91話。三河の旦那と側室、鬼の襲来を知るの巻
前話のあらすじ
姫 「あ"ぁ"ん"?」
皆 「ひぃぃぃぃ」
三河 豊川周辺
「ふむ。見事なものだ」
「えぇ、まったくですな」
今回の戦で東三河と遠江の軍勢8000を率いることとなった岡部元信が、豊川の向こうに布陣する織田の軍勢を見て感嘆の声を上げれば、副将として付けられた朝比奈泰朝もまた、川の向こうを見て頷いている。
「一見ただの真横に並んだだけのように見えるが……細かく兵を動かすことで兵の緊張を保ちつつ、鍛錬を施しておるのだろうよ」
「ですな。先の戦において三河の国人の殆どが滅ぼされたので、しばらくはまともに戦が出来る状態ではないと思っておりましたが、当てが外れましたな」
「そうだな。御屋形様や崇孚(雪斎)様が散々『油断するな』と釘を刺す理由もわかるわい」
国人とは侍大将にして中隊長だ。彼らが居なければ軍勢が組織だって動くことは難しい。それなのに向こうは「そんなの関係ない」と言わんばかりに見事な統率で兵を指揮している。そしてそれを可能にするのは三河守こと千寿の並外れた統率力……ではない。
「三河守、いや織田弾正か。武田の残党をここまで重用するとはな」
「うつけでは有るのでしょう。しかしそのうつけが今回に限り良い方向に作用しておりますなぁ」
「まことに。うつけ過ぎて大器に見えるから不思議よな」
「まったくですな」
岡部も朝比奈も、降伏したからと言って「ならば働け」と言わんばかりに晴信に兵を預けて使おうとは思わない。虎は飼い慣らせないからこそ虎なのだ。
更に武田晴信の元には馬場信房を筆頭に、旧武田の家臣団まで居ると言うではないか。これは虎に翼を与えるどころではない。更に今の織田弾正忠家が置かれている状況を鑑みれば、晴信に三河を奪われてもおかしくはない状況である。
織田弾正はうつけ故に武田晴信と言う女の危険性を正しく理解していない。だからこそ彼女らを重用していて、晴信も今は雌伏の時と判断して織田に従っている。今はその結果が奇跡的に噛み合って居るだけだと思っている。
「しかし現時点では向こうに付け入る隙が無いのは事実よ」
「えぇ。もどかしいですがとりあえずは現状維持ですな。この後に関しては崇孚様は何と?」
「長尾の使者、いや関白殿下が駿府に訪れるだろうから、それまではここで待機。関白殿下が来られたら連中と停戦し、我らも北条攻めに参加だそうだ」
「ほう。それでは尚更ここで無理は出来ませんな」
「そう言うことよ。まぁ隙を見せれば喰らうが、あの陣容を見れば難しいだろうな」
無理はしない。まずは与えられた任務をこなすことを第一とすることで、次の戦に繋げる。
堅実と言えば堅実だし、やる気が無いと言えばやる気が無い。ただし油断はしてないと言う、有る意味では矛盾した姿勢である。
……朝比奈や他の将には明かしていないが、岡部は義元から直々に『豊川を渡るな。とにかく隙を晒さぬよう。万全の備えをもって織田と対峙するように』と命じられていた。
そして織田も無理をする気配がないのを感じとり、どうやら無事に主命を果たせそうだと、密かに胸を撫で下ろしていたと言う。
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『戦線を動かさないこと』を目論んでいるのは今川だけではない。6000の兵を率いて今川勢と対陣する千寿は、相手の様子を伺いつつ将兵の訓練を行い、更に南信濃や三河の政の書類を捌いていた。
その仕事量を見て「ちょっと働き過ぎじゃ無いか?」と周囲が心配し、信玄も千寿を止めようかどうか悩んでいたとき、尾張の姫様から千寿に対して派遣された急使が訪れた。
予想よりも早い連絡で有りながらも使者に悲壮感のようなモノが無かった為に、千寿らは「もう近衛が動いたか?」と思ったのだが……残念ながら尾張からの報は千寿も信玄も予想だにしなかった事態の報告であった。
「利家が服部党を殲滅させた?さらに九州から誾千代と由布惟信、さらに島津義弘が参陣した?いや、これって……」
那古野に居る姫様からの早馬によって、尾張での敵が一つ消滅したことを知らされたんだが……マジか?
いくら姫様の懐妊と言う大友家にとっての重大事項があるって言っても、ベッキーが誾千代を手放すなんざ想定外だぞ。それに立花四天王の筆頭を付けるってどういう事だ?
あぁいや、確か由布惟信は家督を親族に譲って立花の為に生涯を捧げたってのは聞いたことがある。つまり絶対の信頼を預けている忠臣を愛娘の護衛につけたのか?しかしコレって完全な公私混同だよな?
ベッキーこと立花道雪の性格や、彼が娘である誾千代を溺愛していることを知っている千寿としては、この行動には違和感しかない。
……当の本人は最後まで抵抗していたのだが、誾千代は姫様にそんな報告はしなかったので、姫様の中では本当に快く送り出してくれたことになっていた。
さらに島津義弘。親父が俺の側室にって言って送り込んで来たってなんだ?吉岡の爺様あたりが島津に離間計でも使ったか?
って言うか島津義弘を鎌田政年と上井覚兼と一緒に放出するって、島津の考える人(貴久)は何を考えているんだ?
流石の千寿も鬼島津が婚期を気にしていたとか、自分の手紙が原因で微妙にヤンデレっぽくなっていることなど知らない。
その為、彼の主観においては島津義弘は何の前触れもなく「親公認の側室」として現れた存在である。これには流石の千寿も頭を抱えるしかなかった。
「あ~旦那様?服部党はともかく、その誾千代ってのと由布惟信、それに島津義弘って言うのは?」
そんな頭を抱える千寿を見た信玄も、尾張で問題が発生したのを理解したのかその問題の内容を確認しようとする。
いくら水面下で今川と談合しているとは言え、こちらの後方に不安が有れば向こうがどんな動きをして来るかわからないのだからこの心配も当然だろう。
場合によっては殿を務めることになる馬場も千寿に頭を抱えさせた書状に興味があるようで、無言で上座に座る千寿の手の中の書状を見つめていた。
「あぁ、誾千代って言うのは、西国では雷神と言われている戸次鑑連って言う修羅の娘だ。由布はその配下で、まぁ筆頭家老だな。島津義弘については……薩摩守護の娘だよ」
そう言って千寿は書状を信玄に手渡す。
どうやら尾張では姫様と島津義弘が対面し、何らかの協定を結んだようだ。まぁ実家の親父が認めたって言うなら今は次男の嫁でしかない姫様としては反対できんだろうし、確実に島津は弱体化することになるから大友家の為にもなるだろう。
千寿としても耳川の戦で兄を失いたい訳ではないし、ここで島津義弘を九州につっ返すような真似をすれば父親である鑑理の面目は丸潰れとなる。
その為千寿も彼女の側室入りを認めるしかない。
それに千寿も義鎮と一緒で、別に個人的に島津義弘に対して恨みがあるわけではない。ただ姫様を鍛える際に仮想敵として彼女の名を挙げてきたので「非常にやりづらい」と言う程度の問題だ。
しかし当然それでは済まない者もいるわけで。
「薩摩守護の娘がなんだってコッチにって……側室ぅ?」
そう、絶賛側室生活満喫中で雌伏と言うか至福の時間を過ごしている信玄にとって、新たな側室の存在はまさしく死活問題だ。
せっかく信濃から兵を率いるために三河に戻ってきた千寿と新婚 (?)生活を楽しんでいたところにライバルの登場となれば、彼女の気持ちも穏やかとは行かないのは当然と言えよう。
「そのようだな。確かに九州に居たときにそう言う話は有ったが、まさか立ち消えになったハズの話をここで持ち出してくるとは思わなかった」
大友家にしてみれば、これは島津の弱体化に繋がるから問題は無いだろう。しかし島津は何を考えている?と島津家の当主である貴久の狙いを勘ぐる千寿。
貴久がそれを知れば「こっちだって被害者だ!」と声を荒らげているところだろう。
まぁ貴久としては千寿との婚姻が破談となった時点で、さっさと別の相手を探してくっつけることが出来なかったことが当主として失態だったかもしれないが、いくらなんでも娘が九州を飛び出して尾張まで行くなど想像出来るはずも無い。
そんな誰もが予想できない動きをして、さらに尾張に来て早々に服部党を潰すと言う手土産まで持参……とは少し違うが、手柄を挙げてしまうのだから流石は鬼島津と言ったところだろうか。
「へ、へぇ。そんな話が有ったのかい」
守護の娘が態々九州から、それも側室になるために尾張まで来るなどありえない。そう考えるのが普通なのだが「千寿の元婚約者」と言う情報を得た信玄は、同じ女として島津義弘と言う女の気持ちに気付くことが出来た。
そして同時に、己の身近にいた「処女を拗らせた誰かさん」を想起させる彼女が、自分にとっての好敵手となることを確信する。
ちなみに『側室』と言った言葉が耳に入った時点で、馬場は書状から目を逸らし信玄と共に織田に降った武田信廉や小原広勝らと地図を見ながら今川との戦の話に集中しようとしていた。
そんな彼らはともかくとして。
「ま、まぁ尾張にいる姫様や、九州にいる実家のお、義父様が認めたってんなら是非もない。アタシだって側室入りには反対しないよ?」
信玄としては薩摩から出てきた義弘を素直に凄いと思うし、その彼女だって「もしも千寿に断られたらどうしよう」と不安に苛まれているだろうと思えば、その辺の配慮をするつもりも有る。
そもそも千寿クラスの人間に側室が一人と言うことは無いので (紹策は側室ではない)増員だって必要なのはわかっていたことだ。だからこそ信玄は島津義弘を迎え入れるのに反対はしない。
……彼女を否定して千寿に嫌われるのを嫌ったとも言えるが、それはそれだ。
「そうか。そう言ってもらえると助かる」
諸事情はあるものの、結局婚姻は家の都合で行うものなので父である鑑理が認めた以上は千寿としても受け入れるしか無いのだ。だからこそ、ココで姫様や信玄が反対しないのは素直に助かる。
「あ、だけど順番とかはコッチで決めるからその辺はちゃんとしておくれよ!」
聞けば姫様や千寿より2歳下と言うではないか。自分がもうすぐ23になると考えれば、5歳も差があることになる。男は若い女が好きだって言うのは常識なので、信玄は「自分の扱いが軽くなるのは困る!」としっかり自己主張してきた。
「心配するな。お前みたいなイイ女を蔑ろにするはず無いだろう?」
千寿は千寿でそんなことで不安を覚えている姉さん女房にしっかりフォローを入れる。まぁ彼にしてみれば今年20歳の姫様や紹策、23歳の信玄こそストライクゾーンであるので、この言葉は嘘でも何でもない。
「ア、アハハ。そ、そんな風に言われたらアタシ……」
真剣な目で自分を見つめて髪を撫でてくる千寿を前にして、信玄は抱きつきたくなる衝動に駆られるのだが……
「姉上~そう言うのは夜か城に戻ってからにして下さいよ~」
この場で信玄に物申すことが出来る数少ない人間であり、男性陣から「なんとかしろ!」と言う視線を受けた弟の信廉が甘々な空気にツッコミを入れる。
「ちっ!」
弟に邪魔された信玄が舌打ちをして周囲を見渡せば「サッ」と全員が一斉に視線を下に落とす。数が減ったとは言え、流石に最後まで信玄に従うことを選んだ武田勢が中心の編成であるが故の光景であった。
それはともかく。
「信廉の言う通りだな。とりあえず皆は尾張からの報せは我らが有利になることは有っても、不利になる情報ではないということだけ分かってくれれば良い」
「……まぁそうだね。服部党の後ろに居る長島の連中がアレだけど、今回は動く前に潰せたようだしね」
「そうですな。長島の連中が厄介なのは輪中に城を構えている事です。連中から外に出てくると言うならば打ち破ることはそれほど難しいことではござらん」
千寿の言葉で本陣に残っていた甘ったるい空気は霧散し、書状を読む前の真面目な空気が戻ってくる。
そして告げられる内容を聞けば、確かに織田包囲網とも言える服部党が滅んだと言うのだから織田家としては問題無い。
信玄的にはある意味で戦以上に重要な内容ではあるが、千寿の気持ちを確かめることが出来た以上は、側室云々は戦の後でも良いだろうと頭を切り替える。
馬場以下の人間は最初から真面目な空気を望んでいたので、これまた問題は無い。そうなると問題は眼前の今川勢となるのだが、連中は豊川の向こうに布陣したまま動こうとはしていなかった。
兵力は向こうが上だが、それほど決定的なモノではない。お互いに犠牲を払った上で川を渡る理由も無ければ、無理をした後に戦を行えるだけの差は無い。よって現在はお互いの隙を窺う膠着状態だ。
こうなると無駄な出費が嵩むことになるので、普通なら適当に使者を立てたり、第三者に停戦の仲介を依頼してさっさと兵を退くのだが、今回は違う。
今川勢にすればここで彼らと対陣することで美濃の斎藤や清須の大和守、更に服部党やその背後の長島が動くのを待ちつつ(服部党の敗北はまだ知らない)周囲に織田との険悪さをアピールすると言う目的が果たせる。
そして千寿率いる三河守勢は今川勢をここで抑えることで、周囲に今川との険悪さをアピールしつつ、今川を呼び水にして内外の敵を炙り出し信長に尾張国内を完全に纏める作業を行わせたいと言う目的が有る。
つまりこの場での睨み合いは、両者とも「相手を打ち破る」と言う戦術目標は達成出来ないが、両家の戦略目的は果たされると言う意味が有る行為だ。
よって互いに退くことが出来ない理由が有る以上、ここでの睨み合いが終わることはない。もしもこれが終わるとしたら後方で動きが有った時か、どちらかの兵糧が尽きたとき。もしくはどちらも頼んでいない第三者による仲介が有った時となるだろう。
そして丁度その頃、三河における織田と今川との戦を終わらせることができるとされる第三者が、駿河の今川館を訪れていたと言う。
千寿君、戦場でいちゃつくの巻。
島津さんと姫様や虎との邂逅については幕間でやる予定です。期待した方々には本当に済まないと思っている。
まぁ女の戦場までやってたら四章が終わりませぬ!ってお話。
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