第45話
一月三十日、試合当日。
今日も控室には早め入りで準備を整える。
「初めてのセミファイナルだね。とは言ってもやる事は変わらない。遠宮君は能力的に上位ランカー以上だと思ってるから。」
バンテージを巻くのは及川さん。
俺としてもこの人にお願いするのが普通になってきた。
会長は他のとこの会長さんと何かの相談、俺が勝つと信じてもう次の事を考えているのかもしれない。
残る牛山さんは横で腕組みし、番人として仁王立ちしている。
立ち姿がこんなに頼もしい人もそうおるまい。
(うん、良い精神状態だ。これなら…)
お馴染みのガウンで頭まですっぽりと覆い、背にはオジロワシを背負う。
決して油断はしていない。
いないのだが、負ける気がしないのは何故だろう。
セミファイナルともなると、待ち時間も長い。
しかしそれは、俺にとって寧ろいい方向に作用しているのでは無いだろうか。
何となくだが、こうしてゆっくり集中できる方が好みだ。
▽▽
『…只今よりセミファイナル、ライト級八回戦を行います。』
リングに上がっても中々に良い集中力を保てている。
余計な力みは無く、体も軽い。
二度三度拳を突き出してみると、こちらも切れている…様な気がした。
こればかりは第三者目線の方が分かるかもしれない。
「切れてんな坊主。」
ぼそりと小さく呟いた牛山さん、俺は軽く視線を向け頷く。
『赤コーナ~百三十四ポンド二分の一~………日本ライト級十一位~、まつまえ~ただ~お~~っ!』
『青コーナ~………九戦八勝一敗、八勝の内二つがKО勝ち………とおみや~とういちろう~。』
最前列にずらり陣取るのは、アイドルコンサートよろしく年若い女性たち。
当然ながらこの試合には興味が無いのだろう、結構話声が聞こえる。
まあだからどうだという話だが、俺は俺のボクシングをするだけだ。
きっと松前選手も同じ事を思っているだろう。
そんな事を考えながらリング中央で向き合うと、モニター越しで見るより優しそうな顔をしている。
そして相手が背を向けるのを確認してから俺も自陣へ。
「松前君は特に穴の無いタイプだからね。じっくり主導権を握る戦いを心掛けて。」
試合映像などの事前情報から鑑みるに、荒々しい立ち回りは好まないタイプの様だ。
そう言う選手は正直噛み合う。
それはこちらだけではなく、向こうも思っている事だろうが。
カァ~~ンッ!
第一ラウンド、今回は丁寧に一つ一つ取っていく方針。
パシンと軽くグローブを合わせ始まりを宣言すると、両者共に様子見の左を伸ばし探り合う。
すると相手はするすると下がりながら、こちらのサイドに回る構え。
対する俺も、なるべく正面に相手を見据えながら距離を保つ。
「…シッシッシッ…」
(完全に待ちの体勢、カウンター狙い…か。)
相変わらず静かな展開、だがパッと見で印象が良いのはこちら。
リードブローで相手をコントロールしている様な形に見えるだろう。
「…シッ!」
(こちらが踏み込んだだけ下がる…か。う~ん、明確に取りたいな。)
誘う為、分かりやすく踏み込んで左ストレートを放ってみた。
だが相手は乗ってこず、トンとステップで躱し舐めるように見ているだけ。
試しに右から入る素振りを見せてみる。
すると、一瞬タイミングを合わせようとする仕草が垣間見えた。
(右に合わせようってか。左一流、右三流…そんな風に思われてんのかな。)
否定できないのが少々辛い。
だが開始からもう二分、このまま会場を冷えつかせるのも如何なものか。
観客がどう思っていたとしても今は俺が主役、やはり少しは盛り上げたい。
「…シッ!…シッシッシッ!」
(攻め気を見せながら、且つ慎重に。)
互いのリードジャブがぶつかり合い、両者共に弾かれるも次弾はこちらが先。
続けざま三発の左を伸ばし、このラウンドは俺のものだと主張する。
しかし相手はやはり本格的な差し合いには乗ってこない。
リングを大きく使い、俺のサイドに回り込むだけ。
そして静かな展開のまま、一ラウンド目を終えた。
▽
「OKOK。でもさっき左の連打見せた時ガード下がってたからね注意。狙われてるよ。」
なるほど、舐めるように見てると思ったらそう言う所を確認してた訳か。
すると場合によっては、多少強引でも左に合わせて来るという展開もありうる。
「…気付いてない振りして誘いに使うのも良いけどね。」
会長のそんな言葉を背に第二ラウンドのリングへと進む。
誘うというのはつまり、己のガードの甘さに気付かぬふりでエサを撒けと言う意味。
「…シッ!…シッシッ…シッシッシッシッ…」
(ここぞという時に噛み付いて来るなら、やっぱり一番自信のあるパンチ…左フックだな。)
左の差し合いは形だけの勝負。
向こうはここに活路を見出すつもりがまるでない。
だが相変わらず右のガードが少し甘いのを見てか、視線は鋭さを増してきた。
(おっとっ…少し攻勢に出てきたな。)
下がり続けていたのが一変、相手が急に前に出始める。
しかし分かっている、これは本命ではない。
俺の意識を散らそうとしているのだ。
勝負の一発をぶち込むために。
(ちょっと近くでやってみるか。)
右をダッキングで躱しつつ懐に入り、左ボディを二発。
すると相手もクリンチはせず応戦、近距離でのやり取りが続く。
「…っ…っ…」
(器用だな。色んな角度から打てるのか。でもパワーは無いな。)
手数は互角、パワーはこちらに分があった。
やはり左フックは鋭いが、事前のモニター越しに感じたほどではない。
恐らく中間距離でこそ力を発揮するパンチなのだろう。
そして間隙を縫い、内側から俺が二発突き上げた所で漸くクリンチ、レフェリーに引き離され互いの得意な距離である中間距離で向き合う。
(このラウンド中に一回、全力のやつを見ておきたいな。)
そう思い誘うのは左フック。
タイミングや軌道を確認しておけば、後々それを狙い撃つ事もできる筈。
カンッカンッ
拍子木の音を合図に踏み込んだのはこちら。
左ストレートから、力の籠った右へと繋げる。
その瞬間、空気で分かった。
ここで来ると。
「…っ!」
俺は反射的に大きく仰け反る。
直後、ヒュンっと鼻先を鋭い風切り音が横切るのを確認、追撃を警戒し細かいステップで距離を取ってから情報整理。
さっきのが左フック、彼が一番自信を持っているフィニッシュブロー。
想像通りの鋭さ、だが想像以上ではない。
これならば充分に対処できそうだ。
数秒間のにらみ合いのちゴング、互いが自陣へと戻る。
▽
「あれなら行けます。次、合わせてみても良いですか?」
「うん。統一郎君が行けると思ったのならいいよ。」
信じてもらえている。
そう思うだけでやる気が満ちるのは何故だろう。
それから俺は僅かなインターバルの時間、瞳を閉じ先ほどの残像を何度も頭の中で描いた。
「決められるなら決めておいで。」
頷きマウスピースを銜え、第三ラウンドのリングへと進み出る。
相手を見やれば、かなりそれらしい雰囲気を纏っている様だ。
恐らく先ほどのやり取りで手応えを掴んだのだろう。
自分の左には対応できていないと。
(確かにさっきは慎重を期し反撃しなかった…けど…)
次は違う。
次は決める。
得意の中間距離で活路を見いだせない以上、相手は確実にあの一発に賭けてくる筈。
ならば俺はそれを狙う。
「シッ!…シッ!…シッ!」
一発一発力を込めた左。
この距離の差し合いでは、お前に抗する術は無いと思い知らせる。
数センチ程度のリーチ差など何の意味もない。
相変わらず届くのは俺の左のみ。
(そうだ…狙え、一発を。お前にはそれしか勝機がない。)
一定の距離を保ったまま下がる相手。
空気だけで分かる、右でも左でも大きな一発が放たれた瞬間、勝負を賭けるのだと。
互いの視線中央、そこに力が集約していく様な感覚。
これがはじけた瞬間が勝負の時。
「…シッシッシッ…シッシィッ!!」
(来るか来るか来るか…ここかっ!!)
左、左、左からのワンツー。
相手が狙いを定めたのは最後の右ストレート。
対する俺は、いつ来てもいい様な心構えをしていた。
右を伸ばした体勢のまま体を沈み込ませ、相手が放つ牽制の左を躱し、直ぐあと放ってくるであろう勝負の一撃に狙いを定める。
そして狙い通りのタイミングで飛んで来た左フック。
待ってましたとこちらが合わせたのは左アッパー。
「…ヂィッ!!」
(…捉えたっ!!)
左フックと左アッパーが奇麗に交差し十字を描くと、相手の頭部が垂直に弾かれる。
そしてそのまま腰から崩れ落ちた。
「…ダウンッ!」
レフェリーは覗き込むと同時カウントを数える事無く腕を交差、試合終了を宣言。
俺の腕を掲げ、第三ラウンドでのKО勝ちを告げた。
正直ここまで上手く行くとは思わなかったが、偶にはこういうのもいいだろう。
これで俺も、漸くランキングに名を連ねる事が出来た。
まだまだベルトなど見えないが、それでも確実に近づいているのだと、そう実感出来たのである。




