84話。京都の公卿と爺様の巻
サブタイ通り爺様と山科卿です。漢2人、何も起きないはずがなく……
山城国、山科卿宅。
「では今日はこの辺にしましょう」
「「「御指南ありがとうございました!」」」
元気の良い挨拶と共に弾正忠家の者達が一斉に頭を下げる。その様も武骨ばったモノではなく、きちんとした礼法を下地にした柔かさのようなモノが感じられて、己の指南が身を結んでいると言う充実感を与えてくれる。
最初は金目当てに近いモノがあったが、中々どうして……人を育てると言うのも面白いものでおじゃるな。
そんな師としての楽しみを見出だしつつある山科言継であったが、今日はいつもと違うイベントが彼を待ち構えていた。
「して、平手殿。取り急ぎ私に確認したいこととは何でしょうか?」
そう。指南を始める前に、深刻な顔をした平手から「至急確認したき事がごさいますので、指南の後にお時間をお借り出来ませんでしょうか?」と訊ねられていたのだ。
基本的に彼は無駄な時間と言うものを使わないし、そもそも織田弾正忠家は今や禁裏や公家にとって必要不可欠な存在であると言っても良いだろう。
なにせ禁裏にとって毎月の現金はもちろんのこと、塩によってかなりの数の公家が助かって居るのだ。
京は山城の中でも内陸部である以上、塩はどうしても高値になりがちだし、公家には誇りが有るので値引き交渉と言うのも難しい。その為貧乏な公家等は塩すらない食事をしているのもザラであった。
そこに現れたのが織田による定期的な塩の献上である。お上も銭と塩が定期的に差し入れられることが確信できたため、塩に関しては禁裏だけでは使いきれないと言う名目で一定の蓄えを残し、主に下家の公卿達への配布を行うことにしていた。
これは禁裏に現金が有ると言う余裕があってこその施しであるが、公卿にしてみればもらえるものなら何でも欲しいところである。特に塩は保存が利くし、需要が有る。自らが使っても良いし、売っても良いと言うことなので、時には食料と交換したりして日々の生活に多少の彩りを加えることに成功していた。
まぁ現状では流石に全ての家に平等に配布すると言うわけには行かないので、それぞれが周期のようなモノを決めているのだが、これに関しては派閥に関係なく配るのが前提となっているため、どの家も完全に貰いそびれると言うこともなく、それなりに恩恵にあずかれているのが良いところだろう。
当然のことながら山科家でも自分達だけでは使いきれないし他家から恨みを買うのも馬鹿臭いので、自分に献上された分の塩は禁裏へと献上している。
そのおかげで禁裏や周囲の公家からも評価は鰻登りであるので、月日が経つごとに山科家は栄えて行くと言う状況となっている。
更に言えば織田弾正忠家の者たちは、銭はともかく塩や尾張の米やら魚を定期的に差し入れて来るので、他に回しても生活には全く困らない状態となっていた。
そんな感じなので、今の言継は師としても公卿としても織田弾正忠家の人間を軽んずることはない。
特にこの平手との繋がりこそが今の山科家を造った全ての基とも言えるので、時間を作れと言われたら他の公卿との会談すら無視して時間を作るだろうし、他の公卿やお上もそれを認めるだろう。
それはともかくとして。
「はっ!恐れながら申し上げます!」
「えぇ。お願いします」
言継は「相変わらず固いなぁ」と思いながらも、何が有ったのかを確認することを優先したいので、口を挟まずに先を促す。
「尾張の主より急使が参りまして、至急山科様に禁裏へ確認してほしい案件が発生致しまして……」
「禁裏に?」
つまりはお上に確認せねばならないことが出来たと言うことか?今まで禁裏については此方から水を向けない限りは話題にも出してこなかったのに?さらに確認となると官位がどうこうではあるまい。ならば一体何が?
次から次へと浮かんでくる疑問に混乱しかける言継だが、その疑問は次に続く言葉で払拭されることになる。
「はっ。この度の関白殿下の尾張下向と尾張守護斯波武衛様との会談は禁裏の意向なのか?もしそうで有るならば、何故我らに一言も頂けなかったのか?我らに何か問題が有ってご不興を買ったのだろうか?と、恐れ多くも禁裏の方々の御意志を確認したいとのことでございます!」
「は?」
関白殿下が尾張に下向して、あの神輿の武衛との会談でおじゃると?更に弾正忠には何も話しておらんとな?これだけの献金を受けておきながら?場合によってはお上の代理を務めうる立場の関白殿下が?
疑問が払拭されたと思ったら新たな疑問が生まれてきて完全に混乱状態に陥るも、ここで無様を晒した場合どうなるかを考え……言継は近衛の狙いについて考えるのを止めた。
「ま、まず言っておくでおじゃるが、禁裏が織田弾正少弼殿に対して不満を抱いておると言うことは無いでおじゃるぞ!」
言継は焦ったように声を上げるが、それはそうだろう。
ほぼ無償でここまでしてもらっておきながら不平不満などあるはずが無い。贅沢を言えばもう少し塩が欲しいくらいだが……頼んでもいないのにそのようなことを察しろと言うのも無理があるし、献上品に対してそのようなことを言えた義理ではないと言うのはさすがの公家達も自覚しているので、コレを不平不満と言うのは違う。
大体にして、関白である近衛前久が帝の側を離れて越後に行くと言う行為には、五摂家の中でも賛否が分かれている案件であった。
彼が言うには公方に忠義を誓う長尾が京へ上洛するのを防止するためだと言うモノであったが、そもそも越後から軍勢を率いて上洛するなど不可能なことだし、むしろ近衛がいるせいで長尾景虎が増長したり、彼女に敵対するモノが味方に回る可能性があると考えれば、完全に逆効果になりかねない。
まぁそれ以前に「関白なんだから京で仕事しろ!」と言う根本的な話なのだが。
そんなわけで反対派としての見識は「実際のところは公方に近いとされている近衛前久が、都合が悪くなったから三好から逃げる為に越後へ行ったんだろ?」と言う方向で一致している。
実際、近衛前久の母は三好と敵対する細川吉兆家の当主の娘であるし、名を改めるまでは12代将軍である足利義晴から偏諱を受けて近衛晴嗣と名乗っていたのも事実だ。
その繋がりで公方に味方する(と言うか、三好に敵対する)大名に有利になるような口利きもしていたと言う事実もあるので、決して根も葉も無い噂ではない。
さらに言えば公方に忠義を誓う長尾景虎も、公方に近い彼に対して無礼はしないだろうし、何より越後なら三好の手は届かない。
その為、近衛は向こうでほとぼりが冷めるのを待つか、穿った見方をすれば本気で自分が仲介して長尾を上洛させ、その武力でもって三好を追い払い復権しようとしている可能性すら有る。
だが、それらはお上は預かり知らぬこと。と言うか今上の帝 (後奈良天皇)は清廉にして苛烈。するべきことをしない者や、必要以上に擦り寄ってくる者に対しては非常に厳しい方でおじゃるぞ。
あの方が弾正忠家に対して好意的なのは、これまでの献金が官位目当てではなく純粋な忠義や敬意から来るモノだからであるし、此度の関白殿下の下向に最も憤っておるのはお上であると言っても過言では無いでおじゃる。
それなのに彼を解任しないのは公方との関わりがあるからだし、三好筑前守も公方を殺そうと思えば殺せるのに、一向にソレをしないから「何かしらの算段があるのだろう」と判断して、解任の決断が出来ないと言うだけの話。
つまり彼が地方で何をしていてもそれはお上の意向とは一切関係ないと言い切れる。
「ありがたきお言葉にございまする……されど、では何故殿下は尾張に?」
「さて。禁裏の意向では無いのは確かでおじゃるが……(そんなのこっちが聞きたいでおじゃる!)」
頭を下げながら首を傾げる平手を見て「どうやら彼も本気で禁裏が不平不満を抱いているわけではないと言うことは理解しているようだ」と認識し、少なくとも今すぐ最悪の事態(禁裏に対する不信を理由にした京からの引き上げ&献金の取りやめ)には至らないことに内心で冷や汗を拭う言継だが、次いで発せられた疑問には心からのツッコミを入れていた。
雅では無い言い方をすれば「なにしてくれてんだあのアホ!」と言ったところだろうか。
そもそも織田家は先代から朝廷への寄進を欠かさぬ尊皇に厚い忠義の家である。(実際はともかく、周囲の認識はそうだ)その者を素通りし、神輿の武衛に会って何をしようというのか。と言うか何故尾張に行ったのに、常日頃からお上が「何か報いてやらねば」と称賛している織田弾正少弼に会わないのかが不思議でならない。
それに、近衛の行為は今まで自分が織田弾正忠家相手に積み重ねてきたモノに泥を塗られた形となる。当然言継としても面白くはない。
更に問題がある。それはこの場で平手が納得してくれても主君である信長が納得するかどうかが不明な点だ。
近衛の思惑は分からないが、その行動で彼女が何かしらの不利益を被った場合「関白は帝の代理として動くこともあるが、禁裏は無関係だぞ」と言ったところで、それをすんなりと受け入れるかどうかを考えると、どうも不安が残る。と言うか不安だ。
かと言って「関白の言うことを聞かなくとも良い」などと言えば関白の、ひいては禁裏の権威が落ちることとなる。その為コレをどうするかは言継の判断では出来ないので、お上に確認を取らなくてはならないだろう。
しかし「せめての意趣返しくらいはさせてもらおう」と言う気持ちから、平手に対しての一応のフォローを入れることにした。
「とりあえず関白殿下のお考えについてはこちらでも精査します故、織田弾正少弼殿にはこちらから正式なお達しがあるまでは関白殿下のお言葉とは言え、特に何かをする必要はございませんぞ」
ある意味で関白の権威を落とすことを口にする言継だが、関白の言葉よりもお上の言葉が重いのは当然のことだ。むしろ近衛前久が勝手にお上の気持ちを代弁している気になっているとしたら、それはお上に対する不敬であり越権行為と言えよう。
と言うか何をしに尾張に行ったのかもわからないし、今は越後なのか尾張なのか、はたまた別の場所に居るのかすらもわからないので、彼の思惑の調査には時間がかかるだろう。
そんな手間暇をかけさせられるのだから、調査の結果が出るまでの間、織田弾正忠家に近衛前久の言葉を無視しても良いと言う御免状を渡し、彼にはその不名誉を甘んじて受け入れて貰おうと言うわけだ。
と言うか織田弾正に挨拶くらいしろよ。
武衛だの管領だのと言った肩書きを重視するあまり、高額寄進者に対する気遣いがなってない近衛に対して溜め息が出そうになる。
ただ今回の行動について近衛を擁護するならば、これは普通なら間違っては居ないのだ。
例えば管領代である六角家に従属する浅井家が朝廷に寄進をしてきたなら、朝廷は六角家に対して返礼をするのが正しいだろう。その結果六角家は対外的な評価が上がり、浅井は六角家の中で評価が上がる事になるのだ。
逆に六角家を無視して浅井家に返礼をすれば、浅井や禁裏は六角家の面目を潰すことになり、浅井家が六角家に敵視される結果となる。
だからこそ近衛前久が織田弾正忠の上司であり、管領である武衛に会いにいくと言うのは常識で考えれば間違っていない。
問題は今の尾張が常識が当てはまらない例外に分類されていることだ。これは織田弾正忠家と斯波武衛と言う歪な関係を理解できていないと中々難しいことなのだが……言継としては「難しいところに素人が首を突っ込むな!」と思うのは当然の話だろう。
「はっ!お手数をおかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます!」
対して平手の内心は晴れやかである。彼は「関白の言葉を無視しても良い」と言う言質を取れればそれで良いので、この時点で信長から与えられた任務は完了した形となる。
あとは織田弾正忠家と山科言継の顔に泥を塗った近衛がどうなるかだが、それに関しては勝手にやってくれと言ったところだろうか。
もし織田家の考えを聞かれても「帝の御心のままに」としか答えるつもりはない。なにせ織田弾正忠家は尊皇の家なので、公家の争いには関わらないのだ。
とにかく時間を稼ぎたい山科言継と、問題は片付いたと肩の荷を降ろす平手久秀。そんな双方の思惑が交わったところで会談は終わりを告げた。
――――――――
数日後、尾張那古野。
「んん?」
「あら、そんな不思議そうな顔してどうしたの?」
「不思議そうな顔って……いや、爺から早馬が来たんじゃがな?」
「平手殿から?あぁ、前の近衛の言葉は無視して良いって言う御意の続き?」
「そうじゃな。しかしコレは……」
「そんな深刻な顔してどうしたの?まさか朝廷からの正式な停戦の勅が出たとか?」
「いや、そっちじゃなくて。なんか儂を正五位下、弾正大弼に補任するとか言ってきたらしいぞ?」
「…………おめでとう」
「いや、目を見て言ってくれんかの?!」
山科卿の胃に甚大なダメージだッ!
拙作のノッブは元々従五位下の弾正少弼ですので正五位下だと2階級の特進になりますが、どうやら弾正台や治部省の場合、役職=階位のようなので弾正大弼になったら自動的に正5位下になると言うことにしてます。
まぁ毛利元就が2000貫の献金でいきなり従四位下陸奥守に補任されていますので、定期的に献金しているノッブが正5位下になってもシカタナイネってお話。
バスケのポイントゲッターって言葉に反応するおっさんが居るとか居ないとか。
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