遺言状より愛を込めて
連載する予定だったものを短編としてまとめ上げました。
序盤少し重いですが、ハッピーエンドです。
どうぞお付き合いください。
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私の幼馴染である勇者ルシアンが魔王を倒して二年後。
大禍の魔女と呼ばれる大魔女が現れ、世界は再び戦火に包まれた。かつて魔王を倒した勇者ルシアンは、当然のように大魔女討伐に志願した。
いや、志願させられた。
かつて彼に世界を救ってもらった人々は、魔王との戦いをやりきって私との約束を…結婚を果たして平穏に過ごす彼を非難した。まるで、自分たちにはその権利と資格があるかのように。
「我々は弱い!何故戦う力を持った勇者が戦わないのか!」
「戦えるなら我々も戦っている!弱いことが悪いというのか!」
「戦えるのに何故戦わないのだ!勇者は卑怯者だ!」
その声は世界中で、そして私達が暮らす村の中にも出始めた。
森の中で魔獣に襲われれば、彼が大魔女を倒さないせいにされた。
どこかの街が一つ陥落したとき、彼が戦わなかったせいにされた。
そしてその非難の声は、遂に無関係な私にも向けられた。
「勇者を惑わす女が世界を滅ぼそうとしている!」
「あの女がいなければ勇者は大魔女と戦うのに!」
「そうだ!あの女がいなければ!!」
だから彼は、ルシアンは立ち上がった。私を守るために。
そして世界に向けて宣誓した。
「わかった!かつて魔王を倒せしこの勇者ルシアンが、大魔女を討伐して世界の平和を取り戻すことを約束しよう!ただしッ!!心して聞けッ!!無力なる世界の民衆よッッ!!」
その宣誓は、世界を震え上がらせた。
「もし私の妻が害されし時は、私が世界の敵となるッ!!誰の手によって傷付けられたかは関係ないッ!!魔獣であろうと無辜の民であろうとも!!たとえ私の命が尽きようとも必ず!!妻を傷つけたこの世界を許しはしないッ!!その時は魔王と大魔女を滅ぼせし我が光の力が!!この世界に生きる全てのものに向けられるものと覚悟せよッッ!!」
大魔女と戦うことを恐れて戦いを勇者に強要した世界の人々は、自分達の手によって魔王や大魔女よりも強大で、最強の敵を作ったことに恐怖し、深く後悔した。
勇者からの報復を恐れた国王は、すぐさま私を王城で保護し、手厚くもてなした。まさに腫物を扱うかのような待遇で、私の後ろに勇者の影を見ていたのは明確だった。
でも、そんな彼らを見ても何の感慨も浮かばなかった。
私はただ、彼が無事に戻ってきてくれればそれで良かった。
それで、良かったのに。
宣誓から数ヶ月後、勇者ルシアンが見事大魔女を討伐したとの吉報が世界中に報告された。
「ルシアンが…戦死…!?」
「………誠に、申し上げにくいことながら。」
彼の一通の遺言状と共に。
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遺言状を届けてくれたのは、ジェーンと名乗る、私やルシアンと同じ黒い髪色を持つ、短髪の女騎士だった。彼女は魔王決戦の頃からの仲間で、ルシアンと大魔女の死闘にも立ち会っており、その最期を看取ったという。
「う…嘘よ!ルシアンは魔王も倒した勇者なのよ!?いくら大魔女が相手だからって負けるとは思えないわ!!」
「はい、彼の実力なら負けるはずの無い、むしろ片手でも勝てる相手でした。しかし大魔女は勇者ルシアンの心を覗き、顔を変えたのです。」
「顔を…?」
「はい。あなたの顔にです、サビーヌ殿」
あまりの衝撃の大きさに、本当に一瞬だけ心臓が止まったような思いだった。ルシアンはどんな理由があっても、私とどんなに激しい喧嘩をしても、暴力に訴える真似は絶対にしなかった。そのルシアンが、私の顔をした魔女など斬れるだろうか。
「………でも、魔女は討たれたと聞きました。」
「……はい。しかし彼は最後まで貴方の顔をした魔女を斬れませんでした。貴方の顔をした女を斬ったその手で、あなたの元に帰ることなど彼には出来なかったのです。ですが大魔女が最後の手段として究極魔術を放とうとしたため、そこに自身の光の力をぶつけることで、壮絶な相打ちに持ち込んだのです。そして、2つの力がぶつかりあい……二人の体は消滅しました。」
「消…滅…?」
しょうめつ…え…?消滅って…彼の体…は?
「彼の遺体は、チリ一つ残りませんでした。……残念です。」
すでに私が受け止められる量を遥かに超える衝撃が、頭の奥にまで届いた。
そんな…そんな…!!彼の死に顔すら見ることが出来ない…!?彼の体がすでにこの世に無いなんて!?
「いやああああああああああ!!!」
恐怖、絶望、悲痛、私が持ってる負の感情全てが混ざり合って体が勝手に暴れだした。目の前が全て赤黒く染まったのは、眼球の血管が切れたからだろうか。私の涙は白いままだろうか。
口から出てくる言葉は私の心臓から出てきているとでも言うのか、何も考えられないのに勝手に呪詛が飛び出してくる。
「嘘!嘘!嘘よそんなの!そんなはずない!彼は帰ってくる!もう会えないなんて!消滅したなんて酷すぎる!!消滅なんてぇ!!」
「サビーヌ殿!どうか落ち着いて!………実は彼から貴方に、遺言状が届いています。あなたに渡すように頼まれたのです。」
半狂乱に陥った私を、ジェーンの声が呼び止めた。
彼女は何を持ってきたと言った?
「遺…言……ですか…!?彼からの手紙ですか!?」
「はい。こちらを。」
ジェーンは腰のポーチから一通の封筒と、不可思議な呪紋が彫られた白銀のナイフを取り出し、私に手渡した。
「勇者の意思で封印が成されています。彼の力が込められた、このナイフが無いと開封できない仕組みです。…どうぞ。これは彼の形見でもありますから。」
かたかたと震える手で白銀のナイフを握り、慎重に切り開いていく。そこには数枚の手紙…遺言状が入っていた。
彼の痕跡を少しでも追いたい…だけども読むのが怖い。そのせめぎ合いが私の手を、そして体を震わせ続けた。
そこに書かれていたのは…。
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サビーヌへ。
この遺言状を君が読んでいるということは、ジェーンのやつは無事にお前に届けられたと見て良さそうだな。こんな形でお前に手紙を送ることになって本当にすまない。いくら謝っても謝りきれないが………すまない。
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「彼の……ルシアンの字だぁ…!ルシアン…ルシアン…!!」
遺言状…すなわち、彼が死んだことの証明でしかないその手紙。そこに書かれていた字が彼のものだったというだけで、彼がそばにいるような錯覚を覚えた。
とても悲しくて、絶望しかないのに、その字が愛しかった。思わず遺言状が皺になるのも構わず抱きしめてしまったが、気を取り直して続きを読み進める。どうかずっとこの時間を…彼を感じたまま過ごせますようにと祈りながら。
だが、その先に書かれていたものは、私の予想を遥かに超えるものだった。
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サビーヌ。俺は君に何も残せなかった。君との間に子供を残すこともできなかった。俺が君に残せたものと言えば、俺が勇者として手にした国からの報奨金くらいしかない。そして何より………この先、俺は君を守ることができない。
それがたまらなく悔しい。俺は、勇者ルシアンは最愛の幼馴染であり、最愛の妻であるお前を守れない。サビーヌと共に過ごせなくなることが、自分が死ぬことよりも俺を打ちのめしている。
だから、サビーヌ。俺からの最期の願い…最期のわがままを聞いてくれ。俺はこのまま逝きたくない。せめて、お前と一緒に旅行をしてから逝きたいんだ。
俺はこの遺言状をあと三枚、俺にとって思い出深い場所の信頼できる人に預けてきた。この遺言状と一緒に、ジェーンを護衛に連れて遺言状を集める旅をしてくれないか?そうすれば俺はきっと、満足できると思うんだ。新婚旅行だってまともにできなかったこと、俺はまだ気にしてる。俺はお前ともっと、そういうことをしたかったんだ。普通の結婚生活をしたかったんだよ。
唐突な願い事をしてすまない。お前だって辛いはずなのに。だが、この思いを止められないんだ。お前と一緒に過ごせなかった無念が、俺を突き動かすんだ。頼む、サビーヌ。
もしそれが辛くて、このまま俺を忘れたかったら、この手紙は燃やしてくれ。お前がそれを望むなら、お前の幸せに繋がるなら、どうか一思いに燃やしてくれ。
ジェーンには手紙の大体の場所も、大まかな内容も教えてある。偽物かどうかはすぐわかるから、そいつに任せれば本物の残り3枚もちゃんと燃やせるはずだ。どうするかは、お前に任せるよ、サビーヌ。
最後に…愛してるよ、サビーヌ。
毎日、この心臓が止まるまで、止まった後も君をずっと愛してる。
君の幸せを誰よりも願っている。
サビーヌの夫 ルシアン
1/4
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「これは、一体…?」
遺言状というには、余りにも彼の息遣いが感じられる内容だった。彼はこれを、死を覚悟する前に書いたというのか?
ゆっくりと読み進めたおかげが少し落ち着いてきた私は、ここにきてようやく少しだけ冷静さを取り戻していた。
「彼はこれを書いたのは、大魔女と戦う数日前です。…このような手紙は魔王との決戦前でも書かなかったと聞きました。恐らく、彼の中で言い知れない予感があったのでしょう。」
予感…私は彼と違い、戦場に立ったことが一度もないからわからない。けど確かに戦う人だけが感じ取れるものがあるというのなら、きっとその通りなのだろう。
「…サビーヌ殿。おそらく、手紙にはあと三枚の遺言状があると書いてあったと思います。……どうしますか?」
「その前に、一ついいですか?どうしてジェーンさんは、私とルシアンのためにそこまでしてくれるんですか?いくらルシアンの仲間だったとはいえ、彼の遺言にお付き合いすることは…。」
ジェーンさんは酷い古傷を抉られたような痛ましい表情をほんの少しだけ漏らした後、囁くように答えてくれた。
「………私にも伴侶がいました。だけど、その伴侶と静かに暮らそうとしていた矢先に大魔女が現れたせいで、私も戦わざるを得なかったんです。幸い、私は勇者ルシアンという心強い味方がいましたが、結局戦いの後で伴侶に思いを伝えることは、もうできなくなってしまっていたんです。私は、私ができなかった事をあなたを通じて成し遂げたいだけなんです。」
「………すみません。ジェーンさんも、とてもお辛い思いをされていたんですね。」
この人も辛かったんだ。それなのに、ルシアンとその妻である私の我儘に付き合ってくれようとしている。彼はなんて素晴らしい仲間を得たのかしら。正直…ちょっと妬けちゃうな。
ルシアン、わかったわ。
それがルシアンの望みなら、あの日行けなかった新婚旅行へ行きましょう。
「……行きましょう、ジェーンさん。ルシアンと私の我儘に、少しだけお付き合いください。」
「もちろんです、サビーヌ殿。」
最初で最後の新婚旅行よ。良いものにしましょうね、あなた。
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遺言状とジェーンさんのおかげで、なんとか気力を取り戻したのは良かったものの、肝心な次の行き先がわからなかった。
手紙の裏面や、手紙がくっついていることも考えたが、どうやら本当に書かれていないらしい。
「次の行き先はジェーンさんに聞けってことかしら。」
「そうです。彼は護衛を付けずに旅をさせるつもりは無いようでしたから。しかし私がいる限りサビーヌ様を危険に晒すことは無いと約束しましょう。」
これはなんとも頼もしい。勇者達と共に旅した女騎士であれば、きっと魔獣が相手でも問題にならないだろう。
「勇者ルシアンからは、もしサビーヌ殿が遺言状を追いかけてくれるなら、サウスベルンの港町へ向かうようにとの言伝を預かっています。海が見えるテラスを備えた食堂の女主人に預けてあると。」
あれ?確かサウスベルンって…?
「ルシアンの…生まれ故郷だったかしら?」
「ええ、そう聞いています。冒険者業をやってた時もそこが拠点だったそうです。どうしてもお見せしたい景色があると、そう言ってました。」
サウスベルン。それは王都ベルンから南に存在する港町にして、この国の玄関口だ。三方を高い山で覆われているベルンは天然の要塞とも言える独特な形状をしており、国外から物資や商品を輸入しようとするなら必然的にサウスベルンを経由する事になる。
サウスベルンまでならそれほどの距離ではない。私とジェーンさんは乗合馬車を捕まえて、のんびりと南へ向かう事にした。
ジェーンさんと一緒に乗合馬車に乗り込む。既に他のお客さんで中はひどく混雑していたが、それはこの世界が平和になった証にも思えて、守り抜いたルシアンのことが誇らしくなった。
だが、どうやら私は本当に平和な環境で過ごしていたらしい。
「………サビーヌ殿、見えてきました。これが今のサウスベルンの町並みです。」
そこに広がる光景に思わず絶句した。
そこは昔ルシアンと共に来た時と同様に活気ある街であり、海もキラキラと輝いていた。ただし、街のそこかしこに大きく切り取られたような球状の傷跡があった。中には建物の2階から上がごっそりと切り取られたような建物もあり、そこは非常に簡易的な雨避けだけが設置されていた。
「大魔女が勇者ルシアンへの見せしめとして放った魔術です。」
「こ、これが…!?何をどうやったらこんなことになるんですか!?」
「これは消滅させる力を模倣した呪術です。勇者の持つ光の力を模倣し、破壊にのみ特化した忌まわしき闇の力。大魔女はそれを、営みを続けていたこの港町に向けて、いきなり放ったのです。ルシアンの目の前で。」
二人で食堂へ向かう中でジェーンさんが語ったその情景は、酷く現実離れしていたにも関わらず、あまりに生々しかった。
消滅に特化したその闇の力は、始め空にいくつか小さな穴が空いたようにしか見えなかったらしい。それが子供を飲み込めるほどの大きさになったかと思えば一気に港町に降り注ぎ、縦横無尽に暴れだしたという。
勇者ルシアンの光の力であれば相殺できたが、数が多すぎた。木も、石も、鉄も、そして肉も骨も消滅させる力は無遠慮に街へ喰らいついた。
「これでもかなり被害を抑えられた方なのです。勇者ルシアンが持つ光の力は、本来広い範囲を攻撃するためではなく、剣や体といった媒体に纏わせて使うもの。それを街全体を媒体にするという彼の限界を完全に超えた無茶をする事で、強引に闇を払ったのです。しかし、そんな彼でも動く人間に光を纏わせ続けることはできなかった。」
港町は残った。しかし、住民の半数近くが犠牲になった。
完全に塵になってしまった人が多く、死者の数は正確にはわからない。行方不明者の数は、遺体が残らなかった人とほぼ同じだと言う。
そんな…そんなことを、彼が抱えていたなんて。
「……着きました。ここが彼の指定した食堂です。ここは中心から外れていたから、あまり当たらなかったんです。」
そこは小さなテラスを備えた、やはり小さな食堂だった。
港町らしい魚介類を使った料理が自慢らしく、まだお昼時でも無いのにお客さんが入っていた。
厨房にいた中年の女料理人が、厨房から声をかけてくる。とても良く通る声で、聞いてて気持ちがいい。
「いらっしゃーい!ご注文は?」
「え!えっと…!」
「ジニーさん、私です。」
ジェーンさんが柔らかな微笑みとともに片手を挙げると、ジニーさんという人は驚いたのか、盛り付けをもうひとりのスタッフに任せてこちらへ走り寄ってきた。
「あんた!しばらくだね!また食べに来たのかい!?」
「それもありますが、ジニーさんに会わせたい人を連れてきたんですよ。」
「あたしに?」
そこで視線を改めて私に移し、私の顔をよく見たジニーさんは顎が外れるんじゃないかってくらい驚いた。
「……っ!?まさか…あんた、ルシアンのお嫁さんかい!?」
「は、はい!サビーヌと言います。始めまして。ルシアンがいつもお世話になってます。」
「あっはっはっはっは!!こりゃ驚いた!あのわんぱくがこんなかわいい嫁さん捕まえてるとはねえ!あいつもやるもんだ!」
ついつい畏まった挨拶をしてしまった私を見て、ジニーさんは大笑いして肩を叩いてきた。ちょっと強くて痛い。
だけど全然嫌じゃなかった。ルシアンを知る人が今も生きててくれてるのが、すごく嬉しかった。
ジニーさんはひとしきり笑うと、まるでお母さんみたいな優しい笑顔で、私の手を両手で握ってくれた。
「ルシアンのことは…残念だったね。でもあんたのこと、ちゃんと守ってやれたんだ。しかも死んじゃってても化けて出るんだって?自慢の旦那じゃないか!ねえ?」
「……っは…はい…っ!ありがとう…ございます…!私の自慢なんです…っ!」
「ジニーさん。ルシアンがいつも食べていたやつを、サビーヌ殿に出してあげて貰ってもいいですか?いつもの席が良いと思います。」
思わず泣き出した私の背中を撫でてくれたジニーさんに、ジェーンさんはまるで旧友を見るような優しさで注文をかけた。
「なるほど、そりゃいいね!なら料理と一緒にあの手紙も持ってきてあげるから、向こうに座って待ってな!おいドーラ!シュリンプパスタ2人前、さっさと作りな!」
そう言って厨房に走っていくジニーさんが、すごく素敵でカッコよく見えた。
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ルシアンが好きだったというシュリンプパスタは、鮮度の高いプリプリの海老が贅沢に乗った港町らしい料理だった。見た目は意外とおしゃれだが味付けはまさに田舎の食堂と言った濃さに仕上がってて、それが私の舌にはとても合っていた。
何よりも彼と同じ味を共有できたことが、嬉しかった。
そんな王城では感じなかった久しぶりの満腹感と幸福感が、私に幻を見せたのだろうか。
『サビーヌ。』
彼の声が聞こえた気がした。思わず声がした方を向くと、ずっと見たかった彼の黒髪がさらさらと流れていて、その後ろで陽の光を反射する海が美しかった。
でも、そんなわけなくて。瞬きすると、目の前には海だけが広がっていた。
駄目だ。こんな…こんなの、耐えられない。耐えられるわけ無い。
「…サビーヌ殿?」
「ルシアン…!会いたいよ…っ!会いたい…っ!なんでもういないの…っなんでえ…っ!!」
背中をさするジェーンさんの暖かさが、私の心を慰めてくれた。
少しして気持ちが落ち着いた私は、急に泣いてしまったことをジェーンさんに侘びつつ、改めて二通目の遺言状を開けることにした。彼の形見である白銀のナイフで封筒を開ける。
そこには手紙と、珊瑚で出来た指輪が入っていた。
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サビーヌへ。
遺言状を集めてくれることにしたんだな。ありがとう。本当に、心から嬉しく思う。
俺が好きだった食堂のシュリンプパスタはもう食べてくれたかな?あれをテラス席で海を見ながら食べるのが好きなんだ。ジェーンのやつがちゃんと注文してくれてたら良いんだが。
本当はお前と一緒に食べたかったんだが、生活を安定させることに夢中でなかなか来ることが出来なかったな。いざ落ち着いてきたと思えば、今度は大魔女騒ぎだ。ここに限った話では無いけども、俺はお前と遠くにでかけたり、旅行に行ったり、デートに出掛けたり…そういう当たり前の生活をしてみたかったんだ。当たり前の生活だけがあれば、良かったんだ。どうしてこの世界は、勇者の力は、俺たちに当たり前の生活をさせてくれないんだろうな。
…ジニーおばさんには会えたよな?あの人が話したかはわからないけど、大魔女がここを襲ったときに、あの人は旦那さんを亡くしている。旦那さんは足が不自由だったんだけど、あの時はジニーおばさんを庇うためにおばさんを突き飛ばしてさ。…俺は目の前にいたんだけど、間に合わなかった。全部消えちまった。
あの人は俺にとってはもうひとりのお袋みたいな人で、あんななりだけど結構繊細な人でさ。旦那さんのことも、多分まだ乗り越えきってないんだ。心配だから、たまにでいいからここでパスタを食べてくれると嬉しい。その時は、これもたまにでいいから、俺の事を思い出してくれると嬉しい。
珊瑚の指輪は入ってたか?お前の指に合わせて、俺が作ったんだ。いや、嘘だ。珊瑚は潜って取ってきたが、加工はプロに任せた。すまない、見栄を張った。結婚指輪とは別に、お前にプレゼントしたかったんだ。良かったら受け取ってくれ。
サビーヌ。俺の最愛の人。
俺とお前との新婚旅行も、あと遺言状2枚分だ。
もう少しだけ付き合ってくれ。………わがままでごめんな。
では、行き先は例によってジェーンに教えてあるから。
次の目的地で待ってるよ。また会おう、唯一の愛しい人。
サビーヌの夫 ルシアン
2/4
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「………ばかっ。」
遺言状の中なのに、バレバレの見栄を張る彼の姿が簡単に想像できた。きっと彼は、遺言状を通じて私に最期の幻を見せてくれようとしているんだと思った。私達がついに得ることが出来なかった、穏やかで幸せな結婚生活という幻を。
遺言状は、残り2枚。
彼の幻を求めて、私はジェーンさんと一緒に旅を続けた。
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サウスベルンから西へ航路を取った船は、小さな港へと到着した。そこから馬車を乗り継いだ先、小高い丘の上にミュレーの街はあった。
ミュレーの街は、サウスベルンから船を西に進めた先にある半島に存在する比較的大きな街だ。ここもサウスベルン同様に大魔女の襲撃を受けたのだが、消滅の力ではなく大量の魔獣を暴走させての地ならしという形を取られていた。
だが取られた手段が過去に経験した魔王のそれと同じだったため、消滅の力を使われたサウスベルンと比べて兵と民衆はある程度冷静に対応できた。
滞在中の勇者ルシアンの指揮のもとで魔獣共は掃討され、かなりの物的被害は出たものの人的被害は少なくて済んだという。
「それで、この銅像という訳ですか…。」
街の中心には、勇者ルシアンを模した巨大な銅像が出来ていた。だがその顔はルシアンのものよりもかなり凛々しく雄々しいものになっており、筋骨も隆々な偉丈夫として仕上がっている。大衆的にはこちらの方が受けはいいだろう。
要するに誰だよこれといった仕上がりになっていた。
「剣がなくても拳で魔王を圧倒できそうな体をしてますけど…旅の中でそんなに彼は様変わりしていたんですか?」
思わず苦笑いを浮かべてジェーンさんに尋ねる一方で、彼女は我が事のように苦いだけの表情を浮かべた。
「まさかでしょう。これはこの街を治めている侯爵が、彼を政治利用するために作ったモニュメントに過ぎません。人的被害を最小限に抑えられたことを彼個人の功績として称えることで、恐怖に震えていた人々を鼓舞して経済的な回復を早めようとしたのです。…それに、これは言いにくいのですが。」
彼女は一度そう言って言葉を切ると、私の方を見つめてきた。何故かその目を見てドキリと心臓が動いた。彼女の目は誰かに似ているのかもしれない。
「恐らく侯爵は、この街もあなたと同じにしようとしたのだと思います。」
「私と同じ?」
「勇者ルシアンは世界宣誓に際し、あなたを傷付けたら許さないとも言いました。おそらく、彼に最大の感謝の意を示すことで、万が一彼が世界の敵となったときにその例外にしてもらおうと考えたのでしょう。」
つまり、王城にいた人たちと何も変わらない打算。
彼らは私を手厚くもてなすことで国の安全を図ったが、侯爵は彼を手厚くもてなすことで街の安全を図った。
彼女は少しの時間でもこの銅像を見たくないのか、それに背中を向けてさっさと歩き出した。少し興奮しているのか、私が小走りになってることにも気付かずに話し続ける。
「しかも侯爵はお礼の宴として、あなたと同じ黒髪の美少女ばかりを集めて彼を接待したんです。」
…はい!?
「なんでそんなことを!?」
「妻と離れ離れで寂しいだろうからとの配慮だそうです。全く余計なことをしてくれました。彼はそういうのを一番嫌ったというのに。彼の事を何も理解せず、自分のことしか考えていない男ですよ。」
彼女の横顔には義憤がありありと刻まれていた。
この時私はそのエピソードに愕然とした一方で、彼の為に憤る彼女に少なからず嫉妬した。
彼女は私の知らない彼をよく知っている。お互いに命を賭けて戦った仲間だった訳だし、それは仕方ないことなのは頭ではわかってても、ちょっと悔しかった。
彼女は…ジェーンは彼が遺言状を預ける程の信用と信頼を勝ち得ている。
そして、私と同じ、彼と同じ色の美しい黒髪と黒い瞳を備えている。もしかしてルシアンは、ジェーンに私を重ねていたのではないだろうか。ジェーンを見て、彼は旅の寂しさを紛らわせていたのではないか。
いや、もし私がいなかったら、ルシアンはジェーンを選んだのではないだろうか。勇者の隣に立つのに相応しい凛々しさと美しさを持つ彼女こそ、彼と結ばれるべき人だったのではないか…?
「…あっ、申し訳ありません!私としたことが…あの銅像を見ると、冷静になれなくて。つい、早足になってしまいました。大丈夫ですか、サビーヌ殿?」
「だ、大丈夫です!」
申し訳ないのは私の方です、ジェーンさん。
私のことをすごく思ってくれているのに、あなた自身もとても辛い思いをしているのを知っているのに。
私はあなたへの尊敬の念と同じくらい、嫉妬心を止められない。
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「………彼の遺言状は、ここに預けられています。」
そこは少し大きな教会だった。二階建てになっているようで、窓が開かれている。庭ではたくさんの子供たちが遊んでいた。もしかしたら孤児院も経営しているのかもしれない。
「あ!ジェーンだ!」
「ジェーンお姉ちゃん!こんにちは!」
ジェーンを見つけた子供達がわらわらと集まってきた。以前ここに遺言状を預けに来たときに、一緒に遊んであげたのだという。
「こんにちは。神父さんはいるかな?」
「いるよ!中で掃除してる!ねえねえ、後でまた遊ぼうよ!」
「遊ぼう遊ぼう!」
きゃーきゃーと笑う子供達がとても微笑ましくて、私もついつい絆されてしまった。
「ジェーンさん、掃除の邪魔をするのもあれですし、少し皆と遊びませんか?"狼と羊"なら、すぐ遊べますよ。」
それは思い出深い遊びだった。小さい頃はよくこれで、幼馴染達と遊んだものだ。
「……サビーヌ殿がそれでよろしいのでしたら。」
彼女は一瞬だけ苦笑いを浮かべると、庭の草を何本かむしってくじを作り、狼役を決めていった。
………何故、苦笑いだったのだろう。
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「皆さん、そろそろお祈りの時間ですから手を洗って…おや?ジェーンさんではありませんか。」
「あ、神父様!ご無沙汰してま――」
「つっかまーえたー!!」
油断したジェーンの服に泥だらけの手で狼少年がタッチした。
「ふふっ、ジェーンさんの負けですね。」
「そのようですね。皆、お祈りの時間みたいだから、手を洗って教会に入りましょう。」
「「「はーい!!」」」
子供達は我先にと井戸水で手を洗うと、教会の中へと駆けていった。
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教会の二階で、神父さんとジェーンさんの三人で小さなテーブルを囲んだ。ジェーンさんがお土産で買ってきた紅茶を三人で飲む。庭の畑の草むしりをする子供達の笑い声が遠かった。
「ジェーンさんと来たということは、貴方がサビーヌさんですね?」
「はい、サビーヌと申します。ルシアンの遺言状を預かって頂き、ありがとうございます。」
深々と頭を下げると、神父さんは優しげに微笑んでくれた。
「いいえ、彼はこの街と子供達を守るために一所懸命に戦ってくれました。本来ならもっとお礼をしなくてはならないのに、私にはこれを預かることしか出来ず。私の方こそ、彼のお力になれず申し訳ありません。」
そう言うと、神父さんは後ろのタンスの鍵を開け、中から封筒を取り出した。形見のナイフと似た不可思議な呪紋が薄っすらと見える。「どうぞこれを」とテーブルに置く手は、震えていた。
神父さんの顔は、痛みに耐えるかのようだった。
「…世間では彼の事を"魔王を超える魔人"、そして貴方のことさえ"魔王殺しの妻"として恐れている人間もいるようですが、私にはそうは見えません。彼は…とても優しい。恐らく魔王や大魔女と戦うことより、あなたと離れることを恐れたはずです。それなのに、私達は彼に戦いを強要した。……貴方がたへの仕打ちを、神はお赦しにならないでしょう。」
神父様は、世界を代表して私に懺悔しているのか。
それほどまでにこの人が傷つく必要なんて無いのに。
「……頭を上げてください、神父様。彼も私も、納得した上でのことです。それに神父様が世界の分まで背負う必要はありません。その背中はどうか、子供達を背負うためにお使いください。」
「…慈悲深きお言葉に感謝します。」
そう言って微笑む神父様の目は濡れていた。言葉とは裏腹に、神父様は自分を許すつもりはないらしい。
ねえルシアン、本当になんで死んじゃったの?
あなたの死を、あなたに戦いを強いてしまったことを悲しんでくれる人は、ここにもいたじゃない。
私に似た人を斬ったからって、私があなたを嫌いになるわけないじゃないか…。
「…ここで遺言状を読んでもいいですか?神父様にも、彼の言葉を聞いてほしいんです。」
「……是非、拝聴させてください。」
私は形見のナイフで封筒を切って中身を開いた。
中にはやはり数枚の手紙と小さな宝石、そしてネックレスが入っていた。ネックレスは彼が持つ漆黒の瞳と同じ色の宝石で飾られていた。
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サビーヌへ。
孤児院まで来てくれてありがとう。
子供達とは会えただろうか。あそこの子供達は皆やんちゃで、一度遊びだすと夕方まで止まらないんだ。俺はミュレーの街で一ヶ月ほど駐屯していたけど、殆どの時間をその子達と過ごした気がする。気が向いたら遊んであげてくれ。
さて、街の中心に俺に似せた銅像があるのは見たか?あれはこの街が魔獣の群れに飲み込まれた時、俺が指揮を執って戦ったことに感謝して作ったらしい。どうせ侯爵のやつが俺を政治利用しようとしたんだろう。誤解されないように書いておくけど、俺はあんなゴテゴテした顔も体もしてないからな。勘違いするなよ。
この街を魔獣の群れから救った際、ここを統治する侯爵からは宴と女を提供された。宴の方はともかく、女の方は最悪だったな。俺は黒髪で美しい女を愛してるんじゃなくて、怒りっぽくて嫉妬深くて愛情深い重い女ただ一人を愛してるんだって、突っ返してやったよ。そしたらもっと怪物みたいな自称重たい女が集まってきてな。お前のことがますます恋しくなった。
そんなことはあったけど、この街の人は、俺がこの街にしばらく駐屯すると聞いてすごく喜んでくれたな。だけど一部の人達はまだ俺に助けられて当然だと思ってたみたいで、街の外で襲われたり怪我をしたりすると「駐屯させてやってるのになぜ仕事をしないんだ」と文句を言ってくる連中もいたんだ。もしかしたら、まだお前の事を逆恨みしてる連中もいるかもしれないから、ジェーンからは離れないでくれ。彼女がそばにいる限り安心だ。
くそったれな街だと思った。それでも俺がお前にこの街に来てほしかったのは、そこの孤児院を知ってほしかったからなんだ。
子供達を見ただろう。魔王との戦いで両親を喪い、大魔女が現れても希望を捨てていない強い子供達だ。絶望に負けない彼らこそが真の勇者だと思う。その姿に何度勇気付けられたかわからない。
そして貧しい中でも子供達を育てている神父様は、誰かに戦いを強要することの恥しさを知ってる人だ。あの神父様は、きっと子供達に自分で戦うことの大切さと尊さを教えられる人だ。サビーヌ、お前と比べる訳ではないけど、多分俺はあの神父様が傷付けられてもすごく怒ると思う。神父様には、俺がとても感謝していたと伝えてくれ。
ネックレスはこの街を救った時の報酬としてもらった金で用意したものだ。良かったら身につけてくれると、嬉しい。
宝石の方は孤児院に寄付してあげてくれ。俺が直接渡すと目立っちゃうからな。少ないが感謝の気持ちだと言っておいてくれ。
サビーヌ。世界はこんなにも残酷で汚いけど、まだこの孤児院のように希望もたくさん残ってると思う。だから、俺を追いかけて死のうとか、そんな風には考えないでくれ。生きて、この世界のことを知ってほしい。我儘ばかり言ってごめんな。だけど、それが俺の望みなんだ。
遺言状も残り一枚だな。
だけど最後の一枚を読んでもらうことに、酷い躊躇いもあるんだ。
それが俺に残せる最後の手紙だからと言うのもある。
けど、それとは別に、俺は大きな罪を犯しているんだ。
その罪に対する告白と懺悔を、最後の一枚でさせてほしい。
かの地で愛するお前を待っている。
愛するサビーヌの夫 ルシアン
3/4
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読み終わったとき、神父様は涙を流して泣いていた。
優しい雰囲気をすべて捨てて、体をブルブルと震わせていた。
「違う…!勇者様…違うんです…!わ、私は…私だって罪深い男なんです…!私はあなたにそのようなことを言ってもらえるような…立派な人なんかじゃ…っ!!私こそが…っ!!」
「神父様。」
この部屋で、初めてジェーンさんが口を開いた。
「ルシアンは貴方が子供達に強い罪悪感を感じていることを知っています。数年前の魔王との戦争中、彼はあの時の決断と行動をちゃんと見ていました。」
ハッとして顔を上げる神父様の顔は、罪を暴かれた罪人のように憔悴していた。
「あの時のあなたの判断は、間違っていませんでしたよ。どうか、これからも子供達を導いてあげてください。」
「あ…ああ…っ!私が…私があのときもっと強ければ…!ああああ…っ!!」
神父さんが数年前、何をしたのかはわからない。どんな罪を犯したのかも。神父さんがまだ自分を許せていないなら、私達に出来ることは何もない。
だけど、あの子供達の笑顔は本物だった。本物の愛情を受け取って育った子供の笑顔だった。きっと神父様が過去にどんな罪を犯していようとも、許してくれると思う。
私にも…私にもあんな子供が欲しかったな。他でもないあなたとの子供が。
もっと私達に時間があればよかったのにね、ルシアン。
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教会の神父さんと子供達にお別れした私達は、街で一泊だけした次の朝、最後の目的地に向かおうとしていた。
「サビーヌ殿、ここからはまた少し馬車を乗り継いで行くことになります。念入りに準備を――」
「なあ、あんた!」
私とジェーンさんが話しているところに、壮年の男性が割り込んできた。
「あんた、サビーヌってのか!まさかあの勇者ルシアンの妻じゃないだろうな!?」
急に何を言い出すのだ!?
混乱する私を背にするように、ジェーンさんが立った。
「失礼、貴殿は一体どちら様ですか?」
「勇者様に助けて頂いた弱い民衆の一人ってやつだよ!なあサビーヌさんよ、この街じゃ見掛けない顔だが、宴のハーレムメンバーには居なかったよそ者だよなあ?まさかあんたが噂のルシアンの妻じゃねえだろうな!?」
つばを飛ばしながら叫ぶ男の顔は醜悪で、魔獣のようだった。
「バカバカしい。見覚えのない黒髪の女というだけで疑って噛み付いているのか。…さあ、行きましょうサビーヌ殿。馬鹿に構う時間が惜しい。」
「うるせえ!その女がさっさと勇者を手放さねえから世界は滅びかけたんじゃねえか!だったらそいつが人類を滅ぼしかけた原因の半分みたいなものじゃねえのかよ!!俺がこの手で罪を償わせて――」
男は言い切ることができなかった。
ジェーンさんは物凄い勢いで振り返るとその勢いのまま男の顎を裏拳で殴り抜いて、白目を向いた男を思い切り投げ飛ばしたのだ。人があんな勢いで飛んでいくのを初めて見た。もし投げた先に大量の生ゴミがなかったら、彼は舗装された地面か建物に叩きつけられて大怪我をしていたか、最悪命を落としていただろう。
「…チッ、仕留め残ったか。」
「お、落ち着いてジェーンさん!私は気にしてないから!あ、あの!人違いですからね!失礼します!!」
ジェーンさんの目からは殺気が溢れていた。私が止めなかった文字通りトドメを刺していたかもしれない。
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馬車の中で、ジェーンさんがしゅんと肩を落として小さくなっていた。あの凛々しくも美しい姿が見る影もなく、まるで母親に怒られるのを恐れる少女のような情けなさだ。
「………大変御見苦しいところをお見せしました。」
「いや、あの、もう大丈夫ですから!でもあそこまで怒るとは思わなくて…。」
この人もこんな顔をするのかと意外だった。
この旅の中で彼女は騎士として完璧に振る舞っていたはずだ。それがちょっと男に絡まれたくらいであそこまで激怒するなんて。
「私は生まれつき感情の制御が苦手で、子供の頃は伴侶ともよく喧嘩していました。まだ、私の心はあの頃に残っているのでしょうね。」
そう語る彼女の目には、深い郷愁と喪失感が浮かんでいた。
もしかしたら失った旦那さんのことを思い出していたのかもしれない。
乗合馬車を何度か乗り継いで、山を一つ越えたところで、私達は不毛の土地に設置してある駐屯基地に到着した。駐屯基地の周辺には球状の傷跡が無数に残っている。
「さあ、着きました。ここが遺言状がある最後の思い出の地です。」
「まさか…ここって…!?」
「そうです。ここは彼が大魔女と戦った最後の土地。」
ジェーンさんの目に鋭く暗い光が宿った。
「彼の墓場です。」
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ジェーンさんは帰りの馬車を手配するからと、先に私を駐屯基地の中へと案内して外に出た。
駐屯基地の中には、数名の男たちがいた。
女性の突然の来訪に、彼らは大変驚きつつも、笑顔で迎えてくれた。
中でも一際体の大きな熊みたいな男性が私の前までやってきた。リーダーさんだろうか?
「やあ!なんと美しくも愛らしい女性だろう!俺の名前はレオンス!お嬢さんのお名前は?」
「サビーヌです。ルシアンが大変お世話になりました。」
私が名乗ると、基地内はどよめきで支配された。
「サビーヌだって!?それじゃあ、君がルシアンのお嫁さんか!なるほどこんなにかわいい人が嫁にいるんだったら、ミュレーのハーレムが通用しないのもわかるってもんだな!いやーあの色んな意味で重い女とは比べ物にならねえなぁ!」
基地内の男性たちがどっと笑い出す。
ガハハと笑う彼は、人によってはガサツと思われても仕方ないものだろうが、田舎育ちの私からしたらこちらの方がよほど親しみを持てた。
「ここに来たってことは、ルシアンの手紙を読みに来たんだろ?ほら、これだ。あの野郎いつの間か俺の机の上に置いて行きやがったんだよなぁ。」
彼は見た目に違わない率直ぶりで、前置きもそこそこに手紙を渡してくれた。早速形見のナイフで封筒を開けていく。これが最後の遺言状なのにあまりにもさっぱりと渡され、しかも基地内の男性たちの目がとても温かかったからか、封筒を切る手は震えなかった。
そして、封筒に今まで無かった「サビーヌが来たら渡してくれ」という文字があることにも気付かなかった。
「ありがとうございます。主人の仲間だったジェーンさんのおかげでここまで来れたんです。私と主人の我儘に付き合ってくれたあの人には感謝しかありません。」
いや、感謝だけじゃないか。ちょっと…だいぶ嫉妬したけれども。
でも私のことをちゃんと守ってくれて、導いてくれた。
自分だって大変なのに、私のことを第一に考えてくれた。
ジェーンさんとはこれからもずっと友達でいたいと思う。
しかし私の言葉に対してレオンスさんは首を傾げた。
「ジェーン…?誰だ、それは?」
「え?」
「ジェーンなんてやつは仲間にはいないぞ。」
ど、どういうことだ!?
「そんなはずはありませんよ!?黒い髪、黒い瞳の女騎士さんです!ルシアンとは魔王討伐をした頃からの仲間だと言ってました!!」
「………いや、それはありえんな。」
レオンスさんは断言してみせた。
「ルシアンは女を仲間にしたことは一度も無い。誰だ、その女は。」
あまりの衝撃に、頭の中が真っ白になった。
彼女がルシアンの仲間ではない…?なら、あれは一体誰なんだ?
胸騒ぎがして、レオンスさんと一緒に基地の外へ駆け出した。
だけどどこを探してもジェーンさんの姿はどこにもなかった。
「一体どこに…?」
「っ!?おい、サビーヌさん!あれは!?」
レオンスさんが指差す方向は、崖の上だった。不自然な形をしたその崖は、恐らく消滅の力によって大地が抉られて形成されたものだろう。
急いでその崖上まで駆けていくと、そこには――。
「…嘘!?」
会いたくて、会いたくてたまらなかった人。
ルシアンがいた。
「生きて……っ!?」
だが彼は今まで見せた事の無い禍々しい笑顔で剣を手に立っていた。そして私のことを憎々しげに睨みつけてくる。
「その黒い剣はっ…!?ま、まさかお前は!!」
レオンスさんが両手剣を構えた。だがルシアンは全く気にした様子がない。あくまで泰然とした様子のまま、私を見下ろしている。
「よく来たなあ、勇者ルシアンの妻サビーヌよ。そうか…これが今お前が最も愛している者の姿という訳だな。皮肉なものだ。しかもわざわざお前の方からのこのことやって来てくれるとはなあ…。」
「一体、なんの話…!?」
ルシアンの口の端が裂けたように釣り上がる。
いや、違う…本当にルシアンなの!?
「お前の夫が残した傷に対する復讐をさせてもらうぞ?」
目の前のルシアンが服を捲くりあげると、そこには脈打つ醜い肉塊があった。如何なる力なのか、膨れ上がっては弾け、血が滲んでいる。
「……大渦の魔女だ…!生きていたのかッ!!」
そ、そんな…この人が大魔女!?
じゃあ…じゃあ、ルシアンの死は何だったというの…!?
「奴は中々骨のある男だったぞ?…我が呪術をまともに受け、もはや元の形を完全に失ったというのに…やつは最期に光の力を腹にぶつけてきたのよ。おかげでここまで修復するのにえらく時間がかかって、今の今まで身を隠すしかなかったわ。だが、それも今日までの話。」
レオンスさんが雄叫びをあげて斬りかかった。私の胴くらいはあるんじゃないかという剣は、しかしルシアンの顔をした魔女が剣を一閃しただけで音もなく両断された。いや、その剣に黒い何かがまとわりついている。恐らくサウスベルンの人々を消滅させた闇を剣に纏わせているのだろう。
魔女は剣を持たない方の手でレオンスさんを掴むと、そのまま崖下に放り投げた。レオンスさんの絶叫が木霊し…ぐしゃりという地面に何かがぶつかる音がした。
私は恐怖のあまり腰が抜けてしまい、ルシアンが遺した最期の遺言状と形見のナイフが音を立てて地面に落ちた。
大魔女が、黒い剣を手にゆっくりと近付いてくる。
「いや…!こ、来ないで!た、助け…助けて…!!」
大魔女が口の端を裂くように釣り上げたまま、黒い剣を振り上げた。
ここにいないその人の名前が、私の心臓から飛び出した。
「助けて!!ルシアンっ!!!」
へたり込む私の横を疾風が駆け抜けた。
気がつけば白銀のナイフが地面からなくなっている。
黒い髪の女が、白銀のナイフで大魔女に斬りかかっていた。凄まじい剣戟の嵐は私の目には追いきれないほどで、ルシアンと同じ顔からすべての余裕を奪い去る。
勇者の力を秘めたナイフは消滅する力を纏う黒い剣に当たっても消滅しない。それどころかナイフの当たった剣の刀身は欠けていき、徐々にその姿を失わせていった。
「馬鹿な!?お前がどうしてここにいるんだ!?」
「決まっている。」
絶叫する大魔女の腹部に白銀のナイフが突き刺さった。
膨れていた肉塊に残っていた光の力に呼応してか、大魔女の体全体から白い光とともに白煙が上がる。
「妻を守るためだ。」
そしてナイフを握っていた右手が激しく光ると、それを手放して大魔女の頭を鷲掴みした。大魔女は黒い剣を手放してその手を剥がそうとするが、とうとうその両手さえも消滅し、数秒後には全身が灰となり、その灰さえも全て消滅した。
「言っただろう。貴様など片手でも勝てるとな。」
そこに立っていたのは、私が知っているジェーンさんだった。
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基地の反省室の中で、ジェーンさん…いや、ルシアンがしゅんと肩を落として小さくなっていた。あの凛々しくも美しい姿が見る影もなく、まるで嫁に怒られるのを恐れる夫のような情けなさだ。
というかまさにそのとおりだった。
「………大変申し訳ありませんでした。」
「いや、全くだ。貴様、悪ふざけがすぎるぞ。」
崖下に落ちていったレオンスさんは、なんと軽傷だった。聞けばあの崖よりも大きな魔獣の頭から落ちても大丈夫なほど、頑丈らしい。
「どういうことが全部説明して。いい、全部よ?少しでも誤魔化したり嘘を言ったら即離婚するからね。」
「わ、わかった!ちゃんと1から全部話す!話すからそのナイフを置いてくれ!」
私は無意識に掴んでいた白銀のナイフを放り投げて、頬杖を付いた。
「で?なんでこんなことしたのよ。」
「それは…。」
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ルシアンの話は壮絶でこそあったが、今となっては呆れた内容だった。
まず、大魔女と対峙したルシアンは"舐めプ"をしていたらしい。これまでの迫害や悲劇、民衆たちの勝手な振る舞いにストレスをため続けて来たルシアンは、そのストレスの全てを大魔女にぶつけようとした。片手でも楽勝だと挑発し、実際に圧倒してプライドを潰していったのだという。
ただ、それも勇者ルシアンだからできる芸当であって、レオンスさんですら「こいつに喧嘩を売った世界はバカすぎる」と当時呆れたという。
だがいよいよトドメを刺そうというタイミングで、大魔女がルシアンに呪いをかけた。攻撃呪術ではなかったためか意表を突かれたルシアンはまともにくらい、女体化。
「これで貴様はもう妻との子供を作れまい!!私を小馬鹿にした罪と罰だ!死ぬ前に深い後悔に苛まれるがいい!!」
そのセリフとともに完全にキレたルシアンは持てる光の全てを大魔女にぶつけ、大魔女もありったけの消滅する力を込めた究極呪術をぶつけて大爆発。
お互いにすごい距離までふっ飛ばされたが、消滅する力同士をぶつけた二人はお互いにお互いを消し去ったと誤解したのだという。
さて、しかし女体化の呪いを受けたルシアンは困った。このまま帰って女になりましたと告白しても恐らく妻のサビーヌは信じてくれないだろうと考えた。ていうか自分なら信じられない。呪いがいつ解けるのかもわからない。
だから彼は考えた。まず遺言状という形で手紙を書き、信用できる人たちに預けていく。その後で護衛の女騎士として妻と共に旅をすることで徐々に信頼関係を育み、最後の地でネタバラシをすることでこの呪いの信憑性を高めようとしたのだ。基地の人間はジェーンという女など知らないわけで、「ところでそっちの女騎士は誰だ?」と言った話題から切り出そうと思っていたらしい。
だが予想外の事態が最後の地で起きた。
基地が見えた辺りから周辺に大魔女に似た魔力が漂っていることを察知したルシアンは、基地の中に入る前に大魔女を始末してしまおうと考えた。元々勇者の力を持ってすれば大した敵ではないと考えていた彼は、馬車を手配すると嘘を言って捜索を開始。
だが探せど探せどなかなか見つからず、焦っていたら崖からレオンスさんが落ちてきた。崖上で大魔女と妻が対峙しているとレオンスさんから聞いた彼は猛然と走り、まさにギリギリのタイミングで大魔女に斬りかかったのだ。
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「こんの……大馬鹿野郎!!」
バンとテーブルを叩くと女体化ルシアンは涙目でさらに小さくなった。
「あんたそれでどれだけの人達に迷惑と心配をかけたと思ってるのよ!?ジニーさんも神父さんもすごく心配してたんだからね!?」
「いや、ごめん。実はあの二人には正体明かしてあるんだ…。」
「は!?」
「神父さんに関しては勇者しか知らない彼の罪を話せば信じてもらえたんだ。それで、恩返しという形で協力してもらった。ジニーさんはほら、生まれたときから知ってるから昔のこととか全部話してさ…。ジニーさんにはめっちゃくちゃ怒られたけど、妻に正体を信じてもらうための旅行を手伝うと思って頼みますと何度も頭を下げた。」
子犬のようにぷるぷると震えながらも正直に話すその姿は、確かに怒られてるときのルシアンそのものだ。
そういえば、神父さんもジニーさんも、ジェーンさんを古い友達みたいな目で見てた気がする。
「…だったら私にも勇者の力とか、子供の頃の話とか、そういうので言葉を尽くせば良かったじゃない。私のことを信用してなかったの?」
「いや…それでもよかったんだけどさ…。」
もじもじと指と指を合わせながら目線をそらすな。乙女か。
「………俺の旅のことも、知ってほしくてさ。色々あったから…それにああでもしないと、こんな何もない辺境まで付き合ってもらえないだろ…?こんな不毛の土地が新婚旅行先なんてさあ…夢が無いっていうか…。」
ああ、もう。本当にこの人は昔から馬鹿なんだから。
「このネックレスと指輪は?」
「た、単にお前に似合うと思って…。遺言状越しなら、ジェーンとしてじゃなくルシアンとして渡せるだろ?」
その上目遣いをやめろ馬鹿。ばか。ばーか!
「判決を下します。ルシアン、私はあなたのことを一生許しません。」
「ええ!?そ、そんな!?ちゃんと正直に喋ったじゃないか!!」
「そもそも最初から全部話してくれればこんなに私が傷ついたり、危ない思いをしなくて済んだのよ?どんだけ私が絶望したと思ってるのよ。あなたを追って死のうかとも思ったんだからね?しかもその口ぶりだと遺言状燃やされる心配なんて全然してなかったんでしょ。最低。カッコつけすぎ。文章も下手だしキザ。自分勝手すぎ。」
「返す言葉もありません……。」
でもねルシアン。私はあなたのそういう所も好きなのよ。
バカで、自分勝手で、田舎にいたときからカッコつけててかっこ悪い、それでも私を守るためなら何でも出来る、私だけの勇者様。
「ほら、早く行くわよ!」
「…え?ど、どこに?」
「神父さんとジニーさんのところよ!夫婦でご迷惑おかけしてごめんなさい、これからもよろしくおねがいしますって頭を下げるの!ついでに呪いを解くための方法を探しに行くわよ!」
「そ、それって!?あ痛っ!」
ぱあっと顔を輝かせるルシアンにすかさずチョップをかます。
「これからはカッコつけて嘘を付いちゃだめだからね!?」
「はい!宣誓します!今後は絶対に嘘を付きません!」
「今日からはガンガン尻に敷くからね!?」
「はい!喜んでサビーヌのお尻に敷かれます!」
「私より先に死んだら駄目よ!?」
これだけは守ってほしかったのに。
「嫌です!サビーヌは俺が死んだ次の日に寿命を迎えてください!!」
本当に馬鹿な人。愛してるよ、ルシアン。
--------
「あー、夫婦仲睦まじいのは良いんだけどよ。これはどうする?」
レオンスさんがヒラヒラと一通の封筒を振っていた。
それはルシアンが私宛に書いた、4つ目の遺言状だった。
「ぎ………。」
ぎ?
「ぎにゃーーー!?そ、それはもうやめてええええ!!」
遺言状を目の前にかざされたルシアンは、乙女の顔を真っ赤に紅潮させて遺言状を奪おうとした。だが女の身長ではレオンスさんの挙げた手には届かない。ぴょんぴょんと跳ねる姿が滑稽で思わず笑ってしまう。
「レオンスさん。それは私が預かっておきます。もしまたルシアンが馬鹿なことをしたら、王城のテラスから遺言状を全部朗読してやろうと思ってるので。」
「ひいいいいい!?そ、そんなああああ!?」
このカッコつけた文章を公衆の面前で朗読されるのはさぞ恥ずかしいだろう。
これは罰だ。私を悲しませたことに対するね。
「全く夫婦仲の良い事だ。こりゃ二人を割くのは魔王でも大魔女でも無理だな。」
ええ、それはもちろんでしょうとも。
「だって宣誓しましたから。死がふたりを分かつまで愛し慈しむって。」
さあ、ルシアン。
私とあなたの新婚旅行をやり直しましょう。
最強の勇者様もお嫁さんには勝てません。
ありがとうございました。