第34話
二ラウンド目は積極的に距離を詰め、主導権を持ったまま終える事が出来た。
そして試合は第三ラウンドに入る。
向こうもこのままの流れは不味いと、そう思ってはいるのだろうが、試合中に修正するのは経験…若しくは天賦が必要。
恐らくこの相手にそれはない、俺と同じく。
だがそれでも足掻かなければ勝てないのが事実であり、このラウンドから少々組み立てを変えてきた様だ。
(右を軽く前に突き出す…か。視界が遮られる、つまり踏み込みを誘ってるな。)
自分が相手ならと考える。
すると自然に見えてくるのだ、その狙いが。
見れば先のラウンドまで目線の高さに構えていた左を、顎の所まで下げている。
(掻い潜って踏み込んだ所をアッパー…かな?)
見た感じ打ち下ろすという雰囲気でもない。
かと言って真っ直ぐ突き出して来るなら、構えを変える必要も無いだろう。
ここで俺は悩んだ。
タイミング次第では、相手のアッパーからカウンターを取れるのではないかと思ったのだ。
真っ直ぐのストレートと、下から掬うアッパーカット、同時に放たれればどちらが先に到達するかは明白。
だがこれは危険な賭け。
タイミングを間違えれば、逆にこちらがカウンターでもらう事にもなりかねない。
ダンッ!
悩んだ結果、少し攪乱してみる事にした。
踏み込む振りをしてその場で足踏み、大きな音を響かせる。
その時見た相手の動きで確信、やはり狙っているのはアッパーカット。
(相変わらず中途半端な所に右を置いてるな。)
相手は完全に右腕を引かず、少し突き出した状態からコンコンとガードに当てて来る。
絶え間なく伸ばされるそれは、視界を遮り非常に邪魔だ。
思わず向こうの誘いに乗り、強引に払い突っ込んでしまいたくなるほど。
差し合いに活路を見出すのも一つの手だが、何となく嫌な予感がした。
いつもなら無視しても良さそうな勘だが、今日は冴えに冴え渡っている。
(物は試し、力任せに払って踏み込んでみるか。一度タイミングも見ておきたい。)
このまま睨み合っていても埒が明かず、少し動いてみる事に。
方針が決まったら、あとは迷わず行くだけ。
相変わらず触角の様に伸ばして来る右に、左を叩きつけ弾く。
そして直ぐ飛んで来るであろう左に、最大限の注意を払いながら踏み込んだ。
しかしもうすぐ懐に到達しようという時になっても、左はピクリとも動かない。
「…チッ!?」
(…右フックっ!?左はブラフかっ!?)
予想に反して叩きつけられたのは右、だがガードは外しておらず直撃はしていない。
それでも予想外の一発に、動きは止められてしまった。
そこから動き出したのは、本命の左。
長身を大きくしならせ、下から掬いあげる格好で思い切り叩きつけて来る。
一瞬、ガード若しくは回避の選択肢が脳裏をよぎるも、思考の前に体が反応。
大きく仰け反るスウェーバックで危機を回避した。
(…距離を…いや違うっ!突っ込めっ!)
俺が距離を取ると思ったのか、相手の重心が前に傾いている。
これを狙わない手などある訳が無い。
俺は覚悟を決め、仰け反った体勢から頭を振り、反動をつけて今一度懐の奥に踏み込む。
そして肩がぶつかろうという程の至近距離から、
「…フッ!」
肝臓を突き上げる。
この先の行動は予想済み、先ずはクリンチで仕切り直しを求める筈。
案の定、腕を絡めようとしてきた。
だがさせない。
素早く腕を引き細かいステップでサイドに回りながら、更に腹を叩いていく。
そしてある程度目論見が成った所で距離を取り、こちらから仕切り直しを求めたのだ。
▽
「踏み込んでからの横の動き、良かったよ。後三ラウンド落ち着いて行こう。」
戦術的なアドバイスは無し、つまり今のままで問題無いという事。
自陣は落ち着いた空気だ。
ゆっくりうがいをし少しだけ水を飲んだ所でセコンドアウトのコール、それを聞いてからマウスピースを銜え立ち上がる。
カァ~ンッ
ゴングが鳴った直後、俺は勢いよく距離を詰めていく。
対する動きを見て、相手の方針を見極めようというのだ。
「…っ!」
飛んできたのは力強い左ストレート。
だが俺は勢いを緩めない。
軌道と射程は見切っているので、ギリギリを見極め躱し突き進む。
あわよくば、このまま第二ラウンドの再現と行きたい所だが、そうはさせてくれなかった。
しっかり狙い澄ました右を打ち下ろしてきたのだ。
これを受け突き進むのは、流石に強引が過ぎる。
仕方なくキュッとシューズの擦れる音を響かせ、一旦バックステップし距離を取った。
(さっきと同じスタイルか…確かに攻めにくいが…)
先ほどと違うのは、踏み込みへの警戒度。
対してこちらも先ほどとは違い、正道なる差し合いに打って出る。
「…シッ…シッシッ…シッ!」
伸ばして来る右に、何度も何度もしつこく左を被せ叩き落していく。
同時に足先だけで数センチずつ距離を詰めていくのだが、そんな中気付くこの選手の癖。
ジャブを打つ直前、ほんの僅かだけ左が内側に動くのだ。
恐らくはこれに体が反応していたのだろう。
そして見切る一瞬の隙。
「…シッ!」
パァンっと良い音を響かせ、ジャブが相手の頬を打つ。
恐らくはまだ射程外だと思っていたのだろう、その顔には驚きが浮かんでいた。
そこから一度踏み込むフェイントを交え、強打を誘い落ち着いて見切り距離を詰める。
「シッ…シッシィッ!」
左、左、右、初撃はボディへ、続き上を狙いワンツー。
ヒットしてはいるが、仰け反っているので威力は殺された。
だがここはチャンス、一気呵成に攻めるべき時。
相手もここが勝負の分かれ目と思っているのか、クリンチではなく力強い反撃で応戦してくる。
体格の差もあり、自然とこちらは内側を抉り、向こうは外側から打つ形となった。
(意外に近い距離も打てるんだな。これは貰うと不味い。)
覚悟を決めたからだろうか、今までよりも力の乗った良いパンチが返って来る。
しかしその分一発の隙も大きくなっており、クリーンヒットは圧倒的にこちらが上。
そして二十秒ほど近距離戦が続き、先に根を上げたのは向こう、クリンチで仕切り直しを求めてきた。
充分な戦果を挙げたこちらも応じ今一度差し合いとなったが、残り時間が少ない事もあり、そこからは特に試合が動かずゴング。
▽▽
試合は最終第六ラウンドに入った。
ポイントでの勝ちは望めないと悟った向こう陣営、セコンドの指示もあり序盤から思い切り振り回して来る。
リーチ差もあり、只下がるのでは事故を誘発するだけになるだろう。
「…シュッ!…シッシッシッシィッ!」
(一発にだけ注意、内側から…)
強打はしっかりガードでいなし、射程に入ったら打ち終わりを狙い細かく連打。
勝利が近づいた時ほど慎重に、これは今までの試合で学習済みだ。
確実にダメージを積み重ねているが、相手は尚も強引に振り回して来る。
正直、こういうのは精神を圧迫してくるもの。
(でも大振りだ。見切ればカウンターも…)
守りに入るのではなく、完全に心をへし折りたい。
このラウンドはずっと近距離でのやり取り、故に相手が放つコンビネーションの流れも理解出来ている。
(右のフックだな。一番力入れて打つのはそれだ。)
大砲の左ではなく右、恐らくこの選手が流れの中で一番力を乗せるパンチ。
少々意外だが、踏み込まれてからの展開を考えれば納得か。
ならば俺が狙うパンチも、当然それとなる。
「…シィッ!!」
(…ここっ!!)
相手が疲労と痛みで顔を歪ませながら放つ、渾身の右フック。
俺はその一撃に狙いを絞り、放ったのは左ストレート。
目論見通りその一発は、最短距離を走り綺麗に相手の顎を打ち抜いた。
直後、ガクンと膝が折れたたらを踏み後退する太田選手。
(ここで決めるっ!判定まで行かせないっ!)
逃げる様に下がる相手はロープを背負い、もう後の無い状態。
感覚的にも残り時間は僅か。
俺は勝負を決めるべく力任せに振りかぶる。
その時思い出した、以前の苦い思い出を。
あの時もこうして欲に目が眩み、痛い一発をもらったのだ。
(勝ちはもう確定だ。KОは出来るならしたいが…)
そんな思いを抱えながら、ガードの上を細かい連打で攻め立てる。
すると相手は、最後のお願いとばかりにもらいながら右を強振。
その一撃を落ち着いて捌いた所で、試合終了のゴングが響いた。
健闘を讃え抱き合い、相手陣営にも挨拶をしてから判定を大人しく待つ事に。
▽
「良い試合だったよ。最後まで非情なほど冷静で、勝ち続けるんだっていう覚悟が滲み出てた。」
汗を拭きながら嬉しい事を言ってくれるのは及川さん。
その言葉通りKОは結果として付いて来るもの、無理矢理捥ぎ取るものでもない。
少なくとも、今の俺のスタイルでは。
『……以上、三対〇の判定を持ちまして、勝者…青コーナ~遠宮統一郎。』
噛みしめる。
決して楽ではない一つ一つの勝利を。
遠くを眺めるのではなく、小さな一つ一つの星を確実に掴んでいけば、いつかきっと大きな舞台に繋がると信じて。




