86話。越後と美濃。時々尾張の巻
早速第一次(正確には一次どころではないが)三河争奪戦が開始。そんな報告を受けた方々のリアクションです。
越後。春日山城。
「は?治部が織田弾正と戦?(あれ?三河守さんと一緒に治部を倒すのは関東攻めが終わってからだよね?今は関白殿下に頼んで停戦したんじゃなかったっけ?)」
「はっ!三河にて三河守様が率いる三河勢六千と岡部元信殿が率いる三河・遠江勢八千がぶつかりました!三河での戦況は豊川を挟んで膠着状態にあります!」
景虎の疑問もなんのその。軒猿は事実をありのまま伝えていく。結局のところ、現実は予定通りには行かないからこそ現実であると言うことだろう。
「なんと。六千となれば今の三河で集められる限界に近いはずじゃぞ」
「南信濃が甲斐や西信濃を警戒していると考えれば、そうなりますな。今川も伊勢(北条)を警戒しているからこそ東三河と遠江の兵で編成した軍勢なのでしょうが、状況によっては駿河からも援軍が出るやも知れませぬぞ」
定満も実綱も軒猿が伝えてきた緊急事態に呻くしかない。しかし同時に何故停戦を呼び掛けたのに全面戦争になるのだ?と言う疑問が沸き起こる。
「先に仕掛けたのはどちらだ?(普通に考えたら治部だよね。三河守さんが攻める理由は無いはず……あ、三河の統一かな?それならシカタナイ)」
景虎の中での判定は千寿の勝訴が確定したようだ。千寿に対して甘々な判定では有るが、元々戦国時代における大義名分などそんなものだ。多少強引でも本人が納得して周囲に説明が出来ればソレで良いのである(必ずしもその場で納得させる必要は無い)
「はっ。仕掛けたのは治部様です!口上としては『武衛様を傀儡としている弾正忠家を討つ』との事。それに対して三河守様が『吉良を滅ぼし、守護を否定する治部に譲るモノなど無い』として軍勢を展開させました!」
「ほう……」
「……なるほど、そう来ますか」
その口上を聞いた定満や実綱としては己の失策を自覚せざるを得ない。
特に近衛前久と共に尾張へ赴いた実綱は、今川の言葉が嘘では無いことを知っている。
何せ実際に尾張を治めていたのは武衛でも無ければ守護代の大和守等ではなく、織田弾正少弼信長(このときはまだ弾正少弼)だと言うのは実綱の目にもハッキリしていたからだ。
これは越後で言えば『守護代である長尾家が守護の上杉家を傀儡としている』と言われるようなモノであり、上杉家が否定しない限りは一定の説得力を持ってしまう。
そして武衛が織田家に傀儡とされて居るのは周知の事実らしいので、今川の口上には否定の余地は無い。(傀儡としているのは大和守家だが、本家だの分家だのは周囲には関係ない)
また大和守家の連中にしてみても、このままでは信長の勢力が拡大する一方であり、自分達がなす術もなく飲み込まれてしまうと言う恐怖があった。
その為常日頃から、今川や斎藤に対して信長を攻めるように要請をし続けていたのも事実である。(今の状況から巻き返しが出来ると信じているだけでも大したモノだが)
そして今川が停戦を結んだのは武衛であるとするならば、今回の戦は確かに筋が通る。通ってしまう。
「定満、どう見る?(あれ?これって相当マズくない?この調子だと美濃の斎藤も尾張を攻めるよね?尾張からの援軍が無ければ、三河守さんは独力で駿河からの援軍も抑えなきゃダメなんでしょ?この状況でも甲斐の動きを警戒しないといけないから信濃の軍勢は動かせないし)」
「……このまま織田弾正殿が今川治部殿と戦を続ければ、間違いなく美濃の斎藤も動くでしょうな。そして織田弾正殿が潰されれば、治部殿が伊勢(北条)に攻め入る際の障害は無くなりますな」
問われた定満にしてみれば、景虎とは違い織田に協力する必要性を感じていないので別に今川が勝ってもそれはそれで構わない。その為結論としては「勝手にやってくれ」となる。
一応知り合いである三河守が死ぬと言うことには思うところも有る。しかしそもそもの話であるが、定満ら越後勢にとって千寿と言う人物は、主君である景虎が警戒するに値すると評価した人間であると言う見方が強い。
ならば手が付けられなくなる前に倒せるなら倒したいと言う思いが有る。さらに織田弾正忠家には武田晴信を妻とした者が居るのだ。景虎は晴信などもはや眼中に無いようだが、当然他の家臣は違う。
特に村上や小笠原などは万が一にでも晴信に復権されたりする前に滅ぼしたいと考えているし、越後勢の中でもそれが大多数の意見でもある。
さらに前の信濃における戦では、織田はろくに戦いもせずに南信濃を掠め取って行ったような印象があり、美濃の斎藤同様に火事場泥棒的な目を向ける者も少なくない。
その為、長尾家にとって織田弾正忠家は味方と言うよりは敵に近い存在なのだ。ならば伊勢(北条)との戦で共闘する予定である今川に対して有利になるような判断をするのはおかしな事ではない。
しかしそれで困るのは景虎だ。
「……そうか。(これってもしかして、私が関白殿下を使って織田弾正を追い込んだってことにならない?もしも治部が全力で攻めたら、六千の軍勢で2万以上を相手にすることになるでしょ?いくら籠城戦と言ってもそれはキツい。さらに援軍も無いなら、正しく絶対絶命!って………どどどどうしよう!三河守さんが死んじゃうっ!)しかし三河守も一廉の者。両者の戦が長引けば、伊勢(北条)攻めに差し障りが出るだろう。程よいところで停戦を呼び掛けることは可能か?(どこが程よいところかは知らないけど!)」
内心は完全にいっぱいいっぱいだが、それらしい言い訳を瞬時に思いつけるのが軍神の軍神たる所以であろう。定満や実綱としても景虎の言うことには一理あると認めざるを得ない。
しかし問題は、関東攻めは長尾の都合であって今川の都合では無いと言うことだ。今川の優先順位が奈辺に有るかわからないので、ただ単純に停戦と言っても「難しい」と言わざるを得ない。
「織田にしてみれば渡りに船でしょうが、治部殿や美濃はどうでしょうな」
斎藤と今川と言う大勢力に挟まれることになった織田としては、是が非でもどちらかと停戦を結びたいだろう。だが双方共に先代からの遺恨が有る相手であり、常に機会を狙っていたと言っても過言では無い相手だ。
そして時間をおけば織田弾正忠の支配が磐石になると言うことを考えれば、斎藤や今川がここまでの好機を逃すかと言われれば……
「いや、此度の戦は関白殿下のお顔を潰すことになります。そのため殿下が説得すれば何とかなるやも知れませぬぞ」
定満には上手い方策が浮かばなかったが、実綱は違ったようだ。
確かに近衛が行ったのは武衛と今川の停戦調停であるが、長尾や近衛にしてみれば織田と今川の停戦を求めていたのだ。それなのに命令を曲解……とは少し違うが、とにかくこうして三河で戦が起こってしまっては、わざわざ彼が駿河や尾張に下向した意味がなくなってしまう。
そんなことになってしまっては彼としても機嫌が良いわけが無い。そのため今川に詰問の使者を出せば、その軍勢が止まる可能性は高いと踏んでいた。そして今川から仕掛けた戦なので、今川が退けば三河守も退くだろう。
「そうか。では時期を見計らって関白殿下に動いて頂くしかあるまいな(なんとか三河守さんが負けないうちに停戦させなきゃ!それとこの隙を突いて南信濃に攻めようとする馬鹿が出ないように、急いで関東に攻める必要もあるかな?治部も私の動きに合わせることで相模や伊豆を取れるんだし、合わせる為にも停戦するよね?)」
「はっ。ではそのように。して、美濃は如何いたしますか?」
「美濃か。治部が誘ったのやも知れぬが元々我らは無関係。(美濃って親殺しの青大将だよね。それくらい尾張で何とかできるでしょ?……もしも青大将に織田弾正が負けたら三河守さんが織田を見限るかもしれないし。そうなったら私が三河守さんを保護するから、心置きなく戦えば良いよ)故に、放っておけ」
「「はっ」」
もしもこれで今川と織田の停戦が成れば斎藤は完全に梯子を外された形となるが、景虎も定満も実綱も、斎藤には気を使うつもりもないようだ。これも日頃の行い(父親殺し)が響いた形。いわば自謀自得と言ったところだろうか。
こうして織田弾正忠信長は、関白近衛前久を仲介役として今川と停戦を結ぶこととなるのだが……この停戦が数ヶ月しか持たない等とは長尾家の誰も予想はできなかったと言う。
――――――
美濃 稲葉山城。
「では尾張は美濃殿にお任せ致しましたぞ」
「委細承知」
今川が三河に侵攻。これに合わせて斎藤と服部党が尾張へ侵攻すれば、ガラ空きの中央で織田大和守家が挙兵し、信長の命脈を断つ。
元々今川からはそのように言われていたし、三河で今川と織田がぶつかったのも確認をした。その為「斎藤にも動いて欲しい」と言う今川義元から送られてきた使者と会談を行っていた義龍は、獰猛な笑みを浮かべて側に仕える家臣たちを睥睨して命令を下す。
「重直!(青木重直)国信!(饗庭国信)ようやく尾張のうつけに分際をわからせる時が来た。動くぞっ!」
「「はっ!」」
主君が動くと言うので有れば否は無い。だが今の美濃は深刻な問題を抱えていた。
「……して、向背定からぬ国人共は如何致しましょうや?」
「……」
青木重直の問いに対して義龍は顔を顰めて動きを止めてしまう。後見人であり叔父でも有った長井や有力な国人であった日根野を蝮に殺されたため、今の義龍にとって信用出来る人間は青木のような長井の旧臣や、道三に冷遇されていた一部の国人しかいない。つまり使える人員が非常に少ないのだ。
実際に先だっての西信濃攻めでも、参陣した東美濃の者たちには積極性の欠片もなく、徒らに時間を潰して斎藤本家の兵と兵糧を失わせていたくらいだ(義龍の名声目当ての手伝い戦なのだから、当然のことではある)
その結果として戦らしい戦など何もしていない織田が武田を降してしまい、木曽福島も城主がこちらに降ったことで城主である木曽義昌に所領安堵をしなくてはならなくなってしまった。
西信濃に橋頭堡を築いたと言えれば良いが、実際には勝つことも城を落とすこともできず。それどころか兵力に劣る篭城側の馬場の用兵に対して翻弄され続けていただけだ。おかげで今の義龍は国内外から「偶然蝮を騙し討ちにしただけの青大将(毒も怖さも無い蛇)」と言うレッテルを貼られてしまっている。
そんな青大将に独立色の強い美濃の国人が大人しく従うはずもない。むしろ織田の小娘に対して誼を通じようとしている連中ばかりである。
このような連中を連れて行っては、いつ後ろから襲われるかわからない。三河に今川が攻め寄せているとは言え、今川の勝利のために自分たちが死んでは意味がないのだ。
とは言え使者には「馳走致す」と言う返事をしてしまっているし、今を逃せば三河・南信濃・尾張の軍勢を纏めた信長が美濃へ北上してくるかもしれない。
ならばそのことを国人衆に伝えて一致団結すれば良い!と思うのだが……美濃の国人たちにすれば、別に美濃の国主は義龍である必要はないのだ。
現状官位の上では無位無冠の自分よりも信長の方が高いと言うのもある。その為「所領さえ安堵してくれるなら織田に仕える」と言う者も出てくるだろう。と言うか、実際に自分たちの手元には彼らが信長宛に出した書状が有る。
これには塩の販売だとか所領の安堵だとか、これからも変わらぬ付き合いをしたいだとかと書かれているが、義龍にしてみたら全てが明確な裏切りの証拠。
本来ならこいつらを片付けたいところだが、信長とて案山子ではない。おそらく公方や朝廷に停戦を願い出る使者を出すはずだ。それを振り切るのは今の義龍では不可能。つまり国人を相手にすれば完全に好機を逃がしてしまう。
かと言って国人衆の力添え無しで義龍が動員出来る兵は六千~七千が良いところだ。その中から国人の裏切りや六角・朝倉を警戒して数千を稲葉山に残す必要がある。
対して信長は、尾張だけで1万を超える軍勢を動員することが可能だ。尾張国内、つまり清須や服部党に対する備えも有るだろうが、それでも八千を下回ることは無い。
敵地への侵攻で、敵よりも兵が少なく、さらに味方が信用出来ず……となれば間違いなく負ける。この戦に二の足を踏むのが普通だ。だが今回は今川が居る。向こうが三河を抜けば、尾張の兵とて分散せねばならないし、そうなった時に攻め込めば良いだけの話だ。
勝ち戦とわかれば美濃の国人たちも無駄に反発することは無い。むしろ自分も勝ち馬に乗せろと言って勝手に参戦してくる可能性も有る。
「国人共には戦支度だけさせておけば良い。まずは斎藤本家の軍勢が動く。国信は安藤たちの様子を見張ってくれ」
「「はっ」」
結果として、今の段階で国人共を動かした結果後ろから襲われても面倒だし、何より今川が三河を抜けなかった場合尾張に攻め込むことは出来なくなる。そうなれば戦に参加した国人共に「兵を出したのだから褒美を出せ」と言われてしまった場合、無駄な出費が発生してしまうと考えれば現時点での国人への出陣要請は控えるべきであろう。
以前の西信濃攻めがそうだった。軍勢の兵糧などは斎藤本家で負担したが、当然それ以外にも費用は掛かる。それらの補填などに蓄えを使ってしまった義龍としては、これ以上の無駄な出費をするつもりはない。
この立場になってようやく義龍にも、蝮が常々『国人の力を弱める必要がある』と言っていたことの意味を理解できた。国人連中は己の力を減らすよりも増やしてくれるような人間を歓迎する。しかし連中の力を増やすと言うことは、大名の力が落ちると言うことと同義である。
そして力が落ちた大名の言うことなどを聞く国人など存在しないのだ。
「気付くのが遅すぎたが……まだ間に合う」
「?殿、なにかおっしゃいましたか?」
「いや、なんでもない。重直も支度を急いでくれ」
「はっ!」
国人の力を借りずに尾張を落とせば、その所領は斎藤本家のモノとなる。すなわち国人の力を強めずに大名の力を増すことが出来る!
それが義龍が選んだ道だった。
――――
尾張、某所
「う”ぇ”~ま”だ地面が揺れ”て”ま”す”~」
「だらしない……それでも雷神と謳われた鑑連殿の娘?」
「お父様は泳げませんから、船の上には絶対に行かないって言ってました!」
「あぁ、親娘揃って海に弱いのか」
「大きなお世話ですっ!……って言うか何か騒がしくないですか?」
「うーん。「戦だとよ!」とか「また服部か?」とか言ってるわね。どうも近くで戦があるみたい」
「戦ですか?へぇ~」
「何?他人の戦に口を挟んでも怒られるだけだと思うわよ?」
「そうですか?姫様に手土産が有った方が、お互い印象が良くないかなぁと思ったのですけど」
「……一理あるかも」
「「「「ねぇよ!」」」」と言う同伴者たちの心の声は、当然の如く届かなかったと言う。
千寿君。三河に赴き陣頭指揮を取る。
と言うか降ったばかりの信玄を総大将には出来ませんからね。
現在の義龍君の周りには小粒(&マイナー)な連中しかいません。半兵衛?まだ小僧ですってお話。
尾張の某所に現れたのは一体誰なんだァ?(謎)
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