100話。東三河の虎
百話記念に主人公登場!……か?
東三河。野田城。
長尾や今川に対し『甲斐の信虎が策を弄して木曾を操り織田を攻撃したため、関白殿下の仲介で成された休戦を無効とする』と宣言し、織田家はガラ空きの東三河を無傷で席巻した。
この結果を受けて、遠江との国境にして最前線である野田城では高笑いを上げる一人の女性が居た。
「ははははは、ざまぁ見晒せクソ親父! そのまま死ね! なんなら甲斐の泥沼の中に毎日叩き込んでやるから、そのまま腹を膨らませて死ね!」
そう。その女性とは甲斐の虎(長尾景虎曰く雌猫)と近隣諸国に恐れられた武田信玄その人である。
元々彼女は甲斐源氏武田家の当主として辣腕を振るっていたのだが、先年の北信濃での戦で長尾に破れ、一度は追放した父信虎に甲斐を奪われ、退路も物資も無いまま袋小路に閉じ込められた結果、新興の家である尾張織田家の家臣の側室として生き永らえると言う、屈辱の底に叩き落とされていた。(周囲はそう思っている)
そんな彼女にとって、自分を追い込んだ元凶の一人である信虎が、自爆して窮地に陥っているのだ。これを笑うなと言う方が無理だろう。
このような感じで機嫌よく高笑いを上げる彼女の前には、一人の苦労人の姿があった。
「……信玄様、些か品が宜しくないですぞ」
その苦労人の名は、織田に降った秋山・内藤・真田・三枝・土屋と言った甲斐・信濃衆の中で、唯一三河に知行を与えられた存在である馬場信房だ。
彼は三河に二万石を与えられており、三河守麾下の中では信玄に次ぐ立場であると同時に、主である三河守から旧主である信玄を補佐するよう命じられているので、こうして彼女と共に野田城に詰めていた。
ちなみに二人の主である三河守こと千寿は、もう一つの最前線である長篠城に入っており、遠江に展開している今川勢を牽制しているので、ここには居ない。
「あぁん? 何言っていやがる信房。今更アタシにそんなの求める奴なんざいねぇだろ?」
だからこそ現在実質的な野田城の主は信玄であり、彼女を掣肘出来る存在は居ない。
それに彼女が旦那様と呼び慕う千寿も、無理に取り繕った信玄よりもそのままの奔放さを好んでいるので、信玄が気を使う相手など、正室の姫様か、まだ見ぬ主君の信長くらいのものである。
そのうち前者は信玄の性格を知っている上に妊娠中の為尾張で静養中だし、後者は尾張の政でいっぱいいっぱいで三河に来るどころではない。さらに信玄の立場は吉弘三河守家の筆頭家老でもある。故に罠に嵌った信虎を嘲笑う信玄が、己の感情を抑える必要など無いのだ!
そう思って調子に乗っている彼女に対し、信房は遠慮なく現実を突きつける。
「近いうちに尾張より島津の方様が来られますが?」
「……そうだったな」
ゴホンと一回咳払いをした信玄は、高笑いから一転し、品性と威厳が両立するような格好で座りなおす。これでも元国主であるので、最低限の礼儀作法は弁えているのだ。
このように、信玄を名前だけでおとなしくさせた『島津の方』とは、もちろん九州から来た島津義弘の事である。彼女は尾張での戦が終わったあと、己の主である姫様から(立場上、側室は正室の配下である)「お疲れ様。少し休んだら?」と言う暖かいお言葉を頂いたのだが「いや、三河で、だ、旦那様が戦っているなら三河に行きたい」と要望を出し、許可をもらっていたと言う経緯があった。
尾張に到着して早々に服部党を潰し、清須を落とし、斎藤を追い払った(戦をしないまま退いた)のだから、戦功としては十分以上のものが有るのだが、彼女の目的は戦功云々ではなく千寿と会うことである。
当然そのことを理解している姫様は褒美がてらに義弘の三河行きの許可を出し、ついでに「戦い足りない!」と文句を垂れていた九州勢を援軍として送り出すことにしたのだ。
なお「千寿様、今この誾千代が貴方様の下へ行きますよ!」と意気を挙げた誾千代は「アンタは私のお付でしょうが」とぶった切られ「そんじゃ儂が代わりに……」と言ってどこかに外出しようとした赤毛の幼女と共に簀巻きにされた上で留守番を命じられていた。
そんな妙な動きをしようとした二人はともかくとして、信玄にとって島津義弘と言うのは決して無視出来ない存在である。
なにせ向こうは、千寿の元婚約者にして現役の薩摩守護の長女にして千寿の父親の公認を受けた18歳の女性だ。現在23歳で元夫子持ちであった降将である信玄と比べれば、将帥としての経験や為政者としての能力や経験は大幅に劣るものの、女性として見た場合は信玄が完敗している。
それを自覚している信玄は、千寿に対し「自分を大事にしてくれるなら二番目でも三番目でも良い」と言って、第一側室の座を義弘に譲り渡すつもりでは有るのだが、あくまでそれは立場の問題でしかない。
もしも彼女が千寿の隣に立つのに相応しくないと考えれば、正室である姫様と共謀してでも追い落とす気満々であったし、それは向こうも同じことだということも理解していた。
そのため信玄は普段から側室に相応しい態度と言うものを心がけていたのだが、怨敵とも言える信虎の窮地に、ついその箍が外れてしまったのだ。
親娘の確執を知っている信房には信玄の気持ちは理解できるし、自分とて己の妻子や郎党の妻子を殺されているので、信虎が窮地に陥っているのを喜びたいのは一緒である。
しかしながらそれはあくまで私事。主君の側室の前では見せるべきでは無い。さらに島津義弘ら九州勢に至っては、自分たちの事情など知らないのだから、今のうちから感情を抑える訓練をするべきである。
……なにせこれから信虎はもっと悲惨な目に遭うのだから、今の時点で我を失うほど喜んでいては流石に問題だろう。
そう考えて信房は信玄を諌め、信玄もまた簡単に己の感情を表に出すのは不用意だったと反省する。
「しかし流石は旦那様だ」
ひと呼吸おいて落ち着いたところで、信玄は今回の千寿が目論んだ策について思いを馳せた。そしてそれは信房も一緒である。
「全くですな。まさか信虎めが木曾殿に南信濃への侵攻を仄めかす書状を出すであろうことを予想し、それを証拠として信虎を糾弾するとは思いも寄りませんでした」
いや、正確には信虎が木曾へ書状を出すのはわかっていた。織田と今川の正しい関係を理解していなければ、それが最適解でもあるからだ。故に信虎は普通に調略のつもりで書状を出したのだろう。
本来ならば書状を受け取った木曾の反応を見て、どのような条件を付けるかを吟味し、義元に伝えて彼の後ろ盾を得た後、甲斐の軍勢を用いて南信濃を襲う予定だったはずのところを、木曾が早々に南信濃に攻め込んでしまったが故に、彼の構想の全てが崩れてしまったのだ。
結果として、甲斐勢が出撃準備を整える前に木曾勢が南信濃に侵攻し敗北。追撃を受けた木曾義昌が降伏してきたことで、木曾勢を裏で操っていたはずの信虎が表に出てしまった。
これにより信虎を抱えている今川の条約違反が判明し、元々信濃から美濃へ向かう準備をしていた軍勢がガラ空きの東三河を接収することになったわけだ。
「本当にな。確かにこの方法ならアタシらがわざわざ信濃まで行く必要がないし、治部も伊豆や相模に行ってから三河に引き返す必要も無い。ついでに言えば治部にとって目障りな舅でもあるクソ親父を消せる口実ができるって寸法だ」
織田にとっての得は、三河と信濃の往復が不要なことと、関白の不興を今川に押し付けることが出来ることである。
また『近衛の仕出かしたことについては一切無視してかまわぬ』と言う綸旨があるので、近衛の仲介によって締結した休戦協定など無視してがら空きの東三河に侵攻しても良かったのだが、朝廷から叱責されたとは言え関白は関白。
個人的な付き合いから長尾にも影響力があるようだし、不必要にお偉いさんと敵対する必要は無いと判断した千寿が、その悪名を今川に押し付けたのだ。
対して悪名を押し付けられた側である今川と言えば、現在勢力圏を西ではなく東に拡大しようとしており、織田ほど京の禁裏を重要視していないので必然的に近衛にも関心が薄い。
むしろ将軍足利義輝の従兄弟と言うことや、地方に下野して軍を動かそうとする姿勢を嫌っているまである。
さらに今回の件に於いて、近衛は自身の顔を潰されたことに激怒するだろうが、その近衛は己の権力の後ろ盾である禁裏を激怒させ、さらに『勝手なことをするな』と釘を刺され謹慎処分を受けている立場なので、表立って文句をつけることもできない。
何せ文句を言えば、禁裏から出された綸旨を公表されてしまい、関白としての面目を完全に失ってしまうことになるからだ。
つまり、今の織田と今川は近衛の名を使って悪さをしても、後から苦情を入れられることは無いと言うことである。
今川はこれを利用し『今川家のみならず関白様の名に泥を塗ったことは誠に遺憾である』として、関白の名を使って舅である信虎やそれに味方する連中を処断する予定なのだ。(そうさせるように仕向けた奴が居るらしい)
信虎としては抵抗しようにも、甲斐では元々信玄が人員を連れ出していた事や、留守居役の国人を虐殺したことなどのせいで軍勢を用意することも出来ないし、甲斐の国人にとって彼を擁護すると言うことは関白や今川に喧嘩を売るに等しい行為のため、どうしても二の足を踏んでしまう。
義元はそこを一気に突いて信虎を討ち取り、その後で『関白殿下の面目を保つため』と言う名目を利用し、織田に対する詫びとして『信虎の首と東三河を明け渡すこと』を家臣団に承諾させた後、再度織田と休戦協定を結ぶのだ。
織田としても綸旨を開示せずにいれば『関白殿下の顔を潰すわけにはいかない』と言う名目で今川と休戦をしても誰も不自然には思わないし、東三河へ侵攻し今川と睨み合ったのも事実なので、北条との約定にも違反しない。さらに東三河の領地も手に入る。
今川は内部の掃除が出来る上に、遠江に展開している軍勢を使って、武蔵と相模で長尾や古河公方と争っている北条の後ろを突けば、予定通り相模と伊豆の所領をほぼ無傷で手に入れることが出来る。
結果として織田と今川は近衛の指示通り停戦を結ぶので、一応ながら彼の面目は保たれるし、今川が北条攻めに参加すれば長尾としても面倒が省けて良い(戦果云々に関しては、長尾は元々関東の領土を欲していないので、それなりの銭を軍費として提供するだけで良い)
これぞ織田も今川も長尾も近衛も得をする素晴らしい策(千寿談)である。
ちなみのちなみに千寿としては、信濃と三河の往復が無くなるのが一番嬉しいことらしい。
このように、一連の流れで北条と信虎以外は関係者全員が得をしているので、急な予定変更に驚いたであろう今川も表立って文句を付けることはできないのが、この策の特徴とも言えよう。
――噂では、北条との戦の前に急遽甲斐で大規模な掃除をしなくてはならなくなった黒衣の清掃員が、三河方面に向かって呪詛を吐いていたらしいが、清掃員のことまで気にしていては策など立てられないし、汚れを残していたのも掃除するのも今川家であり織田家には関係ないので、これに関しては特に問題はない。
「とにかく、クソ親父はアタシが何もしなくても治部が殺してくれるからね。これでより一層気持ちよく寝れるよ!」
「……そうですな」
徐々に品性が失われつつある信玄を前にして頭を抱える馬場を余所に、信玄は自分を嵌めてくれた父親と今川家の連中が藻掻き苦しむ様を想像して、獰猛な笑みを浮かべるのであった。
残念?ながら、千寿君ではなく信玄でした。前回景虎が出たから、多少はね?
そろそろ全容を語ろうとしたのですが、作者的に千寿君は自分の策をペラペラ喋るタイプじゃないので、他の人に説明してもらう必要があったんですよねぇ。うん。だから作者は悪くない!
やっぱり全部信虎って奴が悪んだっ!ってお話
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