act.005 あくまでも六月です。
相合傘をしたまま、お互いの肩が濡れたまま。二十分ほど歩いてたどり着いたのは、広い公園だった。公園とはいっても今は雨だ。そんなにひどくはないけれど、それでも公園に人はいない。
そもそも、子どもが遊ぶ公園というよりは、整備された大きな庭園のような場所だから、遊び場は見当たらない。
……なぜ公園につれてこられたのか、さっぱりわからない。
「神谷君、何で……、」
「その質問は今日一日なしです。ヒント、ほしいんですよね? ただでもらおうなんておこがましすぎるんで、ちゃんと自分で考えてください」
一刀両断され、黙るしかない。はい、優しく教えてもらおうなんてあまちゃんでした……。
仕方なく、私は周りを改めて見渡す。きれいに整備されていて、どこを見てもいい景色になる。一眼レフとかを持っていたら、きっと綺麗に撮れるだろう。
「そういえば、神谷君、写真好きなんだよね。この前の企画のとき、結局一番良い写真、神谷君のやつだったし」
そう、先月の写真コンクールの企画で、優勝を勝ち取ったのは企画者の神谷君だった。携帯のカメラで撮ったと言っていたけれど、素人の私が見ても、なかなか素敵な写真だったように思う。
ゴールデンウィークはほとんどバイトで、唯一家で過ごした休暇のときの写真。手前にマグカップが置いてあり、後ろのリビングらしき背景はぼやけている、そんな一枚だった。
携帯のカメラでも焦点を合わせることができるんだなー、なんて思ったものだ。
そのほかの入賞作品としては、神谷君と人気を争うメイドさんの自撮りだったり、お客さんの撮った絶景の写真だったりした。ちなみに私が撮ったのは、道端に寝転がっていた猫である。技術も何もない単調な写真だけど、猫のかわいさに免じてそれなりに好評を得ていた。
「……先輩って、ほんと、気づいてほしくないところに気づいてくれちゃいますよね」
神谷君が呆れながらそう言った。…気づいてほしくない、とはどういう意味だろう。
「ね、一眼レフとか買わないの?」
「まだ買えませんよ、高いし」
むすっとして答える神谷君。いや、何で不機嫌なのか。
まったく悪魔の考えていることはわからない。わからないけど、これ以上不機嫌にさせても仕方ないので、話題を変えてしまうことにした。
「あ、もう紫陽花咲いてるんだね! あっちのほう、結構カラフル!」
じめじめとした梅雨の季節、唯一といってもいい色彩変化が紫陽花だと思う。水色、紫、青、ピンク。小さな花が集まって彩られるようすは、梅雨の名物だ。
紫陽花を見るたび、梅雨が来ることを実感し、憂鬱に思うと同時に、なんとなくほっとした気分になるのは何でだろう。
「そうですね、この公園、ほかにもいろいろ咲いてるんですよ。見て回りますか」
「おっ、いいね」
狭い折り畳み傘の中は、もう窮屈ではなくなっていた。それどころか、少し、楽しくなってきている。
普段は見られないような、神谷君を見ているからかもしれない。男の子の格好を見ていると(学ランはもはやコスプレに見えていた)、緊張もするけれど、ちゃんと男の子だったのかとも思う。
「あっちにバラ園があるんです。梅雨の時期、バラも綺麗なんですよ」
「え、そうなの? でも確かに、バラってあんまり季節のイメージなかったけど、この時期だったのか」
「梅雨といえば紫陽花ですからねー」
「……ねえ、紫陽花を使った企画とかどうかな!? たとえば、みんな紫陽花の冠とかつけて――ってだめだ、紫陽花の冠なんて作れないし」
「先輩って馬鹿ですよね……」
そんな会話をしながら、バラ園へと向かう。雨はだんだん小ぶりになってきて、傘がなくてもそこまで困らなさそうだ。それでもぬれたくないので、さすけれど。
よく見ると、公園の中にもところどころ人はいた。一人で散歩していたり、カップルが傘の中で手をつなぎながら歩いていたり。あちこちにある休憩スペースでは、缶コーヒーを飲んでいる人や、読書をしている人もいる。
雨の日って、憂鬱だし、外に出たくないと思っていたけれど。たまには、いいかもしれない。
「あの池の周りに咲いてるのは花菖蒲ですよ」
「あの紫のやつ? あー、なんか見たことあるかも」
「結構有名ですからね。あれもこの時期に咲くんで、通な人は花菖蒲の名所とかに行くみたいですね。まあ、そんな遠出しなくても、十分ここのも綺麗だと思いますけど」
確かに。青紫色は、周りの草に混じらず、色が映えていた。それでも、この季節特有の落ち着いた花なのは間違いない。
梅雨の時期って、雨がたくさん降るからこそ、いろんな花は栄養を蓄えて成長をするんだなあ。
「もうすぐバラ園ですよ」
花菖蒲に見とれているうちに、どうやらバラ園のそばまで来ていたらしい。
バラというと、花屋で見かけるような大振りの派手なものを想像しがちだと思う。でも、このバラ園のバラはそういう大衆的なバラとは少し違う。
大きさが整っていない、それどころか咲いているもの、まだ咲いていないものの差も激しい。色だってそろえられているとは言いがたい。右にピンクがあると思えば左にブルー、その後ろにまたピンクがあったりする。品種もまったく異なるのであろうそのバラたちは、けれどしっかりと上に向かって咲いている。
「バラって、なんかすごいんだね。想像してたよりもずっとカラフルだし」
私がしみじみとそうつぶやくと、神谷君がふっと笑った。その笑顔は馬鹿にしたような笑顔とはまた違う、けれど天使の微笑みではなくて、でもなんだかいい笑顔な気がする。
「ここのバラ園のバラはなかなかすごいでしょう。花屋のバラも素敵ですけど、いろんな色があることがわかりますよね」
「うん。なんか水滴がついてるのも含めて、ゲージュツって感じ!」
「……芸術ってちゃんと言ってください」
さっきのいい笑顔は一瞬で引っ込み、嫌悪感を前面に出した神谷君の顔。こっちのほうが見慣れてるといえば見慣れてるから、まあいっか。
「あ、ねえ、雨やんだんじゃない!?」
足元に影ができた。影ができたってことはつまり、太陽が顔を出したってことで。
折りたたみから抜け出して、空を見上げる。雲間から光が差しているのがわかる。雨は嫌いだって、ずっと思ってたけど、――悪くないじゃん、案外。
水滴に光があたって、ありふれた言い方だけど、本当に宝石みたいだ。葉っぱも花も、きらきらしてる。神谷君が折り畳み傘をたたんでくれる。光にまぶしそうに目を細める姿は、どこからどう見ても男の子で、なんだかどきっとしてしまった。
「あ、先輩、あっち見てください」
「え?」
そう言って神谷君が指差した方向を見ると、そこには真っ白のドレスを着た女の人と、同じく白色のタキシードを着た男の人が。……って、もしかして、結婚式?
「えええ! この辺、結婚式場あるの!?」
「この公園の横にあるんですよ。六月だし、もしかしたら見れるかなと思って来たんですけど。よかった、見れましたね」
花嫁さんの笑顔から、幸せオーラが広がっている。もう、人目でわかる。今日の主役は彼女と彼で、幸せいっぱいの二人なんだと。
彼女を見つめる花婿さんの顔が、とろけそうなくらい甘く優しい。そっと傘をさしてあげているのを、彼女が笑って止め、二人で歩いている。その後ろにいるのはカメラマンや、親族の人たちだろう。
たっぷりドレープのきいたドレスが、美しく結い上げられた髪が、レースで編まれているベールが、全部が、きらきらしていた。不安定な足元のためか、それとも雨の日だからか、ドレスは膝下の長さで、それがまたかわいらしい。
「……そうか、ジューンブライドかあ」
六月の花嫁。一番幸せになれるといわれている月。
バラ園の向こう側、きれいに整えられた道を歩く二人から目が話せない。太陽の光は、彼らを照らすために出てきたのではないかと錯覚するほど。二人の後ろ側にある紫陽花の花壇も、水滴が反射してスパンコールのように輝いている。
梅雨の時期だからこそ、きれいなものもたくさんあるんだなあ。
花嫁さんが手に持っている花束は、ブーケトス用のブーケだろうか。真っ白の花はきっとジャスミンだろう。その白を引き立たせるように、周りを小さなバラであしらって。
……ねえ。これって、使えるんじゃないだろうか。
「か、神谷君!」
「何ですか先輩、急に大声出して」
「企画! アイディア! 浮かんだかも!」
私が大声で主張すると、神谷君がやれやれと肩をすくめた。まるで、やっと気づいたのかとでも言いたげな風貌。
「あんなにヒントあげたんですから、何かしら思いついてくれないと困ります」
「か、可愛くない言い草……!」
「……何か言いました、先輩?」
あっと気づいたときにはもう遅い。悪魔様が目の前に光臨してしまったので、私は冷や汗がだらだら流れている。余計なことを言うとすぐこうだ。もう、怖すぎる。
「ナ、ナニモイッテマセーン」
「ならいいですけど。――先輩、おまけ、あげます」
片言で返した私に、神谷君はすぐ悪魔の笑みを引っ込めた。そうして、指差すのは、上。
さされるがままに上を向くと、雲はいなくなり、青くなった空にかかるのは。
「わあ、虹だ……!」
七色のカラフルな輪。久しぶりに見たような気がしたそれは、完璧すぎる「おまけ」だった。