83話。ノッブと主人公、喧嘩を売られる?の巻
前話のあらすじ
雪 「くくく、書類仕事に終わりは無いのだ」
「なんと。武衛様と関白殿下が会談じゃと?」
武衛様の相手を任せていた叔父の信光殿が急ぎの用がある!と言うから何かと思えば……越後に下向しとった関白殿下が尾張に何をしに来たんじゃ?と言うか吉弘殿からはそのような連絡が無かったと考えれば、南信濃は素通りしたのかの?
「左様でございます。某はその席に同席出来ませんでしたが、武衛様の家臣に聞いたところ、今川との停戦を呼び掛けに来たとか」
「治部との停戦じゃと?」
なんと言うか、儂らは事実上の停戦をしておるんじゃが、端から見ればお互いの隙を探っておるようにしか見えんのじゃろうな。
「はっ。その家臣から可能か否かを問われましたので、現状では有り得ぬと返答しております」
「まぁ……そうじゃな。今は尾張や三河を纏めるのに忙しいからこそ動かんだけで、連中が隙を晒したならば見逃す気は無いぞ」
って言うのが儂らの基本姿勢じゃからなぁ。それに武衛様が何を約束しようとも、儂に命令が届かねば意味はあるまい。
「でしょうな」
自分の判断が間違って無かったと確信した信光殿は満足そうに頷くが、こやつは今川との関係を知らんからのぉ。
と言うか、家中でも完全に理解しとるのは、儂や恒興以外じゃと姫様や吉弘殿から簡単な説明を受けた武田の家臣である内藤と真田と三枝くらいじゃろ?
ふむぅ。やっぱり視野の広さと言うのは重要よな。これは尾張に拘っておっては養えぬ。何人か信濃に送るか?
そのついでに吉弘殿に尾張に来てもらって、儂の相手とかもして貰えば良くない?夜の相談とか言ってみたり!……いや、じゃが下手に多忙な吉弘殿を呼び出せば姫様や吉弘殿に叩き潰されそうな気がするし、う~む。これは難しい問題じゃよ。
信長が家臣の教育を読み書き算術からさらに上の段階に引き上げようと悩み、ついでに自分の願望を叶えようと画策する中、目の前で考え込む主君であり姪でもある信長を見る信光は、その姿にある種の頼もしさを感じていた。
亡き兄も成し遂げる事が出来なかった尾張の実質的な統一から三河の過半を占有。更に信濃にまで所領を拡げるなど、あの『うつけ』と呼ばれていた少女が成すと想像できた者がこの尾張にいただろうか?
それも家督を継いでから一年足らずで、だ。
己が選んだ(と言うか他に選択肢が無かっただけだが、自分の中で美化されている上に、周囲からはそう見える)主君が、紛れもない英傑で有ると言う事実はそれだけで誇らしい。
今も何か考えて居るようだが、きっと織田弾正忠家に更なる飛躍をもたらす策を考えているはずだ。
……ある意味で越後の主従と似たような感じでは有るが、信長は家臣の教育やソレに伴う統治を考えている分、例の軍神様よりも主君としてはマシと言えるだろう。
因みに現在の弾正忠家が持つ尾張40万石を運営する有力家臣とその所領だが
筆頭家老・林秀貞 ・・・5万5千石
次席家老・平手政秀・・・5万石
とまぁこの2人がツートップである。しかし2人とも信長の名代として京に居る為、現在は尾張の運営には携わっていない。
そこで実質的に尾張を運営する国人は
佐久間信盛・・・3万石
佐々成宗 ・・・1万5千石
内藤昌豊 ・・・2万石
真田幸隆 ・・・1万石
三枝守友 ・・・1万石
池田恒興 ・・・1万石
以上の6名が大きなところであり、他の国人衆はほとんどが所領を取り上げられて、俸禄を貰う形で奉公している。
因みの因みに、林らと一緒に京にて職務に就く村井貞勝は5千石を与えられているし、姫様こと義鎮も尾張に5千石を持っていて、残りが弾正忠家一門の直轄領となる。
貞勝はともかくとして姫様が尾張に所領を与えられているのは、以前の戦での功績もあるが実質的に三河と信濃を取り仕切る千寿に対する人質の意味合いが強い。 (と言うことにしている)
それに彼女は彼女で入用な場合もあるので、自分の財布は必要だと考えていたと言うのもある。 (側仕えの望月某は真田に仕える父親とは別に500石を与えられており、その証書を貰ったときに親娘ともども腰を抜かしたとか)
それはそれとして、今心配すべきは家臣の教育ではなく近衛の狙いだ。
基本的に信光や信広のような一門の人間が来る場合は義鎮は同席しない(自分が信長を傀儡にしていると言う誤解を生まない為)ので、相談相手が居ないと言うのが痛いところである。
つーか、最初に吉弘殿に話を通しておけば大概のことは承認するんじゃがのぉ。よりにもよって武衛様かや。
誰だって頭ごなしに物事を決められて良い気分はしない。さらに意思決定をするのが神輿にすらなって居ない武衛では、誰が言うことを聞くと言うのか。
長尾や近衛はその辺を理解していないのか、それとも武衛の名に意味があると見出しているのかは不明じゃが、コレはある意味で挑発では無いかのぉ?
「のぉ信光殿よ。今川と儂らが停戦した場合得をするのは誰じゃと思う?」
ポンポンと扇子で肩を叩きながら確認を取るが、当然信長には答えは分かっている。これは信光の見識を確かめる為の質問だ。
「さて、美濃は我らが争ってくれた方が良いですし、北条もまた然り。伊勢の連中も態々こちらに関わろうとは思わぬでしょうからなぁ。ならば甲斐を取ったばかりで時間を稼ぎたい今川か、斎藤の敵である越前朝倉が怪しいところではありますな」
「なるほどのぉ。朝倉か。それも無い話では無い、か」
満足げに頷く信長を見て、信光もまた「無様を晒さずに済んだ」と内心ほっとする。まぁ実際は……ふむ。信光殿も中々に見えてきたが、今はソコまでかの。と、100点満点で言えば60点と言う微妙な評価を下しているのだが。
確かに朝倉は蝮が土岐に仕えていたことからの敵手であるし、公家を動かすことも出来る。
それに今は権威目当てで公方に付いているが、親殺しをして家督を継ぎ、満を持して信濃に侵攻して盛大にコケた義龍が暴発しないかどうかを疑っている可能性も高い。
今川についてはコチラが正しくその状態なので理解しやすいだろう。それに連中もまた公家との繋がりがあるので、関白が停戦調停に来ることに違和感は薄い。これらの前提条件を考えれば導き出される答えは自然とそうなる。そうなってしまう。
……長尾め。随分とセコイ真似をしてくれる。いや、上手いと言うべきか?
だが信長は京に居る平手が山科言継より齎された「関白殿下が越後へ下向した」と言う情報を送って来ているため、関白がどこに居たのかを知っている。
ここで武衛に会いに来たのが関白近衛前久で無ければその意図に気付けたかどうかは微妙だが、それでも今回は背後に居る長尾の存在を見破ったのだから問題は無い。
つまり関東攻めの際に今川に全力を出させたい長尾が、ただでさえ人手不足で動けない儂らに対して停戦を呼び掛けることで、儂と治部の双方に恩を売ろうとしたのじゃろうて。
じゃが現実はどうじゃ?儂の頭越しに武衛様に話を付けることで、連中は儂の顔に泥を塗ることになったぞ?まぁ儂個人としては今更潰れる面子も何も無いんじゃが、弾正忠家を舐められて何もせんと言うことも有り得んわな……ここは意趣返しをする必要があるじゃろうて。
「とりあえず現状で何かを言われたわけでは無いからの。もし信光殿が武衛様に何かを言われても、正式な命令以外は受け付ける気は無いと言うことは覚えておいてくれぃ」
「はっ!」
内諾だの忖度だのをするつもりは無い。命じると言うなら正式に命じて見せろ。
大和守や坂井大膳どもがそれを認めるかどうかわからんが、いい加減担ぐのも疲れるわ。と言うか、いつまでも尾張の真ん中の清須に居座られても邪魔なんじゃよ。
「更に京に居る爺や林に連絡を入れるかの。此度の事が関白殿下の勝手な行動なのか、それとも禁裏の意志なのか、コチラも確認せねばならん」
「あぁ、なるほど。武衛様の世間話ならともかく関白殿下のお言葉は無視出来ませぬ。しかし禁裏が否定すれば話は別と言うわけですな」
信光殿が納得したようにうなずくが、別に関白殿下の言葉も無視して良いんじゃがの。
ただ一応尊王の家を自認しとる以上は、禁裏の意向を確認する必要が有るじゃろうと言うだけの話なんじゃが……コヤツの反応を見れば関白殿下の存在はやはり大きいようじゃし、国人共を納得させるためにも禁裏の意向の確認は必須じゃよな。
ここで向こうが関白殿下が勝手にやったことと言うなら堂々と無視出来るし、禁裏の意志じゃと言うのなら連中が武家の戦に口を挟んだと言うこと。それが何を生み出すかは連中の方が知っておるじゃろうて。
長尾の上洛阻止が云々など儂らには関係無いぞ?
正直書類仕事で鬱屈しとったし、売られた喧嘩なら最高値で買うぞ?……吉弘殿がなっ!
――――――
信濃高遠城。
今日の分の仕事を終え寝所に入り姫様からの書状を見る。
……姫様から珍しく文が来たのでウキウキ気分で見て居たのだが、文章を読み進めていく中でそんな気分は完全に消えていた。
いや最初はこちらの体調を気遣ったり、自分は元気でやってるけどソッチはどうか?と言う感じの、何と言うか初々しい夫婦と言った感じだったのだが、後半の話題があまりにもアレ過ぎた。(そもそも手紙を出す原因となった細川藤孝の逐電も頭を痛める要因であるが)
「近衛が武衛と会談し、今川との停戦を斡旋してくるとはなぁ」
姫様からの書状を態々信長からの使者が持って来たもんだから、もしかして姫様に何かあったか?と思えば……長尾の関東攻めの下準備に巻き込まれたか。
「うーん。まぁ関白しゃんの口出ししてきよったんばよか口実っちしゅるか、そいっちも邪魔者扱いしゅるかばいねぇ(うーん。まぁ関白さんが口出ししてきたのを良い口実とするか、それとも邪魔者扱いするかですよねぇ)」
ボソッと声を出した千寿の背中にべったりと張り付いて、その肩越しに書状を見てくるのは先日契りを交わした細目の博多美人こと神屋紹策だ。
つーか何と言うかいきなり距離感が近くなったな。元々人懐っこいところもあったが……まぁこちらが本来の姿だと思うが、どうにも違和感が有る。
うーむ。正式に契りを交わしたんで隠す必要が無くなったってことかねぇ?今まではこの時代の貞操観念とかもあるんで本来の姿を隠してたわけだ。そう考えれば随分長いこと我慢してたんだろう。いまのこのべったり感もその反動と思えば可愛いもんだな。
「……な~んか不名誉な扱いば受けた気のしゅるんたいばってん」
細目なのにジト目が分かるってのがアレだが、まぁ不名誉と言えば不名誉か?
「いや、さっさとお前さんにも子を作らんと、今まで待たせてきたご家族に申し訳が立たんと思ってな」
20で未婚で彼氏無しだったので、向こうは相当ヤキモキしていたようだし、神屋からの支援を受けた代わりと言うわけでも無いが後継ぎは必要だろう。それに紹策も東と博多で2人は欲しいって話だったからなぁ。
「そいはまだよかとよ!確かに子は必要たいばってん、あんまし焦っちもよかこつなかし。なんちゃり今はお仕事の立て込んでましゅからね。(それはまだ良いですよ!確かに子は必要ですけど、あんまり焦っても良いことないし。何より今はお仕事が立て込んでますからね)」
20にして漸く色々卒業した紹策としては、子が欲しいと言うのもあるがまずはこの恋人のような微妙な感じを味わうのも悪くないと思っていた。
……これは側室である信玄が22歳でも千寿は構わなかったと言うのもあるし、姫様に子が出来たことで、紹策が密かに懸念していた千寿に対する種無し疑惑(数年姫様と一緒に居たのに彼女に子が出来なかったことから、信長も微妙に疑っていた)が払拭されたのも当然無関係ではない。
「ん?まぁ産むのは25でも30でも出来るからな。商売が落ち着いてからって言うのも悪くは無いが……」
この時代の医療技術の問題も有るが、それでも30くらいなら子を産むのは珍しいことでは無いし、千寿の価値観からしてもそのくらいでも焦る必要は無いと思う。まぁ神屋の連中がどう考えるかだが、結局は本人の気持ちだろう。
「いや、25歳は流石にアレたいばってん、まぁ姫様ん出産も有るけんし、被らんけん方のよかろうもん?(いや、25歳は流石にアレですけど、まぁ姫様の出産も有りますし、被らない方が良いでしょう?)」
確かに姫様も紹策も妊娠してしまえば、信玄が三河に居る状況では姫様が言う浮気防止の為の側室に意味が無くなってしまう。千寿の任地やそれぞれの仕事、そして出産を考えれば、もう1人か2人くらいの側室がいないとねぇと考えている正妻が居るとかいないとか。
本来は一般家庭に入るような普通の女性を側室に入れるべきなのだが、千寿に着いて行くにはそれなりの素養と能力が必要であり、それなりの能力が有るなら使うのが千寿と言う人間なので、その辺の名家の娘で良いと言う風には行かないのが難点だ。
その上、神屋の子は神屋を継ぐし、信玄の子は武田家を継ぐので、どうしても吉弘の家の子が必要だと言うのもある。
まぁ当の千寿は奥の拡充を望んでいないのだが……この辺は家の保全の為に正妻がコントロールすることなので、千寿としては中々意見を言い辛いと言うのが現状だ。
それはさておき、今は近衛の動きによって生み出されるモノだ。
「もしも織田弾正忠家が今川と停戦すれば美濃を更に刺激することになる。その結果として義龍が美濃や西信濃で暴走する分には構わんが……トチ狂って尾張に騒乱を起こされては困るんだよなぁ」
今川と停戦をして後方に不安を無くした織田が動く先は?と問われれば、当然今までの因縁がある美濃が上げられるだろう。
さらに今は美濃の国人が織田に対して塩の販売を希望したり、いざとなったら味方する等と言う書状を出しているのだ。普通なら誰が味方で誰が敵かを判別出来ていないので、内部調査を行うのが正しい順序なのだが……今の義龍には「殺られる前に殺る!」と言う考えになってもおかしくは無いだけの危うさが有る。
いや、通常ならソレでも良いのだ。信濃や三河と違って尾張には多少の余裕が有る。義龍が攻めて来たなら迎撃からの美濃侵攻も不可能では無い。(美濃の全土を統一すれば畿内の戦に巻き込まれるので、程々に占領する形となるだろうが)
だが今は駄目だ。
「姫様んご出産のしまえるまで……違いましゅね。産後ん肥立ちの落ち着くまではっちこつやね?(姫様のご出産が終わるまで……違いますね。産後の肥立ちが落ち着くまではってことですね?)」
そう、千寿にとって何より重要なのは姫様だ。ここで斎藤が暴走した結果、彼女に何か有ったらと思うと……
「そうだな。大体半年は安静にした方が良いらしい。だからこそ俺が三河で戦をしつつ、信長が尾張を固めることで尾張において隙を見せず、連中からの介入をさせないようにしていたと言うのになぁ」
自分が今川と戦をしつつ美濃の内部を混乱させれば、義龍は国内の安定を図るだろう。ヤツが国人と戦うか懐柔するかで時間を稼げるし、懐柔したとしても信用することも出来ないだろうから遠征は難しいと言う目算も有った。
何のための書類仕事なのか分かってんのか?!と執務室に積んである書類を叩きつけたくなる。
長尾景虎。いや、コレは宇佐美定満か?関東攻めの下準備なのは分かるが、態々尾張に火種を持ち込みやがって!
関係者全員の顔面に拳を叩きこみたくなるが、ココで憤っても仕方が無い。
そもそも千寿は足利義昭と共に織田包囲網を画策したと言われる近衛前久が大嫌いだ。それに公家が武家の戦に関わらんと言うなら、貴様は何をしている?禁裏の威光を振りかざして戦乱を拡大させる元凶の一人が偉そうに……と言う思いも近衛に対する悪印象を加速させている。
そんなダブルスタンダードを当たり前に行う連中に容赦をしようとは思わないし、そもそも長尾の関東攻めに協力してやる義理も無い。近衛?死ね。
今川への協力もいらん。つーかあの坊主ならむしろ積極的に東三河を攻めさせるだろ。それに驚いて後退した振りして北条を誘うって感じだろうさ。
しかし東三河10万石か。ますます仕事が増えるが……もうすぐ九州から人が来るし、何とかなるだろう。なるよな?いいや、なんとかする!
絶望の未来に立ち向かう戦士のような、そんな覚悟を決めた千寿。九州から来る人材のリストを見て胃を痛めることになる日はそんなに遠く無い。
近衛の行動は完全に織田弾正忠家に喧嘩を売ってます。
ここで近衛がノッブと会談をすればまだアレなのですが、そうなると武衛の顔を潰すことになるので会談出来ません。これは長尾で例えれば、関東管領の上杉憲政を放置して景虎と会談をするようなモノです。 (アレ?)
お仕事 (夜)って感じですね。なんだかんだで神屋さんも何かを卒業した模様。実際正妻が尾張で側室が三河だのと、こんなに離れてたら側室の意味無いよね?って言うか現地妻?ってお話。
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