113話。跳んで埼玉
サブタイは誤字に非ず。
文章修正の可能性あり
年が明けて一月初旬。
どこぞの処女を拗らせた軍神様が日夜酒を飲みながら「去年は良い年だった。でも今年はもっと良い年になりそうだな」と、目の前に明るい未来があることを疑いもしていなかった頃のこと。
彼女の配下である越後勢は、彼女から与えられていた命令を忠実にこなしていた。
「ヒャッハー!」
「仕事開きだぁー!」
「家を焼けぇー!」
「田を返せぇー!」
「伊勢(北条家)の連中にやるものはねぇッ!」
そう。彼らは本当に忠実に『黒土』や『七尺返し』と呼ばれる、残虐非道な行いを繰り返していた。
一応彼らの名誉のために解説をするなら、この行いは彼ら越後勢が立ち去った後に性懲りもなく武蔵や相模へ手を伸ばすであろう北条家の連中に対してまともな土地を渡さないための策の一環であり、決して趣味で土地の破壊を行っているわけではない。
……まぁ、兵士たちが楽しんでやっているのは否定できない事実だが、どうせ仕事なら楽しくやった方が効率が良いのもまた事実である。
よって景虎を始めとした越後勢の首脳陣は彼らの行いを止めることはなく、むしろ成果に応じて褒美を支払うほど徹底して土を返す作業を行わせていた。
このような感じで戦のような命の危険がないところで適度な運動を行いつつ、その出来に応じた褒美を貰えてホクホクな越後勢とは対照的に、心底堪ったものではないのが、木守りの要領で越後勢からの乱獲から免れた武蔵や相模の住人たちである。
彼らは越後勢が去った後に残される変わり果てた農地と、約束された暗い未来。そして彼らに連れ去られた家族を思い、血の涙を流しながら『田を返せ!』と悲痛な叫び声を上げることしか出来なかった。
さらに彼ら住民にとって最悪と言えるのが、例年であれば彼らのように生き残った住民たちに施しを与えてくれる存在である北条家が、例年以上に劣勢にあることが知らされていることだ。
「諦めな! もう伊勢(北条)の連中なんかこねぇーんだよぉ!」
「そうだそうだ! なんたって今川様も伊豆や相模に兵を出したんだからなぁ!」
「あいつら、俺たちを恐れて小田原に逃げ込んでる間に本貫を奪われやがったんだぜ? 間抜けも良いところだぜ!」
「どうせなら武士らしく戦ってればよかったのにな!」
「ホント、情けねぇ連中だぜ!」
「「「「ウシャシャシャ!」」」」
そう。ここ最近、残虐非道の越後勢が、通常であれば他の戦線のことなど知りもしないはずの住民たちに対し、敢えて絶望を叩きつけて反抗の芽を削ごうとする狙いから、現在の北条家が置かれている状況を事細かに聞かせているのである。
聞かされた住民たちが、それを「嘘だ!」と言うのは簡単だ。
しかし、最低でも越後勢が帰るまで北条家が小田原城から出てこないのは彼らも知る事実であるし、彼らとて長期の篭城のせいで物資を消耗しており、決して物資が余っているわけではないことも明白であった。
この上、本当に彼らの本貫が侵略されているのだとしたら、彼らが武蔵をはじめとした荒らされた土地に来るのはさらに遅くなってしまうだろう。
いや、それ以前の問題として、越後勢と今川勢によって挟まれた小田原が落とされてしまう可能性まである。
それらのことをドヤ顔の越後勢に告げられていく住民たちの心痛はどれほどのものだろうか。
将来の希望さえ見いだせなくなった彼らは、春の田植えどころか、この冬さえ生きていられるかどうかすら不明な状況に、暗澹とした気持を抱えながら新年を迎えていた。
~~~
ところ変わって相模・小田原城。
「毎回毎回、何故古河公方も管領の上杉も越後の破落戸共の蛮行を止めぬのだッ!」
例年通り小田原に篭城しながら新年を迎えることとなった北条家当主北条氏康は、今年も「関東のことなんざ知るか!」と好き勝手暴れまわる越後勢よりも、彼らの暴虐を止めない古河公方や関東管領に腹を立てていた。
彼らの行状を伝えられ、怒りに震える氏康とて、越後から遠征してきた連中が関東の地で略奪をするのは、まだ理解できた。
それは軍の維持や、自分たちが越後へ引き返した後のことを考えれば、業腹ではあるが戦略上の正しさを認めることが出来るからである。
しかし、越後勢を呼び込んだ関東管領やそれに便乗する古河公方の頭の中は、氏康にはさっぱり理解できない。
それは氏康だけでなく、北条家の大半の人間が同様である。彼らは「関東を自分の土地と思うなら、必要以上に土地を弱めることは諌めるべきではないのか?」と思っているのだ。
にも関わらず、同じ関東の人間であるはずの古河公方や関東管領の軍勢は、越後勢が行う『黒土』や『七尺返し』を諌めるどころか、自分たちも競うようにそれを行い、さらに越後勢が残した住民を捕らえ、売り払っているのである。
彼らが通った後に残された土地の様子は、その情報を書面で確認しただけの氏康をして「このままでは武蔵や相模の復興など出来ぬ」と判断せざるを得ないほど苛烈な状況なのだ。
自らの治める土地をそんな状況にまで貶めて、連中は一体何がしたいのか。
手の者が集めてきた武蔵一帯の様子を書き記された書状を床に叩きつけながら声を上げる氏康に、彼の前に座る幻庵は「これ以上興奮させてはマズイな」と思い、書状を拾いながら敢えて落ち着いた様子で言葉を紡ぐ。
「今年は例年以上の勢いですな。連中はおそらく治部の参戦により己の取り分が減ることを恐れているのではないかと」
「それなら尚更だろうがッ! 我らが治部に苦戦するなり敗北すると言うことは、武蔵の復興作業を我らが行えぬということだぞ! 連中は残された武蔵をどうするつもりだ?!」
つまり、目先の利益に目がくらんだ彼らは、近いうちに自分たちが治めることになる土地を自分たちで率先して荒らしていると言うことだ。
(これが、こんなことが関東を統べる古河公方と、それを支える関東管領のやることか?!)
氏康からしたら、連中の行いは唾棄すべき行いであり、自分たちを『伊勢の小倅』と罵りながら、これらの行為を行う彼らこそが関東の秩序を乱す巨悪である。
そんな氏康の気持ちを理解しながらも、幻庵は努めて冷静な口調で話を続ける。
「常識で考えれば殿の言う通りなのですが、そもそも連中にそこまでの視野を期待するのが酷と言うもの」
「酷? 関東管領は、古河公方は、連中に従う者たちは、そこまで阿呆か!」
「えぇ。阿呆だからこそ、わずか数十年と言う短い期間で我々がここまで大きな家になれたのです」
猛る氏康に対し『なにを今更』と平然とした様子で述べる幻庵。
冷静な叔父の態度を見て多少頭が冷えたのか、それまで烈火の如く感情を爆発させていた氏康も勢いを落とし、一つ溜息を吐く。
「……あぁ。そうであったな。いや、しかし、連中はここまで阿呆であったか」
「はい。連中はご当主様が想像する以上の阿呆なのです」
「……はぁ」
確かにこれまでは越後の連中が帰ったら北条家が彼らが荒らした土地の復興作業を行ってきた。故に近年では『連中が武蔵を荒らせば、北条がそれを復興し、復興したところを再度連中が荒らす』と言う流れが出来上がっていたのも事実だ。
しかし今年は違う。
もし連中が『例年通り復興作業は北条家がするから、自分が荒らしても関係ない』などと考えているのなら、それは浅はかと言わざるを得ない。
なぜなら今年の北条家には、越後勢に荒らされた武蔵の復興作業よりも、今川義元に攻められている伊豆と相模に集中する必要があるからだ。
「先程もチラリと言ったがな。我らは武蔵の復興よりも、伊豆や相模に入った治部への対処に集中する必要がある」
「ですな」
「では、武蔵はどうするべきと考える?」
「放置で良いでしょう」
「放置?」
「えぇ。この場合は放置と言うよりは二虎競食の計に利用する、とでも言いましょうか」
「二虎競食の計? あぁ……武蔵を連中の餌にする、と?」
「ご明察。どう転んでも連中如きを虎と称することは出来ませぬが……連中が虎であろうと猫であろうと構いませぬ。重要なのは、同程度の阿呆である両者が餌を求めて争えばすぐには決着がつかぬということ。その間、我らも相模と伊豆を復興する時間が稼げます」
「……なるほど。それは確かにそうだな。では、連中を争わせる餌は武蔵の川越……いや、忍か?」
「左様です。理想としてはそのまま連中と長尾の仲違いも狙いたいところですが、そこまでは高望みでしょうな」
「ふむ。長尾に関してはともかく、古河公方と関東管領は争うだろう。最悪はそれだけでも十分、か」
「はっ」
北条家が伊豆や相模の復興に力を入れている間、武蔵は誰が治めることになるだろう?
それは当然、関東管領と古河公方しかいない。
と言うか、両者がそれを主張するはずだ。
そしてその内訳は、今川が治める甲斐と隣接することになる西部諸郡や、北条と隣接することになる南部諸郡を両者が押し付けあうとしても、上州と隣接している北部諸郡は山内上杉家が、下総と隣接している東部諸郡は古河公方が獲ることになる可能性が極めて高い。
そこで問題になるのが、武蔵・上野・下総の三つの国と境を接する要衝である忍城の周辺である。
元々関東管領と古河公方は、北条家が進出するまでは互いに争っていた間柄であり、現在も仲が良好というわけではない。
当然仲が悪い相手に要衝を握られるのは面白くはないだろう。
故に黙っていても両者は争いを始めるだろうと思われる。
そこで両者が争ってくれればそれで良し。
もし両者が争いよりも復興を重視するなら、それはそれで良い。
なにせこの場合、越後勢の主な狩場である武蔵の大半が関東管領と古河公方が治めることになる。それはつまり、越後勢が南下する大義名分の消失を意味するからだ。
もしも越後勢が何も考えず古河公方や関東管領の所領から略奪を行えば、彼らには大義も名分もなくなり、全ての関東勢を敵に回すことになるだろう。
と言っても、氏康も幻庵も長尾景虎が率いる越後勢が、連中ごときに負けるとは思っていない。
しかし、越後勢が古河公方や関東管領と仲違いしてくれると言うことは、今後の関東制覇に向けて最も大きな障害が彼らの手で消えると言うことを意味する。
どうせ暫く武蔵には手が出せないのだ。それを巡って向こうが勝手に争ってくれるなら、北条家にとって悪いことは何もない。
「長尾と連中の仲違いはあくまで最良の結果であって、無理に狙う必要はござらぬ。むしろこちらの関与は最低限に抑えるのが良いかと」
「だな。下手にこちらの関与を臭わせ、それが原因で連中が一致団結することになっては意味がない」
「左様。第一我らは今後数年の間、治部(今川義元)を相手に戦をせねばならぬのです。その間はせいぜい武蔵に盾になってもらいましょう」
これまで北条にとっての主敵は長尾景虎を呼び込んだ関東管領山内上杉家やそれを利用して勢力を拡大しようとする古河公方であったが、これからは本貫の伊豆を侵した今川家となる。
「うむ。連中め、今は無人となっている伊豆や相模の諸城を落として調子に乗っているであろうが、それも今だけよ!」
「その通りです。連中が落とした城にはいくつもの『穴』を作っておりますので奪還は難しくありませぬ。さらに、春先に予定している我々の反攻に合わせて織田も動きます。そうなれば東西を挟まれた治部に勝ちの目はございませぬ」
「ふっ。我らで駿河の地を蹂躙し、力を蓄えた上で武蔵へと出るべきだろうよ。……治部は滅ぼさず、織田との緩衝役として甲斐あたりに閉じ込めるが理想、か?」
ボロボロにされた武蔵を復興するよりも、今川が治める駿河で略奪を働いたほうが得るものが多いのは自明の理。さらに、今回の戦で今川を滅ぼすことが出来れば一番だが、今川義元と言う男がそこまで甘い相手ではないのは氏康も承知している。
故に氏康は、義元を追い詰めすぎぬようわざと逃げ場を残し、そちらに誘導するつもりである。その『逃げ場』が甲斐だ。
甲斐は今川家が手に入れたばかりの土地であり、これまでの経緯から絶望的に人が足りていない。
よって義元が甲斐に逃れても、それなりの勢力になるためには北条家が相模や伊豆を復興する以上の時間が必要になるのは確実である。
また、今川家を残すことで、彼らを不倶戴天の敵とする織田との連携も出来るので、氏康には今川家をここで滅ぼすつもりはない。
「お見事。目に見えた『矢橋の渡し』を渡ろうとせず、遠くの『瀬田の長橋』を渡る。それもまた時には必要にございます。ただ、如何に優勢であっても油断は大敵にございますぞ」
「うむ。たとえ治部を甲斐に追い込めたとて、奴が危険なのはわかっておる。最悪奴が越後勢を呼び込む可能性があるしな」
北信濃から南信濃を経由し、さらに甲斐を越えれば駿河となり、その隣は相模と伊豆だ。
もしも義元から駿河や相模、伊豆での略奪を誘われれば、越冬と略奪を旨とする越後勢は喜び勇んで南下してくるだろう。
途中、織田が南信濃を通過させるかどうかは微妙なところだが、下手に逆らって南信濃を占領されるよりは通過させることを選択する可能性は皆無とは言い切れないのである。
「それでよろしゅうございます。そこまで殿が理解しているのであれば、これ以上拙僧から言うことはございませぬ」
『義元を甲斐に封じ込めたとしても、油断はしない』
氏康に油断も隙もないことを確認した幻庵は、偉大な先代や先々代と比べても見劣りしないほどに成長した甥の成長に、内心で目を細めながら頭を下げる。
――こうして、越後勢が帰還した後の北条家が取る方針は決定した。
その方針は、これから始まる小田原での篭城戦や、その後にある相模・伊豆での今川との戦に勝てることが前提となっているが、そのことについては両者ともに疑ってはいなかった。
それは、彼らに『自分たちが勝つために様々な仕込みを行ってきた』と言う自負があるからだ。
敵が自分たちの用意した舞台の上で踊っている以上、警戒の必要はあっても恐れる必要はない。
故に氏康は、来る反攻の時に向けて気を緩めぬよう、将兵たちに命を下すのであった。
伊勢から跳んで埼玉(武蔵北部)を含む関東の話題。
黒土、七尺返しを知らない人はググってみよう。
越後勢、こいつらは一度死ぬべきじゃないかな? かな?
史実では、この越後勢に散々荒らされた関東に、武田信玄と言う飢えた虎まで参加しますので、さらに地獄が加速します。
そんな中、一歩一歩しっかりと関東で勢力を伸ばしていったのが北条家。
そりゃ前右府殿や太閤殿下には従いたくないわなぁ。ってお話
―――
用語解説
木守り:柿の木とかでわざと全部の柿を取らずに、いくつか残して「来年も豊作でありますように」と願を掛ける行為。残った実から鳥が種を持って行ったりするので、ただの迷信というわけではなさそう。
田を返せ/田を帰せ:前者の場合は侵略者側による極悪非道の行為。後者はそれに泣く民の声。妖怪泥田坊の声はどっちなのだろうか? 作者も気になるところである
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