第40話
第四ラウンド開始のゴングが鳴る。
会場のどよめきを肌で感じていた。
何故なら、今までとは逆に対角線上を突き進むのは俺の方だから。
左内腿にはかなり痛みが残っている。
だが今は、とにかくあいつをぶん殴りたい。
感情に突き動かされる様に思い切り踏み込むと、今までとは違う気配を感じたか、相手は少し仰け反りながら突き離す右。
しかし俺は足を止めず、少々強引に肩で受けそのまま突っ込んだ。
「…ヂィッ!!」
(オゥラァッ!)
肩を相手の胸部にぶつけ、そのまま押して体勢を崩すと同時、無理矢理右を叩きつける。
周囲の音が遠くに聞こえるのは何故だろう。
レフェリーが駆け寄るのを背中で感じるが、止められるまでには少しの猶予がありそうだ。
「…ヂィッ!!シュッ!!シィッ!!…チィッ!!」
(ムエタイやりてえんなら…こんなとこ来てんじゃねえよっ!立てなくなるまで、叩き潰してやらぁっ!!)
全体重をかけロープまで押し込むと、左腕を喉元に押し当てたままガードの上から殴打。
俺は今どんな顔をしているのだろうか。
恐らくは人に見せられない顔をしているのでは。
それでもいい、とにかく今はこいつを殴りたい。
十発くらい殴ったタイミングでレフェリーが俺を羽交い絞め。
何を言ってるのか分からないが、どうやら減点されたらしい。
まあ別に気にしないが。
「…ふぅ~~っ…ふぅ~~っ…ふぅ~~っ…」
(ぶっ殺してやる…ぶっ殺してやる…ぶっ殺してやる…)
こいつは真面目にボクシングをする気が無い。
ならここに居させちゃ駄目だ。
追い出さなければ駄目だ。
二度どここに立てないようにしなければ。
そんな黒い感情が胸を満たしていく。
「…シィッ!!」
(急に遅くなったなぁ…おいっ!!どうしたぁっ!?)
ノーガードで打ち合うのは駄目だと、そう言われたのは覚えている。
だがこれならばガードはいらない。
だって遅いから。
正確に言えば遅いのではなく、何を打つのか初動で丸分かりだ。
舐めているのか?
「…シッシッ!」
(まぁ~た内腿狙いかよ…芸がねえなぁおい。)
避ける必要すらない。
二発左を当て仰け反らせる。
「…シッシッシッシッシッ……」
(クリンチなんてさせねえよ…どうせ首相撲だろ?)
倒れ込む様な体勢でしがみつこうとしてくる相手に、下がりながら間断なく左。
何発打ってるかは俺にもよく分からない。
とにかく動けなくなるまで殴る、それだけ。
そして痛みから敵がガードを固めた瞬間、間断なく左右の連打を浴びせロープ際まで追い込む。
「…シッシッシッシッ…ヂィッ!!」
(今度は膝蹴りでもやってみるか?…良いぜ来いよ…カウンター合わせてやるからよ。)
今の俺なら本当に出来る気がした。
色々な感情を胸に抱えながら、ロープに釘付けにした相手を一切休まず…休ませず打ちまくる。
もう何十秒間打ち込んでいるだろうか。
ロープ際から更にコーナー際へと追い込み、丸まった相手を襲う暴力の雨。
もう何もさせない、手を出そうとしたら拳を叩き込むだけ。
中々倒れず頑丈だなぁと思っていたその時、後ろからしがみ付かれ何だと見やればまたもレフェリー。
邪魔だなと思ったが、どうやらゴングが鳴っていたらしい。
▽
「…成瀬君……遠宮君、凄い汗だよ。」
「分かってる…統一郎君、ちゃんと聞こえてる?」
徐々にしっかりと声が聞こえる様になってきた。
同時に感じる疲労。
ぜぇぜぇと肩で息をしており、己が身から余力が感じられない。
思わずうがいの水を全部飲み干してしまい、及川さんから少々お叱りの言葉を受ける。
「向こうのダメージも相当だよ。しっかり拳を握って、ちゃんとボクシングしよう。」
意味は良く分からないが取り敢えず頷いてから立ち上がる。
体が重い。
水の中を歩いているみたいだ。
ゴングが鳴り前に進み出ると、向こうもフラフラと足取りがおぼつかない。
そんな中ふと視線が合ったその直後、どちらもが重い体を引き摺りパンチを繰り出す。
しかし勢い余ったか腕が絡み合い、その気が無いのにクリンチとなってしまった。
(あれ、肘とかやってこねえな。)
何事もなくブレイク。
チョンチョンと俺が左を突くと、向こうは全力で右を振って来る。
こちらはしっかりガード、力は感じないが執念を感じる。
(何だ、やればできんじゃん…ボクシング。なら初めからやれよな。)
空振りした相手がふらついた隙を突き、トントントン、三発左で側頭部を打つ。
軽くてスピードも無い左、それでも、
「…ダウンっ!」
効いて倒れたと言うよりは、思わずよろめいて両手を着いた感じ。
立ち上がる時も一度ふらつき、止めても良いんじゃないかと思うが続行。
二人供がまたも重い足取りでよろよろ歩み寄る。
そして互いの距離になると、迫力の無い打ち合いが交わされた。
そしてまたも空振りした隙を突き、顎に狙い澄ました左。
「…ダウンッ!」
今度は前ではなく、後ろにゴロンと転がった。
流石にそろそろ終わりだろうと思ったが、まだやる気の様だ。
レフェリーもそのやる気を汲み続行。
しかし何だろうかこの執念、凄く感じ入るものがある。
(そっか、反則してでも勝ちたいんだな。)
それはいけない事だ。
だが俺には分からない彼だけの事情もあるのだろう。
まあ、だから何だという話だが。
でも分かるんだ、負けたくない…勝ちたいって思う強い感情は。
自分より上が沢山いるなんて分かってるけど、それでも諦められないんだ。
「…シッ…シッ……」
(きっついよなぁ…もう辞めたいよなぁ……でも、勝ちたいよなぁ。)
抱き合う様に体を預け合った所でゴング。
もう二十ラウンドくらいやった気分だ。
▽
「…まだやれる?」
会長もおかしな事を聞くものだ。
ダウンを二度も奪ったのは俺なのに。
今は少し項垂れているが、パンチなど殆どもらっていないので体は元気だ。
「成瀬君…レフェリー。」
及川さんの言葉で視線を上げた。
すると、いつの間にかレフェリーが立っており何かを伝えて来る。
「統一郎君、君の勝ちだよ。良かったね。」
「ああ~~良かったぁ~~。遠宮君良かったねっ。」
向こうの陣営を見やれば、どうやら棄権した模様。
立ち去るサムット選手に一声かけたかったが、椅子から腰が持ち上げられない。
ゴングさえ鳴ればすぐ立ち上がれるのに。
だけどリングから去る彼は一度振り向き、ペコリと俺を見ながら小さくお辞儀をしてくれた。
対してこちらもペコリとお辞儀。
これだけで通じ合えたような気がするのは、おかしい話だろうか。
いやきっと、命を削ってぶつかり合うからこそ、分かるものもある筈。
「統一郎君、立てる?肩貸そうか?」
「あ、大丈夫です。結構ピンピンしてますから。」
リングを降り一度振り返る。
初めての海外、得られたものはあるか。
思い返せばそれは感覚。
もっと早く、もっと鋭く放てる、自分の可能性。
これを突き詰めていけば、きっと更なる道が開けるのではなかろうか。
そう、信じたい。
▽▽
翌日、ソムチャイさんがまた空港まで送ってくれた。
昨日の夜は、会長の奢りで彼のジム生も交え祝勝会。
そして本日午前中の便でタイ国を発つ事になる。
「トミヤ、ガンバレ!」
見送るソムチャイさんは、会長だけでなく俺と及川さんにも声をかける。
独特の発音だが、俺の名前を憶えてくれた事はとても嬉しい。
何となく、またここに来るのかもしれないなと、そんな風に思った。
何はともあれ、俺の海外初遠征はこうして幕を閉じたのだ。




