第一章12『こんな力を持ってても』
上級魔法使いのみで結成された治安維持組織『執行部隊』。
実力者のみが集う組織だからこそ、彼ら彼女らの仕事には危険な現場が多い。
通常、街の巡回や住民間のトラブル、その他犯罪事件等に関しては、基本的に警察が対応する事になっている。しかし、たとえばステージ3以上の魔法使いによる武力闘争やテロが起きた場合、そして大きな災害が生じた場合は、『執行部隊』に出動要請が入る。
そしてもう一つ。
上級魔法使いだからこその役割、『執行部隊』がそれ専門の機関と言われるほどに全権を握っている活動がある。
それは、
「それは前にも話したろ」
差し出された申請書を、フェグルスは手で押し返しながら、
「魔獣の討伐なんて、どのツラ下げてやれってんだ、魔獣の俺が」
出現した魔獣の即時討伐―――時代を経るごとにその一点に精鋭化されてきた『執行部隊』は、今や魔獣の討伐を専門に取り扱う武力組織となっていた。
逆に言えば、高ステージの魔獣を討伐できる実力さえあれば、誰でも参入資格をもつ開けた役職でもある。
そして『執行部隊』はボランティア団体ではない。業績を積めば給与も入るし、数々の支援も受けられる。履歴書に書けるだけの立派なステータスにもなる。メリットは驚くほどに多い。
実力さえあれば、参加できる役職。
こと『暴力』という一点において誰にも負けない才能さえあれば、就ける職業。
ゆえに、
「でも君がこの世界で一番の適任者なんだよ!」
押し返された申請書を、シルフィは「ンニャ!」とさらに力強く突き付ける。
「言った通り、魔獣は魔力を介した攻撃じゃないと倒せない。だから魔法や魔法道具以外にも、魔獣を倒せる方法はあるんだよ」
「…………」
「魔獣が魔獣を倒せばいい。だって魔獣は『魔力の集合体』なんだから」
魔獣同士の殺し合いならば、これまで問題視されてきた魔力の放出は起こらず、魔獣の発生も抑えられる。むしろそれこそが本来、最も望むべき形の魔獣討伐の在り方だった。誰もその方法を唱えようとしなかったのは、そもそも同種を殺す魔獣なんて現れた試しもなければ、人の手で魔獣を操る事もできなかったからだ。
しかしフェグルスの存在は、その前提を覆す。
「もちろん、それで全部が解決するってわけじゃないよ? 魔獣が魔獣を倒しても、削減できる魔力放出は『魔獣討伐時だけ』だ。今や日常生活でも魔法を使うような世の中だからね。魔法道具もどんどん出て来て便利な世界になった。今さら魔法のない生活には戻れない。だから魔力の放出は起こり続ける。『魔力の完全な制御法』が確立されるまでは」
「じゃあ同じ事じゃんかよ」
「だけどねフェグルスくん、放出される魔力量が多いのは、今でもダントツで魔獣討伐時がトップだよ。それが軽減するだけでも、魔獣の発生数はぐーっと減る」
どうかな? と、申請書越しに首を傾げるシルフィ。
フェグルスはそんな彼女の顔を見て……申請書を見て……そしてまたシルフィの顔を見て、
「……先生が言ったんじゃねえか。魔獣の討伐は、もう日常の一部なんだって」
首を横に振る。
「魔獣で怪我する奴も年々減ってきてる。魔法の技術だって上がってる。俺が魔獣を殺そうが殺さなかろうが大して変わんねえよ。人間は強いんだ。俺が出しゃばる隙はねえって」
謙遜でも何でもない。
心の底から、自分が出る幕は無いと思っていた。
「それに俺はこの『力』、本当に使いたくないんだ。何度も誘ってもらって悪いけど、俺の答えは同じだ。……魔獣の討伐は、俺にはできない」
「んもー! フェグルスくんったら頑な! 頭のお硬いお偉いさんみたいだよ!」
萎れるシルフィを、フェグルスは目つきの悪さ全開で見つめる。決して小動物を狙う猛禽類のモノマネをしているわけではない。
「そんなに嫌いなの? フェグルスくん。自分の『力』が」
「好きになんてなれねえだろこんなもん」
本当なら、『力』なんて立派な言葉で表現する事も嫌なのだ。むしろこれは、『呪い』と言った方が近いかもしれない。
一度振るえば、そこに生まれるのは破壊と崩壊だけ。誰のために使おうと、何のために振りかざそうと、結局はその誰かを、何かを、傷つけ、壊してしまう。
そういう『呪い』。
「なんならこんな『力』は、もう一生使いたくない」
「じゃあこの先一生、君は掃除だけをして生きるつもり?」
意外と本気の声音で放たれたシルフィの言葉に、フェグルスは、
「……そういやまだ言ってなかった」
話題を逸らす事しかできなかった。
「魔法学園の清掃員、あれ、雇わせてくれてありがと。おかげでしばらくは金を稼げる。あんたのツテが無きゃ今頃まだ職を求めてさまよってた」
「ニャんのニャんの。フェグルスくんのお役に立てるなんて、僕冥利に尽きるってものさ!」
「何の冥利だよ。まあでもホントに助か―――」
「フェグルスくんの『力』は、もっとずっと色んな人の役に立てる」
「――――」
あくまで逃がさないつもりか。
この話題から。
「魔獣だって事がネックなら、それは僕が全力でサポートするよ。フェグルスくんは全然危険じゃないよって、魔獣生態研究トップの僕が保証する。『執行部隊』もそうだけど……フェグルスくんの『力』が必要とされる場所は、この街に、この世界にいっぱいある」
「そういう話じゃないんだ」
「お金だっていっぱい稼げるよ? 支援も受けられる。好きなお洋服も着れる。もっと立派なおうちにも住める。フェグルスくんだったらそりゃあもう大活躍しちゃうと思うから、この街での立場だって」
「だから、もうそういう次元の話じゃないんだ」
じゃあどういう次元の話なんだと訊かれたら、多分、上手く答えられない。でもシルフィが言っている事だけは違うと分かる。
彼女は確かに自分の身を案じてくれているのだろう。そこのところは、フェグルスはしっかり理解している。でもその気持ちを、その優しさを、受け取る事だけはどうしてもできなかった。
それを受け取る事は、
「まだ、許されてない」
「……? 誰に?」
「分かんねえ。でもなんとなく、まだ許されてないって思う。……許されたとは、全然思えねえ」
誰が許さないのだろう。誰が許してくれるのだろう。
神様か? 法律か? それとも、過去にこの手で命を奪ってしまった人たちか?
あるいは、過去の自分か?
「だから悪いけど先生、その誘いは受けられない」
「だからって、これからずっと『魔法が使えない役立たずだ』って見下され続けるの?」
「…………」
別に、見下される事を今さら気にし出したわけじゃない。そんなのもうとっくに慣れている。
ただ、それは――――シルフィのその言い方は、
「……あんた、分かってて俺を魔法学園の清掃員に推薦したな?」
「でもツクモちゃんが守ってくれたでしょ?」
そこまで織り込み済みだったのか。
何から何まで計算づくってわけだ。
「趣味がワリぃよ」
「ごめんね。でもそういうところ、僕は徹底的にリアリストだよ」
あくまで彼女は冷静にそう言った。冷静な言葉だったからこそ、フェグルスはシルフィを無視できなかった。
冷静に、気遣ってくれてるからこそ。
「どうしてそこまでしてくれるんだ」
話題を逸らしたのではなく、純粋に疑問だった。
「そんなに俺が気になるか? 魔獣のサンプルとして気になるってんなら分かるけど……先生のそれは、そういうレベルを超えてる。そんなに俺を活躍させて、先生には何のメリットがあるんだ」
「メリットがあるとか無いとか、そういう話じゃないんだよ。もったいないなーって思ってるだけだもん」
「もったいない?」
「そ。そんなに立派な『力』があるのに、それだけの『力』があればなんだってできるのに、使わないないなんてもったいないよ」
シルフィはそう言うと、お気に入りらしい銀素材の十字架へ、今にも合体しそうな勢いで抱き付いて頬ずりし、
「その『力』があれば、色んな人を救えるんだよ?」
それは、医者としての言葉だったのかもしれない。
人を救い、人を助け、そして同時に、救えなかった人や、助けが間に合わなかった人を何度も見てきた人間の言葉だったのかもしれない。
「だから、もう一度お願いするよ、フェグルスくん。皆のために、この街のために、誰かのために、その『力』を使ってくれないかい?」
「…………」
コチラを見つめてくるシルフィの、その真っすぐな瞳に耐え切れず、フェグルスは思わず目を逸らす。
それが、彼女の心からのお願いだという事は分かっていた。
誰かを助けられる『力』があるなら、迷わずそれを使って欲しいと、そう願う彼女の心は十分に察していた。
そしてフェグルス自身、自分の『力』をこのまま『呪い』の一言で片づけて良いのかどうか、疑問に感じていたのも確かだった。それは自分から目を背けている事に他ならない。もしもこんな化物の自分が、誰かのために、何かのために役立つのなら、そのためにこの『力』を使えるのなら、それこそ本望だろう。
しかし、それでも、
「ごめん、やっぱり無理だ。今の俺にはできない」
フェグルスに纏わりつく『あの時』の記憶が、そんな道を良しとしない。
「『力』そのものは、そりゃ色んな奴を救えるかもしれない。でも『力』を使うのは俺なんだ。……俺はこの『力』を、そんな風に使える自信がない」
「フェグルスくんだって色んな人を助けてるし、救ってるよ」
「誤解だ。俺は誰かを助けたり、救ったりした事はない」
事実を言ったつもりだ。誰がどう思うかは別として、やはり『助ける』とか『救う』なんて言葉は、自分には傲慢なものに聞こえてしまう。
でも、シルフィは頑なに首を横に振る。
「そんな事ないよ。フェグルスくんはちゃーんと助けてる、救ってる、守ってる。僕には分かる」
だって、と軽く付け加え、
「僕は君に救われたんだよ?」
「…………」
そんな事を言われてしまうと、何も言えなくなる。
「最近よく考えるの。もしもフェグルスくんに会ってなかったら、僕、今頃どうなってたのかなーって」
「……先生もそういうこと考えるんだ。こう言ったら失礼だけど、何か意外だ」
「そうかな? 誰でも考える事だと思うよ。もしもあの時ああだったら、こうだったら、みたいな」
過去に対する『もしも』の話。もう変えられない時間、もう返らない世界の、あり得たはずで、あり得なかった可能性への未練。
それが今より幸せなものだとしても、不幸なものだとしても、やはり考えてしまうのだ。過去の事だと割り切っていても、心のどこかでそれを捨て切れずにいる。
人間だろうと。魔獣だろうと。
「だからね。グッジョブだよ、フェグルスくん」
シルフィはビシッ、と立てた親指を突き出すと、無邪気な子供のように笑ってみせた。
「フェグルスくんのおかげで、今日を生きていける人がいる。君は誰も救ってないなんて言うけど、少なくとも僕はフェグルスくんに助けてもらったおかげで、今日もこの子達を愛でることができるんだよ?」
天井から吊り下げられた魔獣の肉を、シルフィはつんつん指でつつきながらそんな事を言う。
「なんというかそれは……あまりに俺を美化しすぎっつーか」
「そんな事ないって」
「あるよ。変に考え過ぎだ。俺は誰かを救った事なんて一度もない。救われたと思ってるなら、多分救ったのは俺じゃなくてあんた自身だ……と、思う、俺は」
ふと思えば、本日の『用事』はすでに済んでしまったではないか。
ならばさっさと立ち去るに越した事はない。
また十字架に掛けられるのも御免だし……。
「誰かに救われた奴なんて本当にいるのかよ。人なんて気付かないうちに自分で自分を救ってるもんだろ。たまたま近くに誰かがいて、無意識にそいつのおかげにしてるだけで」
「む。なんだか妙にかっくいーセリフ言っちゃってる。今日のフェグルスくんは、名言連発の主人公キャラ?」
「そんなつもりはないけど……」
こんな不幸面の主人公がいて堪るか。……誰が不幸面だ。
一人ノリツッコミだけは、今日も変わらず絶好調のようである。
「あれ? もう帰っちゃうの?」
「おう、なんかもう疲れたわ。さっさと帰って寝るよ。明日も仕事あるし」
簡単にそう言い残し、早いとこその場を去ろうと背中を見せたのが失敗だった。
ギラ! と怪しく瞳を輝かせたシルフィはそのまま一直線、
「ウニャ――――――――っ!!」
「ぶぉ!?」
フェグルスに向かって全力でタックルをぶちかました。そして見事に命中。大質量の猛威を直に受けた彼の体は真っ二つに折れ曲がり、抱き付きシルフィと共に床を転げ回る。
「寂しい寂しい寂しい寂しい寂しいんだよ! もうちょっといてくれたっていいじゃないか! 構ってくれたっていいじゃないか! フシャー!!」
「おう、おうっ!? ちょっと! 待つんだおいやめろ! 髪の毛を毟ろうとするんじゃありません!」
キュポンッ、とタコの吸盤並みに吸い付く猫耳生物を引っぺがし、あろうことかぶん投げる。
しかし少女はネコ並みの身体能力。投げられた勢いを利用し、空中三回転半捻りを容易に炸裂させ、十字架の天辺に着地する。
「むう、相変わらずガードが堅い……。いいじゃないか童貞の一つくらい。減るもんじゃないよ」
「問答無用で減るよ! ……っつうか俺の童貞狙ってたの!?」
危な過ぎるだろこの変態。医者としての倫理観を疑いたい。
ただならぬ危機を感じ取り、フェグルスは思わず顔面を絶壁のように険しくさせる。
だけど、そんなフェグルスを見て、
「ニャ! フェグルスくんが元気になりました!」
「……は?」
満面の笑みだった。
「だってフェグルスくん、さっきまですごーく怖い顔してたから。まるで鬼、いや般若。僕はもっとフェグルスくんの笑った顔が見たいな!」
「お、おう……。そんなにひどかったのか、俺の顔」
今だって相当ひどい。誰かが見たらそうツッコみたくなるが、本人は全く気付かない。
猫耳クセ毛をフワフワ揺らし、シルフィはフェグルスに頬笑み掛ける。
「ね、フェグルスくん」
「なんだよ……」
股間を両手で隠して身構えるフェグルスに、シルフィは、
「あまり、自分から不幸になろうとしないでね」
優しい声だった。
そして、悲しそうな声でもあった。
「罪を犯した人が、誰かを救ったっていいんだよ? 何かを間違えちゃった人が、幸せになってもいいんだよ? だからあまり、『不幸になるべきだ』なんて思っちゃダメだよ。差し出された手は、掴んでもいいんだよ?」
「……俺は人じゃねえけどな」
「人じゃなくてもだよ」
幸せになろうとしちゃダメな存在なんて、この世界にはいないんだよ。
彼女はそう言った。
「同じ質問になっちゃうけど―――やっぱり、僕たちのために『力』を使うつもりはない?」
「……ん」
ひどい答えだっただろうか。
だけどフェグルスには、それ以外に何と答えたらいいのか分からないし、そうとしか答える勇気が湧かなかった。
「俺はべつに、無敵のヒーローとかじゃないし、そんな大した奴でもない。誰かを救ったり、助けたりとか、幸せになったりとか……ごめん先生、まだ無理だ。……まだ怖い」
猫耳クセ毛をフワフワ揺らすシルフィを見上げ、フェグルスは、
「こんな『力』を持ってても、俺は何もできないよ」
別れの挨拶代わりに、フェグルスは自嘲気味に笑って、そう答えるのだった。