30話。主人公は三河が欲しいの巻
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千寿君視点
「ほほぅ。ようやく、ですか」
堀田が持ってきた『三河にて戦支度の兆し有り』という情報を確認し、ようやく今川がこちらに干渉することを決意してくれた事に安堵した俺は、思わず溜め息を吐きながら呟いた。
こちらとしては、信秀が死んだ後の家督争いに何かしらの介入をしてくると見込んでいたので、もしもここで干渉してこなければ普通に頭を抱えることになっていたはずだ。
ちなみに大和守や信行の周囲の連中は、現在予想以上に信長の権勢が増していることからか、今では『信長に一度家督を譲る』という方針を撤回し、今川の力を借りてさっさと殺そうとしているようだ。
おそらくその後で信長についた国人連中から土地やら財を奪う気なのだろう。
そんな尾張の連中に関してはもう準備はできているし、余裕もある。気になるのは三河の動きだ。
信長も林のオッサンも平手の爺様も、今回の俺の狙いが三河にあるとは漠然と理解はしているようだが、その内容を完全に把握しているとは言い難い状況だったりする。
近くにいる彼女らがそうなのだから、遠く駿河の地にいる義元や太原雪斎が俺の思惑を読みきれないのは当然のことだろう。
今回の家督相続によって生じる諸々の戦において俺が掲げる戦略目的は、当然岡崎周辺の土地。ではなく、奥三河と徳川家康の首にある。家康にかんしては、最悪能力調査だけでも良いとは思っているが、できたら今のうちにその首を取りたいと思っていたのだ。
なぜ? この時代の尾張に転生しておきながら、家康と秀吉を警戒しない奴なんていないだろう?
今まではその為の名目がなかったから手を出せなかったのだが、今回、向こうが尾張に介入してきたおかげで、こちらも手を出せるようになったというわけだ。
いやはや信秀の死は本当に俺たちにとって都合が良いことだらけだな。
まぁ「信秀が三河守だから信長も三河守を継承する。だから三河は信長のものだ」という理屈で攻め込んでも良かったが、それだとどうしても周囲の国人に配慮する必要があるので、これはあまり使いたくなかったのだ。
あとは、こっちで手回しをして将軍から『今川を討て』という上意を貰い、それを口実にして三河に攻め込むこともできるのだが、その場合が上意に従う形で岡崎の松平党が降伏してしまう可能性もある。戦う前に降伏されてしまえば、結局家康に手が出せないことになってしまうからな。
だからこそ今回「三河勢が尾張へ侵攻する」というアクションが必要だった。
これにより俺たちは三河勢による火事場泥棒的な行為を咎めて報復することができる。当然、大和守家や、信行に従っている信長の権力増大を忌避する連中も、これを邪魔することはない。
加えて言えば、俺が何よりも欲しいのは奥三河。もっと言えば奥三河に有る山なのだ。
つまり津具鉱山。
あそこはまだ武田信玄によって開発されていないので、完全に手付かずの鉱山だ。まさか雪斎も俺の狙いが、いまだ発見されていない鉱山が目当てだとは想定できまい。
もしもそれがわかる奴が居たら、それは間違いなく俺と同じ存在だろう。つまり今回の軍事行動は、三河や今川方に俺と同じ存在がいるか否かの確認も兼ねているというわけだ。
とはいえ、今に至るまで今川勢や松平勢が奥三河に手を付けていない時点で「連中の中に津具鉱山を知ってる人間はいない」と思っているけどな。
いや、もし鉱山の存在を知っている人間がいたら拠点も作らずに放置するはずがないだろう?
実際に奥三河へ塩を販売している堀田からも「何もないところ」と報告を受けているしな。
もちろん偽装している可能性も有るが、物資が動いていないならその可能性は極めて小さいと言える。もし物資が動いている形跡が有れば、堀田が見逃すことは無いだろうしな。
で、奥三河にある手付かずの鉱山の存在を知らない以上、連中は奥三河に対して全力で動くことはない。こちらの反撃に合わせて今川も「援軍」と称して動くかもしれないが、今川はあくまで岡崎周辺の穀倉地帯を得ようとするはずだ。
ならばこちらは西三河でにらみ合いをしつつ、奥三河を奪う。そのあとで、今回こちらに兵を出してきた三河一向宗を取りまとめている本證寺を破却しながら今川との間に対本願寺を見越した講和ができれば最良といったところだろうか。
「はて。ようやく、ですか? 私には信長様が、大和守様と信行様と三河衆と服部党に包囲されていて、さらには北には美濃様(斎藤道三)と南には駿河様(今川義元)が背後にいて、虎視眈々と尾張を狙っている状況。すなわち絶体絶命の窮地に見えますが?」
堀田はそう言ってさらりと服部党も戦支度をしていると告げてくる。なかなかの情報網だが、然もありなん。
この時代、一番の情報網を持つのは大名ではない、まずは商人。次いで寺社。そして公家。それから大名だ。大名は基本的に自国や隣国の情報を集めることは有っても、その外には中々目が行かない。
隣国が敵国だった場合はそのさらに隣の情報も探るが、基本的にはそこまで余裕のある大名はいないのが現状だ。
例外的に大友や大内、尼子のような場合は隣国の敵が大きいからこそ大量の情報を集める必要があるのだが、それだって商人からの情報の比率が大きい。でもって寺は……言うまでもないだろう。
そして公家。連中は京にいるから京のことしか知らないと思われがちだが、実際は違う。彼らは地方に金をせびりに行ったり、京が荒れた際の避難先にするために、諸国の情報を集めている。大内の山口館だの越前の小京都は、そういった連中が地方に巣を張ろうとした結果の産物なのだ。
忍者? 伊賀? 甲賀? 忍者は超人じゃないぞ? いや、この気がある世界の忍者は知らんけど。
だが堺周辺で俺や姫様を監視していた連中の腕を見れば、彼らは普通に汚れ仕事ができるというだけの、特殊な訓練をされた兵士だと思われる。
そういった連中なので、俺もやろうと思えば武田信玄の歩き巫女ように、自分で組織することは不可能ではない。ただ歴史ある集団には「秘伝の毒」的なものもあるし、専用の組織運営のノウハウがあるから、そう簡単に軌道に乗ることはないけどな。
そして商人はそれらの全ての繋がりをつかって各地の情報を集めているから、商人と強い繋がりが有れば自動的に情報は得られるのだ。
ただし商人から情報を得る場合、当然商人にとって都合の悪い情報がシャットアウトされることになるので、その辺を嫌うなら自分で直接情報員を雇用して抱え込む必要がある。
結局情報を集めるのに最も効果的なのは、それぞれの勢力としっかり繋ぎをとって、それぞれの勢力から情報を集めるということに集約される。
しかしこの方法にも当然デメリットが有る。
それは、各勢力から情報を得ようとすると、それに伴う出費がある上にこちらの情報が漏れる可能性も大きくなる、ということだ。
そもそもこの時代の忍者と呼ばれる存在は、金で一時的に雇われているだけの期間労働者でしかない。当然彼らは雇用期間が終わったらさっさと帰ってしまう。そして雇用期間中に得た情報を他の大名家などに売ることで商売としているのである。
つまるところ彼らは、雇用期間中に得た情報を秘匿するつもりが一切ない契約社員であり、産業スパイ予備軍なのだ。
大名にしてみればこんな連中は信用できないし、内部に入れて自分の情報を渡すなんて有り得ないことだ。
だからこそ彼らの扱いは悪い。
「仕事が終わったらさっさと出て行け!」くらいならまだいい。むしろ「こっちの情報を持っていくんだから金払え!」という扱いになる。
そんな行為をずっとやってきた連中を、一つの家が正式に召抱えたりしたらどうなるだろうか?
産業スパイを抱え込むことに成功した勢力は良いだろう。しかし、情報を抜かれることになる他の大名家は「裏切り者!」と罵るはずだ。
たとえるなら、織田家が伊賀衆の筆頭格である百地家を雇い入れることに成功した場合を考えてほしい。この結果、今まで百地家が集めてきた情報全てが織田に渡ることになるだろうか?
すくなくともそれまで百地家と付き合いのあった家は、百地家を「裏切り者」と罵るだろうし、それを抱え込んだ織田家を危険視するだろう。また百地家がそれまで所属していた組織、すなわち伊賀の忍び衆の信頼はガタ落ちとなる。
この場合、百地家は雇ってもらえたからまだ良いかもしれないが、百地以外の忍び衆は今後どこからも雇って貰えなくなるのだ。
そうなれば伊賀の全ての忍びの恨みは抜け駆けした百地家に向かうことになるし、その恨みが高じてしまえば、百地のことを抜け忍扱いした連中が百地を襲うことになるかもしれない。
つまり百地対その他の伊賀衆による○賀忍法帖の勃発である。
このような流れを回避するためにも、忍び衆を召し抱える時は、これまでに彼らが取得してきた情報の量と価値を考えた上で交渉をする必要があるわけだ。
具体的に言えば、伊賀や甲賀の忍び衆を雇うのではなく正式に召し抱える場合、筆頭格の一家や二家だけを召抱えるのではなく、ある程度まとまった金額で彼らの大多数を雇入れ、その中の誰かを代表にする形が望ましいということだ。これなら皆が仕事にありついているから文句も出にくいしな。
長々と語ったが、結局のところ俺の主な情報源は忍びではなく商人だということだ。
基本的に商人が無料で情報を渡すということはありえないが、有料だからこそその情報は信用できる。
特に今回の場合は顕著だ。なにせ服部党が拠点としている蟹江は津島に近いからな。連中が何かすれば津島の商人は物理的に大打撃を受けることになる。だからこそ彼らは俺に情報を渡して対処させようとしている。というわけだ。
情報をもらった以上は代金を支払うべきだろう。
「服部党についてはすでに手を打ってあります故、堀田殿におかれましては安心してもらっても結構ですよ」
それが聞きたかったのだろう? 安心しろ。七割は本当だぞ。
「ほほう。流石は吉弘様ですな。それでは我らは津島から逃げず、家人に祝宴の支度をさせるとしましょうか」
平然とそんな事をのたまう堀田だが、俺が目に見えて服部に備えていないのは知っているはず。それでも俺がどうこう言う前から彼には最初から余裕があったのは確かだ。
それに「祝宴の支度をする」といっても、その対象が信長である。とは一言も言ってないときた。なんとも強かな商人である。
ついでに言えば、もしも俺がここで慌てるようならば、今川方に接触するくらいのことはしただろうし、反対に俺が「勝てる」と確信しているようならば証文を買い漁る心算で俺に情報を渡してきたのだろう。
思わず苦笑いが出そうになるが、これくらいの厚かましさが無ければこの時代で商売などできないし、御用商人など名乗れはしないことは理解しているつもりだ。
だからこそ、俺としてはこの程度の打算は妥当なところだと思っている。
まして、尾張の国人どものように今更になってガタガタ騒ぎだす連中と違い、こうして普通にしてくれているだけでも十分ありがたいことなのだ。
「ご懸念の件ですが、今回は美濃も駿河も動きませんよ」
ありがたいと思っているからこそ、少しは安心できるような情報をやろうと思う。
「ほう? 確かに美濃は塩の関係や不戦の約定がありますが、かの御方はそれほど甘い相手ではありませんぞ?」
今まで取引をしていた関係上、堀田なりに蝮という人間を知ってるが故の忠告なのだろう。こういった忠告をしてくれるのは非常にありがたいことなのだが、今回は色々と違うからなぁ。
「不戦の約定のこともありますが、それだけではありません。どうも蝮殿は誰の子かわからぬ長男よりも実子の方が可愛いようでしてね。いやはや親兄弟の仲が悪いというのは嘆かわしいことです」
信長とか姫様とか蝮とか武田信玄とか今川義元とか北畠とか……あれ? 近隣諸国全部駄目じゃねぇか。
周囲はともかく、今回は美濃について、だ。あえてぼかしたが、当然美濃の国人と付き合いがある堀田ならこの話は知っているだろう? ここで弾正忠家と勘違いするなよ?
「親兄弟、ですか。あぁ、そう言えば美濃でもそのような話もありましたな」
うん、セーフ。そう美濃でも有るんだよ。
そして毒については言う必要はないから言わないが、そもそもこの時期後継者問題があるのは織田だけではない。嫡男である義龍の周りも何やら動いているので、蝮も美濃の国人衆も、今は尾張の混乱に介入するよりも美濃国内に集中したいだろうさ。
実際のところ義龍あたりは武勲を欲しがって動こうとするかもしれないが、下手に義龍に武功を稼がれても困る蝮がそれを止めるはず。で、そうなれば両者の確執はさらに広がることになる。
史実ならこの家督争いは蝮が一方的に負けたのだが、今の蝮は塩の件で多少の成果を上げているからな。それに現在のところ、安く塩が買えて、更に買えば買うほど織田を苦しめることが出来ると考えている美濃の国人どもは、織田の家督争いに介入する気などあるまいよ。
むしろ『時間をかければかけるほど良い』と考えるはずだ。
「そして今川ですが、そもそも今回の今川の狙いは尾張ではなく三河。つまり我らと三河勢が争うことによって双方の弱体化を図り、弱体化した三河勢を完全に統治することが目的ですからな。よほどのことがない限り尾張へ本格的な侵攻をすることは無いでしょう」
特に一向衆。これを処理しないことには、いつまでたっても今川の足元にある爆弾が無くならない。史実で言えば摂津の荒木村重を抱えて中国攻めを行うことになった羽柴秀吉みたいなものだ。いつ後方を遮断されるかわからないからな。義元あたりは、この機に連中を片付けようとするだろう。
それを織田がやってくれると言うなら今川に織田を止める理由は無い。態々今川が坊主や国人どもの恨みを買う必要はないのだから。
「ほう。三河の……」
三河に何かあるのか? と不思議そうにするが、この辺は三河に価値を見出していない堀田にはわからんだろうなぁ。これは戦や土地にこだわる武家の発想だし。
結局のところ今川が三河を統治するには、とにかく一向宗と岡崎松平党が邪魔なんだ。かと言って滅ぼすのは手間がかかる。だから最初に弱体化をはかる。
で、弱った後に潰せばいい。と考えているのだろう。もし戦力を残してるなら更に絞らせるって感じか? 義元、否、これは雪斎あたりの策だろうが、随分と抜け目がないことである。
「服部に関してはただの火事場泥棒です。こちらに隙が無ければ動きませんよ。先程も言いましたがその為の手はすでに打っております。問題が有るとすれば今川を己の味方と勘違いしている大和守家や信行殿が三河勢を招き寄せることでしょうが、一応それにも手は打っています。それに、流石に尾張の国人衆が尾張を荒らしに来る三河勢の味方はしません。それは武衛様とて同じでしょう?」
普段は争っていても、外敵が来たら一致団結するのがこの時代の武士だからな。三河の連中が来るとなれば、其々が戦支度をしていても、そのまま戦はしないだろう。
そして岩倉とて戦支度はするだろうがその相手は三河勢か美濃だ。尾張衆同士で戦おうとは思わんよ。
「そうでしょうな。しかし、うん。なるほどなるほど。つまり吉弘様は、此度の戦で信長様が信行様に時間をかけずに勝つことができれば全て解決する。そしてすでにその算段は立っているから、我らも焦る必要は無い。そうお考えと言うことですな?」
堀田が纏めにきたが、実際その理解で間違ってはいない。後は誰がどう動くか、だが……流石に部外秘だ。とりあえず今は信長が勝つことに疑いを抱かないならそれで良い。
「えぇ、そういうことです。三河からの軍勢は鳴海で抑えれば良い。元々そのための城ですし、このために以前城兵を殺さずに城を落としたのですから、ね」
「なるほど。あの時点ですでにそこまでお考えでしたか」
そう、そこまでお考えだったんだよ。
前回の粛清で死んだのは山口親子の他は40人程度のみ。戦力は全然落ちていないから、三河勢くらいなら問題なく抑えられると思っている。一応この後に行われる軍議で確認はするけどな。
しかし、今回のこれは完全に俺たちにとっての追い風になる。
信光や信広が信長の味方を集め始めたことで、焦った信行の周辺の連中や坂井大膳らが今川義元に何か依頼でもしたんだろうが、残念だったな。今川の狙いは信行や大和守家を囮にして俺たちを戦わせることと、その結果弱体化した三河であって今のところ尾張に興味はない。
だが、今川の思惑を別として、大和守家の連中が今川に依頼して三河勢を尾張に呼び寄せたとなれば、それだけで討伐の理由になる。
つまり信行を討ち取った後は、返す刀で清須の攻略もできると言うわけだ。
武衛に関しては。捕らえても良いし殺しても良い。公方にしても、自分に金を払い今川と向き合う信長を邪険にはできないだろうし。
いや、なんなら『武衛が今川に尾張を進呈するために、守護代に命じて三河勢を招き寄せた』とでも言ってやるか? それを討伐したなら信長だって足利の忠臣として褒められることはあれど、責められることはないだろう?
史実では管領家の斯波義銀を追放したために、将軍家から不興を買って貰えなかった尾張守護だが、これならもらえるかもしれんな。
その場合は三河守を名乗らせるか尾張守を名乗らせるか。
……間違っても俺はあのお子様に親王任国である上総守なんかは名乗らせんぞ!
坂東平氏の代表として上総介を名乗っていた吉良やその分家の今川を挑発する意味合いも有ったと思うが、そんなの名乗ったら本人が恥を掻くだけじゃなく、教育係である俺と姫様にも無能の烙印を押されることになるんだからな!
基本的に作者は伏線を張りまくって最後にごっそり回収するタイプですが、どうも冗長に感じる方が多いようです。
そんなわけで千寿君が奥三河を狙う理由を一つ公開です。
ちなみに鉱山を手にいれたからと言っていきなり収入が得られるわけではありません。設備投資やら何やらが必要になるのはわかりますね?
内政チートは難しいんですよ。
それと忍者も。猫じゃないんだから。組織の柵って言うのが有るのでそんな簡単にはいかんのよ。