メルトスへ
「グレイ!」
その日の夜、マユ達は村の広場で村人達にもてなされていた。
グレイが遠巻きにマユ達のことを眺めていると、ロイが村へと戻って来た。
「ロイ、早かったじゃねぇか足は大丈夫か?」
グレイが心配して声をかけると、ロイは俯いてしまう。彼は少しの間、逡巡するとやがて決心がついたのか顔を上げる。
「ぼ、僕は……」
「どうした?グレイ」
「僕は君を見捨てたんだ」
ロイの言葉にグレイは疑問符を浮かべる。
「僕は魔族と戦うのが怖かった。だから怪我をしていると嘘をついたんだ」
ロイはその場で膝をつき頭を下げる。
「ほんとうにすまない」
ロイの姿を見たグレイはため息を吐きしゃがみこむと、ロイの肩に手をやる。
「別に俺は怒ってねぇよ」
「だがっ!」
「それにお前はあいつらを呼んで来てくれただろう」
グレイは親指で、村人に囲まれているマユ達を指している。
そこには、楽しそうに笑うみんなの姿があった。
「みんなにも謝らないと」
村人達の様子を見たロイは、立ち上がりそちらに向かおうとするが、グレイに止められる。
「やめとけよ、今はみんな楽しんでる。水を差すようなことをするな」
「グレイ」
「それより、喉乾かないか?俺が飲み物をもらってきてやる」
そう言ってグレイは村人達の方へと歩いて行った。グレイの背中を見たロイの目からは涙が溢れ出す。
「グレイ、ありがとう」
ロイの感謝の声は、村人達の声にかき消された。
「これを持っていけ」
翌朝、マユ達が村を発つ際グレイから食料の入った袋を手渡された。
「昨日もごちそうしてもらったのに悪いよ」
「気にすんなよ、ここには何もないが、食料だけは豊富だからな。だからこんな物でしか礼はできない」
たしかに、この村はセーラルとは違い食料の問題はなさそうだ。
とそこでマユがあることを思いつく。
「なら、この食べ物をセーラルの人たちに分けてあげてよ」
「はぁ?」
「セーラルは、今食べるものがあまりないの。だから」
マユはグレイに頭を下げる。それで困るのはグレイだ。村の恩人に頭を下げさせているのだから。現に周りの村人達は彼を白い目で見ている。
「頭をあげてくれよ。セーラルにはちゃんと持って行くからよ」
それを聞いたユアは途端に笑顔になる。隣に立っていたリーゼと手を取り合った。
「よかったわね」
「うん」
それからマユ達はグレイに別れを告げると、村を出発する。目的地はメルトスという村だ。
アーロを発ってから1週間、マユ達はようやくセーラルとメルトスを結ぶ街道へと出た。
今までアーロから北東へ森を突っ切って進んできたのだ。
「ここから北に行けばメルトスに着くはずよ」
と言ってもすぐにはたどり着けないだろう。ここはすでに魔族領なのだから。
メルトスは元々は人間領だったのだが、魔族の侵攻にあってしまい占拠されてしまったのだ。
「来たよ」
マユが剣を抜きながらリーゼへと伝える。すると目の前から二足歩行の蜥蜴が5体現れた。その手には湾刀が握られている。
「人間」
「どうする?」
「殺す」
「これ以上先へは行かせない」
「行くぞ」
そう言って一斉に蜥蜴たちが飛びかかってくる。
しかし彼らの動きは遅すぎて、マユにはスローモーションのように見えた。
マユは焦らず一体一体の首を切断していく。
「ぐえっ」
「がぁっ」
「ギィッ」
「びゃっ」
「っっっ」
5体の魔族を葬り去ったマユは、その体に返り血を浴びて俯いている。
リーゼはそんな彼女を抱きしめた。
「やめて、血がついちゃう」
「この先に川があるの、そこで洗い流せばいいわ」
「……うん」
いつものようにしばらく悲しみにくれていたマユだったが、リーゼに慰めてもらいなんとか立ち直ると、魔族を埋葬し、再び歩き出す。
しばらく歩いているとリーゼの言った通り川があった。
「ここで体と服を洗いましょう」
「うん」
マユ達は裸になると川へと入った。この川はリーゼの膝あたりまでの水深になっている。
マユは川へと入り全身を隈なく洗う。川の水は冷たく少しは気分も晴れた。
「気持ちいいね」
「ええ」
マユ達はしばらく水浴びをしたあと、メルトスに向けて再び歩き出した。
その後も、度々魔族の襲撃を受け、その度に彼女は真っ赤に染まっていった。
街道に出てから2週間、ようやくマユ達はメルトスへと到着する。
マユ達は早速村の中へと入るが、村の中は酷い有様だった。
「や、やめてください!」
「うるせえ!人間どもが調子にのるな」
「おらっ!さっさと働け」
「申し訳ありません、申し訳ありません!」
村人達は魔族に奴隷のように働かされていたのだ。言うことを聞かないものや要領の悪い者たちが、魔族によって暴力を振るわれている。
マユ達はそんな彼らを助けるために飛び出した。
「そこまでだよ」
「そうね、これ以上は見てられない」
「なんだぁ?てめえらは」
突然出てきたマユ達に怪訝な表情を向ける魔族達。彼らの容姿は皆様々であり、虎のような見た目の者やイノシシの様な見た目の者がいる。共通点は二足歩行であることくらいだ。
「ふん、どこのどいつか知らねえが、みんなやっちまえ」
そういってイノシシ型の魔族が四つん這いになると、マユ目掛けて突進してくる。
マユはそれを難なくかわし、すれ違いざまに首を切り裂いた。
その光景を見た魔族達は驚いた。たかが人間が魔族を苦もなく倒してみせたのだ。
「おれ、あいつを見たことがあるぞ」
リーゼを指差しそう答える蜥蜴型の魔族。その表情は怯えているようだった。
「あいつは、聖女だ。ってことはこいつらは勇者なのか!」
「かっ、勝てるわけがねえ」
その言葉で魔族達は一斉に逃げ出す。
しかしそれを逃すマユではない。
マユは逃げ惑う魔族の首を次々と切り落としていく。
「くそっ、このままじゃやられる」
「どうする?」
魔族達は逃げながら、どうするべきかと頭を悩ませ、そして思いついた。
「お前、テインさんに報告しろ。勇者が現れたとな」
虎型の魔族が、一番先頭を走っていた魔族に言った。
「おまえ達はどうするんだ」
「俺たちはここでこいつを食い止める。伝令には1人いりゃあ十分だからな」
それは彼1人を逃がすために、全員が犠牲になると言うことだった。
「す、すまない!」
涙を堪えながら先頭の魔族は走るスピードを上げる。
それを見たマユは逃しはしまいと、追いかけるが、そこに邪魔が入った。
魔族達は残った全員で、マユへと組み付いた。
そうされては流石のマユでも振りほどくのに少し時間を要してしまい、マユが自身に組み付いていた魔族を全員殺し、追いかけようとした時には、彼はもう逃げ去ったあとだった。
現在、マユは自身が殺した魔族達を埋葬している。
「おねえちゃん」
マユの隣には1人の女の子がいる。名前はミリー、肩まで伸ばした茶髪に茶色の瞳、身長はマユよりも低く、まだ幼い女の子だ。
ミリーは泣いてるマユの頭を撫でている。
いつもならマユを慰めているのはリーゼなのだが、彼女は村人達の治療のため今はマユのそばにいなかった。
「ありがとう」
そう言ってマユはミリーに笑ってみせる。
「おねえちゃんの笑った顔、可愛いね」
ミリーの素直な賞賛に、マユは顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「どうしたの?」
マユのそんな様子に心配したのかこちらを覗き込むミリー。そんなミリーを心配させまいとマユは再び彼女に笑ってみせた。
「勇者様、お風呂が沸いたので入りなさい」
「うん、ありがとう。これが終わったら行くから」
「わかりました」
髪のない老人が杖をつきながらマユ達のもとへとやってくる。彼の名前はルドルフ、ミリーの祖父である。
彼は血だらけのマユのためにお風呂を沸かしてくれたのだ。
「では、ワシは先に家に帰っております」
「うん、またあとでね」
それから約20分後、魔族を埋葬したマユは、ミリーと一緒にルドルフの家へと向かう。
彼の家へと向かっているとマユ目掛けて石が飛んできた。
「父さんと母さんを返せ」
マユが石の飛んできた方を向くと、マユと同い年くらいの茶色い髪の男の子がおり、彼の茶色い瞳がこちらを睨みつけていた。
「お兄ちゃん!」
ミリーは彼のことを兄と呼んだ。それを聞いたマユは男の子に笑顔を向けるが、それを見た彼は再びマユに石を投げつけた。
「何がおかしいんだ!」
「お兄ちゃん!」
男の子はそう叫ぶと、どこかへ駆けて行った。
「もうお兄ちゃんったら」
両手を腰に当て頬を膨らますミリー、マユは石を投げられて少し悲しくなったが、彼にも理由があるのだろうと思い自身の気持ちを誤魔化す。
「ミリー、追いかけてあげなよ」
マユがそう提案すると、ミリーは申し訳なさそうに彼を追いかけて行った。
「わたしもルドルフさんのところに行かないと」
返り血を浴びたマユはとにかく目立つ、今も村の人たちが遠巻きに彼女を見ていた。
「確か村の奥の方だよね」
マユは村の奥に向かって歩いていく。この村は入り口から入るとすぐに広い空間になっており、そこから蜘蛛の巣のように道が続き、その道の側面に村の人たちが住む家屋があるのだ。
そして入り口からまっすぐ進むと、畑があり、そこからさらに奥に行くと、ルドルフの家があった。
「こんにちは」
そう言って横開きの扉を開けるマユ。中にはルドルフが待っており、早速お風呂場へと案内してくれる。
お風呂場は、母屋から離れた小屋にあった。浴槽は木でできていて、浴槽の横の壁からは、四角い出っ張りが斜め下向きに出ている。
マユは浴槽を見てみるが、そこにお湯は入っていない。
「あれ、お湯がない」
「ほっほっほっ、安心してくだされ」
ルドルフは壁に取り付けられたレバーのようなを上から下へと下げた。すると壁の出っ張りの穴からお湯が出てくる。
浴槽には少しずつだがお湯がたまっていく。それをマユが見ていると、リーゼがお風呂場までやってきた。
「リーゼ、治療は終わったの?」
「ええ、村の人たちはみんな治したわ」
2人が話しているうちに、浴槽がお湯で満たされる。
「では、ワシは失礼させてもらいます」
そう言ってルドルフは出て行った。
「お風呂入るの?」
「うん、血を洗い流さなきゃ」
「なら、わたしが洗ってあげるわ」
「うん、ありがとう」
マユ達は服を脱ぎ始める。マユの着ていた服は血が固まっているためこれも洗わなければならないだろう。
「わたしがマユの体を洗うから、マユは自分の服を洗いなさい」
「うん」
そう言ってリーゼはお風呂場に置いてあった桶を取り湯船からお湯を掬う。
そしてそれをマユにかけながら、彼女の体を布で拭い始めた。
「気持ちいいね」
「ええ」
体を洗い終えたマユとリーゼは、湯船に浸かっている。湯加減は丁度よく彼女達のここに来るまでの疲れを癒してくれる。
「はぁ、疲れたね」
「そうね」
「わたし今日石投げられたんだ」
なんでもない事のように言ったマユだが、彼女が傷ついているのだということは、リーゼにはすぐにわかった。
だからリーゼは自身の左手でマユの右手を握る。
「ありがとう」
マユはそれが嬉しくて、リーゼに向かって微笑んだ。
1年前、勇者が魔王討伐に出た。その時、メルトスにいた俺たちにはあまり関係ない話だと思った。
たしかに魔族達はこの村を支配しているが、暴力などは振るって来ず、話せば分かるやつらだったからだ。
だが、勇者が魔王討伐に失敗してから状況が変わった。
今までは決して暴力を振るわなかったやつらが、俺たちに暴力を振るうようになったのだ。
「父さん、母さん」
俺とミリーの両親は魔族に殺された。
これも全て勇者が余計なことをしたからだ。
勇者が魔王討伐になんて出なければ、あるいは失敗しなければこんなことにはならなかったのに。
俺の目からは悔しさから涙が溢れる。
俺がそうしてしばらく泣いていると背中から声がかかったので、慌てて涙を拭いて振り返る。
「なんだよ」
そこにいたのはミリーだ。
「なんでおねえちゃんにあんな事をしたの?」
ミリーは両手を腰に当てながらこちらを見る。
「俺は勇者が嫌いなんだよ。あいつが余計なことをしなければ父さん達は死なずに済んだ」
「それは、そうだけど」
俺の言葉でミリーの表情が曇る。少し頭に血が上りすぎたようだ。ミリーを悲しませるなんて兄貴失格だな。
「ごめんな」
俺が謝るとミリーは首を思いっきり横に振った。
「帰ろうか」
「うん」
俺が帰るまでこいつはここに一緒にいるだろう。なら早く帰らないとな、ここら辺は肌寒いから、ミリーが風邪を引いてしまう。
「お兄ちゃん」
「なんだよ」
「おねえちゃんにちゃんと謝ってよ」
「それは嫌だ」
あいつに謝るのだけはミリーに言われても嫌だった。
薄暗く何もない部屋。その部屋に1人の大きな男がいた。2メートル以上はあるだろう長身に、筋骨隆々な体、黒い肌は男の精悍さをさらに引き立たせている。
男がその部屋で日課の鍛錬をしていると、突然部屋の扉が開いた。
「誰だ」
「テインさん、大変です。メルトルに勇者がっ!」
「落ち着けっ!他のものはどうした?」
「全員やられました」
「そうか下がれ」
「はい」
話を聞いたテインは内心で興奮していた。ついに自分も勇者と戦えるのだと。
「待っていろ勇者よ」
テインは鍛錬を終えると、勇者と全力で戦えるように休息を取り始めた。