107話。京の公家は基本的に貧乏
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山城・京。
ところによっては秋であり、ところによっては冬でもある。そんな、一般的に季節の変わり目とも言われる11月上旬。
越後を発った破壊神が関東の入り口とも言える上州に入り、山内上杉家当主にして関東管領でもある上杉憲政と合流し、乱取りのついでに北条との戦についての打ち合わせをしていたころのこと。
「ふむ。姫様の出産と乳母。まさか殿がそのようなことにまで気を遣えるようになるとは……うっ涙が……」
「……平手殿の気持ちは良くわかります。えぇ、本当に。いやはや、吉弘殿と姫様には感謝してもしきれませぬな」
「誠に」
尾張から届けられた信長からの書状を読んだ平手と林の両名は、数年前までの信長の行状と、それを諫めるだけで理解しようとしていなかった自分たち。その双方の行いを省みて、しみじみと頷きあっていた。
しかし、昔を思い出すだけでは話は前に進まない。反省は反省として、主命を果たす為に動く必要がある。
「確かに姫様や殿が懸念するように、尾張の国人では色々と格が足りぬと言うのは分かります」
「ですなぁ。本来なら『儂らを侮らんでいただきたい!』とでも主張すべきところなのでしょうが……」
何処の大名家に「これから生まれる重臣の乳母に相応しい人間が居ないので、他所から招こう」などと考える大名が居るというのか。
言うなればこれは信長が「自身に仕える家臣では姫様や吉弘殿とは釣り合いが取れない」と言っているのと同義である。
故に筆頭家老である林や次席家老である平手は、家臣団を代表して信長の意識を変える為に説教をしなくてはならないところなのだ。
「それを言ってみますか? あぁ、某は無関係でお願いします」
「……いや、某も文句は有りませんぞ!」
さりげなく梯子を外そうとする林に、食い気味に反論する平手。尾張に残っている国人の顔を思いかべ『姫様の言うことは正しい』と認めざるを得ないことに何とも言えない表情をしながら、やいのやいのと騒ぐオッサンと爺さんの図である。
両者は今や尾張・三河を治める織田弾正家の筆頭家老と次席家老とは言え、元は管領であり尾張守護斯波武衛に仕える守護代、織田大和家の家臣である織田弾正家の次期当主の家臣でしかなかった身でしかない。
故に彼らの本心としては『どの面下げて大友家直系の姫と大友家に仕える重臣の息子である千寿と並び立てと言うのか』と謙遜と言うのか、卑下と言うのか、それとも事実を理解していると言えば良いのか、とにかくそのような思いを抱いていた。
筆頭家老と次席家老がこの有様なのだから、当然それ以下の連中があの二人に並び立てる道理などない。そんな相手から『自分たちに相応しい者を用意したい』と言われれば、彼らの脳裏に真っ先に浮かぶのは公家か幕臣となる。
ただ、現在将軍である義輝は細川藤孝を失ったことで正気を失いつつあるし、そもそも千寿も義鎮も、両者の影響を受けた信長も、総じて幕府が嫌いな上に、彼らと距離を詰めれば間違いなく畿内の戦に巻き込まれることになるので、平手も林もわざわざ幕臣に接触しようとは思わない。
ならば残るのは公家となるのは道理。
「殿は姫様の乳母を名目にして公家を尾張に下向させ、長期間滞在させることで、禁裏との更なる繋がりを得ようとしているのじゃろうて」
「それはそうでしょう。今でも関白殿下の行いを掣肘することは出来ておりますが、そのせいで殿下から少なからず悪感情を向けられておりますからな。しかもこの書状を見れば『今更関白殿下に擦り寄るよりはこれまで通り主上との繋がりを強めた方が良い』とお考えの様子」
「うむ。事実じゃな」
実際100万石に近い所領を持つ信長にとって、今更近衛に目を付けられようと痛くも痒くもないのが実情であり、それは同時に彼の機嫌を取る必要がないと言うことを意味する。
何せ関白の権威を保証している主上が織田の最大のシンパなのだ。故に近衛が何をしようとも、彼が『駄目だ』と言えばそれまでだし、近衛が動いて対織田の包囲網を敷いたところで禁裏から正式に『停戦せよ』と勅が下りれば、それに逆らえる大名は居ない。
もし近衛の命を受けた大名が勅を無視して織田と戦おうとしても、家臣の中には必ず大名に従わない者が出てくるのだ。
信長は敵対してきた相手に『◯◯は勅に逆らう逆賊である。それに従う者も逆賊ぞ』と言って脅すだけで、相手の陣営に大きな楔を打ち込むことが出来る。
楔を打ち込んだ後は、各個撃破するなり内応させて内部崩壊させるなり、好きにすれば良い。
つまり、主上が近衛よりも織田を信頼している現状では、近衛が敵対したとしても、織田にとってプラスになることはあってもマイナスになることは無い。と言うことだ。
ならば何も迷うことは無い。今まで通り近衛と距離を置きつつ、公家の顔を立てるように動けば良い。
それを考えれば、今回のように尾張への下向をしてくれるよう願い出るのは悪くない策である。
問題は無駄に格式を重んずる公家がこのような提案を受けてくれるか? と言うことであり、信長もその点を心配しているのだが……
「ま、問題有るまいよ」
「ですな」
公家の貧困具合を知る二人は、今回に限っては信長の懸念を杞憂と断じる。
織田家の献金のおかげで多少マシになったとは言え、公家の生活は今もって本当にカツカツなのだ。
―――
山科邸
「今度生まれる、三河守殿の子の乳母。ですか?」
平手殿が「頼みが有る」と言うから一体何事かと思えば……これはまた、何とも言えぬ要求でおじゃるなぁ。
しかしまぁ、相手が弾正の片腕とも言える三河守の子でおじゃるから、それと関係を結べると考えれば悪くはないでおじゃろうが。
「はっ。誠にお恥ずかしい話ですが、我ら織田弾正家は先ごろ弾正大弼に補任して頂いたとはいえ、急速に大きくなった成り上がりの家にございます」
「それは否定できませぬなぁ」
本来なら「そのようなことは無い」と言うところでおじゃるが、今更遠慮するような仲でも無し。この方が親しみを感じてくれるでおじゃろうて。
「はっ。そこで主は公家の方に三河守殿の子の乳母となって下さる方を求めると同時に『誠に僭越ながら、尾張にも公家の方に下向して頂き、京の文化や礼法を尾張でも広めて欲しい』と願っておりまして」
「ほほう」
これまでも麿が鍛えて来たが、流石に尾張の者達全員をこちらに送るわけにも行かぬからな。ならばこちらから赴き教えを授けて欲しいと願うのも分らんではない。
越後に下向した関白殿下は例外としても、越前や周防に下向しておる者も少なくないでおじゃるしな。それに何より……
「弾正殿は「駿河に下向している者が居るのだから、尾張にも来て欲しい」と言いたいのでしょう?」
今川治部に対抗するにはそう言った権威付けも欲しいのでおじゃろう?
麿がそう言えば、平手殿が苦笑いしながら頭を下げた。
「……山科様には隠せませぬな」
ふっ。当然でおじゃるな。
「まぁ、これでも長年日ノ本を渡り歩いた身ですからな」
そもそも地方の大名は公家を買い被っておるのよ。その買い被りのおかげで食っている公家も居るので、麿もわざわざそれを糺そうとは思わぬでおじゃるがな。
織田弾正の場合は、弾正自身は買い被っておらぬであろうが、周囲の連中の買い被りを利用するつもりでおじゃろうて。
しかし……はてさて。これはどうしたものでおじゃろうな。
本来なら麿たちを利用しようとすることに叱責をするべきなのでおじゃろうが、下向をすることで助かる者がいるのも事実。
さらに尾張に公家を下向させることで、弾正と禁裏の距離が縮まるのも良い。
それに尾張にも公家がおれば、先年の関白殿下のような真似を防ぐことも出来よう。それに主上のお気持ちも考えるとなぁ。
勤皇の士である織田弾正から、京の文化や礼法を教えて欲しいと頼まれたと聞けば、お喜びになることはあっても、お怒りにはなるまい。
後はどの程度の者を送るかでおじゃるな。
あまり格が高ければ弾正がやり辛いだろうし、かと言って低い者を送れば侮ったとみられる。加えて、わざわざ尾張に下向したいと願う者がどれだけ居ることか。
「お考えのところ、誠に恐縮でございますが、よろしいでしょうか?」
「ん? あぁ。申し訳ない。なんでしょうか?」
中々の難問でおじゃるなぁ。と考えていた麿に、平手殿が声を掛けて来たでおじゃる。普段はそのようなことはしないので、何か言いたいことがあるのでおじゃろうが、一体何でおじゃろうか?
「はっ。まずは下向して頂いた方への待遇などをご案内させて頂ければ、と思いまして」
「あぁ。そう言えばまだ聞いておりませんでしたな」
うむ。織田が公家を軽んずるような真似をするはずが無いと思って後回しにしていたでおじゃるが、はっきりと条件を告げることによって、尾張への下向を認める者も出てくるでおじゃろうし、確認は大事でおじゃったな。
そんなことを考えていた時期が麿にもあったでおじゃる。
「では失礼ながら。当家がご用意させて頂くのは、大臣家の方なら二〇〇〇石。羽林家の方は一五〇〇石。名家の方は一〇〇〇石。半家の方は七五〇石の荘園をご用意させて頂く所存でございます。また禁裏と山科様には、別途謝礼金をご用意させて頂きまする」
「はぁ?」
麿や禁裏への謝礼はともかくとして、摂家と清華家が無いのはあまり格が高くては弾正がやり辛いからであろ? それはわかる。しかし半家で750石? 近衛家とて2000石も無いのでおじゃるぞ? いや、山城と尾張では土地の価値は違うが、それでも銭の価値には違いは無いでおじゃるぞ!
「また誠に心苦しいことではございますが、土地には限りがございますので、合計が六〇〇〇石を越えた時点で受け入れは難しくなります」
「う、うむ。それはそうでおじゃろうな!」
これだけの大盤振る舞いならば限りが有るのは当然でおじゃる。
しかし、この場合どうするべきでおじゃろうか? 馬鹿正直に条件を明かして募集するのは無しでおじゃろう。 なにせ大臣家を三人送り、その大臣家に従う形で数十人単位の名家や半家の者を送れば、かなりの者達が助かるでおじゃるからな。
……これはすぐにお上に諮らねばならぬでおじゃる!
「大変興味深いお話でおじゃった。ただこれに関しては麿が勝手に決めることは出来ぬので、少々時間を頂きたいのでおじゃるが、よろしいか?」
「無論です。ただ」
「ただ?」
なんでおじゃろうか?
「年明けには乳母を必要とするお子が生まれる予定ですし、受け入れの準備の関係などもございます。よって、出来ましたら年末までには簡単な名簿を頂ければ幸いです」
あぁ。そう言えば最初は乳母の話でおじゃったな。口実ではなく、本当に必要でおじゃったか。
「了解したでおじゃる。……早速お上に諮りたいので、本日のところはこれで失礼させてもらってもよろしいでおじゃろうか?」
「はっ! 何卒よろしくお願い致します!」
「う、うむ! 麿に任せるでおじゃるよ!」
状況が変われば条件も変わるかもしれんでおじゃるからな、この条件が生きているうちに話を纏めねば!
―――
「麿が行くでおじゃる!」
「いや、麿が!」
「なんの麿が!」
「ここは麿の出番でおじゃろう!」
「待て待て、ここは麿に決まっておじゃろうが!」
「麿は十石でも良いでおじゃる!」
「「「「「麿も!」」」」」
「なんで清華家が駄目なんでおじゃるか!」
「摂家とて分家なら……」
「「「「金持ちは引っ込んでるでおじゃるッ!」」」」
「「あるわけなかろうが?!」」
この後、公家たちの間で非常に殺伐とした蹴鞠大会が開催されることになり、その様子を眺めていた山科言継は日記に「まるで南北朝もかくやの争いでおじゃった」と書き残している。
おじゃるおじゃる五月蠅いのは作者が正確な貴族言葉を知らないので、適当に想像しているからです。もし正しいおじゃるの使用法をご存知の方がいらっしゃいましたら、誤字訂正機能で修正お願いします。
公家の権力を押さえつけようとした江戸の時代では山科家は三〇〇石だったらしいですね。鷹司家は一〇〇〇石から一五〇〇石。室町はどうだったのかは不明ですが、山科言継の時代はノッブとの兼ね合いが有ったので結構裕福だったもよう。
「藤原氏北家に伝わる一子相伝の技を喰らうでおじゃる!」とかありそうですよねってお話
―――
ボツ案
「おじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃおぉぉじゃったぁ!」
「くっ! しかしこの麿、タダでは死なぬ! 南家水鳥蹴奥義、飛翔白麗!」
「おぉ!ふ、ふつくしい」
「確かに雅! じゃが甘いでおじゃるな! 北家奥義天破活殺ッ!」
「ふっ!さような技、この南家の惣領たる麿には効かぬッ!」
「なんとぉ?!」
「長きに亘り主上を守りし近衛の技、受けるが良いでおじゃる!」
「「「「近衛は引っ込んでろ!」」」」
「何故でおじゃるか?!」
と言う、北斗〇拳とキャプ〇ン翼が混ざったナニカを書こうと思いましたが、収拾がつかなそうなので辞めました。
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