家族とは何だろうか?
それは単純な疑問である、家族とは何だろうか?
ただの血の繋がりだけでは説明出来ない複雑な文化、周りを見渡せばどこかしらに在ってしかるべき確実な存在。
しかし、それを深く考えるほどに「家族」の実態は遠くへと逃げてしまう、雲を掴むように、とても面倒であると言える。
だと言っても考えるのを止めるのは建設的でないし、無益、諦めずに追及をしていきたい。
先ず自分が最初に目を付けたのは世界中で薄く見つかる義兄弟の概念、決まってそれは血の違う者同士で行われる家族の契りである。
中国史で最も有名だと言えるのは、一代で蜀を築き上げた英雄の劉備、後世にて武神に昇華していた関羽、暴力装置の張飛、その三人による桃園の誓いであろう。
ここから私は家族への本質を探していった。
義兄弟の義、義理の意味について調べてみると「物事の正しい筋道。また、人として守るべき正しい道」とのことらしい。
黄河文明の倫理観である儒学では、他にも家族と切り離せない概念がある。
その名も孝悌、これを簡単に説明すると生徒なら先生へ、子供なら親へ、弟なら兄を崇拝し、帰服するべきだと。
自由を求める者なら孝悌はどうしても禁忌しがちではあるが、前述した義理の概念が相まってようやく平和的に作動するようにはなっていた。
私は調べてみてこう思った、儒教の言う家族とは礼儀の下に成り立つ階級社会なのかと、出来るならば孔子を蘇らせて直接尋ねてみたいものだ。
ふと思う、逆に家族とは言えない物とは何だろうかと。
生憎のところ自分には兄がいた。だから分かる兄弟喧嘩は日常茶飯事、一日は私物の混同から始まり、終いには壊される事もある。
殴り合いが印象深いがそれでも残念ながら家族だった。つまり、軽い喧嘩程度ならば家族で無いと否定する事は出来ないのだ。
ただ確実に言えるのは、子をアクセサリーか何かと勘違いしている親と、人に誇れない事をする奴を、私は家族だとは認めたくない。
こうしたテーマの中で忘れてはいけない外せない話題が一つ、貴方はテレビやニュースで見かけた事は無いでしょうか、犬と猫が、虎と豚が仲睦まじく暮らしているところを、あれもまた家族の関係だと私は考える。
因みに、ああ言う異種族ファミリーは、それが人が飼うからこそ起きる現象では無く、人々には自然界においても発生する事は良く知っていて欲しい。
話は戻って。では犬猫を家族同然に扱うのはどうしてなのだろう、彼らは血族でも無ければ種族も全く違うのに、そう言った不思議を人類の大半は思う事さえ無く生きていた。
私にとって犬とは生まれた時から傍にいた親しい存在。それは大きな犬で、子供を産んだ時も、家から逃走した時も、死んだ時でさえも、時間を共有しあった事は間違いない。
そうだ、ペットを家族だと言える人は皆そうではなかっただろうか。
これはもう断言して良いのではないか、共に生きてきた、時間を共有し合った関係こそが家族の本質なんだと。
これはただの私の考えです、貴方にとっての家族とは何でしょうか?