山人 溝呂木山
「おい」
長い間口を閉ざしていたスケロクが隣人に声をかける。その声に先ほどまで怒気は無く、柔らかい。しかし、蛇の前に捨て置かれた蛙に相手の声質など判別できる訳もなく、一度大きく震え、振り返ろうとする動きと振り返らんとする動きがせめぎ合うガクガクとした。まるで絡繰り人形のように振り返る。
「何でしょう?」
ようやく顔を合わせるとスケロクは背筋が凍る思いをする。隣人の魂の抜けたその顔面は「声をかけられたから振り返った」ではなく「声のした方に振り返った」という顔持ちで、とても理性ある人間がしていい顔ではなかったからだ。生き残るための本能以外を今まさに捨てた、そんな顔であった。
生き人形になった隣人を鳥肌が収まるまで目を離さずに凝視した後、スケロクは大きくため息を吐き目をつぶり生き人形へ言葉をかける。
「さっきはすまなかったな・・・お前らや食べ物にあたってしまって・・。
山菜取りはくじ引きで決めたことだ、俺は別にお前たちには怒っとらん。むしろ、俺が腹を立てているのは自分自身だ。負けた事ではなく、負けた自分が許せんのさ」
チラリと薄目を開け隣人の様子を窺う、隣人の顔には生気が戻っておりどうやら人間へと戻す事に成功したようだ。スケロクは二度、地面を指さす仕草をし隣人にその場に腰を下ろすように促す。隣人はその意図が理解できずしばし指を目で追っているので、たまらずスケロクは「座ってくれ」と伝えた。
「え?ああ、なるほどなるほど、そういう意味でしたか。失敬失敬」
隣人はサッと腰を下ろしたので、スケロクも隣人に向かい合わせになるように身体を動かした。
「気を悪くしたか?」
「いえいえ、そんなことは・・」
「昔からなーよくこんな感じで、他人に気ぃ使わせちまうんだよ、毎回毎回。その度に、この性格は直さないかん、と思ってんだがなー。また同じ轍を踏んじまって・・」
「まぁ、癖ってのは中々直らんもんでしょう」
「・・・・いや・・これは癖ではないと思うが」
隣人に反省の句を述べようとしたスケロクだったが、相手に「癖」と言われあっさり認められてしまい責められもしないものだから出鼻を挫かれたスケロクは腕を組み、ぐぬぬと考え込んでしまう。
「これは癖なのか・・いや、性格?うーん・・」
「私にもありましたよ悪い癖は、今でもふとした時に出てしまいます。そういうものですよ。これは」
「・・・・・・・分からん。そういうものなのか?」
「なんだ?おぬしら若いもん同士で。爺に隠しばなしかい?儂も混ぜてよ~ん」
片手に枯草や木の枝を抱え、老人が二人の元へ帰ってくる。その声色は仲間を鬼へ差し出し逃げ出した人物だとは思えないほど快活だ。空いた手を大きく振り、額に汗を煌めかせながらバチバチと隣人へ目配せをする。
「気持ちの悪い声をだすな」
スケロクが老人の方へ顔を向け、ヤジを飛ばす。その間に隣人は腕を使い老人へ大きな丸印を作った。
「さて、では食事の準備に取り掛かろうかのぅ。スケロク、荷物から塩と鍋、あと干し米を出してくれ」
「鍋?ここまで持ってきたのか?随分と大掛かりな持ち物だな」
「爺はな、色々と考えを巡らせるもんなんじゃよ。ああ、お前は水を汲んできてくれ。」
「がってん」
「ん?どこだ?荷物が無いぞ」
「そこじゃ、その岩陰の」
「・・・あ!!何であんなとこにあんだよ!!」
老人は、枯草の上に薪を組み立てながら二人に指示を与え、スケロクは岩陰に隠すように置かれた荷物から指定された物を取りに、隣人は川へ水汲みに行った。




