38話。鳴海の戦①の巻
稲生の戦の後のお話。鳴海城にて修羅胎動中。
後半は三河勢視点。
千寿らが居る鳴海城に対し稲生からその報告が来たのは、柴田勝家や林美作守が討ち取られ、戦後処理の大半が終わってから半日後。つまり同じ日の夜遅くのことだった。
「勝ちました!平手様!吉弘様!若殿の、お味方の大勝にございます!」
その報告を受けた池田恒興は、夜遅くにも関わらず大声で叫びながら鳴海城の城内を駆けている。
本来ならどのような情報であれ、大声で叫びまわるなどと言った行為をすれば情報の漏洩として千寿によって厳しく罰せられるのだが、この報に関してはむしろ大きく伝えるようにと言われていたので、恒興も遠慮などしない。
「姫様が居るから大丈夫」と分かっていても、いつも一緒だった若殿が大変なときに傍に居ることが出来ないと言うのは耐え難いほどの苦痛だったし、同じように平手様も吉弘様も心配してるだろうから、大声で伝えることで早く安心させてあげたいと思っていたのだ。
「恒興、もう良いぞ。若殿が勝利したことは鳴海の皆が知ったわい」
興奮冷めやらぬ恒興を苦笑い混じりで止めたのは信長の傅役にして次席家老。今回鳴海城の守将を任された老将、平手政秀である。
「確かにそうですな。恒興、ご苦労様」
そう言って頭を撫でてくれるのは織田家の指南役であり、恒興や信長を含めた皆の師である吉弘鎮理。実質今回の鳴海城での戦における総大将でもある。
信長や周囲の馬廻り共は彼の殺気を浴びて良く失神や粗相をさせられたりするが、彼は基本的に恒興には優しかった。まぁ恒興が常識人で、無駄に阿呆なことや口答えをしないからであるが……恒興にしてみれば彼は優しい兄のような存在である。
その二人の声を聞き、どうやら自分は随分と興奮していたらしいと顔を赤くするが、実際鳴海城に居る皆が戦の結果や経緯を知りたがっていたので、迷惑に思われることはなかったのは間違いない。
「それでは報告を確認しましょうか。その内容によっては信長殿の末森攻めに援軍が必要かもしれませんしね」
そう言って恒興の背中を押して評定の間に入る千寿。「この人でもやはり姫様のことは心配らしい」と思うとその無表情にも人間味を感じ、ついつい微笑んでしまう。
「ですな。儂らに関しては戦に勝ったことがわかっておれば籠城に不安はござらぬ。なんなら向こうに多少の増援を向かわせて一刻も早く末森を落とし、こちらか清須に向かわせるべきでしょう」
平手も信長が心配なのだろう。これから戦場となるここ鳴海城の兵を減らしてでも増援を送ろうとする千寿の意見に、異を唱えるどころが賛同している有様だ。
恒興としても細かい内容はまだ確認していないので、報告書を確認したいし、援軍が必要なら今すぐに駆けつけたい。そんな気持ちで使者が持ってきた報告書を広げるのであった。
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「若殿にも林殿にも佐久間にも損害は殆ど無し。対して柴田と美作をはじめとした連中や彼らに馳走した国人衆はほぼ全員が死亡。兜首もほぼ討ち死に。さらに兵も半数は死亡して残る半数は重傷。無事なまま末森に逃げ帰ったのはおよそ百人も居ない…ですか。なるほどなるほど、随分と張り切りましたなぁ」
恒興が持って来た報告書を見ながら平手の爺様は素直に感嘆の言葉を紡ぐ。俺としても同意見だ。林のオッサンと佐久間は予想以上に容赦なく連中を追い立てたらしい。
「うーん。今後の尾張の立て直しに多少時間がかかりそうですけど…あぁそういえば神屋様に人を買うように言ったんでしたっけ?それを補填に当てるのでしょうか?」
恒興が確認を入れてくる。同じ尾張勢だから追撃は控えめにするだろうと言う大方の予想を裏切った行動だからな。それに対する補填が無ければ農作物の収穫どころか田畑の維持も難しくなる。
その補填として神屋が買ってきた人員を使うというのは間違いではないな。
戦に巻き込まれ関東から売られてきて、絶望しているところに土地を与えられたら……見事信長に忠実な兵の出来上がりだ。ある意味で青州黄巾党よりもタチが悪い軍勢になるだろう。
ま、一向衆よりも信長を神と崇める兵士の方が都合が良いから構わんが、この分だと買い入れの数を増やすように依頼する必要がありそうだな。
一つの村に千人くらいとしても村10個で一万人だし。いや、実際はこんな単純計算で良いとは言わんが、穢多・非人と呼ばれる人間の有効利用方法を知れば信長も彼らを重宝するだろうよ。
それにほかの所から売られてきた連中が良い扱いを受けていると知れば、三河や尾張に居る同類も率先して俺たちに協力してくれるだろうさ。
世の中の宗教家のように怪しげな全能感に飲まれることが無いようにしっかり手綱を握る必要が有るが、それも先の話。
「とりあえずそのような形になりそうだな。予定していた使い方とは違うが、尾張の村そのものの再編成が必要となるだろうし。ふむ………まずは末森に馳走した国人衆の持つ村から人を移住させたり、新たな村を作ったりと、これからは信長殿の国造りが始まることになる。随分と忙しくなるぞ」
三河は三河でテコ入れが必要だしな。
「「若殿の国造り…」」
平手の爺様は虚空を見て涙を抑え、恒興は今後の尾張について目を輝かせる。
「それもこれも我々が三河勢を駆逐し、これらを招き寄せた大和守家の坂井某を断罪してからですがね」
まずは一歩一歩だ。先を見すぎて足下の石に躓くわけにもいかん。
「あ、あぁそうですな!」
「そうですね!失礼しました!」
とりあえず二人にはさっさと現実に帰ってきてもらおう。で、この報告書を見る限り末森に援軍を送る必要はないな。
ならこのまま戦だ。ココで負けたら意味がないし、姫様がその武を見せたと言うなら、俺もしっかりと見せねば旦那としての立場がなくなってしまう。
「ですがこの姫様の挙げた首級が柴田様含めて54って…しかも5町離れた所に居る敵を射るって凄いですね!」
気持ちを切り替えるかのように恒興がそう言って姫様を褒める。まぁ馬鹿にされるよりは良いんだがな。
「いや。5町の距離ならもっと殺せたはずだが…視界が悪かったか、それとも柴田を引き込むためにわざと抑えたか…どちらにせよその数はあまり褒められたモノじゃない。あまり姫様を甘やかさないようにしてくれ」
そもそも5町離れたところからの攻撃を防いだり回避したりした者が一人もいないってことは、狙った相手は雑魚ってことだろ?姫様はまだ虚実が甘いから攻撃は全部直線的な筈だし……せっかく弓を使ったならもう少し価値の有る首を獲らんと意味が無いよなぁ
「「えぇ~」」
平手の爺様と恒興が納得出来ないって顔をしてるが、矢尻だってタダじゃないんだ。雑魚一人に矢を消費してたら鉄がいくら有っても足りんよ。
今後は神屋が取引の一部として融通してくれるとは思うが、それだって根来が優先だろう。無駄無くリーズナブルに殺らんとあかん。
「と言うか、向こうに行った鉄砲衆は楽しそうにやってるようですな」
「ん?そりゃそうだろ。鉄砲は撃ち放題だし、掛かった金は全額支払われる。さらに討ち取った首やら何やらによって追加報酬も有り。コレで張り切らん奴はウチにはおらんさ」
今まで無言で報告書を読んでいた僧風の男・津田算長に話を振れば、そりゃそうだと同意された。
うん、姫様が使った鉄砲の出所は隠すまでもなく根来の鉄砲衆だ。今回は昔の伝手を使って彼らを雇ったわけだが、これが随分とテンションが高いこと高いこと。
なにせ元々は堀田が九州へ送る人間の護衛に始まった今回の仕事だが、彼らにしてみれば予想以上の収穫となっている。
まず堀田から博多までの護衛料を頂戴出来た。次いで、博多の豪商である神屋と繋ぎが取れて、その神屋と堀田がこっちに来るのに合わせてさらに護衛料をGET。
そしてこれにより堺以外にも硝石やら鉄やらの入手経路が出来た根来衆は、本願寺の紐付きである雑賀衆とは違う方向性で発展を遂げることが出来るようになった。
それでも距離的には堺の方が近いので粗略になることは無いだろうが、硝石やら鉄をちらつかされて上から目線で命令される謂れが無くなったというのは精神的に凄く良い事なのだろう。
さらに堀田によって塩の安定供給も行われているし、俺らと契約を交わすことで金を貰って実戦経験が積めるという、まさにウハウハ状態。
信秀がいつ死ぬかわからなかったからしばらくは伊勢で神屋と共に待機して貰っていたが、その間の滞在費やら何やらは全額織田家が負担している。
結果として彼らは伊勢において飲めや歌えやの大騒ぎをして、たまに海に向かって鉄砲発射。でもって豪遊している彼らを見て金を持っていると思って集ろうとしてきた国人に天誅をくれてやり、評判の悪い商人には討ち入りしたりとやりたい放題だもんな。
それでも伊勢神宮に対しては一定の敬意を払っていたし、地元に金を落としてたから地元ではそんなに悪い評価ではなかったらしい。
具体的には堀田は「ちょっと騒ぎ過ぎじゃないか?」と苦笑いする程度で、神屋は「あぁ。賑やかでしたよ」と笑って許す程度だ。
結局のところ堀田や神屋にしてみても彼らは金で雇える武力なので、根来衆との繋ぎは悪いことではないし、俺たちに関しては言うまでもなく良縁だ。
なにせ彼らの本拠は紀州にあって高野山の流れを汲む真言宗根来寺だ。浄土真宗の本願寺と仲が悪いわけではないが、良いわけでもない。つまり雑賀のように一向門徒ではないので今回の三河との戦でも遠慮なく使える。
これが雑賀を使っていたら非常に面倒なことになっていただろうなぁと思うが、その辺は今は良い。
「では三河勢の処刑に関してですが…」
後方を気にする必要が無くなった四人の心は一つ。
狩場に入った獲物をいかにして狩るか?である。
彼らの中では眼前に迫る三河勢は既に敵では無くなっていた。
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「信行が負けた?真実か数正?」
「清須の坂井大膳が嘘を吐いていなければ真実ですな」
溜め息を混じりに報告書を渡してくる数正を見れば、どうやら嘘や冗談では無いらしい。自分もその報告書を読むが、その内容は確かに嘘を疑いたくなるものだが、坂井大膳にそんな嘘を吐く理由が無い以上、これは真実なのだろうが…。
「むぅ…負けたのは事実なのだろうよ。あの柴田勝家が討ち死にしたと言うのもわかった。だが、その死因が落雷?さらに連続して?これはどう言うことだと思う?」
これがわからない。
「私にもわかりませんよ。しかし…厄介なことになりました」
数正は再度溜め息を吐くが、確かにかなり厄介なことになってしまった。なにせ一日で戦が終わり、信長が大勝したことで、弾正忠家の家督は信長が継ぐと言うのが確定してしまったのだ。
今まで内心では信行を推していた者共とて、お行儀が良くとも戦に勝てん当主より、うつけであっても戦に勝てる当主を選ぶに決まっているからな。
まぁそれは良いのだ。問題はあまりにも一方的過ぎた勝利のため、一度の戦いで全てが終わってしまい、家督争いに乗じると言う我々の基本戦略が完全に崩壊してしまったことだ。
さらにこの決め手となった雷。これが何なのかわからん限りは対処も出来ん。…まさか天罰とは言わんだろうな?
「あ、あの……酒井様?」
報告書を睨み、どうしたものかと悩んでいたら末席に座る若者から声がかかる。
「忠勝か。どうした?」
彼は本多忠高殿の息子である本多忠勝。元服したてで、今回が初陣となる若者だ。
今は多少まともになったが、幼き頃の彼の評判は、一言で言えば「狂人」だった。
突如として訳のわからないことを言い出したり、酒に灰を入れて台無しにしたり、硝石?や堆肥?を作ると言い出しては家臣や農民に糞尿を弄らせたりと、忠高殿も「鍛えすぎたか…」と随分と気に病んでいたものだ。
そんな彼が忠高殿の死を皮切りに、漸く多少の落ち着きを取り戻し、武芸に専念するようになると忠高殿譲りの才を遺憾無く発揮するようになったのだから「初めからそうしろ」と家の内外から突っ込まれたのも無理はあるまい。
かく言う私も同じ意見だったしな。
それはそれとして、こやつは武が関係することならば間違いなく才が有る。その才が何かを感じ取ったと言うなら、たとえ若造の意見とて聞くべきだろうよ。
聞くのはタダだし。
「お、おそらくその雷は鉄砲の音ではないかと…」
「「鉄砲?」」
何やら確信が有りそうな忠勝の様子に儂と数正は顔を見合わせる。
「は、はい。火薬を爆発させて鉛弾を飛ばすそうで、元寇の際に蒙古勢が使ってきた武器に似たようなのがあるとか。南蛮人が使う武器でも有るそうです」
「なんと…」
元寇の際に使われていた武具とは。予想外の武具の存在に驚くが、確かに南蛮渡来の武具で大きな音を出すモノがあるとは聞いていたが……
「それが本当なら大手柄だな。良くやった」
「は、はい!ありがとうございます!」
数正は頷きながら忠勝を誉める。いや、正確には誉めてはいない。その知識の出所を疑っているのだろう。
武家ならば蒙古のことは知っていても、ソレが南蛮人の武具とは知らぬはず。さらに雷と言う一言から鉄砲と言う答えを導きだすのは、実際にソレを知る者だけだ。
だが儂らにしても本多家どころか、三河において鉄砲など見たこともない。それが何故?と思えば。どうしても疑いが先に来る。
と言っても内応などしていないのはわかるがな。こやつはそんな器用な真似が出きるような者でもないし、竹千代様に対する忠義は本物だ。だからこそ数正も疑いはすれども手を下そうとは思っていないのだろう。
「では、雷の正体がわかったところで、次の問題だ。…これからどうするかを決めねばならん」
とりあえず話の流れを元に戻すとしよう。雷が天罰では無いとわかれば、兵士たちも納得するだろうから、問題はどう動くかだ。
「えっと、どうするかってどういうことでしょう?尾張に侵攻するためにこれから鳴海城を攻めるんですよね?」
「「………はぁ」」
忠勝の口から出た疑問を聞き、数正と顔を見合わせ、思わず二人で溜め息を吐いてしまう。
「え?あの、ち、違うんですか?」
盛大に的を外した発言をした忠勝が何やら焦っているが。うむ、武の片鱗があろうとも初陣の子供だものな。呆れるよりもしっかり説明してやるのが竹千代様より主将を任された儂の責務よな。
「まずは状況の整理からだ。良く聞けよ?」
「は、はい!」
ここでしくじれば岡崎松平に未来はない。
確実に勝てるはずの戦で、戦う前から苦境に立たされることになるとは…それもこれもうつけに負けた信行の不甲斐なさを読み切れなんだ儂の過ちよ。
竹千代様の為にも判断を違えるわけにはいかん。忠勝に説明をしながら、自身の考えをまとめるとしようか。
恒興はこっちで勉強中。
伊勢に来たお客さんは神屋『一行』ですからね。当然護衛が付きますし、紀伊半島を拠点とする彼等根来衆は場所的にも非常に都合が良いのです。
おや?本多忠勝の年齢と行動が…?
次回、三河勢の憂鬱ってお話。




