第94話
試合の翌日、俺はいつも通り叔父の診察を受ける。
そこまでダメージを負った感覚は無かったが、一夜明けると意外に痣が多く少し驚いてしまった。
しかし何はともあれ初防衛に成功したのは成功したのは嬉しい。
始まる前のドタバタも、こうなってしまえばいい思い出と言えよう。
「お前聞いたぞ。マウスピース忘れたんだって?」
「誰から聞いたの?それは忘れてよ。」
「はは、まあ勝てば官軍てやつだ。録画で見た感じ、実際悪くねえ試合だったと思うしな。」
褒めてもらえて有難いが、文字で見る結果ほど力の差は感じず、自分がまだまだ国内レベルの選手なのだと痛感させられた。
しかも相手の中村選手は、全てを出し切れたわけでもあるまい。
「よし、特に問題なしだ。もう行っていいぞ。」
「うん。ありがと。後で二人も来ると思うから。」
「菊池君と佐藤君か。あの子らも良い試合だったらしいな。」
「うん。特に佐藤さんなんか今の日本王者より強いんじゃないかな。」
「そこまでか。地方ジムには勿体ねえってやつだな。」
そんな事を語り合いながら、邪魔にならぬうちに退室。
今日まで休みを貰えているので、さてこれからどうしようかと思案に耽るも、取り敢えず家に帰ることにした。
▽
家に帰り着くと、亜香里の部屋からスイを連れ出し居間へ。
以前は眠りこける失敗をしてしまったが、今日は気を付けるので大丈夫。
「お~よしよし。お前の毛並みは最高だよな。まるで血統書付きだ。」
「…ミャァ…」
撫でられ気持ちよさそうにしている姿を見ると、一層可愛くなってくる。
そして触れ合っていると、気が付けば昼過ぎ。
今日のお昼はどうしようかと少し考え、スイをケージに戻してから如月家経営の喫茶店へ向かう事にした。
何だかんだ、ここが一番安定して美味い。
「あ、統一郎ちゃんいらっしゃ~い。今日は何食べる?試合後だからがっつり行っちゃう?」
「そうですね。トンカツ定食とかあればお願いします。」
「は~い了解いたしました~。」
厨房を覗くと、どうやら今はお婆さんが不在。
まあお義母さんの料理も同様に美味しいので問題ないのだが。
「は~いお待たせ~。私の愛がたっぷり入ってるからね。」
「はぁ…どうも有難う御座います。」
「汁物は勝手に豚汁にしちゃったけど良かった?」
「豚汁大好きなんで問題ないです。」
正に豚尽くしと言った感じのセット。
今の空腹な俺にはたまらない組み合わせだ。
味も申し分なく、一度箸を付けたら止まらず最後まで完食してしまった。
「はい丁度のお預かり~。また来てね。うちの方に食べに来てもいいんだからね。」
「どうも。じゃあ今度春子のいる時にでも伺わせて頂きます。」
心も腹も満たされた所で、次はどこへ向かおうかと車中で思案。
こういう時、田舎町は困る。
都会ならばいくらでも時間を潰せそうな所があるだろう。
まあ、それでも俺はこの町が好きなのだが。
▽
結局その辺をドライブしただけで、家に帰ってきてしまった。
でもここにいるのが一番の休息になるのも事実。
またスイを抱えて居間に座り込むと、丁度誰かから電話が掛かってきた。
『あ、統一郎君?別に用事って訳じゃないんだけど、今何してるかな~って。』
「さっき春子ん家の喫茶店で食事してきた所だよ。今はスイとごろごろしてる。」
『そっか~。あ、そういえばさ、悠子の就職先決まったって伝えたっけ?』
「いや聞いてないな。県内?」
『ううん、大手不動産屋に内定貰って、帝都での勤務になるんだってさ。』
「それはまた遠くに行っちゃうんだね。」
『本当だよ~…県内だって仕事あるのに、わざわざそんな遠くまで……』
余程不満なのか、春子はいつまでもグチグチと文句を垂れている。
この調子では親友離れ出来るのかちょっと不安だ。
それでも確実に別れの時はやって来るし、受け入れなければならないのが現実。
そして支えるのが俺の役目でもあるだろう。
「あれ?そういえば彼氏はどうするんだろう?」
『遠距離恋愛するらしいよ。ん~あれは多分別れるね。』
「そんな事言ったら駄目……」
『ふん、追いかける気概も無い奴なんて、所詮その程度だよ。』
春子の口調では、まるで追いかけてほしいみたいに聞こえる。
気のせいだろうか。
いや、もしかしたら何か印象が変わる出来事でもあったのかもしれない。
俺は会った事も無い人だが、それでも心の中で応援するとしよう。
「じゃあ来月辺りにさ、また皆で海行こうか?」
『あ、良いねえ~。去年と同じメンバーで行こうよ。』
「南さんの彼氏は?」
『あれはどうせ就活だから駄目でしょ。』
「そっか。で、春子は卒業までずっとそっちにいるの?」
『えっとね、統一郎君が試合やる時はそっちに帰って世話しようかなって。迷惑じゃなければ…だけどさ。』
迷惑であるわけがない。
俺としても籍を入れる前に、ある程度は一緒に住んでおきたいとも思っていた。
そうする事で互いに見えてくるものもあるだろうから。
時と場合によっては、喧嘩することだってあるかもしれない。
だがそれだって、夫婦になるために必要な過程なんだ。
きっと。
▽▽▽
六月二十六日日曜日、試合から一週間が経った。
この僅かな間に、国内のボクシング界がざわつく出来事が二つほど。
その一つは高橋晴斗の日本タイトル返上。
そしてアメリカのビッグプロモーターとの契約。
契約したのは【トゥルーランカー】という大手プロモーター、これからは向こうをメインにやっていくらしい。
というのも、強すぎてこちらでは誰もやりたがらなくなってしまったから。
タイトルを獲得した一戦以来、彼のスタイルは変貌した。
力一杯振り回すという事はなくなり、教科書通りの型で機械の様に淡々と相手を削っていく。
何をされても崩れる気配すら無く、本当にサイボーグみたいな選手になった。
俺から見た印象としては、相手など目に入っておらずどこまで己を保てるか試している感じ。
多分世界に出ても、彼に勝てるボクサーはいないのではなかろうか。
そんな事を思ってしまう程、圧倒的な存在になってしまったのだ。
そしてもう一つのニュースが、その高橋選手にタイトルを奪われた前王者、御子柴選手の電撃復帰。
これはいきなり王拳ジムから発表された。
しかもいきなり来月、ライト級の東洋ランカーとやるらしい。
予定ではそのままWBOのアジアタイトルを狙う予定。
転級は本人の意向かジムの意向か定かではないが、多分ジムの意向だと思う。
彼のイメージ的に、逃げる形での転級はプライドが許さないのではなかろうか。
しかしもう一度やった所で、今の高橋選手は文字通りの怪物、勝算が薄いにもほどがある。
色々な事情を鑑みての決断と推測できよう。
正直俺としては、自分にとってこの出来事が良い方向に転べば良いなと、そう願うばかりである。
彼のようなスター選手が同階級に来たというのは、間違いなくチャンスなのだから。
▽▽
翌日、ジムではこんなやり取りがあった。
牛山さんが会長に問い掛けたのが始まりである。
「会長、もし御子柴が日本タイトル狙うって言ったらどうするつもりだった?」
「う~ん、悪い話でもないですし多分受けましたね。勝てば得るものも大きいですから。」
「だがよ、強敵じゃねえか?」
「まあそれはそうなんですけど、僕が見るにそこまで相性悪い訳じゃないと思いますよ?」
「へ、勝算ありってか。こりゃ是非とも向こうさんに世界取ってほしいもんだな。」
俺があの有名人とやるというのは、何だか不思議な気分だ。
向こうは間違いなく俺など知らないだろうし、何より国内タイトルに価値を見出してなさそうな雰囲気なので、俺を倒した所で得るものが少ない。
よって、現実的に考えあまり実現し無さそうだなと、そんな事を思った。




