99話。北の国から。の巻
FUJITAKAだと思ったか? 残念越後の乙女でした!
越後春日山城
この日、今度こそ関東に蔓延る虫を討伐し、家督は兄か姉と結婚した上田長尾家の長尾政景、もしくはその子の義景にでも譲って自分はさっさと三河に行こうと考えていた景虎の下に、その計画を足元から破綻させる報せが届けられた。
「織田弾正殿が治部との停戦を破り三河に攻め、東三河を制圧した。だと?(どういう事? いや、三河は三河守さんのものだから、不当に占拠してる今川から取り戻すのは別に良いけど、関白殿下からの停戦は? 前は確か治部が『停戦は今川と武衛の停戦だから織田は関係無い』って屁理屈をこねて停戦を破ったけど、今回は関白殿下がしっかり念を押したんだよね? それに織田から攻めるっておかしくない?)」
少し前まで景虎と信長は同列の弾正少弼であったが、少し前に信長は弾正大弼に補任されているので景虎が信長に対し『殿』と敬称を付けるのは間違っていない。(それを言えば今川も治部大輔なので敬称が必要なのだが)
なので、定満も実綱も景虎が信長に対して殿を付けることに違和感を抱いては居ないのだが、実のところ、景虎にとって信長は未来の旦那様である千寿の主君なので敬称を付けているだけだったりする。
そんな家臣が知ったら何とも言えないような乙女的思考はともかくとして、問題はこの時期に織田と今川が戦端を開いたことである。
自分でさえ驚くくらい勤皇精神に厚い信長が、関白が仲介した停戦を破るなど有り得ないだろう? 景虎の思考は奇しくも小田原の北条氏康らと同じ結論に至っていた。
「はっ。現在両軍は三河と遠江の国境で睨み合っているとのことです」
「……何が有った?(いやほんと、一体どうしたの?って言うか三河守さんが総大将なのかな?調停に行ったら会えるかも?)」
長尾家としては今川と同時期に北条を攻めることで氏康に二正面作戦を強いる予定(古河公方と里見らは数に数えていない)であったのに、ここで織田と今川が争えば戦略が破綻してしまう。
その為景虎は場合によっては仲介の必要も有ると考えたが、それだって理由が分からなければ話にならない。
もしも、先日から続いていた尾張と美濃の国境での睨み合いが終わったことで一息吐くことが出来た織田が領土拡張の野心を持ち、隙だらけの今川を攻めたと言うならば、長尾としては織田に対して厳しい姿勢で向き合うことも視野に入れなくてはならなくなる。
(でも三河は三河守さんのものだしなぁ)
……かなり織田が有利な裁定になりそうだが、長尾家としては厳しく当たらなければならないのである!
「はっ。織田殿からの使者が持って来た書状によれば、先に今川治部殿が停戦を破ったとのこと。それに対して織田家は反撃を行っただけであり、非は今川に有る。とのことです」
「治部が?(え?また治部が何かしたの? ホントいい加減にしてよね。もう三河を三河守さんに上げちゃえばいいじゃない)」
景虎から下問を受けた宇佐美定満が、織田家から送られて来た使者が携えて来た書状に書かれていた内容を読み上げた。ちなみに使者として送られて来たのは池田恒興の父の池田恒利であったが、彼は尾張での戦を理由に越後までは来ず、北信濃の村上に書状を渡して尾張へ戻っている為ここには居ない。
「はっ。元は西信濃の木曾が南信濃に攻め寄せたことがその理由としています」
「……木曾、か。(むむむ?木曾は美濃の青大将に降ったんじゃなかった?その木曾が攻めたって言うなら斎藤じゃないの?それが治部の所為って何で?)」
「なるほど。確かに木曾が単独で織田殿を敵に回すはずが有りませぬ故、何かしらの伝手があったとは考えておりましたが、それが治部殿であった。と言うことですか」
かねてより木曾義昌の動きに不自然さを感じていた実綱は、定満の言葉を受けて謎は全て解けた!と言わんばかりに声を上げる。
「そうか。(あ~なるほどね。治部にしてみたら休戦だけじゃ心許ないから、青大将の配下である木曾を動かしたのかな? それならバレなかったら青大将を助けるために動いたってことになるし、織田殿は報復を行う為に信濃と美濃に集中しなきゃいけなくなるもんね)」
そう考えれば景虎にも今川の狙いは分からないではない。ただ今回は策を弄し過ぎたと言うことだろう。
(自業自得だね。とは言っても伊勢攻めには治部の軍勢が有った方が楽だし、何とかして休戦させないとなぁ。でも二回目だしなぁ)
武田晴信に対しては越後の安全保障の兼ね合いもあり「信義に悖る行為を繰り返すあやつは絶対に許さん!」と声を上げていた景虎であるが、今川に対してはそのようなことを言うつもりは無い。
……そんなことを言ったら、北条と長尾と古河公方と関東管領の間を行ったり来たりしている関東の国人達は皆殺しにする必要が出てしまうからだ。
そもそも関東の秩序だ何だと言って行っている遠征だって、手持無沙汰の家臣たちが国内で悪さをしないようにするための出稼ぎ的な意味も有るのだ。そこに大義が有るなどとは景虎も考えてはいない。
だから今は険悪な関係であるが、状況によっては長尾が伊勢と手を組む可能性も皆無ではないのだ。あくまでもしもの話であるが。
そんな可能性の話についてはともかくとして。
「……実城様、どうもその辺りは伊勢が何やら動いたようですぞ」
木曾の行動の裏に今川の手が入っていたと言うのなら、二度の休戦協定を破られた織田が怒るのは無理もない。そう思って織田に有利な裁定を下そうとしていた景虎に、定満から新たな情報が開示される。
「ほう。伊勢が?(確かに治部が裏で糸を引いたにしては稚拙と言えば稚拙だよね?)」
木曾が単独で織田に喧嘩を売るのは有り得ないし、義龍からの依頼が有っても援軍が見込めない以上は動くことは無いだろう。ならば木曾の裏に誰かいると思うのは当然。そして信濃や織田と直接関係が有るのは長尾家と今川家だ。
長尾家に南信濃に兵を出す理由は……無いわけでは無い。村上や小笠原が信濃での復権を狙っていることは事実だ。しかし関東への遠征を控えている景虎がこの時期に織田にちょっかいをかけるはずも無いと考えれば、自然と織田の足を止めたい今川が後ろに居ると言う答えに行きつくのは難しいことでは無い。
義元も雪斎もそのような稚拙な策を弄するような小者では無いし、そうだとしても一方的に攻撃を受けて三河を奪われるような阿呆でもない。必ずや何かしらの策があるはずだ。
たとえば停戦協定に違反した! と声高に叫び、長尾が準備している遠征軍を関東ではなく信濃に向けさせるくらいのことはするだろう。しかし今のところ今川にそのような動きは無い。彼らは遠江に兵を出し、三河守の軍勢と睨み合っている。
つまりはこの状況は今川としても予期せぬ出来事である可能性が高い。
ならば誰が木曾を焚きつけた? 決まっている。
「……伊勢が甲斐の武田を焚きつけたか(雌猫が居なくなったら今度はその親? まったく。雌猫に追放されたって言うからちょっとは可哀想って思ってたけど、所詮雌猫の親は雄のドラ猫だね)」
「はっ。秋山の反撃を受けた木曾は、ほとんど抵抗することなく織田に降伏致しました。その際、武田信虎より木曾に対して『南信濃を攻めるように』と言う指示があったとのことです」
「なるほど。ありえない話では無いですな。いえ、むしろそうでなければ木曾が動くことはありませんか」
「だろうな(雄猫の後ろに治部が居ると思い込んだか? 阿呆と言えば阿呆だけど、現在雄猫は治部の嫡男と共に甲斐に居るらしいし。嫡男に実績を積ませるために動いたって判断したのかな?)」
ここに至り定満も実綱も景虎と同じように、今回のことは『北条が信虎を焚きつけ、その北条に焚きつけられた信虎が義元に無断で木曾を焚きつけた可能性が高い』と判断した。
そもそも武田信虎と言う男は、今川義元の舅であり、嫡子である今川氏真の祖父と言う立場があり、駿河に居た親武田派や甲斐の反晴信派にとっての旗頭だ。
そんな彼は現在『前甲斐守護として氏真を支える』と言う名目で甲斐に入っているが、その実は己の派閥の人間に対して所領を与えたりして甲斐を私物化していると言っても過言ではない。
さらに彼は自分を追い出した晴信に対して並々ならぬ敵愾心と対抗心を抱いているので、晴信が居る織田との休戦など絶対に認めたくはないだろう。
その上で晴信が占領していた南信濃や西信濃に対しても自分のものだと思っている節があるなら、こんな動きをするのもわからないではない。
木曾にしてみても、長尾と手を組んで関東へ攻めようとしている今川を敵に回すような真似は控えたいはず。さらに織田は斎藤と戦っているので、木曾が南信濃に攻め込んでも不自然ではない。
本来ならばこの木曾の侵攻に合わせて甲斐から信虎が攻め上がって、織田を挟撃する予定だったのだろう。しかし木曾が早かったのか、それとも信虎が遅かったのかは知らないが、木曾が早々に各個撃破されてしまったので予定が狂ったと言ったところだろうか。
結局信虎は潜在的な味方を失い、今川家と織田家、さらに長尾家を敵に回すことになったわけだ。
「無様だな(ホント無様。そりゃそんなのが親なら雌猫だってああなるよね)」
「ですな。さらに問題なのは、現在にらみ合いを続けている織田と今川が本格的に戦をしてしまうことです。我らとしては伊勢攻めまでには彼らに休戦して欲しいところですが……」
「……難しいでしょうな。何せ織田殿にすれば短期間に二回も休戦を破られたことになりますので」
定満の言葉を受け、実綱は頭を悩ませる。
今回のことは武田信虎の野心から来た暴走とは言え、現在の信虎は今川家に所属する将の一人であることに違いはない。故にたとえ今回の件が彼の暴走であっても休戦を一方的に破られた信長が譲歩する理由にはならないのだ。
さらに実綱が言うように、前回今川は『武衛と休戦したが織田と休戦したわけではない』と言う屁理屈を持って休戦を破り、斎藤・武衛・服部・今川と言う四勢力で包囲網を仕掛けたばかり。
そこをなんとか乗り切った織田にしてみたら、今川に対して報復をするのが当たり前である。なのにそれをしないのは単に関白である近衛の顔を立てたからだ。
にも関わらず、近衛の顔を潰した上に糞尿を叩きつけた信虎や、彼を擁する今川に対して武衛を誅し、斎藤や服部党を黙らせ、今川に一点集中できる状況の織田には折れる理由がない。
おそらくだが、織田には伊勢からも『今川とぶつかって欲しい』と言う旨の使者も来ているのだろう。謝礼がなんなのかは不明だが、少なくとも東三河を接収した以上、これを手放すような真似はしないはずだ。
そうなると今川に東三河を諦めるように促す必要があるのだが、現在織田と今川の戦力は拮抗しており、ここで10万石もの所領を織田に明け渡すのは義元とて認め難いことだろう。
完全に泥沼だ。
もう『いっそのこと織田が今川を打ち破ってくれ』と思わないでもないが、先程も言ったように戦力は拮抗しているし、遠江より東の地に関しての地の利は今川にある。
さらに義元も雪斎も、彼らに従う岡部や朝比奈などの将達も皆が歴戦の強者と言っても良い連中なので、たとえ織田に勢いがあったとしてもそう簡単にはいかないはずだ。
唯一の救いは、織田も包囲網をくぐり抜けたばかりで遠征を行うような余力が無いことだろうか。あとは元々遠征の準備をしていた今川が、三河を取り戻す為にどれだけの戦力を差し向けるか? と言うところであろうか。
どちらにせよ今回の遠征に参加するような余裕は無いだろう。
「仕方ない。此度の戦では治部との挟撃は諦めよう(むしろあとで三河守さんと一緒に武田を滅ぼそう。そうしよう)」
「はぁ。致し方ありませぬな」
「では戦略の練り直しを……」
今川を利用することで越後勢の損害を抑えつつ、伊豆や相模の本貫を襲わせることで北条の地力を限界まで削ぐと言う、長尾の計画は北条に唆された武田信虎の暴走によって水泡に帰した。
これにより関東では戦力を東に集中できるようになった北条勢と、越後から南下した長尾勢がぶつかることになることが確定する。
北条は次も小田原に逃げ込むのか、それとも武蔵で何か他の策を弄して抗うのか。長尾や北条だけでなく、関東の諸侯の注目は武蔵・相模に向けられることになるのであった。
比較的乙女回路は機能しているようなしていないような……オッサンの癖に無駄にひねって考えるせいで中々話が仕上がりませんでした。
それもこれも全部信虎って奴が悪いんだ!ってお話
―――
閲覧・感想・ポイント評価・ブックマーク・誤字修正ありがとうございます!




