第33話
三月二十四日、計量当日。
食事メニューなどもある程度組み上がってからは、上手く調整できている印象。
「え~ライト級遠宮選手…二百アンダー…」
この瞬間はいつも緊張するが、リミットを少し下回る六十一㎏ジャストで通過。
さあ相手はどうだと見やる。
「…六十一,二……太田選手ライト級リミットです。」
大川ジム所属、太田聡二十二歳。
戦績は六戦四勝一敗一分け二KО。
この選手の特徴は、何と言ってもその身長。
ライト級ではあまり見ない、百八十三センチという長身のサウスポーだ。
リーチも身長と同程度なので、俺とは大体十センチくらいの差がある。
まああまり気にしていないが。
新人王戦は一回戦負けの選手だが、正直どっちが勝ってもおかしくない内容だった。
「統一郎君、ご飯行くよ。」
そう声をかけるのは及川さん。
今日から三人目のセコンドとして陣営に加わってくれる。
会長はなにやら他のジムの会長らしき人と話し込んでいるようだ。
「放っといて良いよ。成瀬君は後から来るから。先に行こ。」
良いのだろうかと思いながら、及川さんの背に続き足早に計量会場を後にする。
外に出ると、いつも通り山崎さんがカメラを回し横に付いた。
そして明日の試合の自信や意気込みを問うのだ。
「今回はかなり懐の深い選手ですけど、そこまで苦手なタイプではないですね。」
強がりではなく、これは本当に思っている事。
相手の太田選手の戦法は悪く言えばワンパターン。
そのリーチを生かし相手をくぎ付けにしてから、左ストレートを打ち込む。
只それだけ。
まあそれで勝ってきているのだから、簡単ではないのだろうが。
「初めてのサウスポーです。前に出した足が近くにあるので、ポジショニングとかが難しいとは結構聞きますが、その点どうですか?」
「ん~会長がサウスポーに構えての形で時々やってますから、初めてっていう感じは無いですかね。」
会長は何でもできる。
最近は殆どマス形式のスパーばかりだが、それでも凄さは充分身に染みている。
器用に左構えもこなすし、あらゆる距離にそつなく適応するまさに万能ボクサーと呼ぶべき存在。
なので、サウスポーと対する事にそれほど違和感は感じ無い筈だ。
「じゃあここで、明日頑張ってください!」
手を挙げ応えつつ車に乗り込むと、いつも通り食事をとってホテルでゆっくり体を休める。
因みに、俺の食べる量を初めて見た及川さんはやはり驚きの表情を覗かせていた。
▽▽
翌日、今日も相変わらず青コーナー側の控室へ向かう。
気分的にこちらが自陣という感じで、突然赤コーナーになったら戸惑いそうだ。
そして少し早めに入ると、これまたいつも通り安物のパイプ椅子に腰かける。
「ほれよ坊主。ガウン。」
自分に送られた物だが、やはり漆黒のガウンはカッコいい。
ごちゃごちゃ言わず、男は黒に染まるべきだ。
横でカメラを回している山崎さんにも、きっと伝わっているだろう。
すっぽり頭を覆いうっとりしていると、他の陣営も続々到着。
本日の出番もそれなりに早く三試合目、俺も準備すべき時間だ。
「やっぱりこの空気良いよね~、勝負師が集まる場所って感じ。」
及川さんにとっては、懐かしい場所という感覚なのだろうか。
周囲を眺め見るその雰囲気は柔らかく、昔を思い返しているのだろう。
「どう遠宮君?きつすぎる?」
バンテージを巻いてくれるのも及川さん。
係員に見られながらだが、特に緊張した感じはなく自然体。
会長はまたも何やら他のジムの会長と相談、牛山さんは道具のチェック。
「いえ丁度いいです。流石に上手いですね。」
褒めても何も出ないよと、及川さんは静かに笑った。
不思議な話だが、いつもより試合前の空気が柔らかい気がする。
悪い意味ではなく、緊張感は保ちつつも余計な力は抜けているというか。
「うん、OK。ちょっと握ったり打ったりしてみて。」
少しシャドーをしてみるが何も問題はない、万全だ。
▽▽
『只今より~本日の第三試合ライト級六回戦を始めます。』
本日の興行のメインは、ミドル級の日本タイトルマッチ。
挑戦者が注目されている選手なので、今現在でもそれなりの集客だ。
『赤コーナ~百三十五ポンドぉ~………おおた~さと~し~。』
パチパチとまばらな拍手、応援団らしき声援も聞こえない。
少し親近感を覚えるのはおかしな話か。
『青コーナ~………六戦五勝一敗、森平ボクシングジム所属~とおみや~とういちろう~。』
今日は都合がつかず、誰も来てくれていないので声援は無し。
交通費だけでも往復数万円、あまり無理はさせたくないのでこれでいい。
と思いきや、おかしな掛け声が一発。
「よっ!地方の星!頑張れぇっ!!」
会場から少し失笑が漏れる。
それでも応援してくれるのは有難いものだ。
そしてレフェリーに招かれリング中央で対峙。
こうして正面に見据えると、やはり十二センチ差の身長は軽視できないと実感する。
▽
「相手の戦法は知っての通り。だけど最初から踏み込んだりはしないで、少し向こうの距離に慣れよう。」
トントンと軽く跳ねながら頷く。
調子はいつも通り、それなりに緊張しそれなりに脈拍も高い。
良い状態だ。
カァ~~ンッ!
ゴングが鳴り中央で挨拶、相手はスッと下がり自分の距離を確保。
なるほど、思った以上に遠い。
数値上は十センチ程度の差だが、身長差も相まって感覚的にはニ十センチくらいある。
「…っ!?」
(ここでも当たるのか…あと半歩後ろ…)
目算でここならと思ったが、しっかり鼻先まで届いて来る。
しかもまだ踏み込んで打ってはいないので、場合によってもう少し伸びるだろう。
(このくらい…だな。左も見てみたいけど、これ以上後手を踏むのは流石に勘弁。)
俺はあまりKОを期待できないタイプ、ポイントを取られるわけにはいかない。
なのでそろそろ、動くべきだろう。
「…シッ!」
打ち終わりを狙い左を一発。
ガードの上だが思ったより早かったのか、相手は警戒を前面に押し出しながら下がる。
何となくだがこの選手、初動が分かりやすい。
それを言葉で表せと言われても今のところ無理だが、恐らく感覚的に打つ前の予備動作を感じ取っているのだろう。
故に俺の取った立ち回りは、差し合うのではなく徹底的に打ち終わりを狙うというもの。
(やっぱり、この選手のジャブ…捌きやすい。)
世の中にはサウスポーを苦手とする選手は多い。
それなら逆に、得意とする選手も当然いる筈であり自分はどちらか。
「シッ!シィッ!!」
リードブローの打ち終わりを狙い、右ストレートから更に右ストレート。
いつもは使わない類のコンビネーションだが、何となく自然と出た。
しかもその二発目がクリーンヒット、大きく仰け反らせる事に成功する。
(何か……分かる。)
そうとしか形容できない。
言葉じゃないんだ。
やりにくい等とよく耳にする足取りのポジショニングも問題ない。
加え距離感も掴みやすく、いつ打たれれば嫌なのかも何となく伝わってくる。
本能に近い部分がこうしろと訴えて来る様な、不可思議な感覚があった。
「…っ!?」
(おっ…左打ってきた。すげぇ伸びるなぁ。)
擬音で例えるなら、グィ~ンと伸びてくる感じ。
だが思い切り距離を取って避けたのが正解、余裕を持って捌く事が出来た。
これに味を占めたか、左ストレートを多用しこちらの動きを制しようとしてくる。
俺はその一発一発をしっかりと記憶し、次に繋げる為覚える作業に徹しこのラウンドを終えた。
▽
「うん。OKOK。足も外側で、良いポジション取れてるから打ちやすいでしょ?凄く冷静に見れてるよ。今のままなら特に言う事無し。」
こういう言葉は自分を肯定する一助となる。
すなわち迷いを払拭する手助けになるのだ。
何てことないと思うかもしれないが、ボクシングに於いて迷いは大敵、時には致命的な隙さえ生む。
そうして確信を新たにしていた時、少しいつもと感覚が違う事に気付いた。
何だろうかと思えば、手の数が違う。
横にマウスピースを洗っている手が見え、反対側にはタオルを持ち汗を拭いてくれる手、加え首筋に氷嚢らしきものを当てられている感覚もある。
やはり三人いると色々やり易いだろうなと、そんな事を思いながら第二ラウンドのリングへ進み出た。
「シッシッ……シィッ!」
ラウンド開始直後、相手の初撃よりも早く距離を詰め、左、左、一度反応を見てから更に左ストレート。
自分の距離が恋しいか、相手は少し慌て気味に下がるも、やはり感覚的に動きが読める。
休ませる事無く踏み込んで、
「…シィッ!……シュッ!!」
先のラウンドを踏襲する、右ストレートからもう一発右ストレート。
そして二発目がガードの隙間を射抜き、顎の先端に触れその手を着かせた。
「ダウンッ!」
おおっと、会場からどよめき。
だがそこまで痛烈なダウンではなく、反射的に手を着いただけの、所謂フラッシュダウンという類のもの。
このまま強引に決めに行くのは、あまりにもリスクが高すぎる。
しかし確実に手応えを感じた。
この試合を支配しているのは自分であるという手応えを。




