第84話
「ボディ効いちゃった?」
「いえ、まだまだ問題ないです。」
「そう、ならいいんだけど。でもあの距離で打ち勝てたのは本当に大きいよ。完全に流れはこっちだ。」
掴んで離さない様に、と言いたいのだろう。
それは俺も同感、ダメージもあるだろうし次は得意の距離から削るのが良さそうだ。
カァ~ンッ!
第三ラウンドのゴングが鳴った。
勢いよく飛び出してきたのは王者側、俺は動きをよく見て迎え撃つ。
数秒のせめぎ合い、右に行くぞ左に行くぞとフェイントを掛け、反応の一挙手一投足を注視。
重心の僅かな傾きから左を選択、王者の動きが一瞬止まりそれから追い掛けるももう遅い。
キュッと乾いたシューズの音を響かせながら左の弾幕を張る。
「シッシッシッ…シッシッシッシッ!」
(ガードの真ん中…ガードの真ん中…)
衝撃で僅かに空いた隙間を通し、俺の左が王者の顔面を弾いた。
追い足が鈍い事からダメージが抜けきってないと確信、更に勢いづき左を乱れ打つ。
だが鈍いだけで絶対に引いてはくれない。
じりじりと確実に道を塞ぎながら、俺を追い詰めて来る。
そして元々低かった重心は更に低くなっていき、こちらが見下ろすような形となった。
ゆらゆらと上体を動かし、軌道に慣れたか左を額で受け止める様にもなり、段々と纏う気配も変わって来る。
低い位置から俺を射抜く瞳は殺気すら帯びていた。
「……シィッ!」
強い右を放った。
これで前進を止めようという訳ではない。
大きなパンチを打てば必ず踏み込んでくる。
その一瞬を見極め、横に抜けようというのだ。
(…どっちだ?…右、抜けられる!)
こちらの思惑は透けていただろうが、ここは俺の勝ち。
進路をふさぐように振ってきた左フックを、ダッキングで潜りざま素早く二度三度ステップ、十分な距離を確保する事が出来た。
そこからは先と同じ、出来得る限り左で削る。
止まらないのは分かっているが、それでもいいんだ。
確実に削れている事実は変わらないから。
「…シッ!?」
(踏み込まれるっ!?)
王者と言えど今までの相手と同じ、顔中が痣だらけだ。
しかし一向に勢い留まる事無く、堅牢な盾を構えたままにじり寄って来る。
そして最初の数発は必ずボディブロー。
ジッと俺を覗き込みながら打っているので、ここで下手に動くと上をもらう。
ガードを下げ過ぎるのも駄目だ。
コンビネーションの回転が心なしか初回よりも早く、ガードが間に合わなくなるから。
「…フッ!」
(…ここっ!)
右のボディブローに左フックを被せローブ際を脱出。
それから距離を確保し左を突いた所でゴングが鳴った。
▽
「明らかに後半勝負っていう感じだね。流れ見て一回左の強打見せておこうか。」
左の強打、ストレートと言う意味ではない。
コークスクリューブローの事だ。
しかしあれは完全に振り切るパンチなので、使い所が難しい。
カァ~ンッ!
第四ラウンドのゴングが響く。
やはり勢いよく距離を詰めて来る王者。
今回は俺も同様にリング中央へと早目に駆け出し、低い体勢に左を打ち下ろしていく。
しかし王者の勢い止まらず、額で受けつつそのまま振りかぶった。
初動で左フックと判断。
素早く右腕で側頭部をカバー、同時に左で突き上げてやろうと半歩踏み込む体勢。
そして際どいパンチが交差する。
その直後、
ガツンッ!
互いの顔面が弾ける。
左瞼付近に鋭い痛みが走るも、こんなものはさして気にならない。
だが王者を見やれば右瞼付近がぱっくりと裂けている。
レフェリーが止めない所を見るに、パンチでカットしたと思っているのでは?
カットしたのも丁度さきほどパンチを掠めた辺り。
申しわけないが、これは舞い込んだチャンスだ。
すかさず左の速射砲を乱れ打ち。
「…シッシッシッシッシッ!…………っ!?」
(血で視界が塞がれば避けられない!……あれ?)
左目の視界が赤く染まり始める。
何故向こうだけと思い込んでいたのか。
同じように当たったのなら、自分も切れているのが当然であろうに。
(まさか…俺の方が出血酷い?)
王者もカットしてはいるが、血が目に入るほどは出ていない。
対してカットした経験が殆どない俺は、自分でも驚くほど動揺した。
これは……不味い。
だが果たして王者は…松田選手はこの傷を狙うような事をするだろうか。
いや、多分する。
分かるんだ、彼は何が何でも俺に勝ちたい筈だ。
何故そう思うか、だって俺もそうだから。
「…シッシッシッシッ…シッシッシッ!」
(…来るな来るな来るな来るなっ!)
放たれる下がりながらの速射砲。
危機感が潜在能力を目覚めさせたか、それは今までよりも更に鋭く王者を刻む。
しかしそれでも止まらない。
左右にフェイントを掛け振り切ろうとするも無駄、引き剥がせない。
どこまでもどこまでもしつこく食らいついてくる。
これはいよいよ不味いと思った所でゴング、ほっと息を吐いた。
▽
会長は真剣な顔で俺の傷とにらめっこ。
レフェリーも一度歩み寄り一言二言確認。
俺は天に縋るような気持ちで出血が止まってくれることを祈っていた。
それを覗き込む及川さんが一言。
「う~ん、このくらいなら止まりそうかな。ほら、もう止まったよ。」
「坊主、試合中だぞ。情けねえつら見せてんじゃねえ。間違いなくお前の方が強えんだ。普通にやりゃ勝てる、心配すんな。」
会長は仕上げのワセリンを塗ると、言葉はなくにこっと頷いて見せた。
それから血を拭いてもらい何度か瞬きを繰り返せば、視界を覆っていた赤が徐々に消え始める。
きっと打たれればまた開くだろうが、打たれなければ良いだけだ。
カァ~ンッ!
第五ラウンドのゴング。
向こうは相変わらず元気が良い。
さあやろうかという声が聞こえてきそうなほど、意気揚々と向かってくる。
ひりつく感覚があった。
互いに爆弾を抱えてのやり取り、絶対に勝たなくてはならない試合。
ふと視線がピタリと合った。
血走った獣みたいな瞳、ならば俺の瞳は彼にどう映っているのだろう。
「…っ…シッ!」
(左側にはもらえない。腹はいい。打たせてやれ。)
左のガードを外すのに躊躇い、簡単に踏み込まれてしまった。
腹を横から叩かれ呻きそうになるが、こちらも同じく内側からボディを抉るように突き上げる。
狙ったのはみぞおち、手応えはあり効いたと思うが彼は躊躇いなく振り回してきた。
そんな中、コンビネーションに一つの法則性を見つける。
上下に散らしながらも力の籠ったパンチは必ず右、それも傷口を狙っている様だ。
それは心に出来た僅かな綻び。
目の前に見える形で勝機が転がり込み、それに食いついているのだ。
これは狙えると、そう思い隙を伺う。
狙うのは左カウンター、ストレートではなくコークスクリューブロー。
「…っ…っ!」
コンパクトなボディブローの連撃、それでも重い。
だがまだ返さない、じっと耐える。
「…っ…ぅっ!」
レバーブローから側頭部を狙った左二連発。
俺はしっかり見ていた。
彼が歯を食いしばり、思い切り右を叩きつけようとするその空気を。
故に初動を見てから動いたのではなく、こちらは事前に行動を予測し動いた。
彼は気付いているか、俺がスイッチしていることに。
そしてグッと左を引きつけ力を溜めると、標的目掛け解き放った。
先ずは腰の回転、それから肩が付いて来ると、最後に拳が追い付き追い抜き、手のひらが天井を覗くほど内側へ思い切り捻じり込むのだ。
「…ヂィッ!!」
(完全なタイミングに近い筈、大丈夫躱されたりしない。)
一瞬目が合った気がする。
直後王者は、僅かに反応し首をよじる動作。
だが間に合わない。
仰け反ろうとするも、そのまま弾かれたように後方へ吹き飛びマットに背中を着いた。
「…ダウンっ!ニュートラルコーナーへ!」
俺は勝ちを確信した。
柄にもなくガッツポーズも取った。
だが王者は、カウントフォーで立ち上がりスッとファイティングポーズを取る。
それでもダメージは深刻らしく、ふらっと体が流れそうになるも、その場でダンッとマットを踏みしめ耐えた。
何という根性。
そしてレフェリーが再開の合図を告げた直後、ゴングが響き第五ラウンドが終了した。




