第69話
三月十二日計量当日、今回も調整は抜かりなし。
佐藤さんも俺もリミットギリギリを攻め一発で通過。
前回同様東北圏内の地方ジムは全て参加しており、彼らも危なげなく一発通過しっかり仕上げてきている。
そして目玉である王拳陣営は少し遅れての到着、相手の江島選手はちらりこちらに視線を向けてから上着を脱ぎだした。
「あれ?彼って前から頭剃り上げてましたっけ?」
問い掛けるのは佐藤さん、江島選手とは初対面なのでどうとも思わなかったが確かに見事なスキンヘッドだ。
雑誌で見た記憶を頼りに思い出すと、以前は短髪ではあれど剃り上げてはいなかったはず。
「…江島選手、ライト級リミットです。」
きっちり仕上げてきた。
一瞬こちらを睨みつけるその瞳には、卒業式が済んだばかりの若者に似つかわしくない風格も纏わせている。
だが俺はそんな刺々しい視線に付き合うつもりはなく、軽い会釈で返した。
そしてその光景を眺めていた牛山さんから一つの推論。
「遠宮を倒したらタイトルに挑戦させてやる…とか、言われてたりしてな。へへ。」
「はは、何か普通にありそうで怖いですね。」
只の推論ではあるが、確かにそれならば気合も入ろう。
加え王拳ジムならば、それを実現できる興行力も十分に備えている。
国内どころかその先でさえも。
「両選手並んで一枚、お願いします。」
以前よりも増えた報道陣。
今回は十人くらいだろうか。
実は今月号のボクシング月刊誌で、国内ライト級戦線における有力選手として俺も紹介されており、記事で新王者となった松田選手との試合にも触れていた。
当然本人にも取材しており、本人も名指しでもう一度やりたいと言ってくれている。
まあ選手当人同士がやりたいと言った所で、すんなり決まらないのがこの世界なのだが。
「明日は…よろしくお願いします。」
「うん…よろしく。」
彼の鋭い視線は、近くで受けるとまるで熱を感じる様だ。
絶対勝ってやるという上昇志向が迸っている。
そして計量が終わると、俺達は一度リングのある場へと足を向けた。
佐藤さんも同道しており、リング上を見やれば何人かの選手が体を動かし感触を確かめている。
「あ、遠宮さん、チッスッ!」
横から話しかけられ誰かと思えば、うちの練習生三人組。
実は会場設営のバイトとして頑張ってくれている。
見ればまだ椅子なども並べ終わっておらず、彼らは挨拶を済ませると急ぎ作業に戻っていった。
実は今回、席数がこの間よりも少し多くなっており、売り出したチケットは三千七百枚ほど。
後援会の方々は今回も精力的に動いてくれており、既に八割以上が捌けた形。
準備する方も大変そうだが、見た所あと一二時間程度で終わりそうな気配もある。
それから俺達も軽く感触を確かめたのちその場を後にした。
「おし、各自昼飯は自分で済ませろよ。会長も俺もまだやる事あっからな。お前ら送ったらもう一度こっちに来なきゃなんねえ。」
因みにだが、牛山さんは只の練習生ではなくマネージャーという形でジムの仕事を手伝っている。
多少は給金も発生しているらしい。
とは言え給金の部分は、会長が無理矢理渡しているという方が正しいのだが。
そしてこういう人たちの尽力があって初めて、俺達選手がリングに立てるという現実を忘れてはならない。
▽
「亜香里~今帰った。飯食いに行かない?」
「え?今三時過ぎなんだけど…でもまあおやつくらいなら…」
無理矢理に妹を引っ張り出すと、車を走らせ次に向かうのは如月家。
大学は春休みらしいので、春子も実家に帰ってきているのだ。
「え?今からご飯?どう考えてもおやつの時間だよね?」
「あ、統一郎さんじゃん!え?ご飯?私も行く~!いいでしょ?」
冬子ちゃんには何でも好きなものをと伝え、春子はほぼ無理矢理に引っ張り出す。
愛犬である茶太郎も行きたいらしくはしゃいだが、流石にレストランには連れていけない。
高級なドッグフードを買ってくるので、それで我慢してもらおう。
後は南さんも連れて行きたい所だが、家族で旅行中とか。
「どうせなら春子のお祖母ちゃんのとこに行こうか?」
「え~昨日も行ったばっかりだしな~。ていうか何時でも行けるしな~。」
亜香里はともかく如月姉妹からは否定の意見が入り、結局全国チェーンのレストランに決定。
時間も時間なので空いており、窓際のテーブル席に座るとメニューを眺めワイワイ。
「俺はもう決まってるから、頃合い見てボタン押して。」
ステーキ百五十グラムとミートソーススパゲティ、それに月見うどんとチョコレートパフェ、俺はこれで決まり。、
後は彼女らのおやつが決まるのを待つだけだ。
「それにしても統一郎さんって落ち着いてるね。明日試合なのに。」
「うん?まあ何だかんだ、もう結構こなしてるしね。それにやるべき事はやってる…そんな自負もあるから。でもリングに上がるまでは怖いとか思うよ?」
俺だって完全に平常通りな訳ではない。
頭の片隅では、常に明日のシミュレーションをしている。
「うん…統一郎君は勝つよ。きっとね。」
「うん、俺は勝つよ。それよりまだ決まらない?腹空いて限界なんだけど。」
三人は顔を見合わせるとボタンを押し、笑いながら店員を呼び出した。
亜香里がクリームあんみつ、春子がフルーツパフェで冬子ちゃんがプリンパフェというラインナップ。
試合を前日に控えた状況としては、中々に楽しい時間を過ごす事が出来た。
▽
三月十三日日曜日、控室は前回と同じく赤コーナー側。
そしてこちらも前回に引き続き、ラウンドガールはあの三人娘が引き受けてくれた。
第一試合開始まであと三十分、シャドーをする佐藤さんを尻目に俺はガウンを深めに被り自分の世界に籠る。
江島勝利、彼は間違いなく強い。
加え一番厄介なのが勢い、トーナメントを勝ち抜いてきたその勢いだ。
若いと言う意味でなら俺もそうなので気にならないが、勢いというのは結構厄介な要因になりうる。
特に彼の様な強気に前に出ていくタイプには。
「遠宮君、バンテージ巻くよ。そのままでいいから手だけ前に出してくれる?」
相変わらず及川さんの手つきは滑らかで、何とも言えない安心感がある。
控室には練習生と共に明君の姿もあり、何かしら会長たちの手伝いをしてくれているようだ。
彼らには今の俺がどう見えているだろうか。
こんな事を考えている時点で、完全には集中できていない証。
これでは駄目だ。
「佐藤選手、準備お願いします。」
佐藤さんが一室を後にすると、通路からは後援会の人達の声援が聞こえる。
彼らはいつの間にか俺だけの支援組織ではなく、ジム全体を応援する組織になっている様だ。
これは良い形だと思う。
後に続く選手たちの為にも、こういう組織があると非常に有難い。
佐藤さんの試合が始まったという事は、今第五試合。
メインの俺は第八試合だから、そろそろ本格的に体を温めておくべきだ。
誰かミット持ってくれる人はいないだろうかと眺め見れば、明君と目が合う。
練習生たちは、セコンドの後ろで試合を眺めているのだろう。
「…あ、ミット持ちますか?」
「うん。お願い。」
恐らく彼は、会長か誰かの指示でここに残った。
流石に練習生に俺の世話をさせる訳にも行くまい。
とは言え明君だって慣れている訳ではないが、感触を確かめる程度なら充分。
「パンチ、切れてます!」
明君は真面目だ、今も精一杯こちらの気持ちを持ち上げるのに必死。
そして嘘か本当かなど関係なく、この時間のこういう言葉は気分を高揚させる一助となるのだ。
「…試合終わったみたいだね。明君もういいよ。ありがと。」
「はい!本当に凄く、パンチ切れてました!」
直ぐ後、少し顔を紅潮させた佐藤さんが戻って来る。
雰囲気から察し、結果は聞くまでも無い。
もし彼が負ける相手がいるとしたら、多分タイトルホルダークラスであり六回戦程度ではまだまだ。
しかも彼には油断という文字が無い。
職人を思わせる落ち着きで、淡々と自らのフィールドを作り上げていく。
「坊主、佐藤が良い流れ作ってくれやがったぞ。第六ラウンドTKOだ。」
後ろに控えている練習生たちも、どこか興奮した面持ち。
自分も早くあの場所に立ちたいと、そんな事を思っていそうだ。
ならば俺も続こう。
彼らの様な後に続く者達が、更に情熱の火を燃やせる…そんな試合を見せようじゃないか。




