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父子鷹の拳  作者: 遠野大和
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第79話

『只今より本日のメインイベント……』


数試合ぶりに上がるホールのリング、トントンと軽くステップを踏みながら感触を確かめる。

観客席はほぼ満員、これは俺の功績ではなく大道選手の功績だ。

彼が初めて世界タイトルに挑戦したのは、今からもう十二年前の事。

俺はまだ小学三年生くらいだった。

彼は度々膝などの故障により、思い通りの試合を組むことが出来なかった時期もあるらしい。


『赤コーナ~三十九戦三十勝九敗、現役生活十七年その強打で積み上げたKОは二十五、今の日本ライト級はこの人無くして語れない……』


今日の客層は正にボクシングファンが集まったなと言った感じ。

ある程度年齢を重ねた男性が多く、応援団が掲げる垂れ幕にはこう書かれている。

【不屈のサムライ、もう一度世界へ】と。

デビュー当時から世界を期待され十数年、そんな彼も三十六歳となった。

当然現役を続けるか否か迷いもあるだろう。


『…不屈のぉ~サムライぃ~~っ!王拳ジム所属~…たいどう~まなぁ~ぶ~っ!!』


陳腐な表現だが、地鳴りのような野太い歓声が会場を包んだ。

大変な人気者。

だがその気持ちは俺も分かる。

決して器用ではなく、強打を振るい愚直に前へと出続けるその姿には、漢なら思わず感じ入るものがある筈だ。


『……十六戦十五勝一敗、十五勝のうちKОは七つ……』


この試合の模様は、帝都テレビが運営しているスポーツ専門チャンネルで生放送されている。

所謂月額制などではなく、テレビさえあれば誰でも視聴可能。

当然俺の地元でも結構見てくれている筈だ。


『…新たなる地方の星っ!森平ボクシングジム所属、とおみや~とういちろう~っ!』


結構大きな拍手と声援が会場を包む。

勿論大道選手には及ばないが、それでも俺にしては充分。

少しは都会の人達にも知ってもらえているのだろうか。

そんな事を思いながら一度大きく息を吐き、リング中央へと歩む。

そして大道選手を真正面に見据えると、その静かな瞳が俺を捉えて離さない。

こちらも何となく視線を外せなくなり、そのまま軽くグローブを合わせてから自陣へと戻った。



「大きく踏み込んでくるからね。リードブローで止めるのは難しいけど足使って、相手の距離に付き合わず自分のボクシングに拘ろう。」


そう、この試合は胸を借りるつもりと宣言している。

ならばこちらは徹底的に勝つ事だけに拘ろう。

まあどちらにせよ、どこかでは必ず迎え撃つ流れになるだろうが。


カァ~ンッ!


第一ラウンド開始のゴングが鳴った。

恐らく挨拶を交わした直後、思い切り踏み込んでくる。

そんな気がしていた。

そしてその予測はまさに正しくグローブが触れた直後、彼はグッと重心を下げると共に大きく足を踏み出してくる。

端からまともな差し合いをする気はないという事か。


「…シッ!」

(止まらない…でも分かってる。)


浮足立つ事無くしっかり相手を観察、すると横のガードが空いているのを確認。

フックで狙い撃てそうだが、何となく誘われているような気もして嫌な感じ。

結局その考えは振り切り、一度二度バックステップで距離を作りつつ左を伸ばしていった。


(しつこく追いかけてくるな…ガードも固い。)


横の動きも混ぜ翻弄しようと試みるが全く動じてくれず、上下左右に頭を振りながらしつこく追い回して来る。

だが今の所しっかり見れており、殆どガードの上からだが動き自体は捉えているので悪く無い流れ。

大道選手の動きは事前の印象通り一瞬でキュッと踏み込んでくる感じではなく、例えるならヌラリヌラリと纏わりついてくる感じだ。


「…シッ!シッ!シッ!」

(一発一発力を籠めて…狙うのはガードの真ん中。)


確かにしつこくて並の選手なら根負けして捕まるだろう。

しかし俺はスタミナには結構自信がある、このまま足を使い続けてもきっと最終ラウンドまで止まらない。

そして左に被せる様に放たれたボディストレートを軽く捌いた所でゴング、第一ラウンドが終わった。



「ラウンドが進む毎にある程度動きは読まれるようになると思う。」


それは俺も分かっている。

経験豊富な大道選手の事、今の様な形ではなく予測を混ぜ追い掛けてくるようになるだろう。

なれば当然、ロープやコーナーに詰まる瞬間がある事も予想できる。

問題はその時にどうするか。


「捕まったらしっかり重心下げてボディを狙っていこう。不味いと思ったら迷いなくクリンチしてね。」


了解と頷き立ち上がった所でゴング。

軽快に中央へ進むこちらとは対照的に、向こうはゆったりとした動き。

そこから互いの射程に入った所でリードブローがぶつかり合う。

向こうの左は当てるというより、こちらの軌道を遮る様なパンチ。

端から中間距離で主導権争いをするつもりはない、そんな意思が伝わって来る。


ダンッ!


突然響いたこの音は、大道選手がその場で足をマットに叩きつけた音。

こちらはその音にビクッと反応してしまうが、間違いなく只のフェイント。

俺を覗く目はしっかり瞳を捉え、一挙手一投足を観察している様だ。

恐らくだが、危険を察知した時瞬間的に俺がどういう動きを見せるのか、それを確認しているのだろう。

しかしこの距離は間違いなく俺の距離。

いつもより力を籠めガードの上から叩き相手の足を鈍らせ、絶えず足を使い近距離には踏み入らせない。

そのまま二分近く経過し、向こうは少々疲れたのか一度ガードを下げ一呼吸。

ならばこちらも一呼吸したいと思った矢先であった、


ダンッ!


また、踏み込みのフェイント。

冷静な瞳が、ジッと俺を眺めている。

身体的にではなく精神的な圧を感じ、思わず必要以上に距離を取ってしまった。

だが相手も無理に追ってくるという事はなく、互いに一旦休憩。

などと、試合の最中にそんな事を考える馬鹿がいるものか。

いや、ここにいた。


「…チッ!」

(やば…一瞬気が抜けた!)


案の定、彼はそんな心の隙を見逃してはくれなかった。

この距離は安全圏だという甘えが、あってはならない油断を生んでしまったのだ。

その踏み込みは、明らかに初回のそれとは違う。

確かに言う程鋭くはないが、こちらの動きを先読みしているのか予想以上にあっさり捕まってしまった。

そこから流石の強打をガード越しに受けると、体勢保てずロープを背負う形に。


(この位置でやり合うのは…流石に不味い!)


拍子木の音も聞こえ、頭の中はクリンチという選択肢で一杯。

だがその心理も読まれているのか、向こうは自慢の強打ではなく細かい連打で動きを制してくる。

今までこういう立ち回りはあまり見なかったが、経験が今も尚成長させているのだろうか。

そしてガードを固め凌いでいると漸くゴング、第二ラウンドが終了した。



「少しボディ貰っちゃったね。踏み込まれた時はもっと思い切って重心下げようか。中途半端が一番駄目。」


こういう展開は最初から予想済みなので慌てる必要はない。

だが予想より早く捕まってしまったのもまた事実。


「あと一つ、癖って程じゃないけど瞬間的に距離取ろうとする時、必ず時計回りに動こうとしちゃうからさ、これ頭に入れといて。」


瞬間だとどうしても思考より感覚が先んじる。

かと言って無理に思考を優先させても同じ結果になるだろう。


カァ~ンッ!


モヤモヤした気持ちを抱えながら第三ラウンド。

対角線を見やれば、その足取りには迷いが感じられず完全に自信を持たせてしまったようだ。

そして数秒弱、中間距離で俺の左を受け止めてからまたも踏み込むフェイントを見せる。


「…っ!?」

(だからっ!何で引っ掛かんだよ俺はっ!馬鹿かっ!?)


思わず心の中で自分を罵倒してしまう。

だが本当にこの人のフェイントは鬼気迫るというか、見破るのが難しい。

実際に踏み込んで来る時とフェイントの違いが、全く分からないんだ。


(ちっ…また踏み込まれちゃったな。)


最初からクリンチは考えない。

そんな弱気では、この気迫に呑み込まれてしまうから。

覚悟を決め、会長に言われた通りグッと重心を下げ迎え撃つ覚悟を決める。

直後、ズシンと重い感触が右腕に圧し掛かった。

それは左フック、間違いなくこの試合で一番力を籠めたパンチ、思わず体幹が揺らぎ反撃の体勢を維持できない。

次に襲い来るのは右アッパー、これは読んでおりしっかりガードしたものの、流石と言うべき強打で上体が僅かに浮く。


(確かに剛腕っ!体勢を作り直せないっ!)


更に上体が浮いた隙を見逃してくれず強引に強打で押しまくられ、あっという間にロープ際まで運ばれてしまった。

この位置になっては、無理に打ち合うよりクリンチの隙を伺うのが最善か。

一瞬を見極めフックの下を潜り、腰の辺りにしがみつくのが良いだろう。

と思った矢先、細かい連打をアッパー中心に切り替えてきた。

これが老獪というものなのか、一々思考の先を行かれている様な気がする。

だがこれなら、タイミングを合わせれば横に抜けられるかもしれない。

そう思ったものの、


「…っ!」

(やっぱり、そう上手くはいかねえかっ!)


右に抜けようとした瞬間、同じく右からの衝撃に襲われ動きを遮られる。

結果、今度はコーナーに押し込められてしまった。

これは間違いなく良い流れではない、断ち切るにはガードを固め無理やりにでもクリンチに行くべき。

そう思い、体勢低く肩をねじ込む様に前進、


(…あれ?)


体を丸める形なので、相手の上体が見えないのは分かる。

だが足すらも見えないのは何故だ?

一瞬の困惑、そして導き出される答え、どうやら距離を取られたらしい。

視線を上向かせると、歯を食いしばり剛腕を真っ直ぐ伸ばして来るその姿を視認。

タイミング的に回避は無理、ガードで受けるしかない。

そして強打に押し込まれクリンチは成らず、体はそのままコーナーポストに叩きつけられた。


「…っ…っ!!」

(落ち着けっ!クリーンヒットはしてないんだっ!もう一度クリンチ…)


だがそれも簡単ではない。

相手はストレート中心に切り替え、今度は中間距離から放って来ているのだ。

この距離は俺の筈だが、間断なく襲い来るパンチの圧力が凄まじく、打ち返すも抜け出るも叶わず。

特に俺の体をコーナーに押し付けるパンチが厄介、これで上体を浮かせ左を封じてくるのだ。

とは言えよく見れば被弾は抑えられる、目が眩む様なハンドスピードではないから。

にもかかわらず反撃の狼煙を上げられない事実。

ここまでやった印象として確かに強いとは感じているが、それ以上に経験から来る老獪さが厄介だと、そう感じていた。

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