act.001 あくまでもお願いです。
結局、私は神谷ちゃんのバイトが終わるまで、すなわち店が閉まるまで、店内でパフェを食べるはめになった。それもこれも、私が言いふらすんじゃないかと危惧した神谷ちゃんが帰らせてくれなかったせいだ。いや、言いふらすことなんてできません、このバイトを辞めさせられたら今期の振り込みができなくなりますから。あなたのせいでね!
そんなことを考えながら、今私は、神谷ちゃんが着替え終わるのを更衣室の前で待っている。なんでも、「先輩みたいにデリカシーないやつが他にもいるかもしれないので見張っててくださいね」だそうです。さり気に失礼だよね。
神谷ちゃんは今までも、お店の締め作業をやってくれていた。ただ単に家が近いのかと思っていたけれど、そうではなく、ほかの人とバイトを上がるタイミングをずらすためだったらしい。これもさっき聞かされた、どうでもいい神谷ちゃん情報。
「先輩、お待たせしました」
そう言って出てきた神谷ちゃんは、やっぱり学ラン姿だった。いつもはメイド服しか見ないので、どうしても違和感を感じてしまう。
っていうか、あの長くてきれいな髪はどこやったんだ。
「髪はウィッグですよ」
「へー、なるほどねー……って何で私が考えてることわかったの!?」
エスパーなの!? 女装少年は心まで読めちゃうの!?
私が驚愕して固まっていると、神谷ちゃんがふっと笑う。その笑みは、どう見ても天使のほほ笑みなんかじゃなく、どちらかというと小ばかにしているような……。
「顔に書いてありますよ、先輩」
む、むかつく……!
「それにしても先輩、髪の手入れもう少しちゃんとしたほうがいいんじゃないですか? ヘアアイロンの使い過ぎで毛先いたみまくりですし、あ、もしかしてドライヤーも適当にしてますよね? あーあ、こんなバキバキの毛先じゃ、メイド喫茶指名率ワースト3に入るのも道理ですね」
「っちょ、神谷ちゃん!? 毒舌すぎないかな!?」
「え、そうですか? すいません、先輩の顔見てたらつい」
「それどういうこと!?」
「あ、先輩、ちゃん付けやめてくれません? きもいです」
「きっ……!?」
あまりの暴言にめまいがする。私の想像していた神谷ちゃんは、ふわふわで、にこにこで、女子の夢も男子の夢も詰まったような、そんな存在だったのに。現実って残酷だ。
そうこうしている間にも、神谷ちゃん……じゃなかった、神谷くんはテキパキと店内の鍵が閉まっているかチェックして回っていた。なんてできる女、じゃなかった、男なんだ。
そういえば神谷君は、ただ可愛くて人気があるだけじゃなくて、食べ物を持っていくのもはやく、ほかの人のフォローもできる、スーパーメイドなのだった。固定ファンがつくのも納得という仕事ぶり。
それに比べて私は、ドジっ子ゆうこりんという不名誉なあだ名がつくほど、本当に何もできない。皿を持たせれば落として割り、オムライスに絵を描けと言われれば死んだような目のウサギくらいしか描けない、人のフォローどころかみんなにフォローしてもらうような人間で。……考えれば考えるほど落ち込む。本当に、ここで辞めさせられたら、ほかに職がないのである。
「よし、点検終わり。先輩、駅まで送りますよ」
店を出て、最後の鍵を閉めた神谷君が言った。春先とはいえ、この時間はもう外は真っ暗だ。
「えっ、そんな、いいよ、悪いよ」
「勘違いしないでくださいね、あくまで俺が話をするためですから。行きますよ」
はいはい、そうでしたねー。
一瞬やさしさかと思って遠慮をした自分を殴りたい。ていうかだれか殴ってください。
「まず、俺の本当の名前なんですけど、神谷光って言います。漢字は女の恰好してるときのと同じで、読み方だけ違うんですよ」
神谷光君。そういわれても、まったくしっくりこない。なんなら、メイド喫茶で使っている「ぴかりん」という愛称が一番しっくりくる。
「で、年は16歳で高校二年生です」
「……じゅ、ジュウロクサイ……」
想像以上に若い年齢に、驚きを隠せない。今どきの高校二年生ってこんなに落ち着いてるのか!? 私が高校二年だったころの男子なんて、もっと阿呆でちゃらんぽらんだったけど……。
「春松高校って知ってます? ここからちょっと離れたところの男子校に通ってるんです。どうしても金が必要で、でも基本的にうちの家、アルバイトに反対で。仕方なく、親戚の店であるこの店で働かせてもらってます」
ほうほう、春松高校とな。どこかで見たことがあると思ったら、その制服はなるほど、あの男子校のものだったのね。
春松高校は、この辺では少し有名な、おぼっちゃま私立男子校だった。何で有名かって、その高い学費もさることながら、顔面偏差値の高さで有名なのだから、何とも言えない。そして、それを実証するかのように、神谷君は、顔が整っている。
さらさらの色素の薄い髪(悔しいけれど私よりも綺麗な毛先だ)、くっきりとした二重、茶色の色味が強い目が印象的で、肌の色はそこまで白くはないけれど、普通の男子よりは白いだろう。身長はそんなに高くないけど、それも相まって、中世的な美少年という雰囲気を醸し出している。というか実際そうなんだけど。
「最初からメイド喫茶だってわかってたら俺だって働かせてくれなんて言いませんでしたけどね。すっげえ頼んだんですよ、店長が親戚で、それで何とかOKしてもらって、いざ来てみたらこれです。ほぼ詐欺だと思いました」
「はは。それは面白いね」
「全然面白くないですよ。まあ、俺ってそこら辺の女より全然かわいいんで、こうしてやっていけてるわけなんですけどね」
「……はは、それは女としては面白くないかなあ!」
恵まれた容姿が全くもってうらやましいわ!
そういいたくなる気持ちを抑え、嫌味を言うにとどめる。くっそう、顔面偏差値いい奴はこれだから。
「いつもは絶対あの時間に更衣室では着替えないんですけど、今日はちょっと遅刻しそうで急いでたんですよ。そしたら先輩が入ってきて、まー焦りましたね」
まったく焦っていなさそうな口ぶりで神谷君は言う。よっぽど私のが焦ったと思う。
店でナンバーワンといっても過言ではないほど人気のメイドさんが、実は女装した男子高校生だったのだから。いや、驚かないほうが嘘だ。
「あ、ねえ、神谷君のメイクとかって、だれがやってるの?」
「俺ですよ。店長に教わって、バイト前にして、バイトが終わったらすぐ落としてます。器用なんですよ、俺。……そういえば、先輩ってメイクも下手ですよね。いつもアイラインがよれてるのが気になってたんです、たぶんアイライナーが肌に合ってないんだと思うんですよ。あと、ただでさえ色白いんだから、これ以上白塗りしても顔色悪く見えるだけですよ、馬鹿の一つ覚えで白けりゃいいってもんじゃないんです。チークもピンク系じゃなくてもっとコーラル系のオレンジか赤っぽい色にしたほうが血色よく見えますよ、あと口紅はチークの色に合わせる方が無難ですね、そこで冒険してほかの色にしてくるところが全く理解できないです、ほかには――」
「わ――――! わかった! わかったから!!」
一つ会話をしようと思うと倍の小言が返ってくる。どうなってるんだこの男は。
私が思わず耳をふさぐと、神谷君は片方の口角をあげてにやっと笑う。笑うには笑うのだ、この男。ただ、笑うタイミングと笑う意味が、最悪なだけで。
「先輩、もうちょっと女子力あげたらどうですか? 男の俺に言われるようじゃだめですよ」
言われなくてもそんなことわかってるっつーの!
自分の女子力が低いことなんて十分承知の上だ。化粧だって、見様見真似でしかしていないし、いやそもそもそんなに力を入れていない。バイトで支障が出ないために、仕方なくしていただけなんだ。
なんて、心の中で言い訳してみたり。
「先輩、元はいいんだから」
「…………え?」
耳を、疑う。今、この人、なんて?
「もったいないですよ、そんなへたくそな化粧じゃ」
……やっぱり聞き間違いだったみたいです。
がっくりと肩を落とした私を置いて、彼はすたすたと歩いていく。もうすぐ、駅が見える。そういえば、神谷君の家はどこらへんだろう。きっとこの辺りなんだろうけど。
「先輩、彼氏とかできたことないでしょ」
「……もう、なんとでも言ってください」
三つも年下の高校生にこんなことを言われるなんて。むかつく気持ち半分、もう放っておいてほしい気持ち半分という感じだ。
「あ、駅ですね。まあ、とにかくそういうことなんで、黙っててくださいね。今日から先輩も共犯ですから」
「ええ!? きょ、共犯!?」
「当たり前ですよ。まあ、これは黙っててほしいっていう俺の〝お願い”なんで、無視してもいいですけど、――無視したらどうなるか、賢い先輩ならわかりますよね」
鬼だ鬼畜だ悪魔だ!
恐ろしすぎる「お願い」に、私が首をがくがく上下に振ると、神谷君は満足げにうなずいた。あぁ、本当に、今日は、なんて日なのか。
明日からのバイト生活がどうなるのか、想像するのも恐ろしい。どうか、どうか、穏便に過ごすことができますように。そう願わずにはいられない、これは私の神様への「お願い」だ。
「じゃ、気をつけて帰ってくださいね」
もう言い残したことはないというふうに、くるっと踵を返して歩き始めた神谷君。暴君のお願いに呆然としていた私も、はっとなって、その後ろ姿に声をかけた。
「あの、送ってくれてありがとう、神谷君!」
私が飛ばした声に、神谷君が驚いたように振り向いた。そして、また前を向きながら手をひらひら振る。
……家、通り過ぎてたのか。
なんだかんだで駅まで送ってくれたのは、神谷君のやさしさなのか。はたまた、悪魔の気まぐれなのか。
どうか前者でありますようにと、なぜか神にお願いしてしまう私なのだった。