気を眺めて、いつか自分もあそこに行きたい、いつか自分もあんな光景の一部になりたいと、そんな事を心から願ったものだった。そのはずだったのだ。
ある意味、今になってその願いは叶ったようなものだった。人間のフリをして、人間に紛れて、人間の街で、人間のように過ごしているのだから。
だけど何か釈然としない。
自分が望んでいたのは、本当に『コレ』だったのだろうか?
「……やめよ。らしくねえ」
自分で自分に言い聞かせるみたいに、フェグルスは夕焼け空を仰いで息を吐く。
こんな詮無い事を考えるのは、全然自分らしくない。
……自分らしさか。
「分からん……」
黄昏時の変な感傷を、誤魔化すみたいに吐き捨てる。
でも、心のどこかではちょっと本気。「自分らしさってなんだ?」―――そんな事を考えていた。
それは、人間らしさなのか?
それとも魔獣らしさなのか?
一体、今の自分は、どっちが『らしい』んだ?
「フェグルスさん!」
と、そんなどうでもいい事にグジグジ思い悩んでいる時だった。
「おう?」
背後から自分の名を呼ぶ声が聞こえて、フェグルスは声の方を振り向いた。
聞き慣れた声に、聞き慣れた足音、そして聞き慣れた呼び名。
振り向いてみれば彼の予想通り、そこにいたのは見知った『少女』だった。
「おう。珍しいじゃん陽菜、お前がここにいるって」
「あい! たまたまフェグルスさんの後ろ姿が見えたので、ついて来てしまったのです!」
頭頂部からひょっこり生えたアホ毛を揺らしつつ、ダボダボの白衣を引き摺りながら現れた少女―――与那嶺陽菜が元気に手を挙げて、ピョン、と跳ねてみせた。フェグルスとは頭二つ分くらい違う彼女の身長では、飛び跳ねたところでフェグルスの肩辺りが限界のようだ。
「えっへへー、フェグルスさんのお隣なのです」
てててて、と短く走ってフェグルスの隣に陽菜が並ぶ。
確実に丈の合っていない白衣が地面を擦っていて、薄汚れた上にボロボロにほつれてしまっていた。
「お元気でしたかフェグルスさん! お元気そうですね!」
「おお、返事をする暇もねえ……。まあ、ほどほどに。そういう陽菜は超元気そうだな」
「そりゃあもう有り余っちゃってますから!」
「元気が?」
あい! と、コチラを押し流さんばかりに放たれる怒涛の元気オーラに、フェグルスは「おぅ……」と圧倒されるしかなかった。
眩しい。この無邪気な明るさが。
「いやいやーそれにしても、こうしてフェグルスさんの隣を歩くのも久しぶりですねー。懐かしい気もしちゃいます!」
「そうか? 割と最近まで一緒に歩いてた記憶があるけど」
「何を言ってるですかフェグルスさん! 去年から丸々半年、ヒナはフェグルスさんと全く会えてなかったのですよ! とーっても寂しかったのです!」
「お、おう……悪いな……」
どうして怒ってるんだ。そしてなぜ自分は謝ったんだ。
なぜだか陽菜が珍しくお怒りのようなので咄嗟に謝ってしまったが、思えば別に、会えていなかったのはフェグルスのせいではなく、
「会えなかったのはしゃあないだろ。陽菜、色々と忙しかったじゃん最近。研究詰めだとかって」
「そうなのですよ、毎日へとへとなのです……。ヒナ、もう体力ゼロです、死んじゃいそうです。癒してくださいフェグルスさん」
「悪い、俺は誰かを癒せるほど人当たりがよくないんだ。他を当たってくれ」
「その点は心配無用です! こうしてお隣で一緒に歩いてくださるだけで燃料補給完了です! 元気一〇〇倍です! むふっ!」
「……そう? ならいいけど」
いまいち要領を得なかったが、しかし彼女が多忙の身である事は確かだった。
フェグルスの知り合いの中では最年少の陽菜は、魔法の実力こそ未熟ではあるものの、『他の才能』によって国家機関に重宝されている人材だった。
そのため彼女は、若くして重労働な環境に身を置いている。
「ところでところで、フェグルスさんはこんな所で何をしてるのです? おうちには帰らないのですか?」
「俺?」
フェグルスは隣に並んだ陽菜の歩幅に合わせるように歩く速度を落とし、忙しない大通りへと視線を向ける。
「ちょっとした仕事だよ。この大通りに、最近お世話になってる八百屋のオッサンがいてさ。その人に手伝いを頼まれて」
「お手伝いですか?」
「『魔法祭』の準備の手伝い」
フェグルスと陽菜の目の前を、大型トラック並みのデカい荷物を肩に乗せたオバサンが横切っていく。
多分、物体の質量を変化させる魔法使いなのだろう。
「ほほーう、頼られてるですねえ! フェグルスさんは世話焼きさんですので、頼り甲斐があるのですよ! 多分!」
「どうだろ。ただ単に、俺みたいな奴にも手伝ってもらわなきゃいけないぐらい人手不足ってだけかもしんねえし。ほら、てんやわんやじゃん、この大通り」
「『魔法祭』まであと四日ですからね! 皆さん楽しみなのですよ!」
お祭りの準備だけでお祭り並みに騒がしい大通りを横目に、フェグルスは、
「……まあでも良かったよ、仕事がもう一個見つかって。働きようによっちゃあ給料も出してくれるって言うし」
空から降って来た少女のせいで自宅がメチャクチャになってから、もう三日が経つ。未だに修理ができる目途も立たず、魔法学園の掃除だけでは給料が物足りないと思っていたところに、運良く力仕事のアルバイト。もう飛びつくしかなかった。
そんなフェグルスの貧困ぶりを察してか、陽菜は「むむっ」と顎に手を当てて唸る素振り。
「もしかしてフェグルスさん、またもや金欠です?」
「もしかしなくても年中無休で金欠です」
「でしたら!」
またも陽菜が、何かを提案するみたいに手を挙げてピョンピョン飛び跳ねる。
「不肖このヒナ、お困りのフェグルスさんにご奉仕しちゃうのですよ! むふ!」
「ご、ご奉仕?」
なんだろう、響きがとてつもなくいやらしいな。
何をどうご奉仕してくれるのだろうか。
「はっ! 嫌ですフェグルスさん! 何を想像しているですか! エッチぃフェグルスさんはお断りなのです!」
「まだ何も言ってねえだろ……」
「ヒナの乙女センサーがギュインギュインと鳴り響いてるのです。女の勘は侮れんのですよ」
彼女の言葉と呼応するみたいに、頭頂部のアホ毛がギュインギュインと回転している。
まさか、乙女センサーか?
それは髪の毛ではないというのか。
「いやでも、ご奉仕ってお前、具体的にはなんだよ」
「ふっふっふ、そこなのですフェグルスさん。実はヒナ、そろそろ臨時収入が入りそうでして!」
「臨時収入? って、あれか。『魔法道具』開発研究の」
「あい!」
与那嶺陽菜。
魔法を応用した器具、『魔法道具』の開発に携わる研究員。
元より発想の転換や思考の柔軟性に長けていた彼女は、魔法使いという立場とは別に、魔法道具の開発を主とする『研究部』の一員という肩書も持つ。本格的に研究に携わったのはここ最近の話らしいのだが、そんな短期間の中でさえ、彼女は数々の功績を挙げているのだった。
陽菜が頭角を現した途端、魔導都市全体の経済発展が一気に二、三倍も跳ね上がった事実は、今では伝説を通り越して都市伝説となって広まっている。
そんな陽菜が言う『臨時収入』とは、言葉通りの意味だとフェグルスは推測する。おそらくだが、彼女の提案した魔法道具案がまたしてもヒットしたのだろう。
「これでフェグルスさんに色々『恩返し』ができちゃうのですね! ヒナ、フェグルスさんのためなら一肌も二肌も脱いじゃうですよ! ふふーん!」
「いや、悪いけど遠慮する」
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
元気が有り余り過ぎる陽菜の「えー!!」を真横から喰らい、思わずフェグルスは片耳を押さえてよろめく。声がでかいんだ、声が―――鼓膜どころか頭部が丸ごと飛び散ったかと思った。
その小さい体のどこにそんな元気が詰まってるんだ。
「なんでですか!? どうしてです!?」
「どうしても何も……」
フェグルスは困ったみたいに眉を寄せて、
「その臨時収入は、陽菜が頑張ったから貰えたもんだ。だったらそれは陽菜が使うべきだし、陽菜は自分のために使うべきだ。そこに俺が入るの、なんか違ぇだろ」
「全然違くないのですよ! フェグルスさんだって頑張ってます! ヒナは知ってます! フェグルスさんに使っても正当な対価ですよ!」
「俺が頑張ってるもんっつったら学校の掃除ぐらいだぜ? 陽菜のやってる事はもう国レベルだ。割に合わねえって。……陽菜は俺じゃなく、自分自身を精一杯労ってやれよ」
突き放すような言い方になってしまうのはいつもの事だった。
もっと気の利いた言い方を自然にできればいいのだろうが……それはまだ、自分には難し過ぎる。
「陽菜の気持ちが邪魔だってわけじゃねえ。むしろメチャクチャ嬉しいよ、ありがと。……でもその気持ちだけで俺は腹いっぱいだ。それだけで十分なご奉仕だよ」
「……さては良い感じの事を言ってやり過ごそうとしているですね?」
「そんな魂胆は無い。だからま、それは自分のために使ってくれ。陽菜が元気だったら、俺はそれが一番嬉しいし」
「むううううぅぅ」
良い感じの事を言ってやり過ごしたと思ったが、陽菜はその結論がお気に召さなかったらしい。ぷくーと頬を膨らませ、責め立てるような視線を向けてくる。
珍しく攻撃的な陽菜の瞳に、フェグルスも僅かな新鮮さを覚えて、
「……風船みたいだぞ」
膨らんだ陽菜の頬に、フェグルスは人差し指を突き刺してみる。ぷしゅーっという音を立てて、陽菜の口から溜まった空気が勢い良く噴き出して来た。
「む」
膨らんだ陽菜風船が萎み切ったのを合図に、彼女はフェグルスから離れ、てててーと彼から遠ざかるように走っていく。
やっと分かってくれたか―――フェグルスはそう思い、安心しかけたが、
「ではではフェグルスさん! こういうのはどうでしょう!」
陽菜は白衣の裾を靡かせつつ、クルリと一回転、フェグルスと真正面から向かい合い、
「フェグルスさんへのご奉仕ではなく、フェグルスさんとヒナが一緒に楽しんじゃうのです!」
「……は?」
「『ご奉仕』というのが心苦しいというなら、あくまでヒナが楽しむ『ついで』なら問題無しですよね! ヒナはヒナのためにお金も時間も使います! そしてフェグルスさんはそれに巻き込まれるのです!」
何から何まで全てが元気いっぱい、陽菜は一人で「名案かもですー!」と純粋に目を輝かせ、
「何がいいですかねー! 映画を見に行くのもいいかもです! フェグルスさんとなら街をブラブラするだけでも楽しそうですしー! あっ、『魔法祭』は一緒に見て回りましょうね! ヒナ、楽しそうなブースをいくつかピーックアーップ! してるので!」
「いや、あの……ちょっと」
「あそうだ! 手始めに魔導都市一周グルメ巡りなんてどうです!?」
気合いの入っていないフェグルスの声なんて、陽菜の元気な声の前には風前の灯に等しかった。一瞬で掻き消され、吹き飛ばされる。
「ヒナ、この半年ずううううううううううううううううううっと研究室に缶詰で味気の無いパンしか食べてないのですよ! でもようやく解放されました! 自由の身です! お勤め上がりです! ここはドッパー!! と奮発して、楽しんじゃましょうよ! ヒナ、美味しいものをいーっぱい食べたいです! フェグルスさんとご一緒に! んふー! 幸いお金と時間には余裕があるので、心行くまで楽しみまくれます! あんなものやこんなもの! 特産品から世にも貴重な珍味まで! 中華もフレンチも和食もいいですね! 街の隅から隅まで! この街なら世界中のグルメを味わいたい放題ですー! 心躍りますねぇー! ね! フェグルスさん!」
「…………」
ね! も何もだ。そもそも話について行けていないのだ、コチラは。
怒涛のような勢いで展開される陽菜のグルメ計画に、フェグルスは完全に置いてけぼり。全く彼女の話について行けていなかった。
だからフェグルスは、陽菜の「ね!」にどう答えればいいのか分からず、
「……誘う相手ならもっといるだろ。俺みたいなのじゃなくて」
なんて、ともすれば失礼な言い方をしてしまう。自分の事ながら、これに関しては本当に嫌になる。普段から人と話さないから咄嗟に気の利いた言葉が思い付かず、こんな突き放すような物言いしかできないのだ。
でも、陽菜は全く気にしてない風だった。
気にしてないというか、気にも留めていない様子で、
「確かに誘いたい相手はいーっぱいいます」
素直に。
そして元気に。
「でも、フェグルスさんだって誘いたい人の中の一人です! だからフェグルスさんを誘うんですよ!」
「物好きな。……なんだってまた俺なんだ」
「恩返しがしたいのです」
陽菜はハッキリとそう言った。
元気や活気とは少し違う、鋭く突き刺さるような強さを含んだ声で。
「…………」
フェグルスは、いつの間にか逸らしていた目を、再び正面の陽菜へと向けた。彼女の顔を見た。彼女はこちらを見つめたままでいた。西日の眩しさにも負けないくらい、陽菜の瞳は大きく輝き、一直線にその視線を貫きながら、
「ヒナはフェグルスさんに、『あの時』の恩返しがしたいのですよ」
何の迷いも衒いも無く、そんな事を言ってみせる。
彼女のその、真っすぐ過ぎる言葉に当てられて。
フェグルスは、
「……俺、お前の家を掃除した覚えはないぞ?」
「掃除の恩ではないですよ」
掃除屋根性が板についてきたフェグルスを、陽菜は優しく否定しながら、
「ヒナは、フェグルスさんに救われました」
確信に満ちた声で。
「ヒナの命も、ヒナの心も、『あの時』フェグルスさんに救われました。なので、救ってもらったこの命を、この心を、救ってくれたフェグルスさんに精一杯使いたいのですよ。つまり恩返しなのです」
「俺は」
その真っすぐさを、その瞳の輝きを、フェグルスは受け止め切れなかった。
再び目を逸らし、軽く首を振り、陽菜の言葉に食い気味に、
「……何もしてない」
「フェグルスさんはいつもそう言うのです。自分は何もしてない、それは自分じゃないって。……なので、それでいいのですよ」
返って来たのは肯定だった。
「フェグルスさんは何もしてないつもりでも、ヒナにとってフェグルスさんは恩人なのです。だから、それでいいじゃないですか。これはヒナのわがままです。『フェグルスさんに恩人でいてもらいたい』っていう、ヒナの勝手なわがままなのです。だからいいじゃないですか。何もしてなくても、恩返しされたって」
そう簡単に、割り切れそうにはない。
難しくたって割り切れない。
相手がそう言ってるんだからいいじゃないか……とは、どうしても思えない。
やっぱり苦手だ。
誰かから、何かをしてもらうのは。
ハンカチだろうが、優しさだろうが、気遣いだろうが、恩返しだろうが、誰かが自分のために何かをしようとして、あるいは何かを分け与えようとして、向けて来るその優しさや心の温かさが、どうにもずっと……自分は苦手だ。
いや違う。
苦手、なんて言い訳じみた表現はやめよう。
もう認めざるを得ないところまで、自分はきてしまっている。
だから、はっきりと思う。
怖いのだ。
誰かから向けられる優しさが、暖かさが、輝く瞳が、柔らかい言葉が、怖くて怖くて仕方がないのだ、自分は。
「…………」
恐怖心をそのままに、フェグルスは視線を上げる。
目を逸らした少女へと、もう一度、目を向ける。
そして見る。
彼女を。
自分を真正面から見つめてくる少女を。
与那嶺陽菜―――
フェグルスの知り合いの一人で―――
魔導都市一番の発明家で―――
いつも白衣を着ていて―――
いつも元気で―――
いつもやる気に満ち溢れていて―――
背が小さく―――
アホ毛が特徴的で―――
天真爛漫な性格で―――
こうも真っすぐに気持ちを伝えてくれて―――
そして―――
―――複数人の知らない誰かの皮膚で出来た、ツギハギだらけの顔の少女を。
フェグルスは、じっと見つめていた。