108話。畿内からの誘い
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11月下旬。尾張那古野
京では公家の仁義なき戦いが繰り広げられ、関東では長尾を擁した上杉勢が率いる軍勢が舘林を経由し武蔵に入り、忍城を攻略。
そのまま川越を落として南下をしようとしていたところに、古河公方から『岩槻も落として欲しい』と言う要請がきたせいで、これまで順調だった進軍を止められてしまい、関東管領上杉憲政が極めて不機嫌になっていたころのこと。
京を実効支配しながらも、細川管領や関白近衛らによって畠山・六角・北畠・波多野・本願寺・筒井・山名・赤松・三村と言った各地の大名や国人たちに包囲網を敷かれつつある三好家は、畿内の戦に関わっていない織田を動かすことで自分たちから見て東、つまり近江の六角、伊勢の北畠、大和の筒井などの大名の意識と戦力を自分たちから逸らす為に蠢動していた。
「使者の任ご苦労。筑前守殿からの書状は確かに受け取った」
「……はっ」
「しかし『名分を用意する故、北伊勢を攻めよ』か。簡単に言ってくれるのぉ」
「……」
書状を前にしてそう言いながら扇子で肩を叩くのは、今や名実ともに尾張を治める大名となった織田弾正大弼信長だ。そんな彼女に対し、使者は無言で頭を下げる。
この使者の態度を見て何を思ったか、信長は使者との会話を試みる。
「この書状の内容はさておき、丹波を担当していたはずのお主が、わざわざ尾張まで来るとはのぉ。冬で連中の動きが鈍くなるとは言えご苦労なことよな」
「……はっ」
高圧的な信長の態度に不満の色を一切見せず、さりとて『わざわざ田舎まで来た』と言うことを否定せずに短く答えるのは、三好家にその人有りと言われる重臣、内藤宗勝だ。
彼は後世、爆弾正こと松永久秀の弟として広く名が知られることになるのだが、実際は兄である久秀よりも早くその頭角を現している。それも、政策や策謀に明るい兄とは違い、戦場での活躍が多いことから、三好家中でも敵は少なく、むしろ主だった将からも一目置かれている男である。
彼を送ってきた三好家の考えとしては、最初の交渉で一門衆を出して成果が上がらなかったときに名が落ちることを嫌ったり、何か問題を起こした際に責任を取りやすいよう、一門衆に次ぐ立場である彼を使者として送り出したのだと思われた。
だが、今の信長は名実ともに宗勝の主君である三好長慶と同格。
また尾張から遠く離れたところにいる三好を怒らせたところで、彼らが何か報復を出来るわけでもないので、信長には彼に対して遠慮をする必要は一切無い。
「しかしアレじゃな。わざわざ儂らのような畿内から外れた片田舎の新興の家を頼らねばならぬほど、今の筑前守殿には余裕が無いのかの?」
遠慮の必要が無いからこそ、信長はストレートな挑発をする。怒って帰ってくれれば最良。怒りを見せるだけでその無礼を咎めれば交渉は有利に運べる。そう言った目的を持った挑発は、あっさりと流されることになる。
「さにあらず。確かに連中は当家を囲んでいるように見えますが、実際のところは互いに利を得るために動いているのが、偶然包囲をしているかのような形になっているだけにございます。連中には連携も何もございませぬので、各個に撃破することも容易いと考えております」
(ふむ。この程度では怒らんか)
信長としては、三好の狙いが奈辺に有るのかを探るため、あえて高圧的な態度を取っているのだが、畿内の古狸を相手にして来た宗勝は信長の挑発に乗ることなく、淡々と三好家の現状を答えるにとどめた。
「お主が言うことも尤もよな。しかしそれなら儂らとの繋がりも必要なかろ?」
傍から見ても『畿内と関わりたくない』と言う感情を隠しもしない信長の態度を見た宗勝は、苦い顔をしながらも彼女の歓心を買う為、敢えて強い言葉を吐き続ける。
「勝てるにしても楽に勝ちたいのですよ。その為には御家と敵対するよりは誼を結んでいた方が良い。そう考えております」
「ほう。ま、確かに遠交近攻は戦略の基本ではある。しかし、随分と素直な事よな?」
「弾正様は取って付けたような言い回しを嫌うと伺っておりました故」
「ふむ。間違ってはおらぬが……」
少なくとも信長は公家や上方の商人たちのように、持って回った言い方は好んでいない。それどころか『用が有るならさっさと話さんか!』と叱責することもあるくらい、直接的な会話を望む傾向が有る。
宗勝は、信長と会談を行うにあたってきちんと彼女の情報を調べて来たのだろう。こういった周到さは信長も好むところなので、彼の態度に機嫌が良くなることはあっても気分を害されると言うことは無い。
ただ、宗勝の態度や能力を評価することと、情報の漏洩に関しては全くの別問題。
「それは、京におる林か平手にでも聞いたかや? ……そう言えばお主の兄である松永某が平手と茶会などをしておるらしいから、情報の源はそれかの?」
(爺が儂の情報を漏らしたのは単純に爺の失態なのか、それとも三好から送られてくる使者が、儂に不快な思いをさせないようにするための気遣いなのか。まぁ爺にはこれまで散々迷惑を掛けてきたし、ここは気遣いってことにしてやろうかの!)
これがもし平手のミスによる情報漏洩と判断した場合、彼が尾張に帰還した後、情報以外にも色々と垂れ流すことになるのは確実だ。
流石の信長もこれまで散々世話になった爺に、いい歳こいて垂れ流したことを『恥』として腹を切られては堪ったものではないので、ここは好意的に受け止める事にした。
「……はっ」
平手の自殺を未然に防いだ信長が「これは爺に一個貸しじゃな! ……いや、これまで溜っていた借りを一つ返したと見るべきかの?」と内心でどうでも良いことを悩む中、宗勝は内心の動揺を隠すことに全力を注いでいた。
確かに三好家は宗勝が丹波方面を任されていることも、松永久秀と自分が兄弟であることも隠してはいない。しかしまさか『尾張の国人に過ぎない』と判断していた信長が、ここまでしっかりと三好家の情報を集めているとは思ってもいなかったのだ。
さらに問題がある。
(完全に甘く見ていた!)
自分が尾張に赴くことを知った兄から「相手はただの田舎者ではない。細心の注意を払え」と言われていたにも関わらず、これだ。
そもそも宗勝だけでなく三好家全体に言えることだが、彼らは信長の現状を正しく理解できていなかった。
いや、一応の知識として、官位役職の上では主と同格であることは知っていた。
しかし、それはあくまで無理を押してまで行っていた朝廷への献金の結果だと思っていたし、織田弾正家自体が守護代の家系(守護代の分家なので間違いでは無い)でしかないこと。さらに家督を継いだ後は『尾張を統一したものの、美濃の斎藤や駿河の今川の攻勢を立て続けに受けている』と言う情報があったことなどから、宗勝を始めとした三好家の者達は『尾張は相当に荒れ果てていて、こちらが名分を与えれば不足した物資を賄うために喜び勇んで北伊勢に乗り込むだろう』と考えていたのだ。
織田がそう動けば、必然的に北畠や六角の目は京から離れる。その隙に畠山や波多野などを各個撃破したいと言うのが三好家の基本戦略であった。
しかし、実際の織田弾正家は家督争いでも、その後の尾張での戦も、三河での戦も、信濃での戦も、それぞれを極めて短期間で終わらせていた為、領地は荒れていない。さらに逆らった(味方しなかった)国人を容赦なく潰した結果、現在の尾張の統治に綻びと言えるような隙も皆無である。
つまり今の織田弾正家は、冬を越す為に北伊勢へ出稼ぎに出るどころか、このまま尾張の統治に専念していた方が良いと断言できる程の余裕があると言うことだ。
こうなると三好の基本戦略は根本から練り直しが必要になる。何せ今は多少の混乱があっても、年を重ねるごとに織田はその戦力を増すことになるのが分かり切っているからだ。
織田の宿敵である今川は、甲斐の統治や北条との戦に忙しく、織田と全面戦争するだけの余裕はないだろう。同じく長年の確執がある美濃の斎藤は、先年の戦で義龍が何も出来ずに追い返されたり、木曾福島があっさりと織田に降ったせいで、国内の統治が上手くいっていない。
そんな中、現時点で一〇〇万石近い所領を誇る織田家が、本気で伊勢に進出し、南北で五〇万石とも言われる所領や、数多の商業都市を獲たらどれほどの力を持つことになるだろうか。
加えて、織田は勤皇の士として知られているので、朝廷も三好より織田に京を治めて欲しいと願うことは明白。幕府に対しても、朝廷には及ばぬものの、定期的に献金を行っているので、幕臣たちの受けも良い。
即ち、もしも織田家が畿内の戦に参戦した場合、北畠や六角以上の強敵となって三好の前に立ちはだかることになる可能性が極めて高い。
実際に尾張を見て、そして信長と相対した宗勝は、今の織田弾正家に北伊勢侵略の名分を与えることは、虎に翼を与えた上で野に放つ行為としか思えなかった。
……ここで三好家が織田家を、否、信長を侮っていたことの弊害が顕在化してしまう。
それは『使者の格』である。
確かに宗勝は丹波方面の司令官の一人であり、国人たちとの折衝も人並み以上に出来る逸材だ。しかし、言い換えれば所詮はそこまでの器でしかない。
相手が尾張の下四郡を纏める守護代の家臣程度なら、また、下剋上をして守護代となった程度であったなら宗勝でも十分以上に渡り合える。
だが、一〇〇万石の所領とそれが生み出す武力と財力。さらに朝廷から正式に与えられた官位役職と言う、名実を備えた大名と交渉するだけの貫目を持ち合わせた人材では、ない。
もし三好が大友や大内、もしくは尼子に対して使者を送るなら、長慶とて必ず一門の人間を送るだろう。それが今川や六角、朝倉であっても同じだったはず。
そう。本来三好は、織田家を自身と同格かそれ以上の相手と見て、最初の使者にも一門衆を送らねばならなかったのだ。
このミスは当然交渉結果をも左右することになる。
「平手から儂らの情報を得ていると言うなら、この場でとやかく言う必要もあるまい。結論から言えば、儂らは畿内の戦に関わる気は無い。もし関わるにしてもお主らとは無関係じゃ」
「……」
信長を警戒している宗勝にしてみれば、この宣言は正直ありがたいとさえ思う。しかし織田を動かしたいと考えている三好家の使者としては別。
これがもし一門衆の誰かが使者として来ていたなら、独断で方針を変更しても長慶や家中の者達も納得しただろう。しかし宗勝は家臣に過ぎず、勝手な変更を決められる立場に無い。
だからこそ宗勝は、織田との交渉にあたって元々準備されていた『断られた際の口実』を口に出さなければならなかった。
「……確か、弾正様は公家の方々の下向を願っておりましたな」
「……ほう?」
言外に『従わなければ公家の移動を妨害する』と脅して来た宗勝に対し、信長は冷めた目を向ける。
「……先だっての今川治部様との戦の折り、いえ、今もそうですな。関白殿下が停戦を呼び掛けたが故、弾正様は伊勢(北条)との戦に集中せんとして隙だらけの治部様を狙うことが出来ておりません。此度の公家への下向願いは、そう言った公家による介入を抑える一助とする為のものでございましょう?」
勝てそうなときに停戦協定を申し出てくる公家や公方の面倒臭さは、三好家の面々が誰よりも理解していると言っても良い。だからこそ、彼らは織田の狙いがそこに有ると判断し、それを交渉材料とすることを決めていた。
「否定はせん。しかし、じゃ。貴様らは己の言葉が何を意味するのか、正しく理解しておるのか?」
脅しで織田を動かせば織田の恨みを買う。
脅しではなく、それを実行すれば公家と織田の恨みを買う。
どちらにせよ三好にとっては敵が出来るだけ。
「……はっ」
……もしも織田が三好家の首脳陣が予想していたように、尾張の一国人であるならそれでも良かっただろう。
しかし尾張・三河・南と西信濃を手中に収め、怨敵である今川と斎藤が織田の動きを掣肘出来ない状況でのこの申し出は、宗勝が懸念したように『虎に翼を与えた上で野に放つ行為』に他ならない。
そのことを正しく理解していても、宗勝には方針を曲げる権限がないし、ましてや書状を渡した後で『アンタら、俺たちが予想した以上に強いみたいだから、やっぱりこの話はなしで』などと言える立場でもない。
よって、信長からの怒気をその身に受けた彼には、ただ頭を下げることしか出来ることはなかった。そうしてひたすら頭を下げる宗勝を前に、信長は今回の会談の流れと、それに見え隠れする第三者の存在に思いを馳せる。
(ここで伊勢か。ほんに面倒なことよな。しかしこうして三好が動くのも治部の狙いかの? それも三好が名分を用意するとなると……考えられるのは、儂に駿河を狙われることを恐れた公家を動かし、疑似的な停戦をつくる為に儂の前に伊勢を餌として差し出した。と言った感じかの。でもって三好はその動きに便乗した、いや、させた、か? まぁいくら現在の権勢が強かろうと、所詮三好は細川管領の配下にして四国出身の成り上がり者じゃしな。連枝衆としての格式が有り、公家も坊主も抱える治部ならその程度のことは出来るじゃろ。ふむ……こちらとしても狙い通りとは言え、面白くは無い。これは、きっちり報復してやらんといかんな!)
謀略的には成功。しかし外交としては新たな敵を作ることになったことを理解して、終始苦い顔を崩せなかった宗勝。
伊勢へ本格的に侵攻するつもりは無いが、三好や今川には何かしらの報復をしてやろうと心に決める信長。
この織田家の力と方針を正しく理解していなかった故に引き起こされた、三好家首脳陣による痛恨の読み違いが、畿内に何を齎すのか。彼らがそれを知るには、まだ少しの時間が必要であった。
畿内と言えば三好ですが、基本的に彼らは周囲全部が敵なんですよね。
三好の軍事力や経済力に靡く連中も沢山いますが、細川管領と敵対したせいで将軍家や畠山や六角と敵対したり、本願寺と敵対していたり、東大寺は……まぁ色々ありますけど。
敵を滅ぼしまくったからこそ勢力も拡大できた。と考えれば良いんですかねぇ?
兎にも角にも、敵を減らす為にノッブを動かそうとする三好に対し、ノッブはどう動くのか!
そして少しずつ南下する軍神様の動きにも目が離せないぞ!
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