第87話
試合の翌日である二月十二日の土曜日早朝、俺は叔父の診察を受けていた。
顔の傷はそこまで酷くないが、疲れ若しくはダメージから足が重い。
「血尿出たって?」
「うん。びっくりしたよ。試合後トイレに行ったら真っ赤な小便が出るんだもん。」
「まあ、よくある事だ。」
「そんなもん?」
「ああ、お前みたいにボディ効かされた選手だと、そう珍しくはねえな。」
話ながらも手慣れた所作で俺の目にライトを当て、続き触診。
診察する叔父の顔はとても嬉しそうで、言葉にせずとも祝福してくれているのが分かる。
「…大したもんだよお前は。ほんとによ…」
「はは、俺もそう思う。」
「調子乗んな阿呆。へへ。」
診察が終わり背を向けると、小さな声でおめでとうと背中に投げかけてくれたので、俺も小さく有り難うと返す。
これくらいで良いんだ、俺達は。
面と向かって祝福するのもされるのも、どこか気恥しいから。
そして次に向かうのは公民館、後援会の人達が祝勝会を開いてくれる予定なのだ。
「我が森平の星、遠宮統一郎選手の日本タイトル獲得を祝して…カンパァ~イっ!」
音頭を取っているのは町内会長のお祖父さん。
神社の宮司さんらしい。
カチンとコップのぶつかる音が響いた後、皆が笑顔を浮かべて酒を煽る。
当然俺は飲まないが、この雰囲気自体は嫌いじゃない。
見やれば会長と及川さんは仕事があるので飲まない様だ。
代わりと言ったらおかしいかもしれないが、牛山さんは豪快な笑い声をあげ浴びるように飲んでいる。
「ねえねえ統一郎さん、ベルト見せて。」
目の前に並べられた酒のつまみとおにぎりに箸を伸ばしていると、声を掛けてきたのは冬子ちゃん。
今日は喫茶店も休みにしたらしく、家族揃っての参加であり春子もいる。
「いいよ。巻いてあげる。」
「え?いいのっ!?やった~!」
「ちょっと冬子、ちゃんと手を拭いてから触ってよ~。」
「…統一郎さん、こんな小うるさい人をお嫁さんにしたら後悔するよ?今からでも遅くないからさ、私と…」
「冬子…まじで怒るよ?」
祝いの席で姉妹喧嘩されてはたまらないと、春子の腰にも巻いてやる。
「どう?私のファイティングポーズ。」
「お姉ちゃん似合うじゃん!やっぱり胴回りが太いからかな?」
「…そろそろKОパンチ飛んでくよ?」
そんなやり取り、存在感なく眺める亜香里も楽しそう。
その横には南さんと俺が会うのは初めてとなる両親、加えお兄さんらしき人もいる。
一見真面目そうな一家だが、父親は既に頬が朱に染まっておりマイク片手にちょっと昔の歌謡曲を歌い始めた。
子供たちはとても恥ずかしそうにしている。
南さんも家族の前ではああいう顔をするんだなと、何だか新鮮な気持ちになった。
「静江さんも少しだけなら飲んでもいいんじゃない?龍臣君も機嫌良さそうだし。」
「う~ん、そうしたいのは山々なんだけど、実は私下戸なのよ。」
静江さんを呼んだのは俺、身内であるということ以外に、あのマンションで一人きりと言うのは寂しい気がしたから。
育児ノイローゼとかよく聞くし、有難迷惑にならない程度に気遣うべきだろう。
龍臣君も今日はぐずらず笑顔を振りまき、周囲の大人を笑顔をにしてくれている。
チラリ時計を見やると十四時前になっており、俺は用事があるので退席。
主役がいなくなって申し訳ないが、まあ宴会をする分には問題無かろう。
「統一郎君行くの?テレビ局だっけ?」
「うん。あ、ベルトも持ってかなきゃだから返してね。」
「兄さん行ってらっしゃい。生放送だからって緊張しすぎたら駄目だよ。」
「分かってるよ。いつも通りやるさ。」
俺が向かうのは泉岡にあるスタジオ。
いつも俺を紹介してくれている局で、初の生出演を果たす事になっている。
因みに会長も一緒なので、俺としてもそこまでテンパらずに済みそうだ。
▽▽
「では、本日のゲストをご紹介いたします。」
いつも平日にやっている情報番組、本日土曜日のこれはそれの週末版。
一週間の出来事を纏める的なやつだ。
進行役も本職のアナウンサーではなく、俺にとっては馴染みのあるアイドル三人組。
試合前から話自体は聞いており、こちらとしては勝ったらという条件付きで受けていた。
しかしこうして実際その日が来てみると、もう少し日を置いてからの方が良かったなと感じている。
「いや~昨日の試合は本当に凄かったですよね~!もう手に汗握る展開で。」
「ありがとうございます。皆さんに喜んでいただけると頑張った甲斐もあります。」
最初はリーダーの藍さんから入るのが、この三人の流れ。
この子は最初から素人っぽさが薄い女の子だったが、今はもう完全に業界人な空気を纏っている。
三人から話しかけられて唯一緊張する人と言えば、彼女くらいのものだ。
そして藍さんの作った空気のバトンを引き継ぐのは桜さん。
「これが日本チャンピオンベルトですか~。戦いの歴史を感じますね~。」
「そうですね。数多い名チャンピオンの手を渡ってきたベルトなので、巻くと身が引き締まります。」
この子はいつまで経っても素人っぽさが抜けない。
カメラの前でお澄まししてる女の子と言った印象が強く残る。
個人的には一番気楽に話せる子だ。
そして最後が曲者の花さん。
毎回彼女が口を開く時は、独特の緊張感がスタジオを包むとか。
「ハラハラする試合展開でしたが、ムラがあるのも遠宮さんの魅力だと思いますよ?」
「はは…そうですね。いつも最高のパフォーマンスを発揮できるよう努めます。」
「それで試合の内容についてお聞きしたいんですけど、松田選手は前々回の試合で当たった大道選手、彼とスタイルが非常に似通っているように見えましてその経験がいかに……」
この子の質問は本当にディープで、正直俺が答えるよりも会長の方が良さそう。
俺がちらり視線を向けると意を汲んでくれたらしくバトンタッチ。
「本人からバトンを受け取りましたので僕が。」
「会長さんが答えてくれるんですね。嬉しいです。」
「確かに両者のスタイルは似通っていましたが、細かな差異もありそれに対応できるよう練習させたつもりです。」
「なるほど、では大道選手との一戦が活きた場面をお聞きしても?」
「う~ん場面というよりも、二人供がしつこく食らいつくタイプで立ち回り自体が殆ど同じなので、統一郎君的にも慣れに近い感覚があったはずなんですよね。それで……」
藍さんと桜さんのみならず、主役であるはずの俺まで只の置物状態。
三人共が視線を合わせると、何だかおかしくなって笑いあってしまった。
そして調整の苦労話や私生活のちょっとした話題を経て、退場の時間となる。
「では、遠宮選手のこれからの抱負といいますか、意気込みを聞かせてください。」
「はい、国内タイトルを手に出来た事は自分にとって大きな自信になりました。しかし更に高い場所も見えてきたので、これから更に精進を重ね皆さんにもっと面白い試合をお見せしたいです。」
これで俺達の出番は終わり、次はグルメコーナー。
画面が切り替わった所で、三人と挨拶を交わす。
「有り難うございました。またジムに取材来た時にでも。」
「はい。多分次の試合前とかにお邪魔させて頂くかもしれません。」
藍さんと握手を交わすと、瞳を覗き込まれる。
その妖艶な笑顔を受けると、男ならばどうしても頬が緩むもの。
今になってもそれは変わらない。
「あ、会長さん、次の試合でも私達がラウンドガールやらせてもらえますかね?」
俺と握手を交わした後、桜さんは会長にそんな事を問うた。
聞きにくい事をあっけらかんと聞くので、こういう所だけは花さんに通ずる。
「ええ。皆さんが良ければ次もお願いしようかと思ってたんですよ。」
二人が話している内に俺は花さんと握手を交わす。
何か言われるかなと思ったが普通に挨拶して終わり、何だか拍子抜けだ。
と思ったが、
「あ、そうだ。もしかして次から泉岡アリーナ使うって聞いたんですが、本当ですか?」
「え?いや、俺は知らないかな。会長、そうなんですか?」
「え?うん、まあそのつもりだけど良く知ってたね、花さん。」
「いえ、聞いたというのは嘘で、実は只の勘です。何となく今の遠宮さんならあのくらいのキャパは埋められるかなって。」
只の勘でそんな事まで分かるものだろうか。
もしかしたら局の上層部には話していて、それを聞いたとか?
まあ、この子に関してはあまり考えない方が良さそうだ。
因みにだが、ベルトは俺が保管している。
ちょっと心配なので会長に持っていてほしかったのだが、自覚が出るから持っておけ何とか。
精々汚したりしない様にだけ気を付けよう。
▽
その日の夜春子は俺の家に泊まり、二人で声を押し殺しながら情事を済ませた。
その後の事。
「前に俺がさ、少し高額なアクセサリーをプレゼントしたいって言ったの覚えてる?」
「ああ~そんな事もあったね。」
「うん。でさ、指のサイズとかもあるし今度一緒に買いに行こうか。」
「う~ん有難い申し出だけど、私はまだいいかな。どうせならもう少し先、もっと大きな節目の時に…ね?」
確かに言われてみればその通りか。
俺の希望としては、彼女が大学を出た辺りで籍を入れたいと思っており、それはそこまで先の話でもない。
ならば今回の分も含めて、その時にはもっと高価な物を用意するとしよう。




