武士の魂
かつて、侍たちが政治を担っていた軍国主義国家の時代、国内の産業は軍需産業に向けられ、国家首脳は将軍で、人口の7%が職業軍人でした。
日露戦争当時でも人口の2%しか軍人がいなかったことと比較すると、江戸時代の軍国主義が如何に飛び抜けているか理解できると思います。
そのような軍国主義であったからこそ、諸外国は我が国に軍事的侵攻を諦め、他の東南アジア諸国が植民地支配されていたにも拘わらず二百年以上も太平の世だったのでしょう。
そのような武士の魂と言われたのが、刀でした。
その刀を時代で区分すると、平安初期以前の上古刀は日本刀の範疇から漏れます。
童子切ぐらいからを日本刀と呼び、鎌倉時代、室町時代、戦国時代を通じて生産された刀は「古刀」と分類され、地域の産鉄による特色ある刀でした。
江戸幕府が開かれ、全国的に鉄の質が均一化したことと、備前の刀鍛冶が自然災害で離散して、美濃鍛冶が優先になったことが重なり、江戸時代の刀は「新刀」と呼ばれます。
更に幕末に向かう中で往古への復帰が目指され「新々刀」と呼ばれる刀が生まれました。
明治維新の後は日本刀は衰退しましたが、戦後の文化財保護の流れで「現代刀」として作刀法は継承されています。
刀は「太刀」と「打刀」に分類されます。
太刀は刃渡り三尺ぐらいの大きな刀で、刀身は鍔元が広く先細りに、腰反が多く作られました。
打刀は我々が思い描く通常の日本刀です。両者の違いは、打刀が刃を上向きに鞘に入れますが、太刀は刃を下向きにして鞘に入れます。
脇差というのは太刀や打刀の本差の脇に差すことから言われることですので、二尺の打刀に一尺八寸の脇差と、ほとんど長さが変わらない場合もあります。ですので「大小」と呼ぶこともあります。
こうした刀が武士の魂と呼ばれたのは江戸時代の頃で、鎌倉時代などは弓馬の道と言われて、主要戦闘は弓矢で騎射でした。
その武士の魂に纏わる逸話があります。
『クロちゃんのRPG千夜一夜』で言及されるエピソードで、ダンジョンの最奥部で危機に陥ったパーティが悪魔と取り引きして助けて貰い、その代償に魂を渡す契約を結びました。
約束の日、現れた悪魔は刀を渡されます。
「武士の魂じゃ」
そう契約者は侍だったのです。
こういう機転と頓智の利いた話を書いてみたいものです。