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父子鷹の拳  作者: 遠野大和
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第98話

十月十日、二度目の防衛戦当日。

赤コーナー側の広い控室で、俺はモニターと睨めっこしていた。

現在行われているのは第三試合、明君の試合である。

だが今回の彼は初回から運が無かった。

開始早々足を滑らせマットに手を着いたのだが、その直前にパンチが頬を掠めていたのかダウンの宣告。

いきなりの大きなビハインドで苦しい展開を余儀なくされた。

隣で眺める及川さんも、眉間にしわを寄せ目を細め呟く。


「うん。そうそう落ち着いて。まだ五ラウンドあるよ……ああそれは駄目、無理に行かない。」


やはりどうしても焦りがあるのか、一発一発が雑だ。

一方相手側は余裕が生まれたのだろう、丁寧に動きを見ながら立ち回っている。

そしてそのまま二ラウンド目も取られてしまった。

続く第三ラウンドは少し頭が冷えたか、ゆっくりプレッシャーを掛けながらの立ち回り。

良く手も出ていたのでこれは取っただろう。

第四ラウンド、ロープ際に追い込む場面は多々見られたが、相手のクリンチワークでお茶を濁され決定的な一打はならず。

しかしこれも取った気がするのは少々身内贔屓か。

第五ラウンドは相手も果敢に打ち返す様になり、明君らしい打ち合いを展開した。

ポイントをどちらにつけるかはジャッジ次第。

そして最終回、互いに意地の張り合いと言わんばかりの乱打戦。

会場は凄く盛り上がっている。

だが俺達にとってはそれよりも判定の結果が重要。


「ああ~引き分けか。菊池君頑張ったんだけどな~。」

「そうですね。不運もありましたけど意地見せてくれましたよ。」


ああいう姿を見せられると、こちらにも気合が入る。

そして六回戦を二試合挟んでセミファイナル、佐藤さんの出番だ。

彼は現在スーパーバンタム級の十一位に名を連ねている。

ランカーとなっての初戦、どんな試合を見せてくれるだろうか。

俺もアップしながら横目で眺める。

相手はノーランカーだが三戦三勝、アマチュアからの転向組なので弱くはない筈。


「佐藤さんが初回から前に出るの珍しいな。」

「同い年らしいから気合入ってるとか?まあ彼はそんなタイプじゃないか。」


どうやら相手も同じ事を思っていたらしく、予期せぬ展開に対応できていない。

そして開始から二分弱、


「あ、ダウンっ!」

「これは…遠宮君、グローブつけよう。」


判定まで行くと思っていたので、少しゆっくりめの調整ををしていたのだ。

だというのにこの展開、下手をすれば一ラウンドで終わってしまいそう。

いつもなら自分の世界に籠って集中することが多い時間だが、今回は慌ただしくなるかも。

及川さんが係員を呼びその眼前でグローブを嵌めている間、やはり俺はモニターから目を離せず眺めていると直ぐに二度目のダウン。

相手は完全に足に来ており、レフェリーに健在をアピールしながらもふらついていた。

それでも鬼気迫る表情でファイティングポーズを取ると、それが認められ再開。

しかし再開した直後、これまた佐藤さんにしては珍しく荒々しいラッシュを浴びせレフェリーストップ。

グローブはまだ嵌め終わっていない。


「後はこれを巻けば……よし完了っ!」


パンパンと、胸の前で赤いグローブを打ち付け感触を確かめる。

静かに集中力を高める時間的猶予はないだろう。

それでもガウンを深めに被れば音が遠くなり、それだけでスイッチが切り替わる。

俺だってもう五年近くこの世界に身を置いているんだ、このくらいは出来るさ。



少々の時を挟み、お馴染みの顔ぶれが控室に集うと、清水トレーナーから活きのいい檄ももらい通路へ。

最初に目に付いたのは、うちのジム名が刺繍されたトレーニングウェアを纏った練習生約三十人弱。

一人一人名前を憶えてあげたいがちょっと無理そう。

その奥に並ぶは後援会の面々を含めた俺を支えてくれる身近な人たち。

眼前を通る一瞬覗かせる春子の不安気な顔は、俺に覚悟をくれる。

何が何でも絶対に負けられないと。

加え今日は渡瀬夫婦や如月一家、南さん一家に叔父など勢揃いだ。

そして花道に出ると、大歓声が俺を迎えてくれた。

本当に限定された地域だけの人気だが、俺はそれが誇らしい。

リングに上がればその喧騒も一時鳴りを潜め、青コーナーから挑戦者を迎える。

銀色の派手なガウンを纏う上田選手、リングインもロープを飛び越える軽快さ。

手を高々と掲げ歓声に応える様子もあり、昨日のイメージとはちょっと違う感じ。

それからざわつきを残したままの会場に響くリングアナの声、その後ろにはいつもの三人娘も控える。


『お待たせいたしました。只今より本日のメインイベント、日本ライト級タイトルマッチ十回戦を行います。』


待ったどころか、俺としてはもう少し時間をくれても良かったくらいだ。

まあそれも同門の好調があり起こった事、素直に喜ぶべきだろう。


『赤コーナ~……十九戦十八勝一敗九KО~…………森平ボクシングジム所属~日本ライト級チャンピオン~地方の星っ!とおみや~とういちろう~っ!!』

『青コーナ~……四戦四勝三KО、プロ転向後未だ無敗のアマチュアエリート………柿本ボクシングジム所属~日本ライト級七位、ザ・ウィロ~!うえだぁ~よし~お~っ!!』


ウィローとはどういう意味か、調べたら柳の木という意味もあるらしい。

ダウン経験がないという、ディフェンス技術の高さから来ているのだろうか。

良くは分からないが、何だかカッコいい。


「………はい両者、正々堂々ね、グローブ合わせて。」


今日のレフェリーは結構年配の人だ。

語る言葉のリズムも何だか独特な感じ。

そして誘われるままにグローブを合わせ自陣へ。



「真っ直ぐ下がる相手に強いからね。距離を取る時は横の動き大事だよ。」


切れのある左に押され、相手が下がった所に追撃のストレート。

だがそれは捨てパンチで、本命は更に踏み込んでの左フック。

それが彼のKОパターン。

パターンと言えるほどプロではやっていないが、アマの実績が物語る通り既に完成されている。

この試合は色々な意味で自分が試される試合になるだろう。


カァ~ンッ!


軽くグローブを当て挨拶を交わした後、互いにある程度の距離を取った。

そして牽制する意味を込め、同時に左を伸ばす。


「…シッ!」


速力はほぼ同じ、だが向こうは踏み込んで打っている分伸びてくる。

思わず真っ直ぐ下がりそうになるのを堪え、回り込み動きの流れを掴むよう試みた。

動きながらも牽制の左を打ち合い、それは次第に打ち抜く鋭い左へと変わっていき、


「…シッ!…シッ!」


ジャブ二発、相手の左を一発目で弾き間髪入れずにもう一発を打ち込んだ。

回転ではやはり俺に分がある。

パンっと乾いた音が響き、取り敢えずファーストヒットはこちらが取った。

すると相手は引く事無く強く踏み込んで、負けじと左を伸ばしてくる。

一発目は上を狙って、二発目は更に踏み込んでボディに真っ直ぐ打ち込んできた。

ボディは無警戒だった為捌ききれなかったが、当たりは浅くダメージは殆ど無い。

それでもさっきの一発を帳消しにされた様で、何とも嫌な感じだ。

こちらも取り返すべくピクッとグローブを動かしフェイント、反応した瞬間にジャブを突く。

このまま突き合ったとしても、差し合いでは俺が勝つという明確な意思を込めたつもりだ。


(左フックを狙う…その為には、早いラウンドでタイミングを掴んでおくべきだろうな。)


得意なパンチを狙い撃てれば、一気に流れはこちらに傾くだろう。

しかしこちらの狙いに感づいているのか、相手も不用意に得意なパンチを見せてはくれない。

それから数十秒、互いに中間距離での慎重な差し合いに終始した。


「…シッシッシッ!」


ジャブ三発、初撃は弾かれるが回転の差ですぐさま二発を返し、そのうちの一発が顔面を捉えた。

更に追い打ちを掛けようとするも、鋭い右ストレートを放たれ一旦距離を取らざるを得ない。

直後、駄目だと分かっているのに思わず真っ直ぐ下がってしまった。

するとその一瞬を逃さず、相手は付け入るように踏み込んで来る。

この流れは事前の試合映像で確認済み。

つまり彼の一番得意なパンチが来る。


「…っ!!」


やはり左フック、確かに鋭い。

だがガードの上、単発ならば凌ぐのはそこまで難しくない。


「…シッ!」


間髪入れず打ち終わりを狙い左。

追撃は許さぬという意思と力を籠めた。


(重さはそれほどないが、思っていた通りの鋭さ。コンビネーションで来られると厳しいな。)


そうは言っても、これを何とかしない事には調子に乗らせてしまうだろう。

つまり後手を引くと良い事はなさそう。

そう結論付け、更に集中力を高めながら中間距離で左を突いていく。

確かにあの左フックは中々厳しいが、どうやらこの距離での主導権は握れそうな手応え。


「…シッシッシッシッ!」

(この距離は俺、だが自由にはさせてくれないはず。どこかで必ず勝負に来る。)


警戒しながら差し合いをこなし、頭の中で相手の得意なコンビネーションを思い浮かべる。

打ち終わりを狙った右ストレートで下がらせ、鋭い踏み込みと共に左ストレート。

それに対する回避行動を見てから、再度踏み込んで左フック。

これが事前の試合映像で見たコンビネーション。

互いが時計回りで睨み合い牽制しあう中、こちらが放つ左に合わせ踏み込んでくる意思を察知した。


「…シィッ!」

(カウンター…取れるっ!)


呼吸を合わせ左ストレートを放つ。

同時に向こうも左ストレート。

瞬間ヒヤッとしたが、互いの頬を掠めるにとどまった。

だが終わらない。

彼のコンビネーションはこの先が本命。


(…来るっ!)


ここは下がらず、狙うのはカウンター。

さっきタイミングは見た。

来るのが分かっていれば合わせるのは可能。


「…シィッ!」

(…ここっ!)


見切り放ったのは、左フックの内側を真っ直ぐ抉る右ストレート。

右側頭部のガードを外す事になるので危険だが、それでも行けると踏んだ。

成功すれば試合を終わらせるほどのダメージになる筈。

だが一瞬タイミングが遅かった。

いやそうではない、さっきとはタイミング自体が違うのだ。

どうやら計られたらしい。

一発目の左フックも所謂捨てパンチだったのだ。

俺に行けると思わせるための。


「…っ!?」


右側頭部に走る強烈な刺激、瞬間的に三半規管が乱れ平衡感覚も失われる。

思わず膝を付きそうになるも耐え、このままでは不味いと俺は苦し紛れに左を振った。

すると何かに当たった手応え。

どうやら運が良い事に、仕留めに来た所を偶然捉える事が出来たらしい。

つまり、ピンチだがチャンス。

ここは勝負に行くべき所、俺は顔を上げ相手を視界に捉える。

すると、まだ体勢が整っていないのを確認。

なれば足先が痺れているのも構わず、不格好でも思い切り振り回そうと試みる。


「…ストップっ!」


だがその直後、レフェリーが割って入ってきた。

耳をすませば甲高い金属音、どうやらゴングが鳴っていたらしい。

自陣へ向かう俺の心は、安堵か悔しさかわからぬ感情で満たされていた。

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