40話。鳴海の戦③の巻
三河勢の策に対して行われる鳴海城の軍議の様子。
修羅胎動(前兆予告)中です。
信長の勝利が鳴海城に届き、同じ報を受けた三河勢が軍議を終えた翌日。三河勢7000は鳴海城からも見える位置に現れた。コレから陣を張り、城攻めの支度をするのかと思われた三河勢だが、彼らは設営する気配を見せずに街道を進んでくる。
「む?」平手が眉を顰めさせ。
「ほう」千寿がそう来たかと頷き。
「えぇ?」恒興が何で?と混乱する。
平手、千寿、恒興。鳴海城において防戦の指揮を執る3人は眼前に迫る三河勢の動きに対して三者三様の様相を見せた。
「吉弘殿、アレは…」
平手の爺様が俺に確認を取って来るが、おそらく爺様の考える通りだろう。だからこそ横で混乱している恒興にも理解させねばならんが………まずは彼女がどう思ったかを聞こうか。
「えぇ平手殿の予想通りでしょう。そうだな…恒興には分かるか?」
「ふえ?!」
いきなり話を振られた恒興は焦って変な声を上げてしまうが、平手も千寿もソレを咎める気は無い。さらに平手にしてみれば話を流された感じになるのだが、この恒興は老い先短い自分とは違い今後も信長の側近として仕える事になるのだ。彼女を成長させる機会を逃すべきではないと考えていた。
千寿としても自分に確認を取り、ソレを妄信するようになれば、子供は自分で考えることを止めてしまう。だからこそ彼女らに問いかけることでそれぞれの考える力を伸ばしたい。そう考えている。
……まるで公〇の先生のような感じでは有るが、千寿が学問を教える際に参考にしているのがソレなのだからシカタナイね!
「えっと、三河勢は鳴海城を落とすのを諦めて、尾張に攻め込むことを選んだ…ですか?」
千寿に問われ、平手に視線で答えを促された恒興はそう自信なさげに言う。状況を見ればそれで間違いはないだろう。だが抑えの兵も残さずに敵の城を放置すると言うのは、当時の…と言うか通常の軍事的常識から大きく外れた行為だ。
その為どうしても恒興の言葉も自身無さげになってしまう。
「うむ。ソレで半分じゃな。よくぞ見た」
「あ、ありがとうございます!」
だが平手には恒興の気持ちも十分に分かるので、半分外した事よりも、半分当てたことを褒める。こういう所に、彼が先代から信長の教育係を任された程の識者であり教育者でもあると言うことが窺える。
事実、設営も陣替えもせずに街道を進む三河勢からは鳴海を攻略すると言う意気込みは感じられない。ならば恒興の言ったことが答えだ。
「そうですな。このまま我らが三河勢の数に怯えて動かなければ、彼らはそのまま尾張に入り尾張を荒らして帰るつもりでしょうな」
千寿もその意見を認める。
そもそも今回の三河勢の侵攻は、信長と信行の家督争いに乗じることが大前提だったのだ。だがその大前提が崩れた今、悠長に対三河勢用に建造された城である鳴海城を攻める余裕などない。
かといって何もせずに退くとなると一向宗が納得しないし、岡崎が集めた国人や兵士も納得はしないだろう。何せ数の上では圧倒的に勝っているのだ。ココで織田の反撃が怖くて逃げた等という評判が立ってしまえば、今後の領国経営など不可能となる。
城は落とせない。かといって退けない。ならばどうする?そう考えた結果、少しだけ尾張の内部に入って乱捕りを行い「臆病な尾張から戦利品を掻っ攫った!」と声を大にして宣い、無傷のまま帰ると言う戦略に移行してもおかしくはないだろう。
「ですな。まぁ儂らとしてはそれでも問題は有りませんがのぉ」
顎を扱きながら平手がそう言うと、恒興は「えぇ?!」と言った顔をするが…実際間違ってはいない。
「恒興、尾張の地形を考えよ。鳴海を越えた先にあるのは熱田じゃが、流石に連中も熱田には手を出さんじゃろう。そうなればもう少し外れたところで乱捕りを行うことになるじゃろ?」
「あ、はい。鳴海の周辺でやれば私たちに攻撃されますから、一定の距離が必要ですよね。そして流石の一向宗も何の理由も無しに熱田神宮の門前町を攻めるわけには行きませんから…そうなると彼らが乱捕りする場所はその周辺ですよね。そうなると…あぁなるほど」
頭の中に尾張の地図を思い描いたのだろう。そして恒興も一つの答えに行きつく。
「熱田の周辺の連中は現在若殿に味方してない連中です!確かにどうなっても構いませんよね!」
ニパッと今日一番の笑顔で告げる恒興に何とも言えない気分になるが、まぁ信長の配下としてはその判断で間違ってはいない。
そもそも今の信長は尾張の国主ではない。そのため無条件に尾張の国人を守ると言う義務も無いし、自分に従わない国人を守る必要が無いのだ。ここで三河の連中が自分に従わなかった連中を駆逐して帰ってくれると言うなら、むしろ謝礼金を渡しても良いくらいだろう。
(この尾張内部の力関係を理解出来ていない時点で連中の策は失敗しているのだ)
三河勢の狙いを読み切っている千寿にしてみれば、彼らの行動は滑稽極まりない。アレでは散々こちらの役に立った後で、褒美を貰う代わりに自分たちの首を置いて行くので、遠慮なく三河を攻めてくれと言っているようなモノでは無いか。
彼らの間抜けさを見て、千寿が敵に牟田口レベルの凄腕工作員でも居るのか?と疑うのも無理は無い。
それに千寿から見れば相手は後に天下を握る徳川勢の前身である。よって「久し振りに歯ごたえのある相手との戦に興じることが出来る」と思っていたのが、完全に肩透かしを食らった感じだ。少々不満に感じるのも仕方ないだろう。
(不完全燃焼となるのは間違いない…とは言え、敵に手応えだの歯ごたえを求めるのは軍人として間違ってるし、姫様が手柄を立てた以上は自分も手柄を立てねばならんか。まぁ後は個人の武に期待だな)
そう思って何とか気持ちを持ち直す。
信長や家康の年齢を考えればそれより年下である本多忠勝も榊原康政も井伊直政も今回は居ないだろうし。本多忠勝の父親である忠高は第三次安祥合戦で死んでいる。残るは生年不肖の渡辺守綱か服部正成。内藤正成も居たか?
頭の中で指折り数えてみるが、どれもこれも所詮今はまだ大戦を知らない田舎侍に過ぎない。ベッキーや父親と比べれば武将としての格に不足が有るし、胤栄らと比べれば武人としての格も満足できるレベルには達しないだろう。
つまるところ、どうしても眼前を征く彼らが小粒に思えてしまうが…余裕は持っても油断慢心はしないよう、自分を戒める。
「これなら確かに放置でも構いません!あ、なんなら三河の連中が尾張の国人共を潰してから、国人達のモノを抱えて帰ってきたところを攻撃すれば、連中が奪った国人のモノも全部若殿のモノに出来ますよ!」
ポンっと可愛く手を叩いて「良いコト思いついた!」みたいにサツバツとしたことを言うが、ソレも間違いではない。ただでさえ敵地からの撤退は至難の業なのに、各々の兵士が戦利品を抱えている状態ならまともな交戦すらままならない。
何せ人間と言うのは、一度奪ったものを手放すことが非常に難しい生き物だからだ。それは獲物を得た獣も同じなのだが…所詮ヒトも野生に生きる獣と言うことだろう。
千寿も、その獣を喰らう修羅としてはそれも悪くは無いと思う。順調に修羅の道を歩む恒興に対して千寿はうんうんと頷き、平手は何とも言えない気持ちと頼もしさを同居させた苦笑いを向けた。
「いや恒興よ、一応残りの半分も聞いておけ。今回の三河勢は失敗しとるが、今後尾張は若殿のモノになるのじゃ。次回も同じことをされたら困るじゃろ?」
敵の狙いを正しく理解して放置するのと、理解せずに放置するのでは結果は同じでも内容は全く違う。次回以降の事を考えれば、しっかりと学んで欲しいところなのだ。
「た、確かに!今後は尾張は若殿のモノです!敵を誘い込むにしても、若殿の所領で乱捕りなんかさせるわけにはいきませんよね!」
恒興の思考は何処までも信長ありきの考えだが、まぁ側近としては間違っていない。
「そう言うことじゃ。で、残りの半分じゃが…誘いですな?」
恒興に聞く姿勢が出来たと判断した平手は確信を込めて千寿に確認を取る。コレが外れていたら赤っ恥だが、まず間違いは無いだろう。そしてこちらが本来の向こうの狙いだと言うことも確信している。
「そうですね。我々が「ココで逃がしたら名が廃る!」だの、先ほどの恒興が言ったように「尾張で乱捕りなどさせぬ!」だのと言ったことを考えて、連中の後背を突こうとして出撃したところを囲んで潰すつもりでしょう」
言ってしまえば武田信玄が三方ヶ原で家康を誘い出した手だ。一見回避不能、防御不能の策に見えるが…誠に残念ながら大前提が違い過ぎるので策が成立していない。
そもそもあの時の家康には、あそこで信玄を通して尾張で待ち伏せる信長の軍勢と挟み込むという選択や、尾張方面に向かった信玄を放置して遠江方面に侵攻すると言う選択も有った。実際信長からは挑発に乗らずに出撃しないよう要請(指示)も出ていた。
それなのにソレをしなかったのは、その前に遠江や三河での戦で武田勢に連敗していて家康の国人に対する求心力が低下していたことや、信長に任せてしまえば今後の自分の立場が無くなるということなどが理由に挙げられる。
だからこそ家康は信玄の動きを挑発と知りつつ、出撃せざるを得なかったのだ。
翻って今回の信長はどうか。自分は信行との戦に勝ち、逆らう国人の意気を潰している。その上で三河勢が自分に従わない国人を攻めてくれるなら、ソレを止める理由が無い。
勿論、連中がそのまま占拠するような動きを見せたら囲んで叩き潰すが、いくら一向宗の坊主でも敵地で補給も援軍も無く戦い続けることは不可能だと言うことを知っている。
鳴海が落ちていれば援軍も出せるが、ココに平手や千寿が居る以上、三河からの援軍も補給も簡単ではない。つまりは黙っていれば帰ると分かっている敵であり、態々戦う必要など無いと言う答えに行きつく。
そもそも鳴海城には1500しか居ない。それなのに出撃すれば7000の軍勢と正面から当たることになる。何か勝てる為の仕込みをしているならまだしも、精神論でもって負けると分かっている戦をするのは勇将でもなんでもない。味方を殺す阿呆と言うのだ。
「なるほど…なら今回はやっぱり放置ですね!」
「まぁそうなるかの。数日待ってから帰り際を狙うのが妥当じゃ。あぁ、むしろそのまま連中に尾張方面に侵入させて、儂らは逆に三河に入り空になっている本證寺を焼き払うと言うのも有りかもしれませんな?」
向こうの狙いを完全に理解した上での結論なのだから、平手も恒興の意見に反論をする気は無い。むしろその後の追撃から何からを自分で手配したいとすら思っている。
何ならコレから三河に行っても良い。これは冗談のように言っているが、紛れもなく本心である。だが名目上はともかく、今回の主役は千寿なのでこうして彼に確認を取っているわけだ。
(平手の爺様も一向宗は嫌いらしいな。ま、過去に三河で戦っただろうし、こうして尾張に攻め込んでくる坊主を好きになる理由が無いと言うのは確かだが…)
「確かに空き家と化した今の三河なら500も有れば本證寺は焼けるし、そのまま安祥城も取れるかも知れませんが…連中が生きている限り、三河に先行した部隊は孤立することになります。それ故にまずはこの場に居る連中の殲滅を優先しましょうか」
千寿の口から自信満々に告げられる殲滅の言葉に顔を見合わせる2人。
「殲滅…ですかな?」
軍事の世界においては三割の損害で全滅判定と言われるが、殲滅となればその全てを失うような印象となる。それに千寿の様子を見れば一度放置して帰路を狙うと言う考えでは無さそうだが…。
「連中が大人しく逃げ帰らなければそうなりますね。それに、ここで何も得ることなく逃げ帰れば三河国内で暴動が発生するでしょうから、簡単には逃げられません。もし逃げても一向宗にとって最も重要な武具を兼ねる農具、彼らは逃げる際にコレを失うことになるので、戦力としては死んだようなモノでしょう?」
「な、なるほど」
千寿の事だから本気で7000の屍を作る気かとも思ったが、どうやらそのつもりは無いらしい。
「さらに尾張の国内事情も有ります。一度荒らされたところを復興するのは良いのですが、国人が生き延びていたりその子供がいたりすればその地の返却を求めるでしょう。ソレを認めれば復興に掛かった費用が無駄になり、断れば信長殿を逆恨みしないとも限りません。小人の逆恨みは下らないが故に軽視しがちですが、それを無視すれば思わぬところで足を掬われますからな。従わぬ国人は三河の連中に頼るのではなく、信長殿がその意思を持って潰すべきです」
三河勢の手で国人が全員死ぬならばソレで良い。その所領を没収して直轄領にできる。だがここで国人やその家族が生き延びて信長を頼った場合、信長も一定の配慮をしなくてはいけなくなる。
今まで反抗してたのだから…と言う理由で放置することは簡単だが、ソレをやると今後の評判が悪くなるのであまり推奨はしたくない。この時代の武士って親の仇討ちとか大好きなんだよ。気分的にもそうだが、戦の口実にもなるからな。勝てる戦ならやりたいし、信長に働きを見せる為にもそう言う火種を持ってくるはずだ。
で、それを放置すれば逆恨みしたアホが「信長は頼りない」とか言い出して悪評を広めてくる。
だからこそここで三河勢を叩くことで、後から「追撃に参加する」だとか「仇討ち」だとかと言った国人が関与する口実を潰すのだ。
つまり連中には最初から味方面させるような切っ掛けを与えないようにする。稲生でも鳴海でも信長に味方しなかったと言う事実をもって、今も領地に籠る国人を潰す。
土田御前の暴走のせいで国人を潰す口実が無くなっていたが、今回の三河勢のおかげでそれが出来るような環境となった。
これで三河と尾張の統治が格段に楽になると思えば、こちらを誘うために敢えてゆっくりと街道を進む三河勢に感謝すらしたくなると言うものだ。
「な、なるほど。それはわかりました!ではあの連中にはここを攻めさせるおつもりですか?」
そういって恒興が眼前の(とは言えコチラがどんな攻撃をしてきても対応できるように、6町から8町(600~800メートル)の距離を取っているが…)離れたところを悠然と進む軍勢を指差す。
「そうなるな。設営もせず、見た感じ攻城戦の準備もしていないから、ここで連中に我攻めをさせることで大きな損害を強いることにしようか。で、逃げるところを追撃するぞ。予定としては…一気に安祥城を落とし、本證寺を焼き払いたいところだな」
「「お、おぉ……」」
なんか平手の爺様と恒興のリアクションが微妙だが…こう言うときって「やってやるぞ!」ってなるんじゃねーの?まぁ良いけどさ。
鳴海から安祥までは急げば二日もかからずに着く。そのまま逃げ延びた連中を抱えて防衛戦をさせるも良し、三河勢の大敗を見て焦った国人衆に攻めさせるも良し。岡崎を見逃す代わりに安祥城を貰い受けるのも良いだろう。
だが今回攻め込んで来た本證寺とソレに従う一向門徒を生かす理由は無い。つーか一向宗は邪魔だ。
「平手殿に異論が無ければ戦の支度をしましょう。恒興、矢を千本持ってこい。姫様が見せた拙い武が九州の武と勘違いされても困るからな。ここでしっかり指南役としての力と言うものを見せてやろうじゃないか」
姫様が柴田勝家を討ち取ったっていうのは良いんだがなぁ。アレは武人だったのか武将だったのかがわからんし、今後のことも有る。三河の人間は勿論だが尾張の人間にもあんまり舐められても困るからな。三河勢にはしっかりと地獄を見て貰うぞ?
「む、無論儂にも異論はござらん!すでに戦支度は終わっておりますからな!」
「せ、千本?!あ、いや、はい!直ちに持ってきます!」
2人が急いで城の中に行くが…いや、恒興はともかくとして爺様は何しに行くんだ?
「ほほぅ。吉弘殿の鉄砲の技術が見事なのは知っているが、弓は初めてだな……届くのか?」
頭に?マークを浮かべながら2人が消えた先を眺める俺に対し、「自分は雇われだから」と言う理由で軍議の最中、ずっと無言を貫いていた津田がそう言って来る。軍議には興味が無いが、流石に鉄砲でも届かない6~8町の距離の射撃には興味が有るらしい。
「……武は口で語るモノでは無いでしょう?」
そんな津田に対する千寿の答えは口調は丁寧だが、実質「黙ってみてろ」と言ったに等しい。本来なら無礼極まりない態度と言えるが、今の彼に対してそんなことを指摘できるのは父親である吉弘鑑理か姫様くらいのモノだろう。
実際精強な鉄砲隊である根来衆を率いる津田算長をして、今の彼を見て無礼を咎めるどころか、背筋から冷たい汗が流れるのを自覚して、立ち竦むのみであった。
この瞬間。九州大友家が誇る雷神をして「規格外」としか評することができなかった修羅が、尾張鳴海に顕現した。
東国無双と西国無双(の父親)の戦闘になるはずが…
解説に時間(文字数)かかりすぎィ!ってお話。
三方ヶ原については諸説有りなので、異論は受け付けますが、ソレは間違ってる!コレが正しい!と言う決めつけ的な意見を受け入れる予定はございません。




