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父子鷹の拳  作者: 遠野大和
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第100話

試合は第五ラウンドに入った。

開始早々のリング中央、互いに険しい表情をしたまま距離を詰めジャブを打ち合う。

だがやはり単純な差し合いではこちらに軍配。

ならばと向こうは回り込みながら右を伸ばしてくるが、こちらは大きくサークリングして距離を作る。

試合中盤の主導権争いは直接勝敗に絡むため、お互い積極的に打ち合いながらも決定的な瞬間に備え力を溜めていた。


「一分経過!」


牛山さんの声が遠くに響こえるのは集中出来ている証拠。

変な所で自分の状態を確認出来た。


(しかしこの展開、そろそろ動きが欲しい。プロなんだから、慎重な事ばかりしていられない。)


良くも悪くも興行とは、お客さんが楽しめなければ意味がない。

だが集まってくれている多くの人達が、俺の勝利を願っているのも事実。

無理な立ち回りを強行し劣勢を強いられては、それこそ本末転倒だ。

何となくだが感じているんだ。

もう少しで勝負の時が来ると。

そしてその一瞬を見逃さぬよう、互いにフェイントを掛け合いながら隙を伺っている。


(…仕切り直しがしたい…)


この緊張感に耐えかねてか、どららからともなく軽いジャブを突いて一旦距離を取る。

そこから幾許かの時、互いが好む距離よりも少し遠い位置でリング中央睨み合いが続いた。

だがパンチを交わし合わなければ試合にならない。

そしてこの現状にありてそれを気にするのは恐らくこちらの方。

何故なら興行の主役は、間違いなく俺なのだから。


(いやそうじゃない。皆自分こそ主役だと思っている。)


そんな事を考えた直後、ふと昔の情景を思い出してしまった。

集中が途切れたわけではない。

音は相変わらず遠くに聞こえているし、相手の動きにも注意を払えている。


(そうか…父さんはいつもこんな思いを抱えていたんだ。)


今この時になって、初めて気付いた。

父が馬鹿げた乱打戦に興じ会場を盛り上げていたのは、お客さんの為じゃない。

多分、俺の為だったんだ。

息子にカッコいいとこを見せたかったんだ。

リングの傍で自分を見上げる一人息子に、カッコ良かったって…そう言ってほしかったんだ。

だから…あの人は。


(それを言ってしまえば俺だって同じか。春子や亜香里だけじゃない、皆にカッコいい所を見せたい。)


試合中に何を考えているのだろうか。

思わず笑みがこぼれてしまった。

直後、馬鹿にされたとでも思ったのだろうか、相手は思い切りよく踏み込んでこようという体勢。

対する俺も覚悟を決め再び距離を詰める。

すると、今まさに勝負の時が近づいているのを感じた。


(ここぞの場面で頼るのは一番自信のあるパンチ…そうだろ?)


誰に問い掛けているのか、それは己自身分からない。

彼の得意パンチである左フックは確かに痛烈だが、単発ならばガードしてしまえば良いだけの事。

幸い相手はハードパンチャーでは無い。

腹を括ってそのまま近い距離で打ち合っても、十分に勝算はある。

コンビネーションで来るなら、今度こそ強烈な一撃を合わせてやるだけ。


「…シィッ!!」


そして瞬きも許されぬ一瞬、同時に拳を繰り出す。

相手は左を俺は右を、どちらもストレート。

躱し方も鏡合わせのようで、両者首をよじりヒットポイントをずらしていた。

そこから直ぐに次の準備、何が来るかなど分かり切っている。

だが両者顔が横を向いてしまっている為、相手を視界に収められていない。

それでも、


(それでも来るっ!ここはそう言う場面だっ!)


確信があった。

だから俺も、迷わずもう一度右を伸ばしたのだ。


「…っ!?」


直後、視界がぐにゃり歪み俺は二度三度たたらを踏む。

それでも何とかダウンだけは拒否。

右拳には何かを捉えた感触が微かに残されており、直ぐ眼前を確認すると、その場で尻餅を着く相手の姿が見えた。


「…ニュートラルコーナーへっ!」


電光掲示板に目を向ければ、残り時間は十秒を切った辺り。

立ち上がれば決着は持ち越しとなるだろう。


(ま、そりゃ立つよね。)


淡い期待など抱くものではない。

大きな怪我を乗り越えここに立っている男が、この程度で終わる訳がないのだ。

しかも意外なほどの冷静さで、しっかりギリギリのカウントナインまで体を休めている。

その後、再開するも直ぐにゴングが響いた。



「彼、真っ直ぐ歩けてなかった。かなりダメージあるよ。ここが踏ん張りどころだ。決めておいで。」


椅子に座るやいなや告げられた言葉、直ぐに会長の視線に釣られ俺も対角線にあるその姿を見た。

最初こそ気丈に歩き出したが、直ぐにふらつきロープにもたれ掛かる弱った彼の姿を。

だが椅子に腰を下ろすと、その瞳は揺らぐことなく対角線の向こうから俺を捉えている。

きっと彼にも、負けられない理由があるんだ。


カァ~ンッ!


第六ラウンドのゴング。

ここを決着のラウンドとしたい。

最後の勝負に備え、互いに伸ばした左を叩き落としながら探りを入れ合う。

自分のダメージも確認しなければ、流れが来ている時こそ冷静に。

結構こういうのは分からないものだ。


「シッ…シッ…シッ…」


左、左、左、続けざまに相手の顔面を捉える。

感覚的には反応出来ているのだろうが、どうやら体がついて来ないらしい。

ならばもう迷う必要もあるまい。

互いの意志と視線がぶつかり合った直後、俺は勝負を決すべく動いた。


「……シィッ!」


左ストレート。

相手の重心が低い事から察するに、間違いなくクリンチを狙っている。

だがやはり足がふらつき力が入らないらしい。

無理な体勢のまま抱きつこうと、両腕を前に突き出したのが仇になった。

瞬間、鼻の横辺りに俺の左拳が奇麗に叩きつけられる。

これで決着だと、すぐさま追撃の右を力強く振るも、下に逃げる様な体勢を取られ空振り。

いや、そうではない。


「…ダウンッ!」


相手はその場に膝をついている。

だが分かる、この人は立ってくるだろう。

目が全く死んでいないのだ。

ここで負ける訳にはいかないと、そんな強い気持ちを秘めている。


「…スリーっ!フォーっ!ファイブっ!……」


彼は立ち上がると腰に手を当て、一度天井を見上げてから大きく息を吐いた。

その時、少しだけ微笑んだように見えたのは気のせいだろうか。


「…ボックスっ!」


後はもう決めるだけ。

だが油断してはいけない。

彼はまだまだ勝負を捨てていないのだから。

そしてこの状況にありながら、先に手を出してきたのは意外にも向こうから。

力ない左を精一杯伸ばし、こちらを牽制してくる。


「…ふぅ~~っ……シッシィッ!」


相手の左を額で受けつつ、踏み込んでワンツー。

この状態でもガードでしっかり受けるのは流石。

だが勢いを殺しきれずおぼつかぬ足取りのままふらふら、中央付近からロープを背負う所まで下がり漸く止まった。

その時、


「…来いよぉっ!!」


突如響く大声、同時に飛び散る鮮血。

それはかつて期待を一身に集めたエリートによる最後の意地。

両腕を大きく広げ、来るなら来いと俺を睨みつける。

この状況、気持ちで押されるようなら上を目指す資格はない。

その意気に応え、正面からぶつかるだけだ。


「…シッシッシッ…シッシィッ!…ヂッ!ヂィッ!」

(これをねじ伏せられずに…何がチャンピオンかっ!)


上田選手は最後まで打ち返してきた。

そのパンチには力が無く体も泳いでいたが、それでも打ち返し続けた。

だが俺も負けじと打ち返す。

左、右、左、右、左、右、左、右、もう只の意地の張り合いでしかなかった。

そして力を籠めた俺のワンツーが奇麗に相手の顔面を捉えた瞬間、レフェリーが割って入り試合終了を告げる。

しかし彼はそれでもパンチを出し続けていた。


「…もういいっ!もういいんだっ!」


レフェリーが抱きしめる様にして耳元で告げると、上田選手は体から力が抜け糸が切れた人形みたいになった。

どうやら少し前から意識を無くしていたらしい。

横に寝かせられ陣営に囲まれる彼の横では、俺が勝ち名乗りを受けていた。

リングの光と闇。

いつもの事だが、今日は何だかより濃い気がする。

しかし幸いな事に上田選手は直ぐ目を覚ましてくれた。


「有り難うございましたっ!」

「…うん。いやぁ…もう少し出来るかなって、思ったんだけどな…」


充分に強かったです、そう告げる前に彼はリングを去っていった。

俺はその背中に今一度礼をしてから、勝利者インタビューへ。

リングアナの後ろに並ぶアイドル三人組は、いつも通りの営業スマイルを浮かべている。


「見事なKО勝利、おめでとうございましたっ!」

「有り難うございます。」

「相手は元オリンピック出場経験もある強豪でしたが………」


答えながら周囲を見回す。

すると、前列中段あたりに目当ての姿を発見した。

彼女はハンカチを目に当てており、もしかして泣いているのだろうか。

それを見て少し心がざわつくも、まだまだ暫くはここで生きていきたい。


(これは俺のエゴだけどさ、あと十年は付き合ってくれよ…な、春子。)

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