62話。川中島ダイジェストとその後の巻
表題通りのお話。千寿君と晴信の会談。
結果から言えば第四次川中島合戦は武田が死傷者4000弱、長尾が約3000とやや武田の損害が大きいが、双方が被害甚大と言っても良い。つまりは所謂痛み分けの形に終わった。ただ、晴幸や信繁、虎綱と言った多数の将を失い、更に武田勢が海津城を放棄して深志城まで下がったことを考えれば長尾の勝利と言えるだろう。
ちなみに千寿が知る史実と比べて武田の兵が少なく、長尾の兵が多かったにも関わらず、ここまで長尾に損害が出たのは、偏に武田が最初から長尾による攻撃を読んでいたからである。
いや、読んでいたと言えば語弊があるかもしれない。なぜなら晴信は自らを餌にして景虎を釣ったのだから。
元々武田が想定していた策は、部隊を二つに分け、別動隊が妻女山にいる長尾に奇襲をかけて山から叩きだし、麓で待ち伏せていた本隊と挟み撃ちにすることを狙った啄木鳥戦法だった。
だが晴信はこれにアレンジを加え、8000の本隊を山の麓からやや離れた平野に展開し、別動隊の10000も長尾に分かりやすいように多少の偽装だけを行って動かした。
その結果、長尾に対して8000の本隊と10000の別動隊と言う二つの標的を作ったのだ。景虎にしてみれば本隊を潰せばそれで終わりだし、別動隊を潰しても本隊だけでは何もできなくなるだろう。つまりどちらを潰しても良い。ただ、どちらを狙っても敵に挟まれるのは確定している。動かなければそのまま挟まれるだけだ。こうして晴信は相手に選択肢を与えることで行動を縛ろうとしたのだ。
そこで普通の将ならば、抑えの兵を残してどちらかの足止めをさせ、その間に標的を潰するのだが…流石毘沙門天は格が違った。
景虎は抑えも何も置かず、全力で本隊を潰しに来た。「挟まれる?その前に潰す」と言う景虎の決断は定満や実綱が驚くほどに即決であったと言う。
そして戦は景虎が動くことを想定して防御陣を敷く武田勢に対し、霧によって部隊間の連絡が取れなくなった長尾勢が、がむしゃらに突撃を行うと言う混戦で幕を開けた。
本来の晴信であれば連携も何もない突撃なんざ、受け流すなり捌くなりして逆に叩き返すくらいの力が有るのだが、自陣も霧で連絡が遅れた挙げ句に、突っ込んでくるのは倍の兵を率いた自称毘沙門天のキ○ガイである。
流石の晴信も景虎の突撃の勢いを完全に捌くことはできず、耐えるので精一杯と言う状況になってしまった。
そして戦の中盤から終盤にかけてのこと。別動隊が長尾の後方に接触するかどうかと言う時に、武田の防御を突き破った景虎が本陣に乗り込み、それを待ち構えていた晴信との誰も邪魔できない大将同士の一騎討ちが行われることとなった。
~~以下抜粋。
「やっと貴様を殺せる。さぁ死ね、この雌猫っ!」
「はっ!来たか処女門天っ!お前みたいな良い歳こいた小娘に殺されてやるほどアタシは甘くはないぞ!」
「しょ、〇□◆●◎◇?!……くぅたぁばぁれぇぇぇぇ!」
「図星を突かれて怒ったか?ハハッ悔しかったら男の一人でも作ってみやがれ!」
「私はっ!出会いがっ!無いっ!だけだぁぁぁ!」
「そうやって無駄に選り好みしてっから二十になってもお一人様なんだよっ!」
「だっ誰が二十だっ!私はまだ十八だっ!」
「大して違わねぇだろうがっ!どーせお前は死ぬまで一人だ!酒の臭いが強すぎて男に逃げられてるんだってことにいい加減に気付けや!」
「なっ!で、出鱈目を言うなっ!」
「あ~嫌だ嫌だ。現実も見れねぇガキはこれだから駄目なんだ。お前の理想の男なんざ、酒を飲んでグダグタになった先の夢の中にしかいねぇよ!」
「い~や、居るね!きっと居る!」
「はいはい、なら死んでソイツに会いに行けよ!なんならここでアタシが殺してやるからさっさと……」
「余計なお世話だ!お前を殺して自由な時間が出来たら探しに行くっ!だからさっさと……」
「「死ねっ!!!」」
~~~~
後日、この一騎討ちを見ていた将兵たちは、この両者の戦いを評する際、長尾の兵も武田の兵も「正しく龍虎の戦いであり、自分達には詳細を語ることなど出来ない激戦であった」と口を揃えて語ったと言う。
ーーーーーーーーーー
「いや~やられたやられた。まぁあのキチ○イも無傷って訳じゃないけど、今回はアタシの負けだよ」
南信濃上原城。甲斐の国人衆を帰還させるため深志城を内藤に任せ、甲斐との境界に近いここへ兵を退いた晴信は前の戦を振り返り、そう評した。
「ふむ、私は実質的な引き分けのようなモノと判断してますが、晴信殿は違うと?」
そう晴信に確認を取るのは隻眼の軍師晴幸ではなく、黒髪黒目の修羅、吉弘三河守鎮理である。
「アンタならわかってるだろう?この状況でアタシにとっての引き分けは海津を維持することさ。それが出来なかった時点でアタシの負け。いやはや、公方の視野の広さ……と言うよりは、それに綺麗に乗っかってきた治部の判断だね。まさかここで親父と言う手札を切って来るとは想定もしてなかったよ」
「先代ですか。まぁ確かに私共も今川は三河に来ると想定して動いておりましたので、完全に裏をかかれた形となりました」
「そりゃそうだろ。あんな水害やわけのわからん病が蔓延る甲斐よりも、アンタによって一向衆が排除された三河の方が百倍マシさ。アタシなら迷わず三河を獲ってるね」
苦々しく吐き捨てる晴信からは、今川や信虎への恨み言は有るようだが、織田や千寿に対しては特に恨みは無いようだ。まぁそうなるように動いたわけだが。
「それで、そろそろわざわざアンタに降った秋山を使って、こうしてアタシと会談してるアンタの狙いを聞きたいんだが?」
心底不思議そうな顔で千寿を見る晴信。今自分が居る上原城には2000程度の兵しかおらず、更に兵糧を溜め込んでいた海津、高遠は陥落。その上本貫の甲斐を失った彼女に対して、千寿が接触を図る理由がわからないのだ。
「そうですな。私が晴信殿に望むのは大きく分ければ一つ、細かくすれば二つです」
「ふむ?続けな」
今さら自分に何をさせようと言うのか、まぁ普通に考えれば自らの命と引き換えに将兵の命を助けるとか、今も抵抗を続ける深志や木曽福島城を無血開城させようだとか、そう言った話だろうと予想はしているのだが、この三河守と言う男はそんな『普通』には収まらないような男だと言うのは一目見たときからわかっている。
だからこそ、晴信は目の前の男がわざわざ自分の目の前に来てまで話す内容に興味を抱いていた。
「簡単な話です。我々に降りませんか?所領に関しては……とりあえず三河に五万石か、南信濃の20万石でどうでしょう?」
「……は?」
降伏勧告はわかる。だがその条件が破格すぎた。南信濃で20万石と言うことは、織田が落とした飯田や高遠。更にはここ上原も含むほぼ全域となるだろう。
さらに三河だと五万石?想定していた最悪の内容と比べて格別の扱いと言っても良い、と言うか常識の二歩斜め上を行く提案に、晴信の思考は完全に止まってしまう。
「あぁ三河の場合ですと、晴信殿は私の家臣となりますので、誠に申し訳ありませんが今まで武田に仕えていた家臣団の方々、秋山殿たちと、ある意味で同格となりますね。信濃の場合は弾正忠信長に従う大名のような扱いになりますので、貴女に従う家臣の方々を率いて頂く形と……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「ふむ?10秒で良いですか?」
「短すぎるだろ!」
完全にペースを握られて居ることを自覚しているが、このままでは互いの認識が違いすぎて話し合いにならない。そう判断した晴信はまずは一つ一つ問題を片付けることにした。
「あ~つまりはアタシを部下にしたいってことかい?殺すんじゃなく?」
まずはここからだ。大前提として、公方から武田晴信討伐の命を受けて動いている信長陣営が自分を生かす理由がない。自分を生かせば長尾や公方は良い顔をしないだろうし、織田にとって損しかないではないか。一体何を企んでいるのかを聞かねば、晴信とて判断ができない。
「無論です。そもそも我らは以前書状でお伝えしたように、人材が不足しております」
「……あぁ。そういえばそうだったねぇ」
千寿に言われて晴信は織田弾正忠家の事情を思い出す。彼らは元々が尾張の下四郡の守護代の代官である。それが家督争いで、家臣のほとんどが弟の支持に回ったのだ。それらを誅殺した今、尾張を纏めるのだって人が足りないだろう。
そこに三河勢による侵攻と、反撃してからの国人の根切りだ。三河は西や中央のほとんどが一向衆に染まって居たので、地元の国人などほぼ全滅である。
まぁ三河の国人どもは元々杜撰な管理をしていたし、寺社に蓄えられていた財と資料によって領政の健全化は出来たが、まともに運営しようとしたらどうしても人が足りない。戦がなければ千寿と姫様の二人で何とかなるが、この御時世ではそれは無意味な仮定だろう。
「この上、南信濃となると完全に許容量を越えます。と言うわけで、晴信殿が来てくれれば……」
「親父にも長尾にも降れない連中は織田に降るわな。その結果アタシも助かる。行き場の無い甲斐や信濃の連中も助かる。そしてアンタらも助かる。……うん悪くはないね」
つまりはそこまで織田には人材が足りていないのだ。それなら今のうちに降れば待遇も良くすると言うのもわかる。甲斐・信濃衆も、代替の所領を貰えるなら必要以上の抵抗はしないだろう。義龍?親殺しの火事場泥棒に進んで仕えようとは思わないだろうし、そもそも美濃に彼女らを養うだけの所領は無い。
「なるほど、アンタらの事情は理解した。だけど公方や景虎はどうする気だ?アタシが南信濃に居たら停戦も何もできないんじゃないか?」
三河に行くなら信濃が壁になるのかも知れないが、それでも織田と長尾の間には軋轢が出来るだろう。人材不足はわかるが、それは晴信を殺した後で秋山達を使えば何とかなるはずだ。目の前の三河守が、それを理解していないとは思えない。
「公方様に対しては問題ありませんよ。貴女を殺すよりも生かした方が良いと言うことを伝えるまでです」
「あん?アタシが居て良いことなんて……あぁ、甲斐か。アンタも中々に強かだねぇ」
一瞬自分に何が有るのかを考えた晴信だが、すぐに答えに行き着く。と言うか今の自分にはそれしか無いじゃないか。そう思うと自虐と、自分をとことん使い潰そうとする三河守の悪辣さを思い知り、思わず笑みが浮かぶ。
「それはそうでしょう。むしろそうでなければ主から三河を任されたりはしませんよ」
揶揄された千寿は、平然と「そのくらい当然だろう?」と嘯いてみせた。晴信としてもごもっともとしか言えない。
「アタシが居れば甲斐に干渉できる。逆にアタシを殺せば治部による甲斐の支配を邪魔する者は居なくなる。それを考えればアタシは殺すより生かして使う方が良いわな」
自分が父親を使って駿河に干渉しようとしたように、義元が父親を使って甲斐に干渉したように、逆に晴信を使って甲斐に対して干渉することも出来るようになる。
今川も敵として認識している公方にしてみれば、力を失った晴信よりも、今川に甲斐の支配を磐石にされるのは面白くはないだろうし、織田としても今川に対抗する為の手駒は欲しいと言うところだろう。
「そう言うことですな。長尾に関しては……まぁ深志の無血開城や他の信濃の国人達の受け入れ、また貴女が居ることで生じる利益を案内すれば、何とかなると考えています」
「ほぉ?アタシが居ることで景虎に利益なんて有るのかい?」
信濃の国人の扱いは景虎も頭を悩ませる問題だろうから、それらを引き取ると言うのは悪くないだろう。無血開城が出来れば最高だ。しかし自分の存在が景虎の利益?完全に予想もしていなかった方向からの意見に晴信も興味をそそられるが、流石にそこまでペラペラ喋るほど千寿も甘くはない。
「えぇ。ですので我々としては貴女を迎え入れる事に関しては何の問題も無いと考えております。ただ、深志や木曽福島は開城してそれぞれ長尾と斎藤に差し出す形になりますがね」
晴信が降る事を周囲に認めさせる為にもこれは実行しておきたいところである。とは言え、晴信が降れば他の諸将には戦う理由が無くなるし、本貫は離れることになるが、三河や南信濃に代替地を用意して貰えるならば彼らとしても降りやすいのは確かだ。
故に降伏勧告だけでもそれなりに相手を揺さぶれるので、もしも何かの意地で降らないなら、それは最早武田は関係ない連中として生きてもらえば良い。これ以上織田は手を差し伸べることは無いので、勝手に死ねと言ったところだろう。
「ふむ。深志の内藤も木曽福島の馬場も問題ないだろうね。配下の国人衆はどうかわからんが……まるっきりの没交渉ではないだろう。あとはどれだけの所領を貰えるかになるだろうが、贅沢を言える立場じゃ無いからねぇ」
晴信は意地を張って腹を切るような潔い女ではない。むしろ相手の股下を潜ってでも生き延びると言う、強かさを持ち合わせた狡猾な将である。
場合によっては三河守の情婦となることも考えていたところにこの提案だ。当然晴信には断ると言う選択肢は無い。何せ向こうは自分を騙す意味がないとわかっているからだ。
まず、自分を殺したところで公方や今川が喜ぶだけで織田には一切の得がないと言うのは間違いなく事実である。さらに木曽福島や深志が徹底交戦を選択した場合、困るのは斎藤と長尾なので、降伏させずに徹底交戦させた方が織田にとって得が大きいだろう。
その得よりも、人材を得ることを選ばざるをえないほど今の織田には人が居ないのだ。この事実が有る以上、自分達の扱いも悪いものにはならないと言う確信もある。
「それは助かります。我々に降りたくないと言う配下の方々は……好きに生きて、好きに死んで貰いましょう。あとは晴信殿が信濃と三河のどちらを選ぶかですな。あぁ、因みに名目は信濃や甲斐の国人を降らせた功績に対する下賜です。信長の許可は既に取ってますので、どちらを選んでも良いですよ?」
抜け目の無いことだ。一瞬「これで誰も降らなかったらどうする気なのか」と考えたが、そもそもこの男は武田晴信と言う存在に価値を見出だしているのだ。それ故に「名目は」等と伝えてきたのだろう。
「……良いだろう。なら三河に所領を貰おうか。出来たら海が見える場所が欲しいね」
自分に価値を見出だしたと言うなら、その分は働いてやろうと思う。だが、長尾との折衝がどうなるかわからない以上、信濃で壁として使い潰されるのはゴメンである。何よりずっと戦い続けてきて少し疲れた。
そのため晴信が選んだのは信濃の20万石ではなく三河の五万石であった。海に関しては、まぁご愛敬と言ったところか。
「助かります」
これは晴信を口説き落とした千寿の嘘偽りの無い気持ちである。これから雪斎との折衝や長尾との話し合い、晴信に対する織田のスタンスの説明と言った手間も有るだろうが、それでも武田信玄と言う大駒はその面倒を上回る収穫だ。
既に秋山を手に入れているし、この上、馬場や内藤まで手に入るかもしれないと考えれば、歴史を知る者とすれば諸手を上げて歓迎すべき事柄。更に真田やら飯富兄弟等も取れれば最高だが、今は高望みはすまい。
「あぁ、そうだ。正式に織田に降る前に、アンタに一つ頼みが有るんだが聞いて貰えるかねぇ?」
無表情の下で内心ホクホクしていた千寿に、晴信はそんな言葉をかけた。声をかけられた千寿は、条件を出せるような立場では無いことを理解しているはずだが……と警戒を露にする。
千寿にしてみれば、武田信玄やその家臣団は欲しいが、餓えた虎など要らんのだ。もしもこちらの人材不足を知って足下を見ようと言うなら、遠慮なく首を取るつもりである。
「……怖いねぇ。けど安心しな。アンタが思ってるようなことじゃないよ」
千寿から放たれる圧力が変化した事を知り、晴信も話の切り出し方を誤ったと言うことを理解したが、後の祭りである。とりあえず出来るだけ軽い雰囲気を作ろうとするが、千寿には一切の隙がない。
目の前で殺意を膨らませる千寿を見て、大名や武将としてはともかく、武人としては劣ると言うことを確信した晴信は無駄に引っ張らずにさっさと用件を伝えることにする。
「なに、アタシをアンタの側室にしてくれって話さ」
「……はぁ?」
千寿にとっては完全に予想外の提案である。いや、元夫が甲斐で義元に殺されたのは知っている。しかしなぜ自分が元大名である彼女を側室にしなくてはならないのか?彼女もまだ若いのだからどこぞの男を捕まえて普通に三河武田家を興せば良いではないか。と言うかそれが降伏の条件ならどうするべきだ?いや、まずは姫様に確認を……
今まで泰然としていた千寿が明らかに狼狽する様子を見て、してやったりと喜悦の顔を見せる甲斐の虎。
彼女は千寿が愛妻家であると言うことは知っていたが、その妻が信長ですら顔色を窺う、夫を溺愛する修羅であると言うことまでは知らなかったようだ。
そのことが吉と出るか凶と出るか。未来は誰にもわからない。
前半長尾有利、後半ギリギリ武田有利。戦略目標の達成等からトータルで長尾の勝ち。
一騎打ち?……あれは恐ろしい戦いじゃった。
長尾や今川の説得よりも姫様が怖い千寿君。側室云々より人が欲しいので、何とか別な方向で話を纏めたいのだが……三河で大惨事大戦勃発か?ってお話。
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