29話。前略、今川の館より②の巻
なんだかんだで重要キャラ、今川のよっしー視点。
①?美濃の蝮と半々でしたね。
駿河国は駿府今川館に尾張の坂井某からの緊急報告が届いた。実質的に大和守を傀儡にしている者からの緊急連絡というから、私はとうとう弾正忠が死んだのか? と思ったのだが、実際はそうではなかった。
「尾張でうつけの権勢が強まっている、だと?」
「左様。しかしこれは流石に想定外にございました」
流石の雪斎も判断に悩む内容のようで、いつものような切れがない。だが雪斎の気持ちもわかる。それだけ判断に悩む内容なのだろう。
だからこそわからない。
「この、「弾正忠が祈祷の銭を一門や家臣に負担するように指示を出している」という情報は真実なのか?」
普通に考えればわかるだろうが、祈祷で病は治らない。そも弾正忠の衰弱は病ではなく毒によるものだ。ならば必要なのは祈祷ではなく薬だろうに。
もしも死後に地獄に落ちることを恐れているというのならただの愚物だが、腐っても尾張の虎と畏れられた男が、そこまで堕ちてはおるまい。
「はっ。これに関しては真実のようです。熱田にも津島にも「末森の館のある場所に新たに城を建てるため」という名目で矢銭を求めましたが、大部分は祈祷のため坊主に流れているようです。当然、熱田ではかなり不評のようですぞ」
「それはそうだろうよ」
熱田神宮の門前町から徴収した銭を祈祷で使われても、な。門前町だからといって全てが坊主のものというわけではない。むしろ坊主が蔓延る中、商人たちは文字通り血を流して稼いでいるのだ。そうして稼いだ銭が、何もしていない坊主に流れていくとなれば、不満も溜まるというもの。
弾正忠は何がしたいのだ?
「わからんな。その銭を密かに信長に回していると言う可能性は?」
「難しいでしょうな」
直接渡せば我らに警戒されるからな。あえて遠回りをしている可能性も捨てきれぬ。私はそう思ったのだが、雪斎の考えは違うようだ。
「そも俗世の欲に溺れた連中が、一度手にした財を手放すか? という話になります」
自分も坊主の癖に随分な物言いではあるが、一緒にするなと言ったところだろうか。
「あぁ、なるほど。確かにそれはないだろうな。万が一弾正忠とそのような約定を結んでいたとしても、やつが死んだらそのまま懐に入れるだろうよ。で、信長が何ぞ文句を垂れたら仏敵扱いでもするのだろう?」
奴らが感謝して頭を下げるのは銭をもらっているときだけだ。その時だけは本心から感謝して平身低頭するが、寺に戻れば平然と書状やら何やらを足蹴にしておるわ。
そして誰ぞ己の権益に手を出してこようものなら、烈火の如く怒り狂って民を扇動してくるのが坊主という連中よ。
……忌々しい奴らこそ欲に溺れた仏敵だろうが。
「左様。つまりこれらの銭は、間違いなく坊主どもの懐に流れております。そして連中の欲には際限が有りませぬ。搾り取れるときに搾り取ろうとするでしょう。それに弾正忠が乗せられたと言うのが現状なのでしょうが……」
さしもの雪斎も言葉を濁すか。まぁ私も雪斎も弾正忠がこのようになるとは想定しておらんかったからな。
それに信長が殊の他やりおる。
「ことの始まりは、弾正忠が信長にも寄進をするように要請したことにございます。そこでもし信長が断っていたならば『親不孝』として非難を受けるし、銭を払えばただでさえ脆弱な基盤がさらに揺らぐ事になりもうした」
「うむ。これは坂井某の策なのか、信行の周囲にいる者の策なのかは知らんが、信長を追い詰めるという一点だけに絞ればなかなかの手よな。
「だが信長はそのような連中の思惑をあっさりと飛び越えおった」
「はい。信長は地元の坊主ではなく伊勢神宮に寄進を行いました」
「うむ」
これは素直に妙手と褒めるべきだろう。いくら金を払っても何の利益もなく翌日には平気で裏切る坊主と違い、伊勢神宮への寄進は名も上がるし、なにより朝廷の覚えが良くなるからな。
今も昔も朝廷は過度に信用はできぬが、それでも諸国に名も知られておらず、それぞれの宗派で血みどろの戦をしているどこぞの坊主共に銭を渡すよりは余程有益よ。
また、諸大名に対しても信長の寄進は告知される(尾張の信長は五百貫払ったが、駿河の今川殿はどうですかな? と言った感じで寄進を求める為)ので、信長の名も上がる。これだけでも寄進の意味はあるだろう。
そして天下の伊勢神宮への寄進であれば、信心の面からも、尊皇の面からも銭にとち狂った坊主ですら表立って文句は言えん。
まぁ連中のことだから「自分に来るはずだった銭を信長が不当に扱った!」などと騒ぐ可能性が有るが、それも所詮は内輪のこと。
「現状では弾正忠も坊主も周辺の国人も、誰一人とて信長を親不孝とは責められませぬ。無論、我らや蝮もです」
「だな。それで、この寄進に目をつけたのが弾正忠家の家臣たち、か」
「はい。彼らは坊主に無駄金を使いたくないが故に、信長に頼み込んで連名で寄進したと言うことにしてもらい、その代わりに信長の派閥に加わりました」
弾正忠が死に、信長が正式に家督を継いだあとはどうなるかわからんが、とりあえず連中は今の弾正忠の愚行を止めない信行やその周辺の重臣どもに見切りをつけたと言うわけだ。
「国人たちからしてみれば、信秀を説得して寄進を止めるなり、自分たちの代わりに銭を出すなりなんなりすればまだ収まったであろうが、それすらできぬようでは、な。家臣たちとて信行方を頼ろうとは思わぬだろうよ」
「御意」
この状況では信長の勢力が増すのは当然だな。
しかし、ここで信長が信行に圧勝してしまい、弾正忠家が名実ともに一つに纏まってしまうようでは、弾正忠家を潰したい大和守家、いや坂井達が困る。そこで儂らに尾張の状況を知らせ、何かしらの介入を望んでいるのだろう。
それはわかった。しかしなぁ。
「そもそもの話だが、信長の伊勢神宮への寄進からここまでの流れが弾正忠の策という可能性はあるまいか?」
具体的に言えば、もともと弾正忠が信長に対し「自分が寄進を依頼したらこのように動け」と指示を出した可能性だな。
もしもそうなら己の晩節を穢してでも信長に弾正忠家を譲り渡すという、決死にして苦肉の策となる。下手に介入すればそれこそ狂った虎の逆鱗に触れることになるが?
「無いでしょう。それにしては津島や熱田から銭が流れすぎております。そして家臣もそうですが商人の失望や怒りは本物。そしてこれは信秀一人の問題ではなく弾正忠家の問題となります。弾正忠が死んだところで借財が無くなるわけではありませぬ故な。このままでは弾正忠亡き後の政が立ち行きませぬぞ」
「そうか。そうだな」
弾正忠家にとって重要なのは有象無象の家臣よりも熱田と津島。両者の財があってこその弾正忠家なのだ。にも関わらず、家臣からの支持を得るために双方に距離を置かれるような政策をとっては意味がないわな。
「万が一それすら理解した上での策と言うなら、信長が寄進以外の動きをしないのがおかしいのです」
雪斎があえてぼかした言い方をして「わかるな?」と言う目で見てくるが、いくらなんでも分かるぞ。
「信長の権威を高めるだけなら、ここまで悪化する前に信長が弾正忠を糾弾すれば良いだけの話だ。と言うのだろう?」
「左様にございます」
うむ。流石にこの程度はわからんとな。
元々ここ数年、弾正忠は負け戦が込んでいて求心力を失いつつあったのだ。そこに「寄進の為に銭を出せ」などと言われてもな。普通に考えて家臣が銭を出すはずがない。この命令を出した時点で弾正忠家に対する忠義など霧散するわ。
だからこそこれが策であったなら、家臣どもに寄進を迫った段階で次期当主である信長が即座に声を大にして弾正忠を批判し、隠居でもなんでもさせたはず。そうすれば信長に対する評価は改まり、弾正忠家はあやつの下で一つになっただろう。
だが実際の信長はどうだ? 伊勢に銭を寄進したまま動いてはいない。いや、これは「動かない」のではなく「動けない」のだ。
今回の件で信長に付いた連中は、あくまで寄進を避けるために信長の傘下に収まっているだけで、すでにその心は弾正忠家から離れてしまっている。つまり、なにかあればいつでも信長を裏切る身中の虫にすぎぬ。
そのことを正しく理解しているからこそ、信長は動けぬのだろう。
さらに言えば、未だに弾正忠家の財が坊主に流れているままになっているのも、な。策ならば程よいところで銭の流出を止めるべきだろうが、止まる気配がない。
つまり、今の弾正忠は本当に狂っている。で、信長の伊勢への寄進は弾正忠を廃するか殺すかを提案できない立場の者、つまりは家臣の入れ知恵だ。
「さてこれはどう判断するべきかな?」
うつけであっても家臣の言を受け入れるだけの器量が有ると思えば良いのか、それとも狂った信秀を止める事が出来ない覚悟の無さを懦弱と見るべきか。
少なくとも晴信(武田信玄)ならばその覚悟の無さを鼻で笑うだろうな。
「まぁいい。で、坂井某は我らにどのような介入を望んでいるのだ?」
いざ尾張と事を構えた際、斯波武衛を暗殺させる為に飼っているだけの小者が何を申してきたのやら。
「信長との戦に備える為の資金援助、ですな。一応は津島や熱田を手に入れたら返済する予定ではあるらしいですぞ」
策士気取りで援助を申し入れてきた坂井某を鼻で笑う雪斎。これは完全に信用していないな。だが今川の宰相たる雪斎から言わせれば、このような者を信用する方がおかしいのだろうよ。
「そもそもが獲ってもいない狸の皮算用。援助したところで負ければ一文も戻らぬではないか」
それ以前にまともな戦支度などできぬだろうに、何が援助か。
「左様。津島や熱田から銭を集めると言いますが、銭が無限にあるわけではありませぬ。この程度のことさえ理解できぬ者に援助などするべきではござらぬぞ」
「まったくだ。この分では坂井某が津島を治めたら、一年と経たずに商人は逃げ出すだろうよ」
己の懐を痛める覚悟もない雑魚のせいで、商人からの恨みを買っては堪ったものではないわ。
「我らが坂井への援助をしなければ相対的に信長の権勢が強まりましょう。ですがそれは弾正忠が死んだ後に多少放置すれば勝手に衰える程度のもの。ならばここは手を出さず、放置するが吉かと愚考いたします」
「うむ。怒った商人や。狂った虎がこちらに牙を向けては堪らんからな」
死にかけて追い詰められて猛虎になったかと思えば、それを超えて狂いおったわ。これでは人心も離れようて。
「えぇ。さらに信行の周囲や大和守は、信長が弾正忠家を継いだ後、今の弾正忠の行いの全ての責任を信長に押し付けて弾正忠家を滅ぼし、新たに家を興させるつもりなのでしょう。その際徳政令を出して家臣の借財を無とする予定のようですが、商人にとっては借金を踏み倒すと宣言されているようなものですからな。今後は大和守にも弾正忠家にも、無論新たに家を興した信行にも味方をすることはないでしょう」
「そうか。そうなれば次に連中が庇護を求めるのは、我らか美濃の蝮となるな」
「御意」
津島や熱田の商人とすれば、海があり、すでに友野という御用商人がいる我ら今川家よりも、尾張に近く海を持たぬ蝮の方が組み易い相手ではある。もしかしたらすでに接触しているやもしれぬが、それでも直接的な武力を目の当たりにすれば我らに靡くこともあろうて。
「一度竹千代を戻し、岡崎の松平に兵を集めさせるか。で、弾正忠が死んだ後、家督争いが起こればそれに乗じて尾張を荒らすように指示をだす。三河勢も積年の恨みを晴らすためだ。喜んで動くだろうよ」
弾正忠家の家督争いに乗じて三河の連中が暴れれば、津島も熱田も蝮だけではなく我らにも配慮が必要だと理解するはず。利益配分はそれからだな。
「家督争いが起こらなければ如何なさるおつもりで?」
雪斎がそう言って儂を凝視するが、そんなの決まっていよう?
「起こすだけだ。ただしその場合は、信行と信長の争いではなく、大和守と信長の争いになるだろうが、な」
現状で家督争いが起こらないと言うことは、信長の権勢が信行をはるかに凌駕した場合となる。この場合は無条件降伏とまでは行かぬだろうが、戦いを避ける可能性もあるからな。
だからこそ大和守家と武衛を利用して信行の後ろ盾とすれば、信行とて戦をせぬ訳にもいくまい。
その戦に信長が勝てば、次は三河勢との戦。儂が後ろに居る以上、大和守も三河勢に味方しよう。そうなれば信長は挟まれる形となる。後ろを気にして勝てるかな?
もしも信行が勝てば? 借財まみれの弾正忠家はそのまま大和守家の傀儡よ。津島や熱田は失われることになる。そして信行が勝ったとしても、我らが三河勢を止める必要は、無い。
どちらが勝とうと、家督争いで疲弊した尾張勢では三河勢を止めることはできぬ。ならば尾張は蹂躙されることになる。万が一三河勢を押し返せたとしても、奴等に荒らされた尾張を復興するのにはそれなりの時と銭が必要となるだろう。
その間、尾張はガタガタになる。その隙を突くも良し、あえて放置して国人に揺さぶりをかけるも良し、と言うわけだ。
「散々争わせた後に我らが尾張へ乗り込めば、かつて弾正忠に奪われた那古野が労なく取り戻せよう」
そのためには、まず国内を纏めつつ北条や武田に対して圧力をかけるなりして、西征の準備を整える必要があるな。
「それでよろしゅうございます。付け加えるなら海西の服部を使ってはどうかと」
「服部? つまりは願証寺か。連中が動けば当然三河の本證寺も動くだろう。そうなればかなりの規模で尾張を追い込む形になるが、問題はその後よな。岡崎の松平党に坊主を御することができると思うか?」
いくら雪斎が鍛えたとは言え竹千代はまだ一〇にもならん小娘だぞ。まぁその分、家臣どもが功を立てようと必死になる可能性はあるがな。
それに一向門徒を殺されれば三河の国人達も織田に対して敵愾心を燃やす事になるのはわかるのだが、火消しが面倒だぞ?
「別に御する必要はありますまい。三河が荒れたならそれを理由に我らが鎮圧すれば良いだけの話。そもそも三河の一向衆は邪魔ですからな」
邪魔、と来たか。
確かに連中はいつ石山の命で蜂起するかわからぬ連中だからな。国内に置きたくはないと言う気持ちは私にもある。
ならばここで織田や松平と戦わせることで勢力を削ぎ、弱ったところを無傷の我らが三河ごと押しつぶす、か。
うむ。悪くない。
「なるほどな。よかろう。ではその方向で差配を頼む」
「はっ」
さて、此度は大兵力を用いての大戦ではないが、其々がそれなりの兵力を持っての介入となる。本来なら各個撃破に遭いかねん愚策であるが、そもそも連中が各個に撃破されても我らは痛くも痒くもない。むしろ撃破すれば、本願寺や三河衆の恨みを買い、さらに我らが三河を制圧しやすくなるという二重三重の策。
ふっ。坂井某のおかげで尾張への介入の名分が立ったのが大きいが、当人はその事に気付いているか? 守護だの守護代だからといって我らが無条件で生かす理由などないと理解しているか? 信長か大和守か信行かは知らんが、弾正忠亡き後の尾張の連中は完全に詰みの盤面からどう動く?
「見せてもらおうか。尾張の虎の後継者の実力とやらを!」
家督争いなんかしたら外からちょっかいかけてくるのは当たり前。動いてるのはノッブだけではありませんってお話。




