第一章11『魔獣生態研究室』
意外にも、『用事』そのものはあっさりと終わった。
不本意な形で、だったが。
「収穫なーし!」
お手上げ! と言わんばかりにシルフィは勢い良く万歳のポーズ。紙吹雪でも舞い上げるみたいに、手に持った数本の医療用メスをそのままぶちまけて、
「おう!?」
足元にカァン! と刃物が落ちて来て、驚いたフェグルスは咄嗟に真横へステップを踏む。
「ちょっ……あぶねえだろ!?」
「いいじゃん! フェグルスくん頑丈だもん!」
「そういう問題じゃねえ……!」
問題があるのはその危機管理能力の低さだ。
刃物を頭上にばら撒く医者がいるか。
「むぅ……フェグルスくんの体、一体全体ホントにどうなっちゃってるの? まさか魔力を通した刃物も通さないとは」
シルフィは心底残念そうに。
「体表組織の一片でも手に入ればもーっと解析が進むのに、フェグルスくんったら傷一つ付かないんだもんなー」
「そんなん俺に言われても……。そういう謎を解き明かすのが先生の仕事じゃねえのかよ」
「むぅ、そうですけどー……。よしじゃあこうしよう! 今後の魔獣研究のためと思って、フェグルスくん! ちょっと腕を一本千切って献上してくれないかな!」
「怖過ぎるわ!」
発想も怖ければ、その発想を軽く口に出してしまう彼女の倫理観も怖かった。
「大丈夫だよフェグルスくん! 魔獣研究第一人者の僕が保証する! 魔獣は死にさえしなければ何度でも肉体の欠損部位が復活する事はよく知られているんだ! だからフェグルスくんもほら!」
「ほら、じゃねえ! 生えて来るならいくら千切ってもいいと思ってんのか!?」
「うん」
「うん!?」
フェグルスがここへ来たのは、自分の体の『秘密』を探るためだった。
とは言っても、べつにフェグルス本人が知りたがってるわけじゃない。知りたがっているのは少女の方だった。
シルフィ=コルレオニス。
弱冠一五歳にして天才医師として世界中に名を馳せ、知能の面でも医療技術の面でも、この世に比類する者がいないとまで言われる世界的な権威。
そして。
この世界で最も先進的な『魔獣生態研究』を行う、その第一人者。
「でも話を聞く限り、君の体は世界最強の魔法ですら傷付かないんでしょ? じゃあ君からサンプルを採取するのは諦めるしかないかー……はぁーあ」
「ため息つきてえのはコッチの方だよ! 狂気的な発想しやがって……!」
どうしてこんな危ない奴が医者をやれているのか不思議で仕方ない。
本当に大丈夫なのか? こんな奴に医師免許など持たせて。
そんなに医者不足なのか? この世界は。
「ぜーんぜん狂気的じゃないよー、研究のためには大なり小なりサンプルが必要なのっ。しかも多ければ多いほど良し!」
「……もう多過ぎるぐらいだろ、ここは」
魔導都市のとある病院の地下にある、シルフィ専用の研究室。通称、魔獣生態研究室。
そんな彼女の研究室には、数え切れないほどの魔獣の死体が保管されていた。
頭部をぶった斬られた四足魔獣の胴体。
綺麗に六等分にされた魔獣の長い首。
肉体から剥がされたゴムのような質感のある魔獣の皮膚。
片翼をもがれた翼竜。頭部に無数の翅が生えた蛇の剥製。
おそらく元は人型だったのだろうが、手足や首、胴体をバラバラにされた上で鎖に巻かれて天井に吊り下げられている死体まである。
薬品に漬けて保存されてる眼球、舌、よく分からない器官が瓶に入ってズラリと並び、隙間を縫うように難しい専門用語の書かれた本が塔のように重なっている。
フェグルスのすぐ近くにある机の上には、粉々になった肉片をかき集めた山が出来ている。
多分、数日前に龍姫凛が木端微塵にした魔獣の残骸だ。
―――街に出現した魔獣の死体は、ほとんどの場合は一度、この研究室に運び込まれるらしい。
「こんなにあるじゃねえか、サンプル。これでもまだ足りねえのかよ」
「ここにあるのは普通の魔獣だけだもん。僕はフェグルスくんの体が欲しいの!」
「最後だけ切り取ったらすげぇセリフだな……」
魔獣の死骸があちこちに静置され、初見の奴なら間違いなくひっくり返るような地獄の様相。
かくいうフェグルスも初めてここに来た時は心底ビビったが、今ではすっかり慣れたもの。落ち着いた様子で、近くの椅子に腰を下ろす。
「……前から気になってたんだけど、ホントにそこまで気になるか? 俺の体」
「もちろん! だって見た事ないもん!」
不健康になりそうなジメジメした地下室で、それでもシルフィは元気いっぱい。
「そもそもフェグルスくん、魔獣ってどうやって生まれるか知ってる?」
「まあ、知ってはいるけど。俺もこの街で暮らして一〇年だし」
学校にも通っておらず、教科書の類も読んだ事がないフェグルスだが、世間で生きていればそういう情報は自然と耳に入って来る。
魔獣の発生原因。
つまりは自分が生まれた理由。
それは―――
「人間が魔法を使う時に漏れ出した魔力が、自然に集合して生まれた生き物……だったっけ」
「そ。大正解」
シルフィは腕を使って大きな輪っかを作ってみせる。
まる、と言いたいのだろう。
「魔力自体は色んな生き物にも宿ってるんだよ。鳥とか魚とか、あと虫にも。でも魔法を使えるのは人間だけだ。僕たち人間だけが『魔力回路』を持ってるからね」
生物が生まれながらに持っている魔力は、それ単体ではただのエネルギーでしかない。電子機器と発電機が別々にあったって何もできないのと同じだ。電子機器を使うには、発電機と何かしらの『経路』を繋いで、エネルギーを供給しなければならない。
その経路というのが、要するに『魔力回路』。
人間だけが持つ、魔力というエネルギーを魔法に変換する体内器官。
「でもね、一〇〇の魔力を使っても、一〇〇全部が魔法に変換されるわけじゃないの。どれだけ良くても九〇くらい。残りの魔力は魔法に変換され切れずに、空気中にちょーっとだけ漏れて行っちゃうの」
―――そして漏れ出した魔力が、空気中を、世界中を漂い続け、いつかどこかで他の漏洩した魔力と出会い、触れ合い、混ざり合う。
そのプロセスを何度も何度もくり返していくうちに、長い時間をかけて膨れ上がった魔力の塊が、一つの生命体として生まれ変わるに至る。
それが。
すなわち。
「すなわち魔獣。正式名称は『完全自立型魔力集積体』。今もこの世界に溢れ続ける、人類の敵の正体さ」
「それも思うんだけど……なんで魔獣は人を襲うんだ。魔獣からすれば人間って、親みたいなもんだろ」
「親か……それはとってもいい表現だね。けど残念、魔獣にそこまでの知性は無いんだよ」
君みたいにね、と。
シルフィは意味深に付け加えながら。
「あの子たちにあるのは本能だけだよ。『壊す』とか『殺す』とか、そういう本能に従って動いているだけさ。そういう意味ではロボットに近いかも。プログラムで動いてる感じ。フェグルスくんには無いのかい? そういう破壊衝動みたいなの」
「ない。……と、思う、多分。とりあえず、あんな大暴れしたくなる事はそんなにねえよ」
「ふむふむ……そうなると、やっぱり君は魔獣の中でも例外中の例外なんだね。ますます君に興味が湧いて来るよ!」
瞳を輝かせるシルフィから、ちょっと嫌そうにフェグルスは目を逸らす。この人の言う『興味』は常人のそれとは比べ物にならないのだ。
油断したら腕を千切られかねない。
「なんだって魔獣の本能はそんな『壊す』だの『殺す』だのしかないんだよ。他の動物だってそんな極端じゃねえのに。俺もそんな破壊衝動は感じた事もねえし」
「だから君は例外なの。多分他の魔獣とはちょっと『作り』が違うのかもね」
シルフィは、医療用のメスをペン回しみたいにクルクルと指の間で回しながら、
「なんで魔獣があんなに攻撃的なのかは、実はまだよく分かっていないんだ。……でも魔獣って、人間の魔力で出来てるでしょ? だったら、魔獣がそういう本能を持ってる原因も、魔力にあるんじゃないかって説がある」
「ん?」
「中でも面白いのはこの仮説だね。―――魔力には、人間の感情が混ざってる」
メスの切先をフェグルスの方に向け、
「特に、敵意や悪意が混ざりやすい」
「…………」
「そう唱える学者もいるってだけ。実際のところ、具体的な事はまだ全然なんも分かってニャーの」
またしてもシルフィは、小さく「お手上げ」のポーズ。肩をすくめるみたいにして、両手を上げる。
「そもそも魔力自体、まだまだ未知のエネルギーだからね。『生物の体内に存在する』って事と、『どうすれば活用できるか』って運用方法は分かってるけど、肝心の『どういう仕組みなのか』『どういう物質で出来てるのか』ってところはまだ全然。そんな具合だから、今でもはっきりした仮説は出てないんだよ。出てる論文もほとんど学者の妄想みたいなものばっかで」
やになっちゃうねー、とシルフィは嘆くが、フェグルスには、そこら辺の『学者ならでは』の感情の機微はいまいち理解できなかった。
「その中でも一番面白い仮説がさっきのやつ。―――『魔力には人間の感情が混ざる事がある。特に敵意や悪意は混ざりやすい。ゆえにその集合体である魔獣は、人類に対する敵意や悪意を持って生まれてくる』。魔獣たちが皆あんなにコワーい姿なのもそれが理由。『人間が無意識に敵意や悪意を抱くような形状に魔力が固まりやすい』……みたいなね」
「頭のいい奴が考える事はよく分かんねえな」
そこまで謎だらけだと、もはや訳が分からなかった。
人間……特に学者のように『学び』や『探求』を目的に動く人間というのは、やはり自分とは遠く離れた存在なのだとつくづく思う。よくもまあそんな、手掛かりも足掛かりもない謎に立ち向かおうとするものだ。
「謎を解くのが好きなのはいいけど、でもそんな場合かよ。今も魔獣はどんどん生まれてんだろ?」
魔力だの魔獣の謎を解く前に、まずは自分たちの害になる魔獣を殲滅する事が最優先事項ではないのだろうか。
しかも根本的な解決方法なら、すでに答えが出ているじゃないか。
魔獣とは、人間から放出された魔力が形を成したもの。
つまり、そもそも魔獣を生み出さないためには……。
「人間が魔法を使うから魔獣が生まれるってんなら、どうしてさっさと魔法をなくさないんだ。それで一発解決だろ」
「って思う人、昔は結構いたらしいんだよねー」
簡単に聞き流されてしまった。
フェグルス如きが思い付く疑問など、とうの昔に議論され尽くしている、という事らしい。
「魔法がなくならない理由はいくつかあるんだ。大きく分けて三つ」
そう言うと、シルフィは指を三本立ててみせ、
「まず一つ、『魔獣は魔法以外では倒せないから』」
うち二本を折って、人差し指だけをピンと真っすぐ立たせる。
「魔獣には基本、魔法以外の攻撃手段が通用しないの。銃や刃物はもちろん、鈍器も、大砲も、爆弾も、毒も、化学的な薬品も、とにかく魔法以外の全部がね。魔法というか魔力だね。どんなに小さな魔獣でも、魔力を介した攻撃じゃないと傷一つ付けられないんだよ」
「……だから先生、『コレ』使ってんのか」
フェグルスは、数分前にシルフィがばら撒いた医療用メスの一つを拾って、まじまじと眺める。
「そ。それはただのメスじゃないよ? 魔力を通して使う『魔法道具』の一つさ」
高かったんだよー? と、シルフィはどうでもいい情報を付け足して、
「本当は、手術中に医療ミスが少なくなるようにって理由で開発されたんだけど、僕の場合は『こっち』によく使っていてね」
こっち、と言いながら、シルフィは天井に吊るされた魔獣の肉片を見つめる。
魔獣の死体の解体に使っている、という意味なのだろう。
ただの刃物では、魔獣の体に傷一つ付けられないから。
「でも、じゃあ魔法道具だけでよくね?」
「ニャ?」
「この前テレビで見たぞ。最近色々と魔法道具、出て来てるみたいじゃんか。魔力を流して動かすヘリコプターとか、魔力をエネルギーに動く携帯とか。まだ試作品っぽいけど。そういう感じで、なんか『魔法兵器』みたいなの作ってさあ」
「実はそれでも同じ事なんだよ。魔法道具は魔力を通して動かすんだけど、魔法道具を使ってる時にも、やっぱり魔力は少なからず外に漏れちゃうみたい」
「え、ダメじゃん」
「そ、ダメなの。人間が魔法を……ていうか魔力を使う時、必ず魔力が外に放出されちゃうんだ。それが魔法がなくならない二つ目の理由、『無限ループ』だから」
少女は、二本目の指を立てる。
「魔法や魔法道具がないと魔獣を倒せない。でも、魔法を使っても魔法道具を使っても、魔力が外に漏れて、魔獣が生まれちゃう。で、生まれちゃった魔獣は、魔法や魔法道具で対処するしかない。……ね? グルグル回っちゃってるの」
「……どうすんだよそれ」
「どうにもできない。だから僕たち人間は、一刻も早く自分の魔力を一〇〇パーセント魔法に変換する方法を探らなくちゃいけないの。結局、魔法の文化はそのまま残っちゃう」
逆に言えば、それが見つかるまで人間は、魔獣の脅威に晒され続ける事になる。悪い言い方をすれば、自分たちの手で自分たちの敵を作り続ける羽目になるのだ。そんなふざけた話があるだろうか。自縄自縛もいいところだ。
けれど、一〇年も暮らしていて、フェグルスも薄々気付いている。
それほどどうしようもない状況になっているのに、どうにも人間たちには『焦り』が無いのだ。
今日も人間たちは、普通の日常を、普通に過ごしている。
今日もこの世界のどこかで、自分たちの敵が人知れず誕生しているというのに。
「そして、魔法がなくならない理由三つ目―――『もう魔獣が怖くなくなってきちゃったから』」
「えぇ……? なんじゃそりゃ」
「でも事実」
シルフィは、三つ目の指を立てながら、
「完璧じゃないけど、今のままでも魔法の技術力はとんでもなく高度なんだよ。魔獣なんていくら出て来てもすぐにやっつけちゃうでしょ? 魔獣が暴れて街が壊れる事もあるけど、それだって魔法さえあればちょちょいのちょいで直せちゃうし」
「ああ、まあ、そりゃ確かにそうだけど……でもそれこそ堂々巡りだろ」
「そうだね、確かにこれは対症療法だよ。根本的な解決にはなってない。でも、対症療法でも十分なくらい、今の魔法文化は発達しちゃってるんだ。魔獣の討伐すら日常に一部になっちゃうくらいにね」
とんでもない話だった。
自分たちを襲う敵を、よりにもよって自分たちの手で作っておきながら、その上で、敵の発生まで自分たちの日常の一部として組み込んでしまう。組み込めてしまうほどの力を、もう人間は手に入れている。
なんという適応力だ……。
「一昔前までは魔獣の数がびっくりするくらい多かったから、そこそこ脅威ではあったらしいけどね。でも……一〇年前の戦争があったから」
「…………」
「その戦争で、強い魔獣はあらかた狩り尽くされちゃったみたいだし、後はほとんど消化試合。魔力の完全な制御法が発明されるまで、僕たち人類は、定期的に現れる魔獣をちょこちょこ倒し続けてれば良くなったのさ。勝ち確ってやつだね」
そんな風に語るシルフィには、やっぱり焦燥の気配はない。むしろ気楽にさえ見える。彼女も他の人間と同様、魔獣の存在をそこまで脅威と認識していないのだ。
そして、それはそれとして事実なのだろう。世間からも天才として認められている彼女が、その頭脳が、『魔獣は脅威になり得ない』と答えを出しているのなら、それは一つの真実なのだ。
でも。
――――じゃあなんでニンゲンと、ぼくたちは、けんかしちゃうの?
――――それは―――
なんとなく、胸に残る違和感。
本当にそれだけなのか? そんな簡単に終われる話なのか?
根拠はない。理由もない。ただ、知性だとか理性とは少し違う部分……もっと本能的な部分で、フェグルスは疑問を感じていた。
――――まだ、お互いの事をよく知らないからかな。
「…………」
何を知らなかったのだろう。何を知れたのだろう。
あの日、あの時、あの場所で、『彼女』が語ったあの言葉は、一体何を意味していたのだろう。
それは今でも分からない。
……分かる日など、もう永遠に来ないけれど。
「でもだよフェグルスくん」
陥りかけた感慨に、外から割り込む声があった。
「そんな人類の絶頂期に、新たな爆弾が投下されたんだ。それもとびっきりのね」
「爆弾? なんだよ、また危なそうな」
「君さ」
びし! とシルフィが人差し指を突き付けた先には、椅子に座る一人の少年。
「君が現れた」
「……俺のどこが爆弾なんだ」
「存在そのものだよ! 君の存在は、魔獣生態研究の第一人者である僕をして見過ごせない超ド級のブレイクスルーなんだから!」
またしても、彼女は『研究者の目』になっていた。
キラキラ眩しく輝く、純粋な子供みたいな瞳。
「今まで数え切れないぐらい魔獣を見てきたけど、こんなに上手く人間に『擬態』できる魔獣は初めて見るんだよ! 少なくとも体構造が人間によほど近くないと不可能だね! それが外側だけなのか中身もそうなのか……でも歳をとるわけだから、フェグルスくんの構造全体が生物に近いと思うんだ。でも肉体の頑丈さが既存の野生生物からあまりに逸脱し過ぎてる! その上人間と意思疎通が取れるぐらい知能もある! 感情もある! 精神がある! はっきり言って訳が分かんないよ! まさに世紀の大発見! ノーベル賞なんて陳腐に見えるね! 今すぐ論文にして全世界に紹介したいくらいさ!」
「それは断るって何度も言ってるだろ」
「むすー!」
「膨れたってダメなもんはダメだ」
リスのように頬を大きくさせるシルフィをきっぱり拒絶。
こちとら注目されないように人間に紛れて暮らしているというのに、全世界に存在が公表などされたら堪ったものじゃない。
「やっぱり先生みたいな天才たちの興味は分かんねえよ。それほど大発見か? 俺が。案外、『そういう魔獣もいたんだ』ってだけの話かもしれないだろ」
目をギラギラさせるシルフィとは正反対。フェグルスは自分の事なのに、まるで他人事のような感覚だった。
「それに俺の体、嫌ってほど頑丈だからな。俺もどうやったら自分が傷付くのか分かんねえくらいだし。……サンプルとして協力できる事なら協力してやりたいけど、あんま役には立てそうにない」
「大丈夫だよ! フェグルスくんにはいーっぱい役に立ってもらってるんだから! 主に僕の実験体として!」
「最悪かよ……」
「最悪じゃないよ、とっても大事なこと。……でもね、できる事なら―――」
「ん?」
「―――実験体以外のフェグルスくんも、僕は見てみたいな」
いつになく真剣な声音。フェグルスの真正面に立ったシルフィは、「これはあくまで僕のわがままだけど」……そう前置きして、
「君には、もっともーっと色んな人の役に立って欲しいって思ってるんだよ」
そんな事を言う。
普段はあまり見せない彼女のその雰囲気に、何かを察したフェグルスは思わず身構えて、
「……なんだよ急に、改まって」
「ンニャー? ただ『心変わり』はしてないかなーって」
「心変わり? ……う、腕を千切るつもりはねえぞ」
「ちーがーうーよ。もうちょっと真面目な話」
この人の口から『真面目』なんて言葉が出て来る時点で冗談みたいだが、しかしシルフィは言葉通り、真面目な瞳でフェグルスを見つめる。
「どうしたんだ先生、らしくもなく。なんの心変わりだよ?」
「その『力』を、誰かのために使ってくれないかな? って心変わり」
シルフィは、(意外と立派な)胸の谷間から、四つ折りにした謎の用紙を「ンニャ!」と抜き取った。
その用紙を、彼女はフェグルスの目の前で広げてみせ、
「改めて質問させてもらうよ、フェグルスくん。――――その『魔獣の力』を、人間のために使ってくれないかい?」
【執行部隊 入隊申請書】
目の前で広出られた紙切れには、でかでかとそう書かれていた。
「……はぁ……」
その文字を見て、思わずフェグルスはため息を吐く。
相も変わらずこの少女は、こんなどうしようもない化物を、『人間』にしようとしているのだ。