106話。深読みは程々にさせるくらいが丁度良い。
文章修正の可能性あり
尾張那古野。
秋も深まりを見せはじめ、刈り入れやそれに伴う徴税などの業務が想定された以上に順当に進みつつある昨今。
基本的にやることは多いものの、そのほとんどが書類仕事である信長は、仕事や鍛練を終えた後に義鎮の為に用意された部屋を訪れるのが日課となっていた。
「まったく、何が『自分達がおらねばまともに税もとれぬ』じゃ! 連中がおらんほうがよっぽど円滑に作業が進むではないか!」
この言葉は国人たちがことあるごとに言う台詞であったが、実際に彼らがいなくなった尾張では、連中による不当な中抜きや借金を理由に商人から極めて安く買い叩かれる分も無くなった為、今回の徴税では45万石と言われる生産量に比例した物量が国庫に納められることとなっており、信長が彼らの存在意義を真剣に考える切っ掛けとなってしまっていた。
「国人には国人の都合があるからねぇ。ま、貴女がそれを考慮してあげる理由は無いけどさ」
義鎮も働かない父に代わって政を行っていた際に散々千寿に愚痴っていたので、目の前でプリプリと怒っているお子様の気持ちは良くわかる。その為彼女は国人のフォローなどはせず、信長に味方する。
「じゃよなぁ?!」
「気持ちはわかるけど、配下の前で死んだ連中に唾を吐いたら駄目だからね?」
「うむ。それもわかっとるよ。吉弘殿曰く『死んだやつは裏切らん。だから誉めろ』じゃろ?」
「そう。誉めるだけならタダだし、それで遺族や関係者の気分が良くなるならやらない手はないもの」
「じゃな」
逆に「死者を貶めれば家臣の心も離れてしまう。だからこそ死者は貴べ」と言われた時は信長も素直に『なるほどのぉ』と納得したものである。
このように、基本的に配下の連中は国人よりの考えをして信長を諌めようとするため、こうして大名寄りの意見に同調してくれる存在は本当に稀少な存在である。
だからこそ信長は、自身にとって数少ない理解者である義鎮に愚痴を言いに来るのだ。
これが依存と言われればそうなのだろう。しかし、主君が家臣に依存するのは問題だが、妹が姉に依存する分には誰も損をしないので、千寿も義鎮も義鎮を姉と慕う信長を突き放そうとは思っていない。
ただ、義鎮は妊婦なので、その辺の配慮はして欲しいと思う程度である。
そして今日の信長の訪問はソレも無関係では無かった。
「……時に姫様や」
「ん?」
「姫様のお腹も大きくなってきたじゃろ? 予定だと来年の年明けくらいじゃったよな?」
「えぇ、順当に行けばそうなるみたいね」
唐突に話を変えて来た信長に「何が言いたいの?」と言う視線を向ければ、信長は意を決したような表情をして義鎮に向き直る。
いつになく真面目な表情をする信長に対し、先手を取って「千寿は貸さないわよ」と言おうとした義鎮だったが、続く信長の言葉を聞いて自分が勘違いしていたことを自覚することになる。
「いや、そろそろ乳母も用意せんといかんな~と思っての。姫様に希望とかあるかや?」
「あぁ。それかぁ。正直困ってるのよねぇ」
乳母とは読んで字の如く、産まれた子に対して乳を授ける女性のことである。
これがその辺の一般市民なら「そんなの自分であげれば良いじゃない」となるのだが、義鎮クラスになるとそうも言ってられない事情がある。
それは、乳母の子が乳兄弟として子を支えてくれる側近となりやすいことや、家族ぐるみの付き合いをすることで横の繋がりを強化するきっかけになるからだ。
実際、信長にとって物心ついたときから一緒にいる恒興は、ただの同年代の家臣ではなく、心から信頼できる数少ない友でもあるのだ。
この時代、心から頼りに出来る人間と言うのは極めて貴重な存在である。故に、義鎮としても自分の子にとってのソレを作るきっかけとなる乳母の選定は重要事項である。間違っても『誰でも良い』などとは言えないし、言おうとも思わない。
かと言って、義鎮が親しくしている者の中から選ぶのは芸がない。せっかく新たに側近となる関係を作れるのだから、あまり付き合いが無い相手を選びたいところではあるのだが、あまり付き合いが無い相手だと、思想や価値観に信用が置けないと言う問題が出てくる。
こうなると千寿を交えて考えるべきなのかもしれないが、千寿は千寿で三河から動けないし、本来乳母となる人間を見定めるのは正妻としての仕事でもあるので、義鎮としては千寿に確認を取る前に最低限の人選は済ませておきたいと言う思いがあった。
そして義鎮の子の乳母となれば、信長も無関係ではいられない。むしろ尾張に縁を持たない義鎮に代わり、信長が率先して信頼出来る者を用意する必要がある。
だが信長とて乳母を選定した経験など無い。その為どうしても『最善の効果を望める相手を選ぶべき』と言う政治的な意図を含んだ思考をしてしまう。
「ふむぅ。新たな関係を作るとしても、武田の連中は既に吉弘殿に忠義を誓っておるし、信玄との兼ね合いがある。九州から来た連中は元々姫様に従う者だし、そもそも乳が出そうなのはおらん上に義弘の為にも残さねばならぬ。吉弘殿が根を張る予定の三河には土着の国人が残っとらん。となると残るのは尾張の国人じゃよな?」
「そうね。ただ尾張の国人と言っても、基本的には信長や織田の一門衆を優先する必要があるでしょう?」
「……うむ」
家臣との繋がりを作る必要があるのは義鎮だけではない。
いや、元々尾張の国人から『うつけ』として爪弾きにされてきた信長や彼女に従うことになった一門衆こそ必要なものだ。
正確には、織田家の頂点に立つ信長には今さら特定の家臣と新たに絆をつくる必要は無い。ただ、生き残っている兄弟姉妹の為にも尾張の国人の忠義が義鎮に向いては困ることになるのも事実である。
とは言え、散々辛酸を舐めさせられてきた信長の中での序列は、
姫様&千寿≧恒興>爺≧子分>林≧佐久間や池田>一門衆>武田家臣>子分の実家>>>超えられない壁>>>尾張の国人。
となっているので「姫様相手に尾張の国人を割り当てるのは失礼なんじゃないかの?」と思っているだけの可能性も有るとかないとか。
ちなみに誾千代をはじめとした九州勢への評価は保留中である。
そんな主君から殊更に低い評価を受けている尾張の国人たちはともかくとして。
こうして見ると義鎮の周囲には、乳母に相応しい者がいないと言うことが良くわかる。
まぁ、そもそも九州で二十代を数える名門中の名門である大友家直系の姫と、今や三河と信濃に威を張る三河守の子供の乳母が勤まる家格など、普通に守護か守護代くらいしか無いので、これに関しては信長の力不足とは言えないだろう。
「一応予定として考えてるのは、京から適当な公家でも引っ張って来て貰おうかって考えてたんだけど」
「公家か。確かに連中は家格だけはあるからのぉ」
それしかないとも言うが、少なくとも歴史と伝統を有する公家なら格の上では問題はない。
また織田家としても京との繋ぎは多いに越したことはないし、公家の方も義鎮が大友の姫とは知らなくとも、禁裏や山科に対して多額の献金をしている弾正大弼信長の股肱の臣であり、正式に三河守に任じられている千寿の正妻の乳母となれるのならば、尾張に下向することを考える者も出てくるだろう。
武家としての側近は小姓をつけることでどうにかすれば良いと考えれば、公家の乳兄弟も悪くない。それどころか、子供の将来の選択肢を広めることになるので、千寿も反対はしないはず。
禁裏にはまた礼金が必要になるが、それも巡り巡って織田の為になるので、平手も林も反対はしないだろう。
まぁそもそもの話、あの二人には千寿と姫様の子育てについて口を挟める立場に無いのだが、納得するのは良いことなので特に問題は無い。
問題があるとすれば気合いを入れて乳母を探そうとした信長が、自分達が姫様の力になれないことや、結局織田家の為に二人の子を利用することになると言う事実に対して、忸怩たる思いを抱えるくらいだろうか。
「はぁ~。情けない主君で済まぬのぉ」
「そんなに気にしなくて良いわよ。それに公家を連れてくるのだって織田家の力なんだから」
「それはそうなんじゃがなぁ」
「はいはい。貴女は尾張の国主なんだから、凹んでないで尾張の政を考えなさいな。あ、そうそう。千寿が言ってた田植えの方法は成果が出たの?」
「む? あぁ、あれかや。しっかりと成果が出たわい。大体二割から三割収穫量が増えたとか。それと、土地を平らにせんでも、種から苗にしてから植えるだけでもかなり違うようじゃな。……その分手間は増えるがの」
これまで種をばら蒔くだけだったのが、苗の場合は一つ一つ腰を曲げて植えて行く必要があるので、どうしても労力がかかってしまうのだ。
「手間をかけて収穫量を取るか、手間を省いて収穫量を諦めるかになるのか。難しいわね」
「うむ。刈り入れは民も楽しんどるからまだ良いし、千歯こきのお陰で収穫の後の手間も省けるんじゃが、田植えの手間が想像以上なんじゃよなぁ」
生産量が増えるならどんなことでもするのがこの時代の常識なので、信長としても民の弱音に対して必要以上に耳を傾けるつもりはない。
しかし、新しいやり方による腰や膝への負担は『多少』では済まないほどのものらしく、強要することに抵抗を覚えてしまったようだ。
「少しキツくても貰えるものを貰えるならやりたがる連中はいくらでもいるでしょ? 損をしない程度に銭を使ってやらせてみたら?」
「ほむぅ。銭を使って民を使う、か。確かに報酬があればやるじゃろうし、結果として収穫量が増えるなら儂にも損はないわな」
「そうそう。銭があっても食べるものがなけりゃ人は生きていけないからね」
「それもそうじゃ。よし、本格的に考えてみるかの!」
信長の手元に自由に動かせる銭があるからこそ考案できたこの制度。
千寿が知れば『あれ? 寄生地主制って明治の話じゃなかったか?』と首を捻ることだろうが、そもそも銭を使って公共事業を行うのは内政チートあるあるだし、誰かが吹き込んだのではなく、義鎮が考案して信長が実用化しようとする動きを止めることはないだろう。
この後、信長からの布告を受けた配下は、費用の試算や、労働力の確保、実際に使われる土地の視察などのために、忙しく動き回ることになる。
周囲はその行動を春先に起こすであろう軍事行動の先触れと見るのだが、それが義鎮が意図したことかどうかは誰にもわからないことであった。
足利幕府が守護や国人に力を持たせ過ぎた弊害の一つが、国人による不正です。こんな連中ばかりだから守護大名から戦国大名に脱却する必要があったんでしょうね。
乳母についてはまぁ、多少はね。
地味にNAISEI中ってお話
ーーー
皆様の応援ポイントのおかげで今日も更新。
ブックマークもよろしくお願いいたします!
閲覧、感想、応援ポイント、ブックマーク、誤字訂正ありがとうございます。




