???話。姫様日記①
5章に入る前の幕間です。
思考を漢の帝国から抜け出させる為のリハビリ回とも言う。
「姫様ーあと少しですよー」
「どこが?!誰がどう見ても一里(およそ4キロメートル)以上有るじゃない!」
「一理ありますな」
「面白くないわよっ!」
豊前府内。九州にその名を轟かせる大友家の居城……の近くの入り江にて、今日も今日とて見目麗しき幼き少女と少年が声を張り上げながらも鍛錬をしていた。
正確には声を張り上げているのは少女だけであるが、まぁ細かいことは気にしてはいけない。
さらに少年の方は手こぎボートのような小さな船の上におり、少女はバシャバシャと音を立てて岸に向かって一心不乱に泳いでいるので、厳密に言えば鍛錬をしているのは少女だけなのかもしれないが、それも細かいことなので気にしてはいけない。
「と言うかもう無理っ!これ以上はもう無理だから~!」
浮き材として用意された木の板をビート板のように使い、バタ足気味にバタバタさせながら泳ぐ少女こと義鎮は、四半刻(30分)ほど前から「もう無理!」と訴え続けていた。
「HAHAHA、少し前からそう言ってますけど、なんだかんだで泳げているではないですか。良いですか姫様?叫ぶ体力があればまだ大丈夫です」
「いや、そうじゃないから!これ、最後の体力振り絞ってるだけからっ!もう本当に無理なのっ!」
今まで千寿が言うようになんだかんだで泳いできたのだが、実際にソロソロやばいと自覚している義鎮はそう言って船に乗せてもらおうとする。しかし残念ながら千寿は鬼を喰らう修羅。その教えも当然温くはない。
「いやはや無理と言うのは『理』が『無い』から無理なのです。つまり……他人が出来ることは出来ると言うこと。そして私は出来る。ならば姫様だって出来ます!」
「それ、絶対に何かちがーう!」
「さぁさぁさぁ。声を上げてる暇と体力が有ったら泳ぐ泳ぐ。あまり騒ぐとフカ(サメ)が来ますよ~」
「きゃ~!フカはいや~!!」
以前千寿によって生け捕られたサメの鋭利な歯を見せられ、水軍を管理する若林からも海とサメの怖さを散々教えられた義鎮は最後の力を振り絞り必死になって陸に向かって泳ぎ出す。
「ほらほら。まだ行けるじゃないですか。お、見てください姫様。あんなところに尾ビレが見えますよ、もしかして姫様の立てた音に惹かれて本当にフカが来ましたかね?」
「い~や~!!!」
「あ、あれはイルカか。残念残念。……ま、嘘は吐いてませんよ?」
ドバーーーー!と言う水しぶきを上げながら凄まじい勢いで岸に向かう義鎮を見て、満足そうに頷く千寿。彼は姫様のために心を修羅にして、鬼教官が裸足で逃げ出すレベルのスパルタ教育を彼女に施すのであった。
――――
「お疲れ様です姫様」
「はぁはぁ……せ~ん~じゅ~」
何だかんだで予定していた訓練を終えることが出来た自分に対し「ほら、無理じゃ無かったでしょ?」と軽く呟く小姓に対し、恨みがましい目を向ける姫様こと義鎮 (13歳乙女)。
現在は水練用の服を着て居る為に体の線がもろ分かりになっているのだが、今はそんなことを気にする余裕も無いようだ。
まぁ最初はこの服を見た瞬間に「こんなん着れるかぁ!」と千寿に叩き返したのだが、その後「そうですか?ではその恰好で泳いでみましょう」と千寿によって船に乗せられて海に叩き落とされた際、普段着がどれだけ泳ぎ辛いのかを理解したので、今では水練の際だけではなく船に乗るときも着物の下に必ずこの水練用の服を着こんでいたりする。
ちなみにその意識改革には周囲の女中から「コレを着たら千寿様もきっと姫様に欲情しますよ!」と言う実にストレートな助言も一役買ったりしたのだが、今のところ千寿が義鎮に欲情して襲ってくるような気配はない。 (当たり前だ)
それはさておき。今は鍛錬についてである。
「とは言いましてもね。そもそも鍛えて欲しいと言って来たのは姫様ですよ?それなのにこの程度で弱音を吐くのはどうなんです?」
あまりのハードさに「殺す気か?!」と喰ってかかった義鎮に対し、千寿は悪びれる様子もなく、むしろ「この程度で音を上げるんでござるか~?」と言わんばかりの目を向けてくる。
「うっ」
そう、義鎮から現在進行形で恨みがましい目で見られているが、千寿はあくまで側仕えの小姓であって、指南役では無い。そんな千寿に自らを鍛えて欲しいと頼み込んだのは他ならぬ義鎮である。
「だって、お父様が……」
少し前から父親が自分ではなく弟を可愛がるようになり、自分から距離を取ろうとしていることを感じ取った義鎮はこのことを誰かに相談したいと思っていた。
しかし家族の問題を下手に家臣に広めては、御家騒動の種になってしまうと判断してこのことを誰にも言わずに解決しようとしていたのだ。しかしどう頑張っても解決策が見つからなかったので、家族以外で一番信用出来る人間である千寿にその事を相談したと言う経緯がある。
その時に千寿が答えたのが「ならば鍛えましょう」と言うものであった。
何を言っているのかわからないわよ。と、訝しげな顔をする義鎮に対して彼は「姫様が立派な後継ぎになると分かれば、大殿も姫様にお仕事の引き継ぎをするようになります。まずはそこから始めましょう」と、それらしいことを言って来たのだ。
その言葉を受けて、今までも自分なりに精一杯頑張ってきたのに!と言う自覚が有る義鎮が咄嗟に「じゃあ千寿が鍛えてよ!」と言ったのがこの地獄の始まりである。
依頼を受けた千寿にしてみれば、ここで彼女を鍛えて二階崩れを起こさないようにすると言う狙いが有ったし、そもそも彼女を弟の塩市丸と比べようもないくらい鍛えればお家騒動も起こらないだろうと言う計算も有った。
さらに千寿はこの時期から無駄に家督争いの種を蒔く大友義鑑をアホだと断じており、コイツと関りを持つだけ損だと思っていたので、もしも二階崩れが起こっても義鎮が気に病まないように心を鍛えると同時に、親子の仲を疎遠にしたりするためにも丁度良いと考え色々企んでいたりした。
結果として、大友義鑑から見た義鎮は「昔から家臣に預けて育てさせた結果、いつのまにか手が掛からなくなっていた可愛げのない娘」と言うものから「いつの間にか魔改造され近寄りがたくなった修羅」となっていた。
そして、当然と言うか何というか、義鑑は自分と接する機会が多い塩市丸の「未熟で手のかかる」と言うことをマイナスではなくプラスに捉えてしまい、理想の当主に近づきつつ有る義鎮よりも弟の塩市丸を構うようになると言う、千寿が狙った通りのスパイラルが生まれていたと言う。
結局のところ義鑑は、娘が自分より優秀なんじゃね?と思い、自らの威厳を保つために距離を取って居たのかもしれない。つまり彼はいろんな意味で、まるで・ダメな・オヤジ。略してマダオであった。
ここまでは千寿の計算通りと言えば計算通りなのだが、彼にも一つのミスが有った。それは姫様こと義鎮が予想以上に家族の愛に飢えていたと言うことだろう。
それでも「これくらいで無ければキリ〇ト狂にはならんか?」と思って、家族に対する感情を捨てさせるのは諦めようとしていたのだが、最終的には「家族なんか思い出せないくらい鍛えたら良いよね!」と良く分からないスイッチが入っていたとかいなかったとか。
その結果が今回の水練に代表されるスパルタ教育だったりする。
そして修羅として覚醒しつつある義鎮も、なんだかんだで千寿の作るトレーニングメニューを達成して己の成長の実感を得ているのだから、ある意味では幸せなのかもしれない。
それはともかくとして。
「だっても何もありません。まずは己を鍛える事です。己に出来ないことを他人に強要するような人間は信用されませんからね」
「……まぁ、ソレはそうよね」
義鎮とて最初に千寿が遠泳をして見せたからこそ、こうして自分も鍛錬を行っているのだ。更に千寿は政だの軍事だのにも造詣が深く、しっかりとした知識と経験の裏付けが有るので彼の言葉に反発も出来ないと言うのもある。惚れた弱み?当然それも有る。
「どうしても自分に出来ないことが有ると判断したなら他人を頼るのも良いのですが、姫様は『頼る』のではなく『使う』のです。態々家臣に行動を細かく説明させる必要は有りませんが、家臣が何をしているか分からないと言うのは問題です」
「うん」
千寿の持論ではあるが、その理屈は義鎮としても納得することが出来た。
「ですので当主に求められるのは「狭く深く」ではなく「広く浅く」となります。出来るなら「広く深く」が理想ですが、時間にも限りが有りますからね」
「そうね」
そうとしか言いようが無い。
「そんなわけですので、もっと鍛えましょうか」
「うぇ?!」
そう言って何処からともなく重りを取り出す千寿。泳ぎ切ったから終わり?甘い。疲れきった時にこそさらに鍛えるのだ。
「元気が有れば何でもできます。逆に言えば元気が無ければ何も出来ません」
「そ、それはそうだけど!」
流石に水練で重りはヤバイ!陸なら「疲れた」で済むが、以前の着衣水泳で海はそんなに甘くはないと言うことを知っているのだ!その為、義鎮は何とかして千寿の手に有る重りを捨てさせようとするのだが、彼はそんなに甘くはない。
「いやいや、今の鍛錬程度で音を上げるようでは三日続けての書類仕事など不可能です。さぁ姫様!水の中で溺れながらも手足を動かせるだけの体力と諦めの悪さを身に付けましょう!」
「三日?!それに溺れるの前提なの?!水の中で動かしてどーするのよ?!絶対死ぬわよね?!」
一言の中に多数のツッコミ所が有り、一つでもスルーしたら死に直結するのが千寿の恐ろしいところである。ちなみに千寿を止めることが出来るであろう大友家のお偉いさんはここには居ない。
なぜなら義鎮の水練用の服を着た姿を見ることが無いように、ここは千寿と女性以外立ち入り禁止となっているからだ。
そしてこの場に居る女中達では重臣の子である千寿を止めることが出来ないし、彼女らも元々鍛えてくれと頼み込んだのが姫様だと言うことを知っているので、そもそも止める気がない。
つまり今の義鎮は完全に孤立無援の状態である。
「HAHAHA☆溺れたって死にませんよ」
「そうじゃないでしょ?!」
その後、千寿に無理やり重りを付けさせられて水練をした義鎮は当然のように溺れてしまう。
そして彼女は目を覚ますと同時に千寿にクレームと師事の停止。と言うか小姓を解任する!とを伝えようとしたのだが、その場にいた女中たちから「溺れた姫様に千寿が人工呼吸をしていた」と言う情報を手に入れた結果、そのクレームは取り下げることになったと言う。
それどころか、何故かその後も彼女は重り付きの水練を積極的に望む様になったと言う。
――――――
「ぬ、ぬわーーー!」
「いやぁ懐かしいわねぇ」
ある日、信長が「自分を鍛えて欲しい!」と真剣な目で言って来たので、手っ取り早く現実を教える為に海に叩き落としたのだが……何と言うか「自分もこんな感じだったのかなぁ」と水練用に造られた簡易的な生簀の中でバタバタともがく赤髪のお子様を見て、義鎮は九州にいた頃の自分を思い出し遠い目をする。
「いやっ、なんかほのぼのとしとるが、これは死ぬ!死ぬぞ!姫様!これはヤバいぞ?!」
「ハハッ。声を出す余裕が有るならだいじょーぶよぉ」
「なぁ?!」
まだまだ元気じゃない。あの分ならまだまだ追い込めるわ。いやぁここにフカがいればアレを見せて上げたんだけどねぇ。
信長にも自身のトラウマになっているサメの歯を見せたらどんな反応をするのやら。と、一見「信長の暗殺でも企んでいるのか?」と言われても文句が言えないようなことを思いながら、義鎮は初めての着衣水泳に苦戦するお子様を見つめている。
「いや、無理!手と足がもうっ!つ、恒興ぃ!」
「頑張ってくださーい!」
「うぉいっ?!」
動けば動くほど手足に衣類が絡んできて、徐々に体力を奪って行くのが着衣水泳の怖いところだ。そして自分の体力がどんどん奪われていくのを自覚するのは本当に恐怖でしかない。
そう、海には織田も大友も無いのだ。
流石の信長もそんな恐怖に耐えかねて、誰よりも信頼する乳母姉妹に助けを求めるも、その恒興は姫様から「助けたらアンタも叩き込むから。重り付きで」と釘を刺されているため、涙を飲んで主君の鍛錬を見守りつつ『心を込めて』応援をする程度に留めていた。
……込めているのは主君への心配ではなく保身の可能性もあるが、細かいことは気にしてはいけない。
「いやぁ水練は乗馬と並ぶ全身運動だし、馬と違ってお金がかからない上に溺れたときの対処法にもなるから、子供を鍛えるにはコレ以上ないくらい良い鍛錬なのよねぇ」
「そ、そんなこと聞いとらんぞぉ!」
そんなんどうでも良いから助けろ!と言いたいのだろうが、この修行は溺れることで自身の体力の限界を知ることも目的の一つだ。その為、こうして元気に声を上げている段階では決して助けに動くことは無いし、恒興にも邪魔をさせる気は無い。
「そもそも水練用の服を拒否したのは信長でしょ?そのくらい覚悟しなさいよ」
「あんなん着れるかぁ!!って、アッ?!アババババババ…………」
「あっ!若殿!」
ツッコミの為に大声を上げたせいで、信長の口の中に海水が入り彼女の混乱に拍車がかかる。こうなれば溺れるのは時間の問題だろう。
「やっとか。さ~てどのくらいで助けようかしら?千寿が居ればいいんだけど、私だとギリギリを見極めるのがちょっと難しいのよねぇ?」
「(私は絶対に姫様には逆らわない!自分の番になったらどんなに恥ずかしくても水練用の服を着ますよ!)」
溺れた主君を冷静に見つめる客将と言い、主君を反面教師にする乳母姉妹と言い、信長の周りには実に良い性格をした人間が集まっているようだ。
この後、津島の町の近くに造られた深さ1丈(3メートル)広さ半町(50メートル)程の特設水練場では、信長を筆頭に利家だの成政らの悲鳴が絶えず聞こえて来たと言う。
なんだかんだで姫様のエピソード少ないなぁと考えた作者による唐突な水着?回。
むせるなら
水を撒いたら
良いじゃない
中華のことは
夢のまた夢
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