act.002 あくまでも内緒の話です。
ここで少し箸休めのような話をするが、私は正真正銘の女子大生である。女子大生って、人生で一番楽しいんじゃないかって言われるくらい、華やかというか、きらきらしているというか、とにかくそんな感じらしい。
だけど、私の場合、女子大生の本文は一もにもなく勉強、勉強、勉強。どこの大学にもたまにいる、近年まれにみるまじめな学生なのである。
ただそこで勘違いしてもらっては困るのが、まじめ=頭がいい、というわけではないということだ。私はまじめではあるが要領はすこぶる悪く、通常の人の三倍は勉強しないといけない。
それは受験の時から変わらないことである。周りと同じだけ勉強していても、周りのように簡単に合格はできない。なので、私が現在通う大学は、決して頭がいいとは言えない私立大学だ。それでも、大学に行くのといかないのとでは、将来的な収入額が全く異なる。だから私は、無理してでも大学へ通いたかった。
ところが、うちの親はそうは思っていなかった。親は二人とも、大学になど行かなくてもいい、早く実家の家業を手伝え、と言って学費を払おうとはしなかった。どうしても行きたいなら自腹で行け、という徹底ぶり。ここまで来たら想像できるだろうが、そう、私はいわゆる苦学生なのである。
「ゆーうーこ!」
「わっ!? ……って、香織か。驚かさないでよ」
「ごめーんって! なんかブツブツ言いながら食堂に入っていく夕子の姿見たら、思わずね」
ぶ、ブツブツって……そんな口に出してただろうか。
少し恥ずかしく思いながら、食堂の列に並びなおす私。うちの大学のランチは安くて量があることで有名なのだ。おいしいかどうかはさておき、の話だけど。
私に話しかけてきたのは、望月香織という変わり者だ。変わり者っていうのは、変わり者として有名な私に声をかける変わり者ってこと。何で仲良くなったのかは、またいつか話すことにする。
「夕子、今日もバイトー?」
「そうだよ。今日も明日も明後日もバイト、ずーっとバイト!」
「いやいや、働きすぎでしょ。合コンしようよー、夕子の顔、心行くまでいじり倒したいんだよー」
「やだよみんなの引き立て役なんて。大体香織、合コン行って『楽しかった』って言って帰ってきたことないじゃん」
香織は、友人というひいき目を抜いてみてもなかなかかわいいと思う。神谷君のように特段顔が整っているというわけではないけれど、愛嬌というものは侮れない。それに加えて、自分に合ったおしゃれを誰よりもわかっていて、メイクも濃くなく薄くなく、ちょうどいい塩梅のものだ。
今食堂の列に並んでいても、数人の男子から「よっ」と声をかけられている。それに対し。「やっほー元気? また飲みにつれてってねー」などと笑顔で返すさまはさすがといった感じである。
私はというと、そんな彼らの交流を横目で見ながら、列を乱さないようにスルーして並ぶのみ。交流を乱さないようにというか、単に私が声をかけられないだけなんだけども。
「夕子もさ、たまには遊ばないと、疲れちゃわない? 勉強してる夕子も一生懸命働いてる夕子もすごいと思うけど……」
「はいはい、ご心配おかけしてますよっと。でも大丈夫だよ、つらいバイトじゃないし」
そう、バイト事態はつらくない。私がいかに失敗をしても、笑って許してくれるお客様と店員のみんな。バイト運には恵まれたと思っていたくらいだ。
ただ、つらいのは――
「……面倒なのに絡まれてるのはしんどいんだけどね……」
神谷君のおきれいな顔がぽんっと頭に浮かんで、思わずため息が出た。天使なんかじゃない。みんな、騙されているんだ。(いろんな意味で)
「ふーん? ねえ夕子、いい加減なんのバイトしてるのか教えてよー」
「え、や、それはちょっと、さ」
「ねえ、まさかとは思うけど危ない仕事じゃないよね? キャバクラとかさ……」
「違う違う! そういうんじゃないから!」
言えない。メイド喫茶でバイトしてるなんて。似合わなさ過ぎて、言えない!
私は顔が引きつっているのを感じながら、必死に香織の言葉から逃げようと、ランチメニューを見るふりをした。えーと、今日はうどんにしようかな、なんて。そんな私をいぶかしげに見ながら、香織はラーメンを食堂のおばちゃんに頼んでいる。
「危なくないならいいけどさ、教えてもらえないのはなんか、寂しいじゃん」
すねたような声に、まじまじと香織を見つめてしまった。
そんな風に感じさせていたなんて、知らなかったけど。香織はかわいくて明るくて、私以外にも友達がたくさんいて。学部も学科も同じで、とっている授業も同じものが多いから、仲良くしてくれてるだけだと思っていた。
「……ごめんね、香織。あの、まだ仕事があんまり覚えられてなくて、恥ずかしくて。そのうち言うね」
なんとなく罪悪感を感じながら、私がそう言うと、うつむきがちの香織の口角がにっと上がった。……あれ、嫌な予感が……。
「言質はとったからね、夕子!」
勝ち誇った顔で笑いながら、おばちゃんからラーメンを受け取る香織。してやられた感に、思わずジト目になる私。
……まあ、これでこそ香織という感じで、安心したのも本当です。
*** *
授業が終わって、午後四時半。一緒に授業を受けていた香織と別れ、いそいそと大学を出る。今日のシフトは五時半から。この時間だと、急いで電車に乗らなければ間に合わない。
顔がばれることを恐れて、私は大学からは少し離れた店を選んだ。そのメイド喫茶は、あまり有名どころではないものの、知る人ぞ知る、オタクの方々の穴場スポット、メイド喫茶ミルキー。
メイド喫茶ミルキーでは、主に20歳前後の子が働いている。一人一人、しっかりとキャラクターが固定されていて、お客さんはみんな、それぞれの好みに合わせた店員を選びに来ている。シフトもネット上で発表されており、何時にどの子が働いているかが一目でわかるようになっているのだ。
そんなシフトをネットで確認する。お店にはだいたい四人ほどのメイドがいつもいて、今日は、ゆうこりん(私である)、まあちゃん、えりにゃん、そしてぴかりんの四人だ。
――そう、今日もぴかりんこと神谷君がいるのだった。
それを思うとため息が出る。でも、行かなければならない。重たい足を何とかあげて、駅のホームまで向かう。この時間の電車は、学生の帰宅ラッシュでなかなか混んでいるのだ。気合をいれて乗らないと、ぺしゃんこになってしまう。
私が気分を入れ替えようと、深呼吸をした、そのときだった。
「夕子先輩、遅いですよ」
聞き覚えのある、男にしては高めの――けれど、確実に声変わりをしている声。何でこんなところに、と思うよりも早く、振り向いていた。
「神谷君!?」
「こんにちは。次の電車に乗らないと、時間ぎりぎりですよ、先輩」
振り向くとそこには、案の定、学ランをきっちり着こなした神谷君が立っていた。身長は私とそう変わらないはずなのに、謎の威圧感を感じてしまう。それは、私の周囲の人々も同じようで、イケメン男子高校生をちらちら見ては視線を外し、を繰り返している。
……って、いやいやいや。何でここにいるんだ本当に。
「いやあの、神谷君、どうして……」
「どうしてって、通り道だったんで。俺の学校、この駅よりも四駅くらい向こうなんですよ。シフトの時間も同じだったんで、迎えに来ました」
「は!? むかえ!?」
「えぇ。先輩がもし、うっかり、口を滑らせていたらどうしてくれようかと思って」
どうしてくれてたんですかね……!?
スーパースマイルでまた恐ろしいことを口にする神谷君に、私は寒気が止まらない。こわ、怖すぎる。逆らう気など、言いふらす気などないと、どう証明すればいいのか。
そうこう考えているうちに、電車の到着を知らせるメロディがホームに鳴り響いた。その音にほっとして、人の列に並ぶ。自然に私の後ろにつく神谷君。……もう勝手にしてください。
「先輩、昨日も思いましたけど私服が本当に地味ですね。ていうかそれすっぴんですよね、華の女子大生がそんなことでいいんですか? 先輩、学校で浮いてません?」
「うーるーさーいーかーらー!」
どちらかといえば浮いてます。とは言えず、こうるさい神谷君をしっしと手で追い払う。そんなことで追い払えるわけもなく、神谷君は平然と私の後ろに並んでいる。
視界の端に電車が映る。電車に乗ってしまえば、すぐ店につく。それまでの我慢、我慢。
「先輩の服って全部黒とか茶色とかですよね。前々から思ってたんですけど、ほんと、今どき無地でそんな色だけとか、おばあちゃんでも着ませんから。今度俺と買い物でも行きます?」
「結構ですから!」
滑り込んできた電車。ドアが開いた瞬間に乗り込む。車内はやはり帰宅ラッシュで少し混雑していて、さすがに座れそうにはなかった。仕方なく、ドアの近くのつり革に手をかける。
ヒールをはかなくても余裕で手が届くくらいには、私は背が高い。とはいっても160cmで、そんな私と大して変わらない神谷君は、165cmくらいだろうか。
まじまじと見ているとわかるけど、今の神谷君はどこからどう見ても男の子だった。ウィッグもつけていないし、メイクもしていない。声も高くない。……ほんと、悔しいくらい女装が似合うんだな。
「神谷君は、私服はスカートなの?」
純粋な疑問を聞いてみると、あからさまに眉間にしわを寄せられた。すっごい不機嫌そうな顔。わかりやすすぎる。
「そんなわけないでしょ、先輩はほんと馬鹿なんですか。あの格好は趣味じゃないって言いましたよね俺。俺は普通に普通の男子高校生ですし、そういうのでかい声で言わないでもらえます?」
「あーはいはい、すいませんでしたっと」
小言モンスターめ。そんなことを心の中で思って、でも反論したらさらに話がこじれるだろうと、表面上はおとなしくする。
それにしても、わざわざ私の大学の最寄り駅で待ち伏せって。どんだけ信用ないんだ、私。
「別に言いふらしたりしないよ、私」
口をついて出てしまったのは、仕方ないと思う。信頼されていると思っていたわけじゃないけれど、ここまで疑われているとなると、ね。
動き出した電車が、お店までの線路をぐいぐい走る。その揺れに合わせるように、私もつり革を握る手に力を籠める。何気なく神谷君を見ると、不意に目があった。
「……疑ってるわけじゃないです。ただ、――先輩を、もっと知りたくて」
にやりと笑う神谷君は、やっぱり私よりもずっとずっと綺麗で。どきどきしてしまったのは、仕方がない……よね?