第46話
出番も済んだし遅くならないうちに帰ろうかと思ったが、保護者三人の提案でメインを見ていく事に。
昨日までは俺も楽しみにしていたのだが、自分の試合が終わりシャワーを浴び汗をを流すと何だか気が抜けて、早く帰りたくなってしまった。
加え帰る時間が日付を跨ぐのは少々億劫だとも思ってしまう。
「レベル高い試合になるから、遠宮君は絶対に見といた方が良いよ。」
まるで心を見透かしたように、及川さんが語り掛けて来る。
俺は多少の気恥ずかしさを隠しながら、大人しく提案を受け入れた。
そうして関係者が只で入れる観戦場所へ向かおうとしたのだが、
「ああ統一郎君、全員分チケット買ってあるから後ろの方の席だけど座れるよ。」
態々チケット迄買ってあるとは、そこまで俺にとって重要な試合なのだろうか。
正直、どちらの選手も俺と交わる機会等無いと思うのだが。
▽
席に座った時には、既にメインイベント開始直前。
観客席から見るリングとは久し振りだ。
父の試合を観戦して以来だから、約十年振りか。
先ずは王者備前直正の入場、野太い男達の声援がその背を後押しする。
そして次は誰もが待ち望む主役、御子柴裕也選手の入場。
すると会場の空気は一変、キャアキャアと黄色い歓声が会場を包んだ。
「凄えなこりゃ。まんまアイドルコンサートじゃねえか。おし、俺は男として王者を応援だ。」
牛山さんの言葉に、俺も心の中で頷いた。
当然これには僻みもあり、偏見も多少は混じる。
どうせ女をとっかえひっかえしてるプレイボーイに違いないと。
だがそう思ったのは一瞬、リングに上がった彼の体を見れば否応なく思い知らされた。
紛れもなく日々努力している人間の体だと。
スポットライトに照らされる主役を呆けた顔で眺める俺に、及川さんが情報を捕捉してくれる。
「御子柴君はね、中学から高校、そしてプロに転向した今まで公式試合で一度も負けてないんだ。」
それは何となく知っている。
だがプロではまだ四戦しただけ、本当の意味で試された事はない。
「有名な選手って皆異名を持って呼ばれるでしょ?彼は『ザ・ライト』つまり光って呼ばれてる。」
モデルとして、トップアスリートして一度も陰道を歩いた事の無い男。
それが御子柴裕也。
トランクスとガウンに並ぶ早々たる大企業名、だがそれらは彼にとってプレッシャーにはなりえまい。
因みにこの試合はプラチナグローブという番組で放送されるのだが、放送する局自体も彼のスポンサーである。
対する王者だがこちらは華やかな挑戦者とは逆、何度でも這い上がる不屈の男と言われている。
『赤コーナ~、三十六戦二十九勝五敗二引き分け、二十九勝の内十七のKO勝ちがあります。現在日本タイトル六度防衛中、その拳には今日も熱き魂が宿る……帝都拳闘会所属、日本スーパーフェザー級チャンピオン~、不屈の漢!びぜん~~~なお~~まさぁ~~っ!』
『お待たせいたしました、青コーナ~日本ボクシング界のニュースター、四戦四勝その全てがナックアウト勝ち~、高校インターハイ三連覇の肩書をひっさげ突き進むは常勝街道、さらなる上を目指すため強敵を今日もねじ伏せるか……現在日本スーパーフェザー級1位~王拳ジム所属~ザ・ライトっ!!みこしばぁ~~ゆう~~やぁ~~~っ!!』
長すぎる前口上が終わると、野太いブーイングと黄色い歓声が入り乱れ会場は混沌としている。
挑戦者本人はというと、天を仰ぐように両手を広げイケメン具合をアピールしていた。
「備前選手は近い距離得意だから、挑戦者も不用意に踏み込むと怖い一発をもらうかも。」
副音声みたいに解説してくれる及川さん、これ結構助かる。
何気に同階級の選手をチェックするのに忙しく、王者はともかく挑戦者は良く知らない。
そして試合開始。
すると及川さんの言葉通り挑戦者は強引にいかず、珍しく中央で牽制しあう大人しい展開になった。
だが、その均衡もすぐに崩れ去る。
挑戦者がリードジャブから頭をねじ込む様にして接近すると、火花の散る打ち合いが展開されたのだ。
「おお、おお。あの兄ちゃん気が強えなぁおい。」
グイグイと真正面から押していく姿に女性ファンはもうメロメロ。
会場に響く黄色い歓声も鳴りやむ気配がなさそう。
そんな空気だがチャンピオンも負けてはおらず、一発一発を小さく丁寧に放ち、のらりくらりと言った表現が正しい動きで、翻弄しながら決定打を許さない。
「流石だね。見るからに能力では負けてるけど、経験で食い下がってる。」
及川さんの言葉はまさに正しい。
両者の表情がそれを物語っており、まだまだ余裕のある挑戦者に対し既に歯を食いしばる王者。
その必死な姿を見ていると、どうしても王者側に感情移入してしまう。
「御子柴君は本来離れて戦う選手だから、多分まだ本気すら出してないと思う。」
「え?……普通に圧倒してるんですけど…」
「うん。つまりそれだけ差があるって事。両者の力に。」
一ラウンド終了のゴングが響きインターバルに入る。
王者は既に肩で息をしているが、その瞳はまだまだ力を秘めている様だ。
彼は世界戦でも序盤でダウンを喫しピンチに陥るという経験をしたことがある。
そしてそこから僅差の判定になるまで相手を追い詰めたのだ。
なのでこのくらい、屁とも思っていないのだろう。
「第二ラウンドも前に出るんですね、御子柴選手。」
「うん、そうみたいだね。練習試合くらいに思ってるのかな。それとも視聴率気にしてわざと派手な試合にしてるとか。」
人気者だとそういう気の使い方も必要になるのか。
だがそれは俺にも通ずる。
いかにしてお客さんを呼ぶかは、うちのジムとしても大きな課題だ。
なので彼の戦い方は、何かの参考になるかもしれない。
「第二ラウンドもどちらかと言えば挑戦者ですね。」
「うん。そうだね。ここまで差があるとちょっと厳しいかも。」
しかも本来のスタイルではない土俵でこれ。
失礼な言葉だが、九割方結果は見えている。
でも王者の目はまだまだぎらついており、勝負を捨てる気配は微塵もない。
だが第三ラウンドも展開は変わらず、やはり有効打で挑戦者のラウンド。
続く第四ラウンド、先ほどと同じく両者ともに頭を振りながら距離を詰め、クロスレンジ一歩手前で探り合っている。
そこから左を弾いた挑戦者がすかさず強打を放つが、チャンピオンがその腕を絡め取る様にしてクリンチへと移行した。
(上手いな。こうやって相手のリズムを崩すのか。)
徐々にではあるが、挑戦者がやりづらそうな表情を見せる様になってきた。
何か起こっているのだろうか、ここから見ている限りでは分からない。
「あれ、何だか挑戦者、クリンチ嫌がってるみたいだね。」
及川さんの言葉を聞き注視してみると、どうやら本当らしい。
腕を絡めとられる度に、見てわかるほどイラつき始めた。
クリンチは一見簡単にやっているように見えるが、挑戦者のハンドスピードはかなりのものでこれ一つとっても熟練の技と言えよう。
しかもこういうギリギリの戦いの中では、クリンチもタイミングを間違えると致命的だ。
リング上ではまたも腕を絡め取られた挑戦者が、苛立ったように逆の拳でボディを叩いている。
「少し流れ傾いてきましたね。もしかしたらもしかしません?」
「期待感持っちゃうよね。でも忘れちゃ駄目。御子柴選手は本来距離を取って戦う選手だよ。」
「ああ~そうでしたね。この試合眺めてるとそれ忘れちゃうな。」
▽
そうして決定打がないまま、試合は第六ラウンドに入る。
二人を見ていて、俺の中で少し違和感を覚える場面が多々あった。
厳密には挑戦者にという事だが、その違和感というのは何と言うか、いくらなんでも余裕がありすぎるという一点。
自分もプロボクサーの端くれであり、疲労している状態の辛さというのは何となく分かるのだ。
もう試合も中盤、挑戦者も肩で息をする仕草を見せているのだが、それ自体が何となく嘘くさい様な気がする。
何故だと言われても言葉に出来ない不思議な感覚、どういえばいいのだろうか。
一言でいえば、所謂三味線を弾いている感じ。
「及川さん、何かあの挑戦者演技臭くありません?」
「ん~…ちょっと分かんないな。クリンチ嫌がってるのは演技に見えなかったけど…」
「ああいや、それじゃなくてほら、疲れてる仕草が嘘くさいっていうか…」
やはり気のせいなのかもしれない。
まあどちらにせよ、今は試合の行方を見守る事だ。
そして第六ラウンド終盤クリンチからの離れ際、チャンピオンの強打がガードの上から挑戦者を仰け反らせ、ここを勝負所と見たか一気呵成に攻め立てる。
「よっしゃぁっ!!そこだぁっ!ここで勝負だ気合入れろっ!もう一発ぅっ!!」
隣で声を張り上げたのは牛山さん。
完全に感情移入してしまっている。
リング上では挑戦者がラッシュを受けロープに詰まり、会場は悲鳴にも似た若い女性の声と、歓喜する野太い男性の声が交差するように響き渡った。
「おしおしおしおしっ!!漢ならここで決めろぉっ!決めちまえぇっ!」
そして両陣営応援団の、悲喜こもごもが混じった歓声響く中ゴングを聞いた。
「流石にこのままのスタイルじゃ厳しいね御子柴君。次辺りから足使うのかな?」
及川さんの予想通り第七ラウンドに入ると、挑戦者側はスタイルを変えてきた。
視界を広く保ったデトロイトスタイル、そしてステップも軽快に踏み距離を取る様相。
それを見たチャンピオンも警戒してか、いきなり距離を詰めることはしない。
これは面白くなってきたと、そう思った刹那、会場から歓声が消えた。
チャンピオンがダウンしたのだ。
「…今のコンビネーション、滅茶苦茶速かったですね。えっと、ジャブからそのまま左ボディ…で、更に上にも左でフックを返して…最後は右ストレートですよね?」
「うん。でもフックとストレートの間に、ショートアッパーも挟んでたように見えたかな。」
言われてみればそんな気もする。
とにかく滅茶苦茶速かったのは間違いない。
速過ぎて音が幾重にも重なっていた。
「…本気出してきたね~。」
そこからはあまりにも一方的な展開が続き、チャンピオンは何とか立ち続けたが、最終ラウンド顔中が血まみれになった姿でレフェリーストップと相成った。
ピンチから一転しての逆転勝ち。
それはあまりにもドラマチックであり、観客席の女性の中には涙を流している者も多い。
そしてリング上には、爽やかな笑顔で勝利者インタビューを受けるイケメンの姿。
『有難う御座いました!皆さんの声援のおかげで何とか勝つことが出来ました!』
彼の声は一見喜びに打ち震えているように聞こえるが、俺の胸中にはどうにもモヤモヤが残る。
一つだけ確かな事を言うならば、何となくこの人は好きになれそうもない。
だがまあ、彼と俺では住む世界が同じでも通る道が違いすぎる。
片やスポットライトを浴び、一足飛びで世界へと駆け上がるスター選手。
一方こちらは、泥にまみれながら必死で足掻き上を目指す地方選手。
永劫交わる事はないだろう。
それでももし向き合う時が来たならば、俺は彼とどう対するべきなのだろうか。




