第一章07『未来少年の自分らしさ』
唖然とするフェグルスの前で、全裸の少年はポーズをキメ! 無駄に整った筋肉をこれでもかと見せつけてくる。
引き締まった腹筋。硬そうな上腕二頭筋。美しい太もも。鍛え上げられた細マッチョ。ボディビルの会場だったら大きな歓声が上がるであろう完成度。
しかし残念ながらここは都市のど真ん中。
当然、飛んで来たのは歓声ではなく、
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
たまたま近くを通りかかった女性が、少年の裸体を見て腹の底から悲鳴を上げていた。
それに引っ張られるように、あちこちから野次馬達―――
「うわ!?」
「なんだアイツ!? 全裸だぞ!?」
「ちょっと! ちょっと誰か! 警察! 警察を呼んでー! 捕まえてー!」
「ねえママみて! おっきーチンチ」
「こら!! 見ちゃダメ!!」
変質者が現れた時の一般的な例みたいな反応をしてくれる。
一方、フェグルスは言葉を失うしかなかった。
「……なっ」
フェグルスだって生ける常識人……ならぬ常識魔獣。できる事なら周りと同じ反応をしたかった。いきなり全裸の男が目の前に現れたら、迷わず「きゃー!」を叫べる魔獣でありたかった。
けど、できなかった。
悲しいかな、この変態は―――
「なん、」
本当に残念な事に、知り合いなのだ。
「何なんだお前は!?」
「俺っちかい? んふ~、知りたいのなら教えてしんぜよ~」
全裸の少年は上腕二頭筋をさらに膨れ上がらせ、腹筋を硬め、腰を突き出し局部を際立たせながらポーズをキメ!
「俺っちの名は空色夜仲! 遥かな~る未来からやって来た未来人さ! 全宇宙を代表する無敵チ~ト主人公とは、そうっ、まさしく俺っちの事なのさ~!」
「…………」
「むっ! ど~したんだいフェルっちゃん! そんなに俺っちを見つめても何も出ないんだぞえ!」
「……お前なあ……っ」
もういい。今さら丁寧にツッコんでやる気もない。思わず目頭を押さえつつ、フェグルスは再び噴水の縁に腰を下ろす。
「お前いつまで言ってんだよ、その未来人設定。変なキャラ作りは諦めろ。もう信じる気ゼロだぞ、俺」
「え~!? 嘘なんかじゃないよ~! 信じてくれよフェルっちゃ~ん! ほら! 俺っちの目をちゃんと見て!」
「お前のその欲望に穢れ切った汚い目か? 見てる見てる。見るたびに、こいつの言葉だけは信じちゃいけないって俺の本能が叫んでるよ」
「ぶぇぇえええええええええええええ~い!?」
ショックを受けているのか、ふざけているだけなのか。どちらとも分からない声を上げ、夜仲は盛大に仰け反ってみせた。
目の前で強調される彼の局部に、フェグルスは「うっ!?」と顔をしかめて、
「本当に何なんだお前は……!」
「ん? 俺っちは空色夜仲だぞえ?」
「知ってるよんな事は! そうじゃなくてその格好だ! 趣旨を説明してくれ!」
フェグルスの口から放たれるツッコミをその身に喰らい、それでも空色夜仲は平気な顔してアブドミナルアンドサイのポーズをキメ!
「よ~くぞ聞いてくれりゃ~した~! その名も、全裸健康法!」
「……は?」
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全裸健康法、あるいは裸療法。
皮膚呼吸を促進させ、酸素をはじめ必要な空気中の成分を直接毛細血管に取り入れ、また体表面から汗や老廃物を発散させる。体操を組み合わせて、朝晩二回行うと効果的。
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「この時代にもあるんだね~、ヌ~ディズム! やっぱりありのままの姿が一番って事! 見てよフェルっちゃん! この自然体っぷりを! 世界そのものとの一体感を! 自由による解放感を! あは~んなんて素敵な健康法~! 俺っちにピッタリ~!」
「……だからってなんでここでやるんだよ。家でやってろよ」
「無理! おうちに帰れない! なぜなら俺っち、未来人だから!」
「……はぁ……。じゃあ未来に帰りゃあいいんじゃねえの?」
「それも無理! 俺っち五〇〇年後の未来から来たんだけど~、未来ってとんでもな~く科学が発達しちゃってて~、そのせいで宇宙のエネルギ~ぜ~んぶ使っちゃって~、スッカスカのカッスカスで住めなくなっちゃったの~! だから過去に逃げるしかなかったの~! 帰れないの~!」
「…………」
「というわけで、わたくし空色夜仲は現在! 全裸の素晴らしさを布教する活動を続けています! 応援よろしく~!」
そう言うと、夜仲は首に巻いてるマフラーの中からクシャクシャになったチラシを取り出し、フェグルスに見せつける。
用紙いっぱいに印刷された、全裸でポーズをキメた夜仲の写真。それに添えられた謳い文句。
『全裸炸裂! 全裸大歓迎! 君の悩みも全裸で一発解決! 悪霊退散! 健康第一! 君も世界と同化しないか? ~~~全裸教~~~』
「……なにこれ」
「俺っちの作った宗教『全裸教』のポスタ~です! これを街中にばら撒いております! そしていつかこの魔導都市を、全裸都市にしてみせるので~す! ひゃっほ~い!」
「…………」
アホなのか? 一瞬たりとも知性を感じるタイミングが無かった。
発想そのものもアホだし、言ってる事もアホそのもの。なおかつ思い付いたアホ計画を本当にやろうとするあたりが真のアホだ。
「……もういい……分かったからまず服を着ろ。そしてさっさと隠せ。その股間に付いてる等身大の『YONAKA』を」
見せつけられたポスターを押し返し、夜仲を遠ざけようとするフェグルス。
しかし、それに反して夜仲はずいっと近寄って来て、
「んも~! なに心配してるのさ~フェルっちゃ~ん! 見くびってもらっちゃ~困るぜ! これでも俺っち、計算高い男なのよ!」
見たまえぃ! と、夜仲は猫のような跳躍力で大ジャンプ。おかげで夜仲の局部も狂喜乱舞。公園中から悲鳴が上がる。
「変☆身!!」
夜仲は空中でくるっと一回転。その隙に、彼は首に巻いたマフラーをふんどしのように股間に巻いて音もなく着地、マフラーをピンと張ってポーズをキメ!
「えっへへ~これ見て~! 新品のマフラ~買ったんだ~! これで隠せば通報されずに済むよ!」
「もうとっくにされてるだろ……」
どうしてこんなにアホなんだ? こいつは。
人間とはもっと、知性溢れる思慮深い生き物ではなかったのか?
小さい頃、あれほど友達になりたかった人間は、なんとこんなにアホだった。
「……龍姫の奴にも言ったけど、ホントに大丈夫か? この辺じゃ割と有名な『魔法学校』に通ってなかったっけ? お前も。そんな素行であれこれ言われたりしねえの?」
「その学校からは先程、あまりに素行不良だったので強制退学を言い渡されました!」
「手遅れじゃねえか!」
なんて事だ。数少ない心許せる知人の姿がこれなのか。
どうしてこんなにも、現実とは非情なんだ。
―――空色夜仲。自称未来人。年齢はおそらく一〇代後半。
―――そして……フェグルスの『友人』。
彼との出会いは二年ほど前。街のど真ん中で『全裸で』行き倒れていた夜仲に、フェグルスが少しの食べ物と金銭を与えてやったのが事の始まりだった。
フェグルスとしてはそれっきりの関係のつもりだったが、夜仲の方では謎の友情が芽生えていたらしく、
『俺っちを助けてくれてありがとう! 恩返しとして俺っち達、親友になろう! ひゃっほ~い! 過去に来て初めてのおともだち~! べすとふりぇ~んど!』
……などと一方的に親友認定され、それから何度となくウザ絡みされ、気付けば今のような関係に。
他人とむやみに関わりを持たないフェグルスも、その押しの強さには降参するしかなく、今ではそこそこの友人付き合いをしているのだった。
「ちなみに決めゼリフは……それは俺っちの毒キノコ!!」
「お前はセリフを決める前に、牢屋にぶち込まれる覚悟を決めた方がいいと思う」
で、その友人の姿がこれか。全裸か。全裸マフラーなのか。
というか学校を強制退学って……じゃあコイツも無職じゃないか。
いま無職二人が顔を突き合わせているのか。
地獄か。
「んふ~! 俺っちの肉体に歓声が鳴りやまない! フェルっちゃん、これが時代だよ! やっぱりこの健康法が時代の最先端なのだよ!」
「鳴り止まないのは悲鳴だよ。そのままアホの最先端突っ走ってろ変態め」
「ひょ~! 震えるぞハ~ト、燃え尽きるほどヒ~ト、刻むぞ筋肉のビ~ト!」
荒ぶる夜仲を、フェグルスは鋭い目つきで睨む。
決して「なんて素晴らしい肉質だ、食えばさぞ美味だろうじゅるり!」とか野蛮な事を考えている訳ではない。あのお気楽思考はどこから来るのか、ふと疑問に感じただけだ。
「ね~フェルっちゃん」
「……おう」
「悲鳴って聞いてるだけで興奮するよね?」
「それはお前だけだキノコ野郎。俺にひん曲がった性癖の同意を求めるな」
「んも~フェルっちゃん! そんな凝り固まった価値観じゃ時代の波に乗り遅れるよ! 見てよ俺っちを! 時代の波に乗っちゃってる? むしろ時代が俺っちを呼んじゃってる!?」
多分、お前を呼んでいるのは牢獄の監守達だよ―――そうは思うが口には出さない。ツッコむのも馬鹿らしくなってきた。
アホには何を言っても無意味なのだ。言ったところで収まるわけもない。
今さらなのだ、全部。
言っても、考えても、仕方のない事だ。
「……やめだ、めんどくせえ」
呟く。
そして、未だに握り続けていたお守りを、フェグルスは静かにポケットに戻す。
気に病む事なんてやめてしまおう、忘れてしまおうとしているみたいに、目の届く場所にあると思い出してしまうから、なるべく視界の外へとそれを追いやる。
後悔したってもう遅い。悔んだって過去は過去。
未練があったって関係ない。だって結局『今さら』だ。
フェグルスは無理やり、そう思い切る。
あれは、自分とは何の関わりもない物語だ。
知る必要のない物語だ。
ならば、自分からそこへ足を踏み入れようと思う方がおかしいだろう。
「むむ!? フェルっちゃんの不幸顔がいつもの三〇パ~セント増しに!」
「悪かったな。これも立派な俺の人相だよ」
自分は自分の物語を生きるだけ。誰とも関わらず、自分だけの道を歩めばいい。
……だとか。
そういう都合の良い言葉で納得できたらいいのに、生憎フェグルスという魔獣は、そう単純な精神構造をしていないらしい。
いつまでも心の奥に刺さったまま、抜けそうで抜けないもどかしい感情からは、
「……どしたのフェルっちゃん。そんなにじっと見つめられると照れちゃうべ」
やっぱり、どうしたって、逃れられそうにもなく、
「は……っ! さては俺っちの筋肉が欲しいんだな!?」
「いらねえよそんなもん」
結果として目を背けるだけで、
「お前はつくづく幸せそうだなと、思ってただけ」
何も成長していないのだった。
「ぬ? フェルっちゃんから漂う謎の哀愁……。何かあった? 恋人にフラれた? 自宅が爆散した?」
「恋人なんて元からいねえし、自宅も健在だよ。今朝がたメチャクチャにされたけど。……いやそうじゃなくて、別になんでもねえんだ」
「ほら! フェルっちゃんの悪い癖だべ!」
「あ?」
「フェルっちゃんってばシャイボ~イなんだから~も~! なんでもあるのにさ~、なんでもないって言っちゃうのさ~、よくないべよ! べよ!」
「…………」
なんとなく自覚はある。なんでもある時に限ってなんでもないと言ってしまう自分の性格に。
何かと自分を隠しがるクセに、隠すのが不器用で、致命的なほど嘘が下手。
こんな有様で、己の正体を隠し続けられるのだろうか。
「……なんでもねえって言ったらなんでもねえんだ。気にすんな」
「え~? でも心配だよ~。俺っちの筋肉も心配してるよ~」
「おうっ……!? わ、分かったから交互に胸筋動かすのやめろ! それ、多分お前が思ってる以上に気持ち悪いぞ……!」
目の前のアホから視線を外す。このアホが、今日という今日は羨ましかった。
俺もお前みたいに、気楽に全部を曝け出せたら……なんて思う。
思うだけで、絶対に本人には言わないが。
「なにさ! みずくさ~い! くさいよフェルっちゃん!」
「え? 臭いの? 俺」
「悩みがあるなら聞くよ~? お悩み相談乗っちゃうよ~? 俺っち達、親友なんだし~?」
「……分かった、わーったよ、心配してくれてありがと。でもマジでなんでもねえんだ。お前の幸せオーラに打ちのめされてただけで」
「幸せ? そうさ! 俺っちは生きているだけで幸せさ!」
「……ホントお前、」
相変わらず過ぎるだろ―――そう言おうとした口を、フェグルスは噤む。
空色夜仲は、今日も変わらずに、幸せな日々を生きているらしい。
いつも通り、いつもと変わらず、幸せらしい。
「…………」
羨ましい。こっちは情けない自分が嫌で嫌で仕方がなくて、もっと違う自分に変わりたいと思って思って仕方がないのに。
どうやったらそんなに『今の自分』を肯定できるんだ。
そんな事を考えてたら段々と、自分がひどく小さい奴のように思えてきて、
「お前ホント……はぁ……」
「え~!? どういう意味なのそのため息! 失敬だべ! まさか俺っちの事をただのアホだと思っているのかい!?」
「うん」
ぐはあ! と分かりやすく傷付く夜仲は、フェグルスの口から放たれた闇属性の一閃に血反吐を吐く素振り。口元に当てた掌を見つめて、「ひぃ~血が!」豪快に仰け反る。
ちなみに、血など一滴たりとも付着している様子はない。
「そういうところがアホっぽいなって、俺はつくづく思う」
「に、二度も言ったな! 師匠にも言われた事ないのに!」
「お前に師匠なんかいねえだろ」
変わるべきなのか、それとも今のままでいいのか。
自分の事だというのに、フェグルスは自分の事が一番分からない。
しかし、自分の事を知り尽くしている人間というのも、果たしてこの世界にいるのかどうかは謎なところだ。
かくいうフェグルスは人間ではないのだが。
「……分からん……」
我知らず呟いたフェグルスの独り言に、
「分かって欲し~な~! 愛だよ愛。そう、やっぱり世界は愛なのだよ~!」
夜仲は意味不明な愛を語り、全裸のまま野次馬の方へと突っ込んで行く。
直後に悲鳴の嵐が炸裂した。
そりゃあいきなり全裸の男が迫って来たら誰だって怖い。
「さ~! 俺っちの愛を受け取るがいい~!」
全身の筋肉を膨らませ、今日も夜仲は元気一〇〇倍、悲鳴を頂戴している。
どうやらあいつは、今日も今日とて、あいつらしく生きているようだ。
自分らしく、生きているようだ。
その後、夜仲はしっかり警察に連れて行かれた。