第30話
第三ラウンド、序盤はやはり大人しめの立ち上がりで大きな動きは無かった。
距離を支配しているのは俺。
膝から下のみを使う特殊な歩法で、一発一発微妙に距離を変えている。
相手はそれに対応できていないのだ。
「…シュッ!…シッ!」
左ストレートからジャブ、あまりやらない変則コンビネーション。
読まれていれば危険だったが、上手く不意を突き二発目の左が顔面を捉えた。
そして返しのフックは下がって避ける。
(欲をかかずに行こう。でも慎重になり過ぎず…)
会長の指示を頭の中で反芻しながら、丁寧に左を突いていく。
その対応に手一杯なのか、相手は上手く連撃を放てていない。
現実的に考え、短いラウンドの勝負で能力を隠すなどしないだろう。
つまり作戦ではなく、本当に攻めあぐねているのだ。
(力籠めて打ってくるな…一発狙いの選手には見えなかったけど…)
映像で確認した時には感じなかった印象、多少の躊躇いはあるが考えすぎるのは避けるべき。
「…シッ!」
左がクリーンヒット。
相手は対応に窮し無理矢理パンチを被せようとしたため、思いがけずカウンターとなった。
(焦りが見える…何でだ?)
考えすぎるのは良くないと分かりつつ、どうしても考えてしまう。
まだ勝負に出る時間帯じゃない。
流れは確かにこちら、だが一発で引っ繰り返る程度の差でしかないだろう。
「シッ!…シッ!」
(被せてくるな…)
左へのカウンターを狙っているのだろうか。
こちらが打つと同時、少々分の悪かろうと構わず右を被せて来る。
しかし自分で言うのは何だが、俺の左は早い。
正確に言えば、軌道に無駄が無いのだ。
(当たる様になってきたっ!)
力強く被せて来る右だが、完全に伸ばされる前に被弾し上体が仰け反る。
こうなれば一気呵成に攻めたい所、しかし今の流れが壊れる可能性もある為難しい所だ。
カァ~ンッ!
取り敢えず大きな被弾が無い事を良しとして、このラウンドを終えた。
▽
「とにかく左を攻略したいって感じだね。」
「はい。少しヒヤッとしますけど、冷静でいれば大丈夫です。」
「うん。そうだね。それに…この展開は心を蝕む。君の左はそういう拳だ。」
四回戦なら次がラストラウンド、しかし今回は丁度折り返し、気を引き締めるべきだ。
「相手、右目の辺り腫れてきてるの分かる?」
「何となくは。」
「…次からもっと当たるよ。」
セコンドアウト、会長はそう言い残しリングから降りていった。
第四ラウンド、そろそろ前に出てきそうな気がする。
流石にこの流れのまま最後までって事はないだろう。
(やっぱり…少し圧力掛けてきたな…でも…)
俺は少々特殊なボクサーだ。
正確には、会長の教えでそうなったというべきか。
何でも、俺の左はどんな体勢から打っても硬くて切れるとの事。
だがズシンと芯に響くようなパンチじゃない。
「…シッ!」
(君の左は肉を削ぐ様なパンチ…か。)
ボクサーに限らず、格闘家は痛みを覚悟してリングに上がる。
脳内麻薬も分泌される為、痛みへの耐久度は日常生活と比べ物にならないだろう。
しかし、何にでも限度はある。
「…シッ!」
(君の左は、夢から現実に引き戻すパンチ…とも言ってたな。)
リングに上がっている時、選手はどこかその非日常に酔っている。
当然、それは俺も例外ではない。
「…シッ!」
(思い出させてやるよ。)
猛々しく前に進み出る勇猛なる自分。
そんなものは幻想だ。
だから思い出させてやればいい、脳内麻薬を無効とするほどの激しい痛みによって。
「…シッ!…シィッ!!」
振り回して来る左フックをスウェーで避け様、腫れ上がった一点を狙い左二連発。
直後、相手の動きが完全に止まった。
脳震盪を起こす類のパンチではない。
単純に、痛みが心を蝕み始めたのだ。
「…シッシッシッ!」
(嫌ならギブアップすべきだ。なあ、もう嫌だろ?…痛いのは。)
頭も視界も、とてもクリアだ。
止まって見える、とまではいかないが、手に取る様に相手の動きが分かる。
弱気の垣間見えた敵に対し、慈悲など与えず痛覚を刺激し続けるのだ。
(随分と縮こまった反撃だな。もっと豪快に振れよ。)
強張った体で振るパンチは非常に見切りやすい。
切れも無く伸びも無い為、リーチの優位性が完全に消え失せている。
そしてガードの上から、二発三発叩いた所で第四ラウンド終了。
▽
「…言う事無いよ。このまま落ち着いて行こう。」
俺は息を整えつつ、自らの状態を確認。
音もクリアに聞こえる、スタミナも十分、当然身体に異常も無し、万全だ。
カァ~ンッ!
第五ラウンドのリングを進み出る。
正直、この相手には負ける気がしない。
少なくとも今の状態なら。
向き合えば感じるんだ。
今打つぞと、視線が…呼吸が…僅かな所作がそれを教えてくれる。
「…シッ!」
完全に初動を見切った左。
流れを変える為、力を籠め放つ相手の右を狙い撃った。
その右腕は伸ばされることなく、少し前に突き出した状態で止まる。
(倒す必要はない…けど、勝利を手繰り寄せるには攻めなければ。)
ここで流れを確定するべく、苦痛に顔を歪ませ下がる相手を追う。
「…シッ!シィッ!…フッ!……シュッ!」
ジャブから左ストレート、一拍開け左フック、そして締めの右ストレート。
敢えて下は狙わず上だけを攻める。
そして意識を上に向けさせた所で、
「…シィッ!!」
苦し紛れの反撃を躱しざま、渾身の右ボディストレート。
完全に不意を突いた一撃、深々と腹にめり込む感触が拳に伝わる。
だが手を緩めず、そのまま止めと上に返すも空振り。
「ダウンッ!ニュートラルコーナーへ。」
戻りながら電光掲示板を見やると、残り一分十七秒。
立って来ても、決めるには充分な時間が残されている。
自陣にチラリ視線を向けると、二人供が拳を突き出す仕草。
決めてこいと後押ししてくれた。
「…フォー!ファイブ!シックス!…」
カウントは進んでいるが、選手自身は既に立ち上がり続行を望んでいる。
そんな中、レフェリーが一瞬視線を向けたのは向こう陣営。
だが直ぐに視線を戻すと、続行の合図を出した。
「…ボックスッ!」
先の事を考えれば、良い感触でこの試合を終えたい。
つまりKО勝ち。
しかしチャンスが一瞬でピンチに変わるのが、ボクシングという競技。
攻める時こそ集中しなければ。
「シッシッシッシッ……シィッ!!……シィッ!!」
細かい連打で意識を誘導し、反撃を誘い生まれた隙を狙う作戦。
俺は返しをしっかりガードで受けながら、力を籠め上下に打ち分けていく。
このまま押し切るつもりであったが、相手はロープを背負った所でフラフラになりながらもクリンチ、仕切り直しを求めた。
「…ブレイクッ!」
当然だが簡単には倒れてくれない。
自分の決定力の無さに呆れつつも、起死回生の一発だけは許すまじと集中は切らさない。
カンッカンッ!
だが残り十秒の拍子木が鳴り響き、結局決めきれぬままラウンド終了。
▽
「…はぁはぁ…はぁ……はぁ…」
「完璧だよ。全部のラウンド取ってるから。最後も集中していこう。」
そう、落胆する必要なんかない。
勝つ事、それだけが重要事項だ。
カァ~ンッ!
ラウンド開始直後、相手は歯を食いしばり直進してくる。
まあ、これは予想していた。
もう倒す以外勝利の可能性がないのだから。
(ダメージはあるな。動きが直線的だ。)
それでも気持ちで振ってくるパンチにはまだ力があり、油断すれば万が一もある。
その心の強さは、名門で足掻く叩き上げの意地か。
少しだけ気持ちは分かる、俺も叩き上げだから。
(ジャブじゃ止まらないか…倒しに行くのは危険だな。)
ボディも効いているのか追い足も鈍い。
故に先ほどから、大きな隙をわざと見せこちらを誘い込んでいる。
(悪いけど乗れないよ。盛り上げたいけど、それ以上に…勝ちたいんだ。)
俺は冷徹に距離を保ち続けた。
相手の気迫に引き摺られる事無く、丁寧に一発一発積み重ねていったのだ。
倒すのを諦めたわけではない。
同じような状況で、いつかは勝負しなければならない時も来るだろう。
だがそれは、絶対に今ではない。
残り十秒の合図が鳴り、相手は顔を歪ませ追いかけてくるが、俺はフックを潜り躱すとクリンチ。
「…ブレイクッ!」
レフェリーの声とゴングが重なり響き、試合終了となった。
▽
バチバチとまばらな拍手の中、互いを称えあってからすれ違い相手陣営へと足を向ける。
果たして俺は、称えられるほどの勇敢さを示せただろうか。
そして判定の結果は、当然の如く俺のフルマーク。
もっと盛り上げたい気持ちはある。
だが環境を鑑みれば、あと一敗でもすれば上への道は断たれるだろう。
そんな言い訳を心に抱きながら、一つの勝利を噛みしめていた。




