第24話
「インファイトやりたいんだね。見てれば分かるよ。」
「はい。もう雰囲気からこの距離嫌いなんだなって伝わって来るんです。」
「うん。いいよ。でも行くなら中途半端は駄目。自信を持って、ここだと思った所で迷わず踏み込んで。大丈夫、君のパンチは倒せるパンチだよ。」
最後の言葉、それが俺にとってはとても大きい一言。
何故ならKО勝ちの経験が無いから。
どうしても逡巡してしまうんだ。
本当に俺のパンチで倒れてくれるのだろうかと。
「よし、行っておいて。」
肩をトンと叩き告げる言葉、それはまるで学校に送り出すかのような軽さ。
でもこの位の方が良い。
信頼されていると、そう思えるから。
第二ラウンドの方針は単純明快、中間距離の差し合いを制しインファイトに持ち込むだけ。
「…シッ…シィッ!!」
足首だけを使った独特の歩法から繰り出される左のダブル。
一発一発微妙に距離をずらし打っているのだ。
(パワーと回転…どちらも俺に分がある。)
勝負に打って出る前に、最後の能力確認。
ここを見誤ると全てが狂いかねない。
(スピードも俺…だがリズムが独特で掴めないな。)
こういう場合何かが間違って噛み合い、出合頭に最悪の一発をもらう可能性もある。
だが会長は言った。
中途半端が一番駄目なんだと。
(右ストレート打たせたいな…その一発に合わせて…)
この選手、あまりフック系は打って来ない。
だがこちらの踏み込むフェイントに合わせ、アッパーの素振りを時折見せる。
一連の動きには淀みがなく、かなりの自信も窺えた。
(この辺りなら、狙いやすいだろ?)
俺はリードブローを躱しざま、わざと狙いやすい位置に頭を置く。
これは勇気のいる作戦、初動を見切り損なえば少々痛い目を見るだろう。
(ここっ!!)
心の中で会長の言葉を反芻しながら、右をヘッドムービングで躱し思い切り踏み込む。
迷うな迷うな、頭の中で何度も繰り返しながら放ったのは、左のボディストレート。
だが意外に反応が早い、腰を後方に引かれ僅かに届かなかった。
(体勢悪いっ…突っ込めっ!)
相手は反撃の出来る体勢になく、俺はそのままの流れで強引に右を返す。
するとこちらが強振したパンチを浅くもらいながらも、その腕に絡みつきクリンチへと移行してきた。
無理矢理解こうとしても悪戯に体力を消耗するだけなので、ここは大人しく受け入れる。
「…ブレイクッ!」
離れ際、相手は二度のバックステップを挟み十分な距離を取った。
正直この選手、ロングレンジが特別強いという訳では無いが、中々噛み合わない。
恐らくポイント的にも優勢なので、相性が悪いという訳では無い筈だ。
「…シッ…っ…」
同時に放った左は相打ち。
タイミングというか呼吸というか、それが上手く掴めない。
故にスピードや回転が優っていても、相打ちという結果になるのだ。
そしてどっちつかずのまま、第二ラウンドも終了。
▽
「大丈夫。勝ってるよ。焦るのだけは絶対駄目。強かにカウンター狙ってるからね。」
そう、これが厄介なんだ。
ひしひしと伝わって来る。
総合的な能力で劣っている事を理解し、虎視眈々と起死回生の一発を狙っているのが。
ガードもしっかりしているので、俺のパンチで強引に崩すというのは現実的ではない。
「インファイトは乗ってこない。でも中間距離はこっちが上。このまま積み重ねていこう。」
「はい。」
インターバル終了、マウスピースを差し出す強面と視線を合わせ頷き合ってから、悠々とリング中央へ。
そこでどっしりと構える。
(無理して倒す必要はない。このまま全部の距離を支配して判定まで行ければいいんだ。)
分かっているさ。
俺はつまらない選手だ。
でも今は、とにかく一つ一つの勝利が何より欲しい。
「…シッ…シッシッ…フッ…シィッ!!
左、左、左、左三連打から右のフェイントを挟み、もう一つ左。
やはり一発相打ちになったが、こちらは二発当てた。
こうして落ち着きを崩さずにいれば、向こうからボロを出してくれるかもしれない。
そんな一縷の希望もある。
(この距離は俺だ。さあどうする?待っていてもチャンスは来ないぞ。)
拳でメッセージを伝える。
この選手とはタイミングが合わない。
理由はあるのだろうが、四ラウンド制の試合中にそのズレを解消できる保証もない。
ならば正確性と回転の差で勝負するのみ。
「…シッシッシッ…シッシッシッシッシッ…」
一発貰うならこちらは二発、二発貰うなら四発返せばいい。
間断なく襲うリードブローは、強打を封じる役目も担う。
(俺の左は痛いらしいぞ?堪んないだろ?開き直って踏み込んできたらどうだ?)
拳でそう伝えているのだが、何て我慢強い選手だ。
全くスタイルが揺らぐ気配を見せない。
「…チッ!?」
こちらが強めの左を放つと、向こうも強めの左を放つ。
鼻腔に微かに香るこの匂い、どうやら鼻血が出たらしい。
だがそれは向こうも同じ事。
いや同じではなく、出血量は向こうの方が多い。
カァ~ンッ!
本当に微妙な試合展開と微妙な空気のまま、第三ラウンドが終了した。
▽
「全部取ってるよ。あと一ラウンド確実に行こう。」
「…はぁ…はぁ…はい。」
考える、彼はどうして勝負に来ないのだろうと。
このままでは確実に負けるというのに。
いや違う、勝つ為に耐えているのか?
確かに終わりがけ、妙に強いパンチが鼻先を捉えてきた。
「体でタイミング覚えるタイプだね彼。正面での差し合いは避けた方が良いかもしれない。」
体で覚える。
それはつまり、考えるより先に体が反応していたという事か。
だから速力で劣っていても俺を捉えられた。
「さあ、気を引き締めていこう。」
最終ラウンドのゴングが鳴ると、リング中央でフェアプレーを誓い互いの拳を合わせる。
(この人は長いラウンドの方が力を発揮できる…のか?)
何故だろう、何となくこの人を倒したいなと思った。
「…シッ…っ…」
(なるほど、もう完全に相打ちのタイミング。そしていつかはこれがカウンターになる…と。)
こんなボクシングもあるのか。
傷ついた分だけチャンスが生まれる。
彼は中間距離が命のボクサーにとっては天敵だ。
俺の様なタイプが一つ一つ丁寧に積み重ねていたら、いつか痛烈なパンチをもらってしまうだろう。
もしかしたら勝ち進んだ先で、またこの人と出会うかもしれない。
(ならば今、勝負しよう。今、勝負したい。この人を倒したい。)
もう中間距離の差し合いは止めた。
重心を低く取り、下から覗き込む様にして隙を伺う。
目を見れば分かる筈、何が何でも踏み込んでくる気だと。
変化を察してか、相手はやはりバックステップで距離を取った。
(関係ない。それでも行く。中途半端は一番駄目、もう決めた。)
じりじりとにじり寄る俺、じりじりと下がる相手、そんな時間が続く。
そしてロープ際、左のフェイントで誘い僅かに反応したのを確認してから、勇気を持って踏み込んだ。
ガードにパンチが当たり強めの衝撃が走るも、前進を止めるほどではない。
「…シュッ!!」
そして頭から懐に飛び込むと、力一杯右を振る。
だがやはりクリンチが上手い。
上手に腕に絡みつき、それ以上何もさせてくれないのだ。
「…ブレイクっ!」
そして中間距離に戻される。
本来なら俺が一番好む距離、だが今はこの距離で勝負したくない。
まあここで勝負しても負けるとは思っていないが、今はどうしても倒したいんだ。
「…はぁっ…はぁはぁ…」
残り時間は一分もないだろう。
もう一度踏み込む、すると放ってきたのは珍しく左フック。
予測出来ず被弾したが、構わず前進し距離を潰した。
「…シッシッシッシッシッシッ!…シュッ!!
重心低く潜り込むと、上から潰す様に圧し掛かられる。
それでも俺は強引にラッシュを仕掛けた。
だがこちらの体勢は不十分、致命になどなり得ない。
それでも構わない、今は振り回し続けるのみだ。
「…ブレイクっ!」
レフェリーの声と同時に拍子木の音が響く。
「…はぁはぁはぁ…はぁはぁ…はぁ…」
少し無理をし過ぎた。
元々自分のスタイルとはかけ離れた事をしたおかげで、疲労で足が前に進まない。
「…っ!?」
そして最後は、相手から痛烈な左をもらった所で試合終了のゴング。
「「あざっしたぁっ!!」」
健闘を称え相田選手と肩を叩き合い自陣へ。
▽
『…以上、ユナニマスデシジョンを持ちまして勝者…とおみやぁ~とういちろう~。』
判定の結果を聞いてすぐ、俺は相手陣営へ駆け寄り向こうの会長に礼を告げる。
「有り難うございましたっ!強かったですっ!」
「うん。おめでとう。これからも頑張ってね。」
結果や内容に納得できたかどうかはともかく、良い経験をさせてもらった。
こういう選手もいるのだと、ボクシングの奥深さを改めて思い知らされたのだ。




