51話。京都での仕事。爺編の巻
京にて平手の爺様と山科様の会合です。
第三者視点と山科様視点が混ざってますが仕様でございます。
「お久しゅうございます。山科様」
そう言って頭を下げる50過ぎの老人を見て、挨拶を受けた山科言継は愛想笑いでは無い笑みを浮かべて彼を労う。
「うむ。平手殿も息災そうで何よりですな」
言継は本心からそう思っていた。
京を去る際にアレだけ自信を見せていたのだから、彼の主である信長が家督争いで破れるとは思っていなかったが、三河の本願寺勢力や今川がちょっかいを出してきたという情報を得たときは流石に心配したものだ。
さらにお上(帝)が「勤皇の士を殺すな!」という勅を出そうとしたほどの騒ぎとなったのも記憶に新しい。
なにせ禁裏や我らから見て今の織田弾正忠家、いや信長と言う女は官位や見返りを求めずに定期的に塩と銭を寄進すると言う、まさしく勤皇の士。
いや、まぁ麿から礼法やら何やらの教えを受けては居るが、それは公家を利用するのではなく、理解しようとする謙虚さの現れ。
己に足りぬモノを知り、麿たちの持つ知識や技能に価値を見出だし、頭を下げてまで学ぼうとするならば、尾張の田舎侍とて麿の弟子であるし、その際にきちんと正しい対価を支払う姿勢を見れば、彼らを粗略に扱おうとする者などおらぬぞよ。
「息災どころか…愚息が不作法をして山科様にご迷惑をおかけしていないか、そればかりが心配で心配で、一刻も早くこうしてご挨拶をしなければ心労で倒れそうでございました」
苦笑いしながらそのような事を言って来るが、どうやら戦に関しては問題が無かったらしいの。
「それはそれは。ご心労を和らげるためと言うわけでは有りませぬが、彼は平手殿譲りの素養が有るようですね。非常に鍛え甲斐が有る若者ですよ」
変な癖が無く、何より麿達に対して本気で敬意を払い、必死で学ぼうとしているのが良い。地方の武家共も、皆があぁいう姿勢ならば地方に行く公家も増えるだろうに。
ま、そのような者は滅多に居ないからこそ、彼らの評価も高くなるのだがな。
「身に余るお言葉にございます。して、今後は再度私や林も山科様の教えを受けたいと思っておりますが……」
ふむ。元々そのつもりだが、何か言い辛いことでも有るのか?
無言で先を促す山科言継に対し、急に頭を深く下げる平手。普通に考えれば報酬の値切りだろう。何せ新たに手に入れた土地の開発や、その土地を守るための設備を造らねばならんし、設備を造ったならば維持をしなくてはならない。
所領が広くなったからと言って、収入が増えるわけではないのだ。だからこそ今の織田弾正忠家は銭はいくら有っても足りないはず。そのため簡略出来るところは簡略したいし、安く出来るなら安くしたいだろう。
山科言継とてそのような武家の事情は重々承知している。だからこそ問題なのは…その場合どうしたものか?と言うことだ。
値切るなど無礼だ!と言うこともできようが、値切られたとて収入がゼロよりは何倍も良いのは当たり前である。そもそも今の指導で月百貫は高いかもしれないと言うのは山科言継も薄々は思っていることだ。
結論としては認めるしかない。だが、出来るだけ下げ幅は小さくしたい。これが山科言継の素直な気持ちであった。
「山科様へのご負担が掛かりすぎではないかと主信長が心配しておりまして……もし山科様さえ宜しければ、どなたかお知り合いの方を紹介して頂き、山科様を含めた2名か3名の方々に教えを受けることでそのご負担を分散させることは出来ないか?と言う提案を受けております。無論指導料はその方々にお支払致しますし、禁裏への寄進の額も増額致します。…予定としてはお一人様につき指導料が月50貫、禁裏への寄進は百貫の追加と言う形なのですが……」
「はぁ?」
値切りかと思えばまさかの追加である。しかも単純に他の公家を紹介して欲しいと言うのではなく、自分(山科言継)の負担の心配をした上での指導者の追加。その際も自分の取り分は減らないし、禁裏への寄進の増額もされるらしい。
指導料は自分の半額では有るが、それなら最初からソレを不満に思うような公家に話を持っていかなければ良いだけの話だ。自分にはまったく損はない。
あまりにも都合が良い申し出に疑惑の目を向けてしまうが、その目を向けられた平手は平伏したまま言葉を続ける。
「誠に申し訳ございませぬ!我らとしても公家の方々に差を付ける無礼は重々承知しておりますが、用意出来る銭には限りが有りますし、またこうしてお世話になっております山科様と、他の方々を同列にすることにはどうしても抵抗がありまして…」
山科の言葉を受けて勢い良く頭を下げて弁明を行う平手。なんか前もこんな感じじゃなかったか?と思いながらも、山科言継はどうやら織田は田舎侍に良く有る京への憧れから、公家と言うものを過大評価しているようだと判断し、先程までの何か裏が有るのでは?と言う疑惑を己の中から消し去った。
まぁ確かに五摂家や、飛鳥井のような特殊な技能を持つ家ならば指導に月50貫では少ないと思われるかも知れないが、彼らとて決して余裕が有るわけではないので、実際に頼まれれば彼らは喜んでその申し入れを受けるだろう。
五摂家や飛鳥井ですらそうなのだから、普通の公家なら月十貫でも十分だし、貧乏な下家の者たちならば1貫でも受けると思われる。
尾張に居る信長がそれを知らないのはまだしも、幾度となく上洛している平手がソレを知らないとは思えないのだが……山科言継は少し考えて、彼らが1貫や十貫で動くような下位の公家ではなく、上位の公家との繋がりと、それらからの指導を受けたと言う箔を付けたいのだと言う答えに行き着いた。
と言うか、今の公家にはそれしかないのだ。だからこそ彼らは仲介役の自分を立てるし、自分が紹介した公家にも礼節を持って当たる。さらに彼らの時間を借りると言う名目で禁裏へも寄進を増やし、名を上げようとしているのだろう。
「い、いや、謝罪の必要はございませんぞ。織田殿の都合は重々承知しておりますし、礼法や知識を学ぼうとする姿勢は誉められて然るべきものです。そもそもは私を気遣って頂いているのですからな。それを叱責しようとは思いませぬよ」
向こうの狙いがわかれば、此方もそれに合わせるだけだ。誰が損をするわけでもないし、困窮する公家が助かり今以上に献金の額が増えると言うなら、お上とて喜んで人を派遣しようとするだろう。
値上げ交渉なども出来そうでは有るが、山科言継はそれをしようとしなかった。ただでさえ高額な指導料を貰っていると言うのを自覚していると言うことも有るが、下手に織田の財政を圧迫してしまい、無理をさせた結果家が傾いたりして献金が無くなっては困るからだ。
この、目先の銭に囚われない嗅覚こそが、山科言継が平手や千寿に評価されている所以である。
「ご温情ありがとうございまする。主、信長に代わり、深く御礼を申し上げます!」
「無礼を許された」と言う顔をして心から礼を述べる平手を見れば、言継も悪い気はしない。上機嫌となった言継は、良い機会と思いお上から尋ねられていた案件を平手に訊ねることにした。
「うむ。信長殿にも宜しくお伝えくだされ。して、一つ平手殿にお聞きしたいのですが…」
「はっ!某にお答え出来ることでしたら何なりとお答えさせて頂きまする!」
…ここまで下手に出られると流石の言継も「いや、そんなにへりくだらなくて良いから」と言いたくなるが、今はぐっと堪えて聞くべき事を聞く。
「うむ、お上は勤皇の士である織田殿へ何か形有るモノで応えたいと思っておりましてな。もしも望みが有るようなら聞いておくように仰せつかっております」
本来、地方の大名が献金する場合は官位が欲しいから献金をすると言う風に、自分達の権威付けのために禁裏へ銭を献金するのだが、織田は官位などは一切求めずに山科言継の時間を借りていると言う名目で禁裏に献金を行っている。
確かに山科言継は帝に仕える公家であるし、その時間を借りていると言うので有れば補填も必要だろう。だが流石にそれだけで月に2百貫はやりすぎだと言うのはわかるし、何かしら要望が来るだろうと思って待っていても、半年以上挨拶以外の音沙汰が無い。
それどころか先日には家督争いで銭が掛かるだろうに、わざわざ伊勢神宮へ千貫もの寄進を行うほどの忠勤ぶり。ここまでされて何もしないと言うのは朝廷としてどうなんだ?と言うのが禁裏の意見である。まぁ率直に言えば…借りが溜まりすぎて怖いのだ。
如何に京しか知らない公家であれ、世の中に無償の善意など存在しないと言うことはわかっている。だからこそ、余りにも借りが膨れ上がる前に、何か要望が有るなら叶えたい。そして継続した寄進をして欲しいと言うのが本音である。
通常は「所詮は尾張の田舎者。搾り取れるだけ搾り取ろうではないか」と動く公家が、相手の沈黙を不気味に思い、逆に「…なぁ、何か願いを叶えないとヤバイんじゃないか?」と心配するのだから、今の信長がどれ程気を使われているかが良くわかる事柄と言えよう。
「おぉ、我々の考えなどとうにお見通しでしたか。流石は山科様と禁裏の方々でございますな」
「え?あ、う、うむ。それくらいはな」
禁裏からの言葉を伝えられて、大袈裟に驚いて見せる平手と、平手のリアクションに驚く言継。
言継にしてみれば、正直何の事だか良くわかってないが、何やら勘違いをして此方を高く評価していると言うのは理解出来たので、平手の言葉を否定せずに曖昧な言葉で肯定の意思を示したのだが……少し落ち着けば話の流れから信長が何かを欲していると言う答えに行き着く。
そして今の信長が禁裏に望むものは何か?考えられるのは官位か現在交戦中の今川との停戦調停だろう。そして禁裏にしてみればどちらも不可能ではない。むしろ簡単な類いの望みと言える。
「予想は出来ておりますが、平手殿の口から聞かせて頂けますかな?何、此方から尋ねたことです故、遠慮はいりませんぞ」
余裕を取り戻した言継はゆっくりとした口調で訊ねる。今の彼には「官位が望みの場合、余程高位なモノを望まれない限りは認めることになるでおじゃろうが、謝礼金はどうなるでおじゃるかの?」などと考える余裕すらあった。
そんな言継を見て内心でほくそ笑む平手は、にやけそうになる顔を隠すため、さらに頭を深く下げ、しおらしそうな声を作って信長からの要望を伝える。
「ではお言葉に甘えまして…我が主信長は、誠に畏れ多いことではございますが…朝廷より官位を認めていただきたく思っております」
平伏したまま告げられた言葉を聞き、やはりそうかと胸を撫で下ろす。考えてみれば今の信長は家督を継いだばかり、官位に依る権威付けが欲しいのだろう。
元々はお上は信長に望むなら官位を与える気であったし、此方から官位を受けとる気は無いか?と訊ねるのと、向こうから官位が欲しいと言われるのでは、後者の方がより低い官位で話が済むと言う算段もある。
これが今川との調停になれば、誰かが尾張や駿河まで下向する必要が有るし、互いの利害の調整などに時間を取られたり、そのせいで交渉が決裂したりすることもあるが、官位で有れば話は簡単だ。お上に良い報告が出来そうだと内心で喜ぶ言継。
「なるほど、やはり官位でございますか…」
とは言え簡単にホイホイとくれてやるのも芸がない。追加で謝礼金か何かを引き出したいところだが、余り貰いすぎると与える官位も高いモノになる。
どのように交渉したものか…
「はっ。先代信秀が拝領しておりました三河守の継承と、弾正大忠…いえ、弾正少忠をお認め頂きたく…」
考え込む言継に対して、信長からの要求を伝える平手。言継としてはこうしてしっかりと要求してくれた方が話が早くて助かる。雅では無いが今はソレを指摘する場ではない。
「なるほど、三河守はまぁ問題ないでしょうな」
言われるまで忘れていたが、信長の父である信秀は正式な三河守である。その子である信長に継承させることについては異論は出ないだろう。
「おぉ!左様にございますか!」
助かった!と言わんばかりに声を張り上げる平手を見て、やはり織田は勤皇の家であると再認識する。
これがその辺の大名ならば許可など取らず、当然のように三河守を名乗るだろう。その為こうして正式に継承の許可を求めてきたことに対して、お上も好ましく思うはずだ。
…流石にこれに対して謝礼金を要求することはお上も許さないだろう。三河守の継承は今までの献金に対する返礼として認められるはずだ。
問題は弾正少忠である。確かに彼らは織田弾正忠家と名乗っては居るが、実際には弾正忠と言う官位(役職)は無い。近いのは弾正大忠か弾正少忠。弾正忠家を名乗るならばどちらかが欲しいと言うことだろう。それはわかる。
「して、もう1つですが…弾正少忠で宜しいので?」
禁裏に遠慮をする気持ちはわかるのだが、余りにも志が低くないか?言継としてはそう思わざるを得ない。近年では公方の仲介で越後の長尾某が弾正少弼を与えられたが……正直に言わせて貰えば、公方に忠義を誓う田舎者なんぞに官位など与えたくは無かったと言うのがお上を含む禁裏の総意である。
わざわざ越後から上洛してきたことや、貢物や献金も有ったからこそ認めたが、それだって千貫に満たぬ額である。奴が上洛したせいで公方が調子に乗ったことを考えれば明らかに織田の方が禁裏の役に立っているではないか。
ならば織田にこそ弾正少弼を与えるべきだと思う。なにせ長尾が越後守護ならば織田は三河守。幕府に認められた長尾と朝廷に認められた織田ならば織田を優先したいのが公家としての人情でもある。
何やら関白様が長尾に接触しているようなので、声高には言えないが、自分と同じ気持ちの公家は多いはずだ。
「はっ!今は尾張の下四郡と三河の過半を支配下に置きましたが、所詮は尾張の田舎者にございますれば、弾正少忠でも過分であることは重々承知の上ではございますが、此度のこと、平にお願いしたく……」
そんな言継の気持ちを知ってか知らずか、平手は相変わらず欲の無いことを言ってくる。まぁ普通に考えれば、織田弾正忠家は守護代の家臣に過ぎないのだから、正式な役職としては最下位である弾正少疏ですら高望みと考えると言うのはわかるのだが……
「かしこまりました。お上にはその旨確かにお伝え致します」
「宜しくお願い致します!」
とりあえずお上が望んだように彼らの要望は聞いた、後はお上が決めることよ。
流石に今までの献金や今後の献金を考えれば弾正少疏と言うわけにもいかない。いや、弾正少忠でも低すぎる。ここは恩を売るべき。
そう判断した言継は尚も頭を下げる平手をなだめ、会談を終えた後、その足で禁裏へと向かった。官位の件はともかくとして指南役の公家の増員とそれに伴う献金の増加は間違いなく吉報であるので、その足取りは軽い。
問題は誰を派遣するかと言うことでおじゃるが、これは嬉しい悲鳴と言うモノでおじゃる。あまり欲深くても困るでおじゃるが、もう少し志を高くもって貰いたいものでおじゃるなぁ。
今や日ノ本に数える程しか居ない真の勤皇の士が小物過ぎてはお上の立場が無い。そう言う意味も込めて、しっかりとした志を持って貰おう。
言継はそう決意し、お上へ平手との会談の内容を報告を行った。その結果は……
ーーーーーーーー
「あれ?のぉ、姫様や?」
「ん?どうしたの?」
「いや、爺から早馬が来たんじゃが…確か正式な弾正少弼って定員は一人じゃよな?」
「そうよ~今は越後の長尾某が弾正少弼らしいわね」
「ふむぅ~ならばこれはなんじゃろな?コレって朝廷からの正式な宣旨じゃろ?」
「……そうね。弾正大忠すら超えてきたのは意外だったけど、まぁ向こうがそれで良いなら良いんじゃない?」
「そうか。そうじゃな。悪いことじゃ無いもんな!」
「そうそう。あ、とりあえず謝礼金は千貫位で良いから、ちゃんと払いなさいよ~」
「おうともさ!これで儂も正式な弾正忠じゃよ!……アレ?もしかして弾正弼になるのかの?」
「どうなのかしら?まぁ語呂が悪いから弾正忠にしときましょ」
「正式な官位じゃと言うのに扱いが軽いのぉ~」
基本的には三河守の継承が認められないってことは有り得ないと判断してたので、千寿君も普通に三河守を名乗ってましたし、今川や武田も当たり前に正式な三河守と認めてましたが、実際に正式な許可は今までありませんでしたので、一応僭称でした。
今後は誰憚ることなく正式な三河守を名乗れます。
弾正少弼で有名なのは上杉謙信ですが、戦国ボンバーマンこと松永弾正も正式な弾正少弼です。ノッブは…多分弾正大弼なんじゃないかな?(震え声)しかしこの時期の官位の定員はどうなってるんでしょうねぇ?
わけがわからないよ。
今川義元は治部大輔なので、ノッブが弾正少弼になっても彼の方が格上です。彼はこの時代で言えば相当偉いんですよ?ってお話。
今回も解説や宣伝は無しです。
閲覧、感想、ポイント評価、ブックマーク、ありがとうございます!




