毒のバブル
あの魔族の襲撃から一週間後、マユとリーゼは、ようやくセーラルについた。だが、街の様子がどこかおかしい。
ユリアから聞いていた話では、魔族と戦っており、たくさんの兵士がいると言われていたが、その兵士の姿はどこにもなく、それどころか街を歩いている人間もいない。
「まるで廃墟じゃない」
リーゼの言葉にマユも同意する。街は建物の瓦礫が散乱しており、かろうじて原型をとどめている建物も中には誰もおらず、物が散らかっている。
「ここの街の人たちはどこにいるのかな?」
「さあ、とりあえず街の中を探索してみましょ」
そう言って2人は歩き出した。
しばらく歩いていた2人は街の中心にあたる広場に出る。そこには悲惨な光景が広がっていた。
顔が緑に変色したたくさんの人たちが、広場に横たわっていたのだ。老若男女さまざまな人がいる。
マユはたまらずその人たちのもとへの駆け出し、話しかける。
すると彼らはうめき声をあげた。
「この人たち生きてるよ!」
マユの隣まで来たリーゼが、倒れている人に治癒魔法を使う。すると緑の顔が、徐々に血色を取り戻し、そしてふつうの肌の色に戻った。
「私は生きているのか!」
治癒魔法で治してもらった男性が、起き上がり両手を上げて叫ぶ。こんなに清々しい気分は久し振りであった。
そして男性はマユ達に気づくと、頭を下げる。
「どこのどなたか存じませんが、ありがとうございます」
男性は涙を流しながら感謝している。そんな男性の姿を見てリーゼは少しだけ嬉しくなり、それをごまかすために言った。
「他にも倒れている人は沢山いるわ。早く治さないと」
リーゼの言葉で、3人は各々の動き始める。マユと男性は倒れている人をリーゼのもとまで運び、リーゼは運ばれてきた病人を治す。これを繰り返し、全ての人を治し終えたのは、夜になった頃だった。
あれから夕食を食べ終えた2人は地面に横になり星空を眺めている。
マユはあくびをしており眠そうだ。あの夢のせいで、彼女は最近あまり眠れないでいた。そうやって何度もあくびをしていたマユだが、ふと言った。
「リーゼはすごいね」
「何よいきなり」
「みんなを助けることができるリーゼがすごいと思って」
マユの言葉は、リーゼに過去を思い起こさせる。先代の勇者もよく彼女のことを賞賛してくれたのだ。
しかしリーゼはそんな彼を助けることができなかった。
「やめてよ。私はすごくなんてないわ。結局魔王から逃げ帰ったんだから」
リーゼの震えた声に、となりに寝ていたマユはリーゼの手を握った。
「えへへ、夜は冷え込むけど、こうして手を握ってるとあったかいね」
マユの微笑む顔に、また訳がわからなくなるリーゼ。この前はあんなに弱々しかったのに、今はとても頼もしく見える。
「あなたってどこか変」
「変ってどこが?」
「さあ、どこだろう」
自身の考えが口に出てしまい、それをはぐらかすリーゼ。彼女は自身の表情を見られまいとそっぽを向いた。
「綺麗な星」
「そうね」
「星を見てると、わたしの悩みなんてちっぽけなんだって時々思うことがあるんだ」
そう言ってマユは自身の思いを吐露し始めた。彼女は魔族を殺したくなかった。最初はやれると思ったが、いざ敵を前にすると命を奪うことが怖くなった。
だがリーゼに言われて、敵を殺す覚悟を決める。決めたつもりだった。だがマユは今でも殺すことが怖かった。
夢に殺した魔族が何度も出てきた。彼はこちらを無言で見つめてくる。いっそ恨み言でも言ってくれればよかったのだが、何も言わなず、そして彼の顔はどこか悲しそうであった。
それがマユには耐えきれず、眠らずに過ごす夜も何度かあった。
マユの心情を聞いたリーゼは、握っている手に少しだけ力を込める。
「なら今日はゆっくり眠れそうね。わたしが付いているんだから」
それを聞くとマユは途端に笑顔になり、そしてありがとうと一言だけ言って眠りについた。
「毒が消えた」
薄暗い部屋に3人の人物がいた。そしてその中の1人、緑の肌をした男が突然呟く。
「それはあなたの魔法が弱いからじゃないかしら」
「なんだと!」
「2人とも落ち着け」
金髪の美しい女性が、緑の男を挑発し、筋骨隆々な肌が黒い男が2人を止める。
「ちっ、誰かが俺の毒魔法を治しやがった」
「毒は不便ね。薬で治ってしまうもの」
「なんだと、俺の毒魔法は薬なんかで治らねえよ」
「だからやめろと言ってるだろ」
また同じようなやり取りをする3人。
しばらく同じようなやり取りを繰り返したあと、女性が言った。
「なら恐らく聖女ね」
「はぁ!あいつはあの戦い以来引きこもっているんだろう」
「現れたのよ勇者が」
「なんだとっ!」
女性の言葉に驚愕の表情を浮かべる緑の男。そして筋骨隆々な男は顎に手を当て何かを考えているようだ。
「ちっ、なら俺が倒してきてやるよ」
「いいわよ、骨ぐらいは拾ってあげる」
「私も、お前に任せる」
そういって緑の男を除いて部屋を出て行った。
1人残された男は独り言つ。
「ふん、勇者の屍を持ち帰ってやるよ」
翌日、久しぶりに快眠できたマユは絶好調であった。
「2人とも朝ごはんだよ」
そう言って街の人がマユ達に食事の乗ったトレーを差し出すが、その瞬間、マユの顔が暗くなった。
「どうしたの?」
リーゼが聞くと、マユは空を見上げある一点を見つめる。リーゼも一緒に見ていると黒い点のようなものが現れ、それがどんどん大きくなっていき。そしてこちらに来た時には緑になっていた。
「勇者はどこだ」
突然現れた緑の肌をした男に、街の人間は呆気にとられている。
マユは前に出て自身が勇者だと名乗り出た。
「こんなチビが勇者かよ。…………なめんじゃねえクソガキ」
緑の男は右手を前に出す。そこから緑の光がマユまで伸び、それに触れたマユはその場に倒れてしまった。
「どうしたの!」
倒れたマユのそばにリーゼが駆け寄り、治癒魔法をかけ始める。
「お前が聖女か」
そういうと、緑の男はリーゼを蹴り飛ばす。マユから引き離されたリーゼは彼女に治癒魔法をかけられなくなった。
「回復なんてさせねぇよ」
「あなたは何者なの!」
リーゼが相手を睨みながら、質問すると相手は彼女を見下すように答えた。
「俺様はバブル。毒魔法のバブル様だ」
その言葉と同時に、バブルは腰の鞘から剣を抜き、倒れているマユを攻撃しようとするが、彼女に攻撃が当たる寸前に、リーゼがバブルに体当たりをして防ぐ。
「うぜぇ」
「あの子はやらせないわ」
バブルは剣を鞘にしまい。右手を前に出す。先程マユにやったようにリーゼに緑の光をあてる。
しかしリーゼの方も常に自身に治癒魔法をかけ続けることで倒れるのを防ぐ。
「これが、毒魔法」
そうこの緑の光こそが毒魔法だ。この光に触れると毒になってしまい、放っておくと死に至る。
「俺、あの光知ってるぞ」
先週あたりだろうか、この街全体に突然緑の光が降り注いだ。街の人々はその光に見入っていた。だがその光を浴びた人々は、その日から毒に苦しめられていたのだ。
「ふふふ、どうだったかな俺の毒は」
蛇のような舌を出しながら笑うバブルに、街の人間達は皆悔しそうだ。
「くくく、お前達のそんな表情はもう見れないと思ってたぜ」
その言葉に、街の人間達の1人の男が飛びかかった。
「くくく」
バブルは、ニヤリと笑うと男の首を切り落とす。
「弱いなぁ、人間は」
彼はそう言いながら、倒れているマユへと近づいていく。リーゼは当然その間に立ちふさがるが、バブルは彼女を払いのけるように腕を払うとリーゼは吹き飛ばされてしまう。
しかしリーゼは立ち上がり、今度はバブルに抱きつき止めようとする。
「邪魔だなぁ」
バブルの中で、討伐対象の優先順位が変わった。今まではマユを優先していたが、リーゼが邪魔をするので先に彼女を殺そうと考えたのだ。
「まぁ、勇者に無力感を植え付けさせて殺すのも一興か」
バブルが舌を出して笑った瞬間、彼はリーゼの元へと猛スピードで近づく。そのスピードにリーゼは反応できなかった。そのままリーゼを蹴り飛ばし、そして蹴り飛ばした先へと先回りしてまたも蹴り飛ばす。それからはずっとその繰り返しだった。
「ぐっ!」
リーゼは自身に治癒魔法を使い続けなんとか生きている状態だった。彼女ではバブルには勝てない。それどころかマユを治癒することもできない。無力さから彼女の頬を涙が伝う。
「いいねぇ、その顔。サイコーだぜ!」
バブルは突如動きを止め、リーゼはようやく解放される。
「さて次はどうやって遊ぼうか?」
その言葉に、リーゼは恐怖を抱く。
怖くなったリーゼがマユの方を見た。そこには倒れているマユがいる。
(この前、あんなに偉そうなことを言ったのに、怖がってたらあの子に顔向けできないわ)
そう思うと、不思議と恐怖は消える。彼女は立ちたかったのだマユの隣に、そして一緒に戦いたかった。
「いくぜ!」
バブルはまたもリーゼへと近づき、彼女の顎を蹴り上げる。顎を蹴り上げたバブルは、倒れたリーゼの足を掴み彼女を持ち上げる。
「どこまで耐えられるかな」
嗜虐的な笑みを浮かべると、バブルはリーゼを地面へと叩きつけ、それを何度も繰り返す。
最初のうちは声を上げていたリーゼだが、何度も叩きつけられるうちに気絶してしまう。
声が聞こえなくなった所で、バブルは叩きつけるのをやめ、リーゼを投げ捨てる。
「くっくっくっ、さようならだ」
バブルは鞘から剣を抜くと、リーゼの首めがけて振り下ろす。
だがその前に立ちふさがる影があった。
「貴様、なぜ立っている」
その姿を見たバブルは、驚愕する。
黒い髪をした少女、どこにそんな力があるのかと思ってしまう小さな体、自身の感情を映し出す黒い瞳。
リーゼの前に立ち塞がったのは勇者だったからだ。
マユは、バブルを睨みつける。その瞳は怒りの色に染まっており、そして彼女から発せられる威圧感の前に、バブルは初めて恐怖を抱いた。
こいつには勝てない。そう思わされてしまった。
バブルはそんな恐怖を振り払うように毒魔法を繰り返しマユに放つ。
だがマユには、毒魔法は通用しなかった。
「なぜだ、なぜ毒に侵されない」
バブルは、焦る。それはそうだ今まで絶対の自信を持っていた自らの魔法。それが全く通用しないのだから。
そしてバブルは、その通用しない魔法を見てある可能性を思い出す。
『耐性持ち』
人間には、まれに魔法に抗体を持った者がいるのだ。その者たちは耐性持ちと呼ばれている。
先程までバブルの毒魔法に蝕まれ続けた結果、マユは毒魔法に完全な耐性を得たのである。
「その魔法は、もうわたしには効かないよ」
そう言ったとき、マユはすでにバブルの目前まで到達していた。とんでもない速度で移動しただけなのだが、バブルにはそれが瞬間移動に見えた。
突然、目の前に来たマユにバブルは対応が遅れ、それは大きな隙になる。
「もう、許さないから」
マユは凄まじい速度で、拳を放つ。
その攻撃にバブルは反応できず、全ての拳を受けた彼は、勝ち目がないと思い、飛び上がって逃げようとする。
だが、マユに足を掴まれ、そして彼がリーゼにしたように、何度も地面に叩きつけられた。
「や、やめろおおお」
まだ声が聞こえる。つまり生きていると言うことだ。マユはバブルへの怒りをこめ、叩きつける。そうして何度も叩きつけているうちに頭から出血したのだろうか、その場に血だまりができてしまった。
「もう……いいでしょ」
怒りに我を忘れているマユを、止める声があった。
マユがそちらを向くとリーゼがフラフラになりながらもこちらに近づいてくる。
「リーゼ!」
マユはバブルを投げ捨て、リーゼの元まで行くと彼女を抱きしめた。
「よかった、生きてたんだね」
そう言いながら泣くマユを、リーゼは苦笑いを浮かべ抱きしめる。
「わたしのために怒ってくれて、ありがとう」
その後、すこしして落ち着いたマユはリーゼと共に、バブルに殺された男性と、バブルの亡骸を埋葬した。
その時のマユの表情はとても悲しそうだった。