1.謎の女
「滑稽ね」
ふいに女の声がした。
男は、フェンスを乗り越えようと持ち上げた右足をそのままに振り返った。
そこにいたのは、見た目二十歳そこそこの女だった。
黒いワンピースに無造作にすきっぱなしの胸元まで伸びた黒髪。
(おかしい……誰もいないのは確認したはずなのに……)
男は動揺を隠せないまま、持ち上げた足を所在なさげに下ろし、女の方を向いた。
「滑稽ね。本当に」
女が再び言う。
しかし、先程のそれとは違い、独り言のような自分に向かって言っているような言い方だった。
「……誰だ」
男は混乱したまま、ようやくその言葉を絞り出した。
誰もいなかったのだ、確かに。
探し回ってようやく見つけた場所なのだ。
ほとんど使われていない、人の出入りが無い高い建物。
屋上に出られる。
周辺の人通りも少ない。
この条件に合う建物をもう2、3ヶ月も暇を見つけては探し歩いてきたのだ。
テナントがもう1つ2つしか残っていないのは確認済みだ。
それも果たして営業しているのか外から見ても分からない。
よって、人の出入りもほとんどない。
8階建てのビルが高いかというと、都心の高層ビルを見慣れていると大したことないかもしれないが、自分の目的を果たすには充分な高さだ。
そして、そんな建物に近付く人はほとんどおらず、町自体もそんなに活気があるわけではなさそうだった。
ようやく、ようやく見つけて、目的を果たそうとしていたのだ。
死ぬのに最適であろうこのビルで。