通州事件
昭和十二年七月二十九日に発生した「通州事件」は、下手なホラーやスプラッターよりも、遥かに残虐で恐怖を覚える事件でした。
『大東亜戦争への道』(中村粲著)で初めて克明な被害状況を読んだ時、憤りで身体が震えました。
この「通州事件」以前にも「尼港事件」や「済南事件」、「南京領事館の惨劇」などの被害状況を読み、その兇悪で醜怪な惨状は文面だけでも正視に耐えず、とても気分が悪くなりました。
端的に言って、「通州事件」はこれ以前の吐き気を催す醜悪な事件(尼港事件、済南事件、南京領事館の惨劇)を超える、史上最悪な事件です。
「済南事件」では被害状況を実況検分した写真が、中国共産党が日本社会党の寄付金で建設した「南京事件記念館」に、日本軍の悪行として転用されていることからも、その悲惨さがご理解頂けると思います。
それでは、「通州事件」の被害状況の説明の前に、他の事件の被害状況から慣れていきましょう。
スプラッター表現が苦手な方はブラウザバックで引き返して下さい。
「南京領事館の惨劇」1927.3.24
これは、比較的冷静に受け止められる被害状況です。
蒋介石率いる北伐軍が南京市内に進駐し、各国領事館に対して掠奪行為を行いました。
日本領事館は、国民党軍を刺激しないようにと配慮して、玄関前に積んでいた土嚢を撤去し、機関銃も片付け、警護に来た海軍陸戦隊を別室に待機させました。
国民党軍は日本領事館に押し掛け、身体検査と称して領事夫人の衣服を脱がして何度も執拗に触り、挙げ句の果てに病床にあった領事に向けて発砲し、金銭や貴重品を掠奪して行きました。
領事は幸いにも助かりましたが、海軍の陸戦隊隊長は責任を感じて拳銃自殺を図っています。
「済南事件」1928.5.3
酸鼻を極めたと評された虐殺事件です。
被害状況のみ、簡潔に記載します。
・藤井小次郎(40歳、土産物商)
頭および顔の皮膚を剥がされ、眼球摘出。内臓露出。陰茎切除。
・斉藤辰雄(桐材商)
顔面に刺創。地上を引きずられたと思われる全身擦創。
・東條弥太郎(28歳、土産物商)
両手を縛られ地上を引きずられた形跡が顔面にあり。頭骨破砕。小脳露出。眼球突出。腹部射出口より約二尺ばかり小腸露出。
・同妻きん(24歳)
全顔面及び腰部にかけ、皮膚及び軟部の全剥離。乳房に刺創。肋骨折損。陰部に木片挿入あり。
・鍋田銀次郎(雑貨商)
左脇腹から右脇腹に貫通銃創。
・井上国太郎(30歳、雑貨商)
顔面破砕。両眼を摘出し石を詰める。上膊部に刺創。左股に貫通銃創。
・宮本直八(55歳、土産物商)
胸部貫通銃創。肩に刺創数箇所。頭部に純刀による切創。陰茎切除。
・多比良貞一(34歳、土産物商)
頭部にトビ口様のものによる突創。頭蓋骨骨折。腹部を切り裂かれ小腸露出。
・中里重太郎(28歳、土産物商)
顔面壊滅。頭骨粉砕。全身に無数の刺創。右肺貫通銃創。
・高熊うめ(50歳)
肋骨損傷。右眼球突出。全身火傷。左脚下が脱落。右足の白足袋で婦人と判明。
「尼港事件」1920年
これは事件の背景にロシア革命があります。
共産党パルチザン(以下、共匪)が厳冬期に孤立化した都市を襲い、掠奪行為や虐殺事件を頻発させていたことに対して、駐留していた日本軍が決起して、全滅したことで、更なる悲劇を招きました。
日本人居留民は共匪によって惨殺され、共産党に与せぬロシア人も多数が惨殺されました。
この事件があった為に、後の南京領事館の惨劇の時の無抵抗などに繋がっています。
「通州事件」1937.7.29
まずはこの事件に至るまでの経緯を紹介します。
・盧溝橋事件:中国軍による駐留日本軍への銃撃に端を発する。七月七日発生。
・日本軍将校斥候へ迫撃砲弾が撃ち込まれた。
・大紅門事件(七月十三日):北京郊外の豊台付近で日本軍トラックが爆破され四名が殺害された。
以後、小競り合いが断続的に発生。
・廊坊事件(七月二十五日):廊坊での電話通信線補修に派遣されていた一個中隊を中国軍が攻撃。
・広安門事件(七月二十六日):広安門を通過中の日本軍が銃撃される。
こうした中、中国側が大攻勢に出ると宣言して緊張状態が続き、通州事件は発生します。
午前2時、中国軍が通州日本軍へ攻撃を開始。
日本軍守備隊(留守部隊110名程度)、特務機関を襲撃、日本軍は壊滅し、また日本人居留民(非戦闘員)を襲撃し、在留日本人385名のうち223名が虐殺されました。
以下、被害状況の証言を掲載します。衝撃的な内容ですので、心して読み進めて下さい。
幾つか重複する証言もあります。
『飲食店の旭軒では40から17、8歳までの女7、8名が強姦後、裸体で陰部を露出したまま射殺され、うち4、5名は陰部を銃剣で刺されていた。日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、「血潮は壁に散布し、言語に絶したもの」であった』
『旅館の近水楼では、入り口で女将らしき女性の遺体があり、着物がはがされ、銃剣で突き刺され、また陰部は刃物でえぐられていた。帳場配膳室での男性の遺体は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のように突き刺されていた。女性遺体は裸体で、局部などに刺突の跡があった。カフェの裏で殺害された親子の子は、手の指を揃えて切断されていた。南城門の商店の男性遺体は、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた』
『鼻に針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が、ゴミばこや壕から続々発見され、ある飲食店では一家全員が首と両手を切断され惨殺されていた。14、5歳以上の女性はほとんど強姦され殺害され、旭軒では陰部に箒を押し込んであったり、口に土砂をつめてあったり、腹を縦に断ち割った遺体があった。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて鉄線を貫き、6人数珠つなぎにして引き回された形跡のある死体もあり、池は血で赤くなっていた』
『九死に一生を得た日本人女性の発言「日本人は殆ど殺されているでしょう。昔シベリアの尼港事件も丁度このような恐ろしさであったろうと思います」』
なお、これらの兇状を後年、我々日本人が南京市内で行ったと誹謗中傷されておりますが、当の南京では日本軍進駐前に二十万人の人口が、進駐後には三十五万人に増えております。
むしろ、人民解放軍がチベットやウイグルで行っている惨状が、これらの兇状と同じ手口です。
多くの被害者に哀悼の意を捧げます。