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父子鷹の拳  作者: 遠野大和
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第95話

暦は七月中旬、毎日うだるような暑さが続いている。

ジムではそろそろ高校生三人組にプロテストを受けさせる時期かと、そんな話題も上がる様になってきた。

気付けば、彼らも一年数か月このジムに通っている。

時が経つのは本当に早いものであるなと、そんな風に感じるのは少々年寄り臭いかもしれない。


「三人の希望としてはいつくらいに受けたいとかあるの?」

「え?そっすね、俺は出来れば早い方が。」


そう語るのは奥山君。

三人の中では一番小柄で現在百六十センチくらい。

両親ともに小柄らしく、多分これ以上身長は伸びないと本人自ら語っていた。

そしてそれがコンプレックスでもあるらしい。

しかしその生まれ持った身体能力は常人とは比べ物にならない。

それが技術面における上達の足枷になっているのも事実だが。

悪く言ってしまえば奢りが見える。

まあ事実として、素養と言う意味で彼に勝てる人間は限られるだろうが。


「自分は会長に全て任せる次第です。」


そう語る堅物が古川君。

少し背が伸び、百七十近くになったか。

彼は人の話にしっかり耳を傾けられるが、少しやりすぎるきらいがある。

少し前には、肩を痛めていた事を誰にも言わず練習を続け、珍しく会長に怒られるという一幕もあった。

我慢強さが悪い方向に働き、辛そうな顔を見せないので誰も気付けなかったのである。

それ以来反省し、少しでも違和感などを感じた場合はちゃんと告げてくれるようになった。


「俺も同じですね。会長の判断次第でいつでも行く準備は出来てます。」


イケメン吉田君は古川君と違い、調子が悪い時は必ず告げる性格だった。

この辺り非常に理性的。

決して無茶はせず、効率的な練習法を心掛けているようだ。

会長から細かくアドバイスをもらい、その日のモチベーションによって練習内容を変える点にも意識の高さを感じる。


「しっかしうちも人が増えたよな~。坊主一人だけだった時代が遠い昔に感じるぜ。」

「そうですね。練習生だけで二十人以上いましたっけ?」


俺がタイトルを取ったのを境に、続々と入会する人も増えた。

勿論数日で辞める人もいるが、隣のプレハブでは清水トレーナーが毎日忙しく彼らを指導している。

仮設のシャワー室も二つ追加し、三人まで同時に汗を流せるようにもなった。


「もう一つ二つプレハブ必要になるかもな。後トレーナーもよ。」

「どう…ですかね。本気で上を目指すアマチュア上がりの人とかは、今でも大手のジムに行っちゃってますし。」

「そこは坊主の頑張りで引っ繰り返すんだよ。目指せ四団体統一王者だ。がっはっは!」

「流石にそれは…」


実は近日隣のプレハブにも本格的なリングを設営予定らしく、そうなれば向こうでもスパーリングが出来るだろう。

大きなジムではトレーナーによる派閥などもあると聞くが、いつかはうちでもそんな時代が来るかもしれない。

まあ想像は出来ないが。

そして練習後、俺がロードワークを終えシャワー室から出た頃合い、丁度明君もロードワークから戻ってきた様だ。


「お疲れ様です。次、良いですか?」

「うん、いいよ。」


そうしてすれ違う時、気になっていた事を思い出し問う。

人が多い所では聞けない話題なので丁度いい。


「あ、そういえばさ、想い人とはどんな感じ?先月の試合見に来てくれたんでしょ?」

「…え?あ…ああ、知ってたんですね、えっと、何ていうか…付き合っている人がいるらしくて…その…」

「え?そうなんだ…相手知ってる人?」

「…はい。商店街に精肉店ありますよね?そこで働いてる一つ年上の方だそうです…」


言われ一瞬考える。

数秒後、直ぐに誰か理解した。


「あれ?それってもしかして、前田精肉店の?」

「はい、元生徒会長の前田先輩です。遠宮さんの知り合いだったんですね。」

「まあ…ね。」


どうやら春子に嘘をつかれた様だ。

前田君は全然ロリコンじゃない。

いや、沙織ちゃんは小柄で大人しいから、見る人が見ればそう見えなくもないか。

しかし何だろう、この複雑な気分は。

そうして二人向き合っていると、後ろから誰かの声。


「菊池先輩、女なんてボクシングには邪魔なだけですよ。」


気付かぬうちに傍にいたのは吉田君。

彼は練習後のクールダウンに時間をかけるので、いつも最後まで残っている。

しかし邪魔なだけというのは、ちょっと違うのではなかろうか。

少なくとも俺は、春子や亜香里に助けられてここまで来た。


「ああそういえば、この間の試合見に来た女子がいて、先輩の事カッコいいって言ってる奴いましたけど、紹介しましょうか?」

「えっ!?本当にっ!?…こほんっ…いや今は良いよ。大学と練習で忙しいし。」


多分これ嘘だ。

さっき俺の知らない明君が顔を出した。

イメージとしては、いつまでもジムに初めてやってきた頃そのままだが、彼も大人になっているのだなと実感してしまう。

かくいう俺は大人になれているか怪しい所だが。



▽▽▽



八月初旬、今日は注目の試合がある。

場所はオーストラリア、WBOのアジアタイトルに鈴木ジム所属の相沢光一選手が挑戦するのだ。

相手は元オリンピック銅メダリストで、プロ転向二戦目でこのタイトルを獲得したエリート。

一方相沢さんも全日本選手権者、つまりアマチュア日本一に輝いた事がある。

こうしてみればアマチュアボクシングの経験と言うのが、いかに大きなものか否が応でも理解してしまう。


【本日行われますのはWBOアジアパシフィック・フェザー級王座決定戦。日本フェザー級期待のホープ相沢光一選手が挑みます。】


場所はメルボルン、趣のある外観から察するに結構歴史のある施設らしい。

そして少し早めの夕食を亜香里と共に囲い、モニターに集中。

横ではスイも猫缶にまっしぐら。


【解説の長谷部さん、この一戦どんな展開になると予想しますか?】

【そうですね。相沢君はいつもアグレッシブに攻め倒すスタイルですから、この試合もコンビネーションで中盤以降のKО勝ちを予想しています。】


相沢さんの戦績は現在八戦全勝七KО。

KО率は高いが決して一発の強打で倒すタイプではなく、上下に打ち分け手数で倒すタイプ。

試合も派手で分かりやすいものが多く、ボクシングファンからの評価も上々。

マイクパフォーマンスなども結構デカい事を言ってくれるので、そう言う意味でも期待されている。


「……知り合い?」

「ん?うん。サウスポーの選手でね、何度か向こうに出稽古行ったときに相手してもらった仲。」

「そうなんだ。何か…凄いね。j


そう、相沢さんは凄いんだ。

だからきっとこの試合も快勝してくれるはず。

モニターには、俺の前で見せた事の無い険しい表情と鋭い眼光を覗かせる彼がいた。

そして自陣コーナー付近で軽くステップを踏み左右を伸ばした姿を見て気付く。

固い。

いつもの動きでは無いと。

相手は地元のスター候補であり、オリンピック銅メダリスト。

それを加味しても尚固い。

そんな不安を覚えながらの第一ラウンド、固唾を呑んで見守る。

すると、やはり何かおかしい。

いつもならグイグイと前に出ていく彼が、距離を取って丁寧にジャブを突いている。

所謂、ポイントボクシング。

本来彼が一番嫌いそうなスタイルだ。


「左が出ないな。もしかして故障かな?」


だがそれでも、試合自体は完全にコントロール下に置き、中盤に入っても相沢さん優勢。

正直素人目に見て面白い試合かと問われれば否と答えざるを得ないが、同業が見れば舌を巻く。

変幻自在、リングを端から端まで使った軽やかなステップワーク、クリンチすらも許さないスピード、尽きないスタミナ。

相手が実力者である事は見るだけで分かるが、伸ばす手は悉く空を切る。

ここまで相沢さんのパンチは九割が利き腕ではない右。

殆ど左を打っていないにもかかわらず、実力者を完封しているのだ。

これを見てしまえば理解するしかない。

勝つ事だけに拘るのなら、こういう戦い方が一番彼の実力を引き出せるのだと。

だが優勢に事を運びながらも、その表情は苦虫を嚙み潰したように歪んでいた。

結果、試合は判定にもつれ込む。

そして地元贔屓を懸念する俺をよそに、当たり前の如く相沢さんの手が上がった。

今彼はどんな気持ちだろうか。

その表情は、とても歓喜とは呼べない複雑な空気を纏っていた。


「…なんか、あんまり嬉しそうじゃないね…」

「うん…色々ね、あるんだと思うよ。」


恐らくは色々なものを背負い、自分だけの我が儘を貫く訳には行かなくなったといった所か。

俺が知っている彼ならば、たとえ故障を抱えていたとしても頭のぶつかりそうな距離で打ち合っただろう。

そしてそれこそが矜持でもあった筈だ。

これが背負うという事なのかもしれない。

だがそれは俺だって同じだ。

色々な人の期待を背負いリングに上がり、これからも勝ち続けなくてはならないのだから。

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